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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第四話 月下に舞う 1


 夢を見た。過去の夢だ。

 その人は笑って、あれこれと話をしている。


 小夜は同級生と一緒に耳を傾ける。真夏の日だった。快晴の昼間で、なんだか空が遠い気がしていた。水溜まりがあって、打ち水のものなのか通り雨のものなのか、そんなことを頭の片隅で思っていた。遠くで蝉の鳴き声がする。時折電柱で鳴く蝉に驚いて、皆で笑う。


 そこで、小夜は目を覚ました。

 朝から聞こえる鳩の鳴き声。窓は閉まっているからその声は小さいものの、夢の残滓である蝉の鳴き声をかき消すくらいにはよく聞こえた。


「何事もありませんように」


 あまりにも嫌な予感しかしなかったので、開口一番に禁厭を唱える。

 もそもそと起き上がり、部屋を見渡す。

 一部屋だけの家の中には、小夜と透の学校用品に私服と生活用品が色々。夏至の日から何か月も経っていないのに、以前より生活感のある部屋になっている。


 透はどこかに出かけているようで、一人だけの静けさだ。

 冷房も効いているので居心地は悪くないが、警戒心が首を擡げた。陣の傍に居るその姿を見た日の前後ですら夢を見ることなどなかったのに、今日この夢を見たということは、何か嫌なことがあると思わざるを得ない。


