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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第四話 月下に舞う 2


 昼間でも薄暗いアパートで、花岡は家の鍵を閉めた。

 いつもの習慣で、隣家の窓に掛かっているカーテンを見る。不審な行為だが、カーテンがかかっているのを見ると不思議と安心するのだ。寂しさも去来するが、何故かは分からない。


「……あれ?」


 花岡は瞬いた。

 カーテンがないのだ。気後れしつつも窓を覗くと、家の中は空っぽだった。いつの間にか引っ越していたらしい。熟睡していたせいか気付かなかった。


「そういえば、誰が住んでたんだっけ」


 女の子がいたような気もするが、今となっては知る由もない。

 花岡は気を取り直し、鞄を肩に掛け直した。





 小夜は目をぱちくりと瞬かせた。

 桃子と別れて家に帰ったところ、がらんどうの、何もない部屋が目の前に広がっていた。

 アパートに設置されているごみ捨て場に見覚えのある荷物がある時点でおかしいと判ってはいたが、本当に何もかも持ち出されていた。


 防護陣地に傷はない。だが、賃貸契約が成立したならば須らく効力を発揮するはずの結界がない。

 これが意味するところは、一つしかなかった。


「……この家は、解約されてるかもしれない」


 桃子と喋っている間に家宅侵入があるのは分かっていたが、なるほど、正式な契約に基づかれた行動をされてはこれを止める術はない。

 誰だか知らないが、小夜の名を騙るなり代理を名乗るなりして解約したのだろう。この分だと、他の賃貸すべても解約されているに違いない。


 小夜はため息をつくと、片腕を振り一切合切の結界を破棄した。

 持続性を維持するために細々とながら霊力を込め続けていたから、小夜は自分の手ですぐにでも結界を弄れた。

 その代わり霊力の消費が激しくなるが、周囲の霊気で賄えるくらい微々たるものだ。


 透は小夜を見下ろした。


「忍びか」


 他に候補を思いつけなかった。小夜は頭を振った。


「さあ。何にせよ、これで住むところがなくなった」

「荷物は全部ごみ捨て場にあるみたいだから、必要最低限集めてホテルにでも移そう」

「うん」


 家を奪われたというのに淡々とした声で、透は一瞬横目に小夜を見遣る。


「小夜」

「……何?」


 凪いだ瞳がこちらを見た。アパートを出てごみ捨て場に向かう。透は目を細めた。


「行くぞ」


 周囲に人はいなかった。人除けの結界は張られていないが、平日だから元々人の少ない場所だからか。

 透が物色してみた限り、通帳はなかった。


「通帳がねぇ。金は手持ちだけになるが、念のためにカードを作ってて良かったよ。ホテルくらいなら俺のカードで泊まれる」

「……うん」


 小夜の返事は曖昧なものだった。

 勝手に捨てられた荷物の上にちょこんと乗る熊のぬいぐるみを見つめて、そっと手に取っている。丁寧に汚れを払っていた。


「お金だけど、大丈夫だと思う。屋敷の方をどうこう出来るわけがないし」

「だが、電車に乗る金がないぞ」

「それが? 私だって忍びの術を持ってる。自分の足で行ける距離。そもそも」

「一雨来る」


 透は小夜の言葉を遮った。もう既に雲行きが怪しい。


「別に、いい。これだけあれば」


 小夜は、ぎゅっと熊のぬいぐるみを抱きしめた。押し潰さない程度に。

 透はしばらく小夜を見つめた。一度目を伏せ、しょうのない子供だというように歎息する。


「阿保め」


 短く言い捨て小夜を担ぎ上げる。


「持ってくものはそれだけだな? 他に必要なものはまた買えばいいだろう。ここはすぐ離れる必要があるが、状況が分からん今、安易に遠くを離れるのも癪だ。近くのホテルで状況を整理するぞ。お前の家にだって、周辺に罠を仕掛けられているかもしれない」


