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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第三話 今は昔、言の葉は無き 9


 無事に救出されて、陣はぐぐぐ、と体を大きく伸ばした。


「自由が最高~」

「今思ったんすけど、夏島さん、よく今まで無事だったっすね」

「それは日頃の自衛の賜物なのだよ金井君。まあ、今回は自衛に失敗したけど」


 陣は安堵の表情を浮かべていて、それを小夜がじっと見つめる。


「夏島さん、桐原さんを庇ってたよね? 最初、死なせるつもりなのかと思ったけど」


 その動きは至極曖昧であったので、小夜に確証はない。


「将来有望そうな青年だし、暗殺する輩でも居たんだろ」

「近くに忍びを見た。何だか雰囲気が異様に思えたけど、夏至の日に私を狙った忍びと同じだと思う。それ以外に居た?」


「居なかったと思うぞ。つっても、地脈ばかりに目が行ってたし、他の気脈に遁甲されてたら分からねぇが。陣の動きは、恐らく暗殺しろと命令された側だな」

「じゃあ、後で死なせるのかな」


 夏島を嫌ってはいなかった小夜は、残念そうに呟く。


「……どうだろうな。ま、きっと大丈夫だろう」


 後半、息を吐くような囁き声だった。その透は、どこかを見つめている。

 いつにかく静かな雰囲気を醸し出す透に一つ瞬き、小夜はもう一度、陣を見遣った。

 ゆらりと烟る青白に、徐々に目を見開き。


 陣の傍に、女が居た。

 半透明で、宙を浮いている。いかにも幽霊といった態で、陣の耳を塞ぐように漂っている。


 ここでおかしいのは、霊感を持っているはずの者ですら彼女に気付いていないところだ。普段は位相が違うのか。それなのに今見えているのは〈襲〉の影響か。

 いや、そんなはずは。でも、小夜も今の今まで気付いていなかった。


 これを、透は知っていたのだろうか。分かっていれば、決して関係なぞ成そうと露とも思わなかったものを。

 女が、視線に気付いたかこちらを見た。すると左右に首を振り、謝る素振りをする。


「何で……――」


 咄嗟に、小夜は一歩後退った。零れる囁き声は掠れている。戦慄く感情が、小夜の全身を支配した。

 もうすっかり、桐原のことなど頭から抜け落ちていた。


 怨霊課の方も、透がすぐに小夜を隠したこともあって気付いていない。陣は談笑しながら、前崎と金井に指示を出している。その肩に、女を一人侍らせているのにも気付かず。


「小夜」


 透が短く声をかけた。

 小夜は女から逃げるように、無意識に足元の地面を見つめた。


「どういう……ッ」


 過ぎるのは、嗚呼それでも笑顔で。


「どんな関係だ――!」


 その声には、深い激情が奔っていた。





 夏の涼しい夜だった。

 町の小さな山にある神社で、松代中学校三年生による肝試しは成功のうちに終わった。


 生徒達が捌けた暗がりの中、少女だけが一人、誰にも知られずに彼らを見守り最後まで残っていた。小夜だ。あとは家に帰るのみで、寂れた階段を降りていく。

 陰鬱な表情で、夜中でありながら重たい空気がよく見えた。


「小夜、良い場所を見つけたんだが、寄ってみねぇか?」


 声をかけられて、顔を上げる。


「いいけど……」


 透はどこかに行っていたかと思えば穴場でも探していたようで、そんなところなどあったかなと思いつつ、他にすることもない小夜は頷いた。





 同時刻。

 陣は久し振りの実家に来ていた。帰るつもりのなかった家にいるのは当然呼ばれたからで、嫌々来ているのだというのを隠しもしないでいる。


「若様……〈襲〉に呑み込まれかけたと伺いましたが、ようご無事でありました……」


 夏島家の式神が、優しげに陣を見下ろした。

 しかし、この鬼神は夏島家との付き合いも長く物腰こそ丁寧で遜っているが、格の高さもあって腰を折るほどの忠誠を見せない。


「ああ、うん」


 縁側で涼んでいた陣は、あれこれと意識を割いていたので気もそぞろに返事をした。


「精霊神に助けられたよ。月木というそうなんだが、知らないか?」

「若様を助けられた者の名前ですか?」

「ああ、今は花椿透と名乗っているそうだ」


 それから、多分という前置きを置いて、陣はその名前を告げる。

 古くからこの家にいる、鬼神は頷いた。


「ええ、その名なら存じております。確かに月木とも呼ばれておりました」

「当たりか」