 少々手持ち無沙汰を感じて、胡坐をかいたまま透がゲームセンターで手に入れてきた熊のぬいぐるみを手繰り寄せ、抱き込む。

 ほぅ、と息を吐いたところに、散歩帰りの透が窓からすり抜けて入ってくる。


「おはようさん。さっきこいつが飛んできたぞ」

「おはよう。そう、おかえり」

「ただいま。朝飯食べるか、何がいい?」

「なんでも」

「じゃ、食パンで行こう。レタスをちぎった奴とー、卵焼きとー、えーと」


 何が入っているか把握していないので、冷蔵庫開けてあれこれと中身を物色する。


「じゃ、って、いつも食パンじゃん」

「目下研鑽中だ、許せ!」

「別にいいけど。じゃ、っていうから」


 ぬいぐるみを胸に抱え込んだまま、人型に折り畳まれた紙人形を広げながら言う。小夜は手紙に書かれてある内容を読むと、いささか険しい表情を浮かべた。


 ごめん、止められなかった。手紙にはこれだけ。


「何が書いてあった?」


 透は、小夜の表情が不機嫌に苛立ちを含んでいるのを認めて尋ねた。

 小夜は、思考をしゃっきりするべく軽く頭を振った。


「桃子が来る。多分お昼に。近くで広い場所っていったら公園か学校か」

「桃子ってお前の幼馴染みか。それだと学校の方だと思うぜ。裕也の様子じゃお前が今どんな生活を送っているのか知りたそうだったし」


 透の意見は十中八九で事実だと思われた。

 さっそく暗雲の垂れこめる状況に、深くため息をつく。こちらの気も知らないで、わざわざ自ら死地に飛び込んでくる彼らには苛立ちしかない。


「面倒……」


 不貞腐れ、小夜は顔を埋めた。





 中村なかむら桃子の襲撃を受けたのは、小夜の予想通り昼の時刻で、場所は透の推察通りの学校だった。

 見えざるの札を敷地のコンクリートに貼って、徒人からの妨害を防いでいた。


「聞いたわ、小夜。この地域の怨霊課と一緒に、土地霊を祓ったんですってね。さすがね。その式神もとても強そう。小夜の護衛にぴったしなんじゃない?」


 桃子は、小夜の黒髪とはまた違う黒檀の目と長い髪を持つ、発育のいい体つきをした女子中学生であった。

 澄ました性格だが、小夜が相手だといつもこてんぱんにされている。


「あれこれと話が飛躍してるけど、訂正する気はないからさっさと帰ってもらえる?」


 小夜はいかにも面倒です、という能面を張りつけていた。

 桃子はぴくりと眉を動かす。


「訂正があるなら言ってもらえる? 間違った情報は誤った判断に繋がって良くないし」

「まずは間違った情報を手に入れてしまう自分の脆弱な情報網を正したら」


「そのためにも必要な訂正に決まってるでしょ! 正しい情報がなくて、どうやって正誤を判断するっていうの!?」

「そこが甘いって話なんじゃない? なんかイケメン侍らせてるけど、それで満足しちゃってない?」


 小夜が指摘すると、桃子の後ろに佇む式神が静かに腰を折った。

 茶髪の彼は背が高く、桃子の容姿もあって見栄えが良かった。透が荒々しいと表現出来るなら、相手は物腰丁寧といったところか。


「主のご友人にイケメンと言って頂けるのは面映ゆいものですね」

「えっ、声にも艶がある?」

「ちょっと、人の式神誑かさないで?」

「した覚えはないかなー」


 冤罪だと小夜は主張したが、小夜が誰かの何が素敵だとか滅多に言わないのは確かだ。

 つまりそれは、隣にも被弾していることを意味する。

 小夜は、ふと隣の様子に気付くと透が何だかいじけているように見えて、嫌な予感をひしひしと覚えた。


「透?」

「俺、小夜にイケメンって言われたことねぇ」


 ツンとそっぽを向く様子は、明らかに拗ねている。まさか張り合おうとすると思わなくて、小夜は唖然とした。


「そんなこと!? あー、もう、大丈夫、透もちゃんとイケメンだから、声も」


 と、透の腕を宥めるようにぽんぽんと叩く。


「何か適当だなー。本当かよー」

「馬鹿なの!?」


 思わず叫んだ。


「ふふふ……っ。何やら充実した生活を送ってるみたい? 羨ましいことねー」


 桃子は、いきなり目の前で見せつけられたそれに虚ろな目を向けた。

 逆に、どこをどう見たらそう思えるのかと、小夜は呆れを隠さず桃子を見る。


「桃子はそのがめつさを直したら」


 小夜とて彼女が男に目がない女ではないのは承知だが、つい皮肉った。


「誰がお金にがめついですって!?」

「そっちじゃない。いや確かにそっちも隠し切れてないけど」


 桃子はまったく別の意味で捉えたらしかった。


 桃子の実家は割とかつかつで、娘である彼女も日々のやりくりに追われている。普段は気品ある振る舞いを心掛けているのだが、培われたがめつさを隠し切れていない。

 それでよく小夜に突かれていたものだから、条件反射だった。


 桃子は気持ちを落ち着かせるべく髪を撫でつけ、本題に入ろうとした。


「とにかく、私はあなたの心配をしにきたの」

「有難迷惑」

「友達として当然のことをしてるまでです!」


「恩を仇で返しているようなものだと思うのだけど、裕也も桃子も、マゾなの?」

「違いますー。こっちはちゃんと怒ってますー。ていうか恩を仇で返してる自覚があるなら折れてみたらどうなの!?」


「そっちこそ何で折れないの? こっちは嫌がってるんだけど。恩とか仇とか言葉の綾だから。人が嫌だと言っているのにそれを止めないって加害者だから」


「ああ言えばこう言うー!」

「そっくりそのまま返す」


 透と桃子の式神は、それぞれひと思い抱えながらお互いに目を合わせた。


「お前はここ数年で契ったのか?」

「ええ。そちらは、ごく最近でよろしかったでしょうか」

「おう。二か月も経ってないな」

「それは、本当に最近なのですね」


「くぎのき! もうさっさと目的を果たすわ!」


 小夜とああだこうだと言い合っていた桃子が、自らの式の名を呼んだ。くるりと小夜を振り返り直り、好戦的な笑みを浮かべる。


「小夜、あなたの心配をしたのは本当よ。ずっと気になってたもの。でも、もう一つ目的があったの」

「ふぅん。で、その目的って?」


 小夜は両腕を組み、相手を睥睨した。

 桃子もまた勝気に目を眇める。


「あなたの式神がどこまで強いのか、その確認よ」

「は?」


 ぱちり、と目を瞬く。小夜は強烈に面倒事の気配を察知した。


「何言って……やっぱ先に訂正しておけば良かった、透は私の式神じゃな」

「問答無用! くぎのき!」

「はい、承りました」

「ちょっ」


 透の方はとっくに臨戦態勢に入っていて、くぎのきが千手のようなものを出現させるや自分も朱色の槍を持ち出した。


「透!」

「いいじゃねぇの。偶には楽しませろ」


 透は笑顔を浮かべて言い、槍を繰り出した。

 千手と槍が交差する。


 くぎのきは幾本かの先手を投げた。

 透はすべて叩き落すが、千手はくるくると空中で回転して再び透を襲う。


 透の視線が一瞬そちらへ向かった隙に、くぎのきが相手の死角を取る。

 しかしそこには既に槍の柄尻があり、あわやそこへ自ら強打しに行くことになりかけて躱す。

 透はやにわに先手を捌いた。丸ごと絡めとり、くぎのきに叩き返そうとし。


 ひゅっと、小夜は息を呑んだ。

 透は、驚きとわくわく感の入り混じった声を発した。


「まじかッ」

 くぎのきによってバラバラに斬り落とされた槍が、破片となって透の周辺を舞う。


 何てことはない、槍に残っている傷を狙われたのだ。

 かの槍は、確かに以前カッターの刃を叩き落していた。呪いが籠っていて、透は槍がそれに触れるとほぼ同時に浄化したのを覚えている。しかし、刃の傷跡は槍の勲章であるのだから放っておいていた。