「まあ、そうかもね」


 元より積極性を持たない小夜は、状況に流されるままに答えた。




 透は小夜を抱え屋根の上を走った。

 近くの宿泊施設を見つけ出し、窓から侵入を果たす。

 急拵えの結界を張り、あらかじめ送り込んでいた使い魔が部屋の鍵を携えて現れるのを待った。暗示の術はこういう時に楽だ。


「子供の姿になるから作ろうか迷ったんだが、備えあれば患いなしだな。幸い口座は止められてなかった」

「そう。それは良かった」


 ベッドに寝転ばされていた小夜は、起きる気にならず寝転がったまま相槌を打った。

 いきなり家を奪われて疲れているからではないが、透が現代社会に対して完璧の布陣を敷いていることに、もはや突っ込む気力も枯れていた。


 少しの間だけ海外でも近代的な生活を送っていたというが、小夜のような身からしてみると人間よりも人間社会に馴染み切っていると言っても過言ではない。


 どこかの誰かを模した透の作った即席の使い魔が、カード型の鍵を入口近くの挿し口に差し込むと共に目的を果たして消失する。

 ルームキーが挿入されたことで、明かりが点き部屋を照らした。小夜は反射で目を閉じる。


「まぶしい」


 熊のぬいぐるみを抱え込んだまま、ベッドに寝転んだ状態で呟いた。

 外は雨が降り始めていた。二人がホテルに侵入してからチェックインするまでの間に、雨足はさらに強くなっている。


「ついでに、お前がキープしてた家を全部探らせてきたが、どこももぬけの殻だった」


 即席の使い魔を何体も作り同時に操っていた透は、使い魔がすべて役目を果たして消えると小夜を振り返った。


「早いね」

「中を見るだけだからな。どれも同じように解約されてるんだろうよ。でなけりゃ結界が何一つ働かないなんざねぇだろ。あー、久し振りだから目が筋肉痛になりそー」

「なるの、神様が、筋肉痛に」


 小夜が思わずツッコミを入れると、透は喜々として頷いた。


「なるぞなるぞ。いや、ならん奴はならんがな? 俺はなる。むろん、俺のことだから多分なるようにしてるんだと思うが」

「うん、そうだろうね」


 部屋のベッドは一つだけだったので透は備えつけの椅子に腰を下ろしたが、ふと思い直すとベッドに乗り上がった。


「よし、そういうわけだから、状況を整理するぞ」


 小夜は瞬いた。状況の整理自体は、別に構わないが。


「いや、何で狼?」


 透は、狼の姿になって小夜の隣に横たわっていた。何やら尻尾を振る。


「もふもふだぞ」

「もふもふだけど」

「即ち、アニマルセラピーだ」

「アニマルセラピー」


 ふふんと透は胸を逸らし、小夜は鸚鵡返しに言った。ちらり、手元のぬいぐるみを見遣る。


「ねぇ、まさか、また張り合ってるわけじゃないよね、しかも今度は無機物に」

「否定出来る論拠はねぇが俺としては効率を重視したと判断されたい」

「効率? ……えっと、せらぴー?」


 自分でセラピーかと言っておきながら、セラピーが何を意味していたのかをまったく思い出せないでいる小夜である。因みにセラピー(therapy)とは治療、療法を意味する。


「家を奪われたんだ。お前は怒るなり泣いたりしていいんだぞ」

「別に仮宿だったし」


 小夜は狼の腹の部分を背凭れに、ごろりと向きを変えた。


「俺がせっかく居心地良くしようとしていたのに」

「本音はそっちなんじゃ?」

「生き物らしい生活をしろと言っているんだ」

「こういう時、人間らしい、じゃないの。生き物らしいって必要最低限を下回っているような」


「下回ってねぇし、住処を居心地良くするのに人間であることは関係ないだろ」

「人間社会における一般論を出しただけです。そして人間社会では人と獣は違う」


「当たり前だ。人間社会の主軸が人間でなくてどうする。だから怒るか泣けっつってるんだ。揚げ足取って逃げ回るんじゃねぇ。感情の発露なら何だっていいから無感動にだけはなるな。人間の枠に居続けるつもりなら、なおさら」


