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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第一話 夜と月 4

 小夜は苦無で突き出された槍を左に受け流した。そのまま、くるりと体を捩じって柄に乗り上げ、両手を支柱に相手の顔を蹴り上げる。

 透は仰け反って蹴りを避けながら、腕を振り上げて小夜を放り投げた。宙に投げ出された小夜は、くるっと一回転して着地する。

 初撃を躱されて、透は生き生きした表情をした。


「これはますます楽しくなりそうだな!」

「本気を出していないくせに、よく言う」


 反対に、小夜はこれといって表情を動かさない。

 透は肩を竦めた。


「生身の人間と戦うのは久し振りなんだ。加減が分からん。許せ」

「なぶり殺しが趣味か」

「何でだよ。俺は殺し合いをしたいんだよ。それ以外の戦いなんざ厭きてるんでな」


 小夜は、違和感が嫌な予感に変わった気がして、恐る恐る訊ねた。


「ならば、何故、私を狙った……?」

「あん? いや、狙ってない」


 透は、空いている手を横に振った。


「お前がいきなり襲ってきたんで、こっちは逆にびっくりしている」


 小夜は自分の失態に舌打ちをしたくなった。必要のない戦いを、自分から呼び込んだらしい。失敗は重なるというが、過去最大級の失態である。寝過ごした失敗が可愛らしいくらいだった。


 今から誤解を謝ったところでこの戦いを回避出来るとは思えない。相手は戦神のようだから、売られて買った喧嘩を返品する気はないだろう。戦神でなくとも、神なる者が許すとは思えない。現に、彼の目は煌々と銀色に輝いている。神通力が漏れているのか、記憶違いでなければ、彼の瞳は琥珀色だったはずだ。


 小夜が思考する間にも、透は両目をかっぴらき、実に楽し気に笑った。


「次も死んでくれるなよ」


 そう言って、死の一撃を放つ。猪突猛進な一撃はわざとだろう。透は殺し合いを望んでいるようだったが、戦力差は明らかである。そのための手加減だ。

 自業自得の状況に、小夜は腹を括った。


 槍は受け流さず、神通力を全身に漲らせて避ける。迅速に相手の懐に飛び込み、一直線に心の臓に向かって苦無を突き立てた。だが、透の槍が戻る方が早かった。小夜は横殴りにきた槍を大きく飛びずさることで躱す。透がそれを追った。迫りくる槍を弾く。今度は蹴りが来た。屈んで避け、脇を転がっていく。


 小夜は男の背後を取ったが、透はすぐに槍を引き戻して彼女に対応した。

 男の槍は縦横無尽だった。可能な限り直撃は避けているものの、余波で体のいたるところが痛みを訴えていた。疲労を和らげるため、調息する。一呼吸置いて、苦無を構え直した。その苦無も刃毀れをしている。最早使い物にならなかった。


「疾」


 自分自身へ呪をかける。今度は、疾走を意味する一字だ。

 小夜はさっきよりも速く攻撃を繰り出した。だが憎たらしいことには、透も合わせてくる。小夜は苦無に最後の役割を与えるべく、自分を薙ぎ払わんとする槍を苦無で弾き上げた。狙い通り、槍の矛先が上に向く。


 小夜は相手の利き腕に沿うように懐に飛び込んだ。が、槍の柄尻が、いや、上に向いていたはずの穂先が小夜に向かって突き出される。透はわざと槍を弾かせた勢いで支点をずらすと、そのまま手首だけで槍を回転させたのだ。一歩間違えれば、槍がすっぽ抜けて懐は無防備になっていただろう。


 小夜の顔が歪む。

 槍が少女を捕えた。――否。


「!」


 透の瞳孔が開いた。

 槍が突き刺したのはスカートだった。身代わりの術。小夜が透の後ろを回り込む。スカートの下は体育着で、月下に太ももが晒された。透はすぐさま後ろに顔を上げ、口角を上げた。


「ッ!」


 小夜は咄嗟に苦無で庇った。苦無が槍の威力に耐えきれずに砕けるが、主の身は守った。受身を取り、予め頭に入れていた位置までバク転を二回ほど繰り返して距離を取る。追撃はない。