 陣は頬杖をついた。ちらりと傍に佇む式神を見遣って、目を瞬かせる。


「何か、他にあるのか?」


 式神は首を振った。


「いいえ、私から申せることなど、何も」


 式神はそう言ったが、だからこそその意味深長な言葉に、陣は鬼神をじぃっと見つめた。

 私から、ということは自分の口から言えないだけで、何かがあるということだ。式神も、陣の眼の良さを分かっていて動かない。

 ようよう、陣の上体が起き上がる。彼は口を戦慄かせた。


「花椿は関係ないだろう。この春に帰ってきたばかりだと言っていた」


 式神は沈黙するままだった。ただ陣を心配している。

 そう、心配していた。陣が、あの日の二の舞にならないかと。


「忍びは関係あるのか」


 今度は目を伏せる。


「桐原警視正が関係あるのか?」


 式神は憂いの籠った眼差しを向けた。


「違うのか……?」


 不意に、どこからともなくひそひそと話す声がし始めた。目の前の鬼神よりも格の落ちる妖達だ。

 夏島家の当主が陣に憤っている関係で、遠くから見守っているのである。


「お労わしや……、ご聡明であるはずなのに……」

「しっ、言うてはならぬ。―――を――――いるのだから、致し方のないこと」

「そうとも。そうでなくてはこうも無気力に振る舞うまいて……」


 ひそひそ交わされる式達の言葉。彼らを纏める役目も負う式神は陣を見守るまま。

 陣がまだ名を上げていない残る人物は、一人。その人物は、陣と同じ時期に陣と同じ町に来ている。

 陣は、気付いてはいけないそれを、気付いてしまった。


「関係、あるのか……石動が……」


 唐突に、陣は思考が晴れ渡る錯覚に囚われた。

 いや、事実、封じられていた五感を取り戻しているのを直感する。

 それで陣は分かってしまった。今までずっと気付かれないように隠されていたものを。

 否、気付かない振りをしてきたものを。


 目の前で、見知った女が残念そうに表情を浮かべた。


「みっ……!」


 咄嗟に手を伸ばせば消えるそれ。

 陣は愕然と式神を見上げた。鬼神はすぐに膝を折り陣の目線と合わせた。


「このまま、我々の主としてお戻りになりませんか。冬島家の者も喜ぶでしょう」


 陣は、弱弱しく首を振る。


「ばかを、いうな」


 蘇える、電話の記憶。

 昼間の薄暗い部屋。外は明るく緑は鮮やか。蝉が鳴いていて、いつもの夏のはずだった。

 汗を拭って、型落ちの電話機の受話器を取る。


 ――――私は後悔してない。陣、私は後悔してないから。


 開口一番のそれに、当時の陣は嫌な予感に囚われた。

 彼女はいつだって、真っ先に相手の様子を聞いてから自分のことを話す人であったから。

 陣は呻いた。ダンッ、と拳を強く縁側の床に叩きつける。


「俺は、未だに知らない……っ、あいつが、何を後悔してなかったかなんて!」





「わぁ」


 それを見て、小夜は大層珍しく頬を紅潮させた。透は誇らしげに笑う。


「いいだろう、裏にちょうど蛍の群生を見つけてな。間違いなく絶景だ」


 裏、それは〈襲〉を指す。一週間前に土地霊を送り届けた先だと聞いて、小夜は少し驚いて顔を上げたが、すぐに笑みを浮かべた。


「うん、これは、確かに……。それになんだか、懐かしい感じがする……。昔見てたのかな」


 蛍の飛び交う静かなそこを、小夜は目を細めて見守る。


「透」

「うん?」


 くいっと袖を引いてきたので、透は不思議そうに瞬く。


「ありがとう。いい気分転換になった」


 柔らかい声だった。今までで一番。


「おお、どういたしまして」


 だから、透の声も、柔らかく響いた。





 顔を覆い、陣は唸り声を上げる。


「教えろ……! 俺に教えろ! すべて! 俺が自分で気付いたなら、もう緘口令なんぞ無効だろう!」


「若様、落ち着きなさい。無効になどなりませぬ。自ら調べなければ」

「調べる? ずっと! ずっと! 我慢してきたんだ、耐えてきたんだぞ!? それなのに、目の前に、目の前に!」

「ですから、若様!」


 式神が諌めるも、激憤に身を焦がされている陣には届かず。


「どういうことだ……ッ、石動……ッ!」


 喉の奥底から絞り出されたその声は、奇しくも、小夜のそれとよく似ていた。



お読みくださりありがとうございます。感想など頂けると幸いです。

次から終盤に入ります。

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