 要は傷ついていない振りをするな。という話だったが、それを明言するには小夜の琴線に触れそうであったので黙る。

 小夜は、眉根をわずかばり寄せた。


「そうは言われても……。泣くつもりも、怒る気にもならないのに。……でも、そうだな」


 促されるまま、思いを馳せる。


 つい数時間前まで、家には壁際に積まれたティッシュ箱やペットボトルの山に分別されたごみ袋があった。

 洗面所には歯ブラシとコップが増え、歯磨き粉の減りも早くなって余分に一本買っていた。


 それから、透が作り置きを覚えるぞと言ってプラスチック容器を買ってきたものの普段の準備の良さはどこへやらで、色んな種類が未開封のままたくさん。

 熊のぬいぐるみは、これで緊張を解せとというからよく分からないなりに使っていた。


 それが全部、なくなって、ごみ捨て場にうち捨てられて。


「なんか、嫌だなって思った」


 唯一取り戻したぬいぐるみを抱きしめて呟く。


「向こうの屋敷も含めて、家に思い入れがあるわけじゃない。屋敷を出たのは、自分の家だと思い難かったからで、だから本当はきっと、思い入れを感じられたらいいと思っていた、のだと思う。

 すぐに妖に狙われて、すっかり忘れていたけど。桃子達とか家を大事にしていたから」


 小夜は視線を彷徨わせ、自分の心を振り返った。


「透があれこれとし始めたこと、私はきっと桃子達と同じような家を体験出来るんじゃないかって、それを夢見たんだろうな。

 だから屋敷に戻ればいいって言ったのは、別にやけっぱちのつもりじゃなくて、屋敷でもまたやり直せばいいと思ったからで、本当に」


「まあ、お前の心が折れてないのは分かってたよ。けど、屋敷で新しく始めようとするのはいいが、引き籠ろうとしてたのには変わりねぇぞ」


 確かに心は折れていなかったが、あの時、小夜の心は閉ざされていた。


「それは、しょうがないじゃん。いい加減あれこれ突かれるのには疲れた。どうせもう半年もすれば義務教育も終わるし、人間社会の端っこで暮らす予定の私が、いまさら最終学歴が中卒から小卒になることにどう恐れろというわけ」


「お前案外世間体に縛られてるよなー」

「は?」

「いや、今はいい。俺はお前に十全であってもらいたい俺の目的のため、お前がこの問題から離れるのを阻止する」

「何という有難迷惑」

「自分勝手でなく有難迷惑と表現するあたりお前も分かってるんだろうが、心の整理がついたからには本題に入るぞ!」


 透はぐるりとその狼の顔を巡らせると、ぐいぐいと小夜の頭を押した。

 小夜は唸り声を上げ、厄介な存在に目をつけられた現状を呪った。


 闇槌の血筋であることで被った被害はあくまで家の問題であり小夜個人の問題でないから気にしてこなかったが、透は自分の失態が生んだ結果だった。


「このっ……短い間だけと……思えば……っ」

「よしよしその意気だ」

「むかつく!」


 小夜が腹を立てるのも当たり前だった。小夜は短期契約の心構えでいるのに、煽てる透は長期契約の心構えでいるのだから。


 さておき。


 解約は忍びの仕業だろうと、二人は改めて状況を確認した。

 徒人の侵入だけならともかく、部屋の荷物がすべて持ち出されるような事態に結界が何の反応も示さなかったのは、それが正式な解約によって行われたものだからで、その解約には人手が必要であった。

 怨霊より、忍びが原因だと考える方が無難だ。


「家をすべて解約されたことで、私はホテルか屋敷に戻るかの二択になった」

「向こうはこっちの行動を予測しているはずだが、今のところ何もねぇな。忍びらしい気配も近くに一切ない。一般人に装っている可能性も視野に入れてんだがな」

「急拵えの結界を破って、眠ったところを狙うつもりだろうか」


「それより明日の雨だろ。かなりの雨になるだろうから、川が心配になる。いつものお前なら様子を見に行かないはずがない。そして狙われるだろうと分かっていても明日は行くだろう。裕也もだが、桃子もいいように使われたな」


 小夜は考え込む素振りを見せたが、すぐに目を瞑った。

 石動もとい闇槌家の属性は水だが、だからこそ油断を狙っているのかもしれなかった。



お読みくださりありがとうございます。感想など頂ければ幸いです。

もう少ししたら終わると思うとそわそわしてきました。ここまで読んでくださる方には本当にありがとうございます。


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