 小夜は視線は前を向いたまま、手刀に霊気を乗せて刃に見立て、コンクリートから剥き出しに出ている鉄筋をすっ、と根元から切り落とした。

 透は笑っていた。小夜との戦闘が堪らないといった様子だ。


「いいじゃねぇか! 気に入った! まさか今の時代に、これほど楽しめるものがあるとは思わなかったぞ!」


 小夜は無言のまま、ぐ、と身構える。透は目を細めた。


「しかし、邪魔だな……」

「?」


 小夜が怪訝な顔をするより早く、戦神は彼女を狙って動いたと見せかけて、ここから離れたところで一連の戦闘を監視していた忍びの背後を取った。


「――ッ!」


 くのいちも流石なもので、透の不意打ちを瞬時に躱す。

 それは、一瞬のことだった。


「チッ。戦闘力のない分、逃げることに特化した奴だな」


 透は舌打ちを隠さなかった。ひたすら、楽しみを邪魔にされた怒りで燃えている。

 軌を削がれた小夜は呆然としていたが、刹那に殺気から逃れた。間一髪で、凶刃が小夜の近くを通る。咄嗟に鉄筋で身を守ったことで、鉄筋が真っ二つに斬られた。


「何奴!」


 誰何を問うが、むろん、殺気から答えはない。


「俺を前に、あの娘を狙うか」


 透の体が、神気で揺らめき立った。

 くのいちは逃げきれそうな距離を慎重に保ったまま、小夜の状況を窺っているようである。


 忍びの方からすれば、透が小夜を殺すのであればそれはそれで問題なかった。しかし、一応は先に狙っていたのは自分達で、透の方が後から来ているのだから、獲物の優先権はこちらにあるというものだが、神を相手にそんな道理が通るはずもないのは分かっていた。お膳立てされて喜ぶ神とも思えない。


 そこまで判断すると、忍びは音無き音を飛ばした。撤退の合図だ。隠密の居場所が割れた上、襲撃も失敗したとなれば撤退しかない。


「…………」


 小夜は人の消えた空を睨みつけた。叶うことなら暗殺者を捕まえたかったが、今の彼女にそんな力は残されていなかった。


 透は怒気を強く発していたが、邪魔者を追わなかった。あれらは小夜を狙っていた。また遭遇することを理解してのことだ。殺気を纏っていた黒い影とくのいちの気配が完全に消えるのを確かめると、透は小夜のところまで戻った。

 再び戦闘が始まると思って、少女の肩に力が入る。


「まったく、邪魔が入った」


 ところが、彼はぼやくだけだった。


「……続きをしないの?」


 てっきり殺し合いが再開されるものと思っていた小夜は、透から戦意を一切感じられないのを戸惑って尋ねた。


「するつもりはあるが、それは今ではないな」


 透は辺りを見渡し妖気やら何やらの残滓を拾うと、一人で勝手に合点した。


「よし、決めた。お前を守ろう。お前を狙う者を追い払う。俺の楽しみを邪魔にした奴に、わざわざ手間を減らしてやる道理もないからな」

「……は?」


 当然ながら、小夜は唖然と透を見上げた。彼は背が高く、小夜とて低くはないのだがずっと見上げていると首が痛くなるくらいのところに頭がある。それを凝然と見つめる。


 琥珀の目が、小夜を射抜いた。月光の降り注ぐ夜の下で、蒸し暑さも忘れ、濡羽色の髪をした少女は、萌木色の髪をした男神と見つめ合う。


「貴様を殺すのは俺だ」


 その言葉は、常に命を狙われてきた小夜には何ら意外性のないものだったが、こうも真摯に言われたのは初めてで、我知らず息を呑む。


「それに、貴様ような高潔な魂を殺すに相応しいのは、先の者でなく俺だ。だから、貴様を殺そうとする者は俺が殺す」


 高潔とは随分と過分な評価をもらったものだった。

 小夜はようよう言われていることを飲み込んだ。要するに、透は小夜を殺す前に他の暗殺者を殺す、と言っているのか。小夜の心情など露ほども慮っていないことには間違いない。


「……それは、どうぞ、ご勝手に」


 飲み込んだところで、他に言葉が思い浮かぶこともなく、小夜から言えることはそれだけだった。小夜は害あるものに悩まされていたから、その負担が減ると思えば利害は一致している。相手の利はどう見ても利には見えないが、神を相手に利害の度合いを訊ねるのも無意味な話だった。どうせ今死ぬか、後で死ぬかの差だと思えば今更である。

 ただ、そうとなれば一つ約束が欲しくなって、閉ざした口を開く。


「じゃあ、直近の敵を退けるまで、ということで?」

「そうだな。期間はそれで」

「一つ、私に不意打ちをしないように。この約束だけはしてもらう」


 神の気が変わって無様に殺されることだけは避けたかった。


「いいぜ。約束しよう」


 透は快諾して、利き手を差し出した。


「よろしくな、小夜」

「……よろしく」


 気後れしながら、小夜も右手を差し出した。

 しかし、なかなか変な話だった。小夜も襲われればもちろん返り討ちにするつもりでいるものの、自分を殺すと決めた相手と手を組むというのは。


「えっと」


 とりあえず今は、その相手を何と呼べばいいか分からず、小夜はまごついた。花椿透と呼べばいいのか、月木と呼べばいいのか。花椿か、やはり花椿か。


「透だ。それを今の名前にしている」


 透で良かったらしい。

 小夜は曖昧に微笑を浮かべた。


「そう。よろしく、透」


 こうして、濡羽と萌木は出会った。



お読みくださりありがとうございます。

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