 その上でついこの前、土地霊を吊り上げた。


 呪いと傷と負荷と。

 くぎのきの目はこの透の槍に刻まれた、様々な痕跡をしかと捉えていたのだ。そして次こそ、相手が動くより先に畳みかけようとして。


「ハッ、甘ぇ!」


 透は吼えた。愉快に顔を歪める。

 前に出ていたくぎのきは、瞬時に防御に徹したが間に合わず。透は未だ手元に残る折れた槍をくぎのきが防御する腕に突き刺した。が、顔に迫った千手に邪魔をされて掠る程度。


 透は少しばかり、むっとした。

 手傷を負い、くぎのきは後退する。

 彼の傷を見つけるや、桃子は青褪めた。


「くぎのき……っ」

「ご安心を、すぐに治ります。折れた武器をそのまま使うとは、さすがは戦神ですね」

「当たり前だろ。折れても尖ってりゃ、充分に凶器だ」


 今度は足元に落ちている槍の破片を、足のつま先で引っ掛けてパシッと掴み取る。

 そのまま、睨み合いの膠着状態に入った。


 何かがおかしい。

 状況を見守る中、ふと、桃子の脳裏に疑問が首を擡げた。


「小夜、どうして援護の一つも、素振りも見せないの?」


 桃子はさっきからずっとくぎのきの援護をしようとしていたのだが、小夜が何もしないせいで動くに動けないでいたのだ。

 今しがたの戦闘でも、式神の槍が折れたというのに咄嗟に動く気配すらなかった。


「援護って、本人が楽しみたいって勝手にやってるだけなのに、する必要がどこに?」


 小夜は、眉根をひそめ桃子を見遣った。


「そういう契約?」

「契約も何も、向こうが勝手にやってるんだから。ていうかそれ以前に、私の話を聞いてもらえるかな。私と透は主従関係にないから。透は私の式神じゃない」

「式神じゃない?」


 桃子は、呆然とした。ガツーンと鈍器を殴られたような、重たい衝撃が全身を貫く。

 桃子は戦慄いた。当初の目的が何の意味も成さないことに冷や水を浴びる思い。


「式神じゃなきゃ意味がないじゃない!」

「はい?」

「小夜にとってはどうでもいいことだろうけどね、私にとってはそれを知ることは必要なことなの! だのに、式神じゃないだなんてっ」


 己より強力な存在を従えるにあたり、式の実力を十全に発揮出来るかどうか、主の器も試される。

 小夜はいつでも実力充分なのに、どういうわけかその身に神々から力を借りられないようで、桃子はいつも歯痒い思いをしていた。

 同時にそれは桃子の矜持をも刺激していて、だから式神を得たと聞いた時ようやく同じ立場で競い合えると思ったというのに。


 桃子は震える声を押し殺し、踵を返した。


「出直すわ。同じ条件でなきゃ意味がないもの。第一、私の式神は強いの。そして私は彼の力を十全に伸ばせる。いくら強力な精霊神といえども、式神でないものとはお話にならない」

「はぁ、そう」


 小夜の声は、無感動なものだった。

 透は桃子の科白に小夜に対する劣等感を強く感じたが、当の本人は左様ですかと流すだけである。


 小夜のそれは、何でもいいけど、と言わないだけましな言葉だった。


 どこまでも一方通行な関係に、桃子は唇を噛み締める。

 しかし、これ以上の醜態を自分に許せない桃子は、早々と立ち去った。裕也の時とは違い、後ろ髪を引かれている様子はない。

 くぎのきが最後に一礼した。


「嵐のように去っていたなぁ」


 透は彼らが消えるのを見届けた後、見るも無残になった槍を見下ろした。


「槍、折れたどころじゃないね。大丈夫なの」

「娘の言葉通りってところか。戦闘に槍の有無は問題ないが、槍に関してはなんとも。直すか新しいものを探すかはしばらく寝かせてからだな」


「そう……。呪いの痕跡を正確に狙われるとか、私も思わなかった」

「しかもこれ、ほとんど浄化し終えてたんだぜ。それなのにしっかり傷に沿って切り刻むってんだから、手強い相手だよ」


「でも、透にとっては嬉しいことなんでしょ?」

「おうさおうさ。強い奴は大歓迎だ」


 槍の破片をすべて拾い上げるとどこかの空間に放り投げ、透は楽しそうに答えた。



お読みくださりありがとうございます。感想などいただければ幸いです。

終盤に入りました。


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