第三話 今は昔、言の葉は無き 8
ぶわり。
超大な気配が下から膨れ上がった。そのあまりの巨大さに、今まさに真下から何かが現れるのを強く感じ取った。盛り上がり、足元が歪む。
「――ッ、!」
「小夜、使うな!」
瞬時に言霊を発しようとして、透の鋭い制止に縫い留められた。
「きゃあっ」
「うわわわわっあわわわああああっ」
前崎と金井が悲鳴を上げ、尻もちをつく。陣も足元を取られ電柱に手をつける。
無声のようで、無声でない、何かの大きな声が辺り一帯にこだました。
「全員どうした!」
ただ一人何も感じない桐原が、小夜や部下達の様子に戸惑いの声を上げた。
むろん、誰も彼の疑問に答えられるはずもなく、彼らは霞のように半透明に輪郭を保つ土地霊の図体が持ち上がり、その姿を現すのを愕然とした面持ちで見つめた。
「あ……あれ……?」
凝然と土地霊を見つめていた前崎が、ふと我に返って周囲が無事であることに瞬いた。
一足先に落ち着きを取り戻していた小夜は状況を確認すると、土地霊が起き上がる際に自分の隣を守るように佇んだ透を見上げた。
「土地霊、起き上がっちゃったけど、捲れるんじゃなかったの?」
「あれは虚像だ。何で俺達がなかなか見つけられなかったと思う。あいつが深く土地に同化して潜ってたからだ。だから、お前が今見てるところに実像はない。事実と時間が繋がってないからな」
「じゃあ、事実が現実に繋がった瞬間が本当の時間切れってことか」
「そういうことだ。命拾いしたな」
「私に使わせなかった人が言う?」
「虚像だと判ってたからに決まってんだろが」
小夜はじとりと透を睨みつけ、透は心外だと鼻を鳴らした。
電柱を支えにしたまま、土地霊を見上げていた陣が何かに気付いた。
「何か、痛がってないか?」
「不本意に起こされたのか。地底で何かしら穢れでも発生していたのか?」
透も観察してみれば、確かに痛がっていて原因を推測する。
可能性としては否定できず、その心当たりのあり過ぎる小夜は剣呑な面持ちになった。
「あ、まずい、すかも!」
金井は警鐘を鳴らすと、咄嗟に陣を持ち上げた。
そこへ、巨大な手が掠った。土地霊が危険を察知して攻撃してきたのだ。透は桐原を担ぎ、小夜と共にその場を跳躍する。
小夜は腕に木属性の霊気を集めると、土属性のその巨大な図体に迫り経穴へ目がけて鋭く突きを入れた。目を覚ましたといったとて、この通り他に遣り様はある。
だが、相手がいくら巨体であろうと、そこにあるのは虚像であり。
「石動、もう少し上だ!」
金井に抱えられながら陣が叫ぶ。空振りを察した小夜は即座に身を翻した。
「小夜!」
透の声に導かれるまま、さらに後ろへ飛ぶ。
だが、着地する先は地面ではない。透の槍に乗るや振り抜かれる遠心力を糧にして、小夜は弾丸のように跳んだ。
今度こそ、透の正確な援護によって経穴の前に滞留し、木気を纏う拳を叩きこむ。
「――はぁッ」
そこからまた一気に催眠術を流し込むが、効果は薄い。
それでも、土地霊は苦悶の声を上げた。
「はー、あの子凄いっすね」
陣を桐原の隣に降ろした後、自身も参戦すべく体を解す金井が感嘆の声を上げた。
「ひっ、ひっ! きゅきゅ急に何だ!? そ、空……!?」
桐原は、体がいきなり空を飛んで喉から心臓が飛び出るかと思うほどに驚いていた。
小夜が間合いを取ると、前崎が一人、土地霊と相対した。式の桜花は命令を忠実に守り、桐原の傍に居る。
一旦後ろに下がった小夜は、状況を改めて把握すると魔方陣に飛びついた。
魔方陣は土地霊のいる場所と繋がっていて、そこから術式を展開するのが最も効果的であると踏む。
「小夜!」
透が叫ぶ。
「大丈夫、土地殺しの汚名を着るつもりはない!」
「危ねぇって話だ馬鹿!」
危険を感じ取った土地霊が小夜を叩き潰そうとするのを、透は豪快に蹴り上げて阻止した。
「それこそ問題ない。透は私を守るんでしょ?」
小夜は口角を上げた。それを見て、思わず透も笑う。
「はっ、その通りだよ」
「金井は前崎の援護を、俺は石動のところに行く。桜花はそのまま桐原警視正の警護」
「了解っす」
陣は魔方陣の前に跪き、両手を突いた。
「石動は水気が強かったな? 俺の木気を相生してくれ」
「はい」
指示に従い、霊力を込める。
半透明に透き通る土地霊は徐々にその透明性を失いつつあり、それと同時に小刻みに地揺れの頻度も上がっていく。その様は、まさしく階調をなぞっているようで。
そこではたと、透は土地霊を見上げた。
「ああ、そうか。何で思いつかなかったんだ」
自然と口元が緩んだ。
小夜が桐原に説明しているのを聞いてから、ずっと頭の片隅に引っかかっていたものがするすると解けていく感触を得る。
「何が?」
小夜が疑問を投じた。
「大抵の同胞は大地に還っていたから、同じようにまた眠らせて、還すことばかりに目が行ってたってことに気がついたんだ」
透は、目を爛々と輝かすと腹の底から声を出した。
「小夜、陣、そいつを〈襲〉に送るぞ! 〈襲〉は分かるか?」
陣は瞬いた。
「確か、深淵の入り口、平行、多面、裏世界、とか色々と言われてるあれか?」
〈襲〉は、要は異界である。
それが幾層にも重なっているために〈襲〉と呼ばれている。場合によっては、現実世界が歩まなかったもしもの世界でもあった。
後に、陣は桐原に〈襲〉とはパソコンのフォルダやファイルみたいなものだと説明している。
桐原が二つの違いを指摘すると、〈襲〉と表現するのが最も妥当なだけで、それだけごちゃごちゃな世界なのだ、と陣は答えた。
因みに、レイヤーを一つに結合、纏め上げたものが一つの画像ファイルになる。
「そう、それ。そこに移ってもらう!」
「どうやってだ!」
「そりゃ道を作る以外に何がある!」
透は快活に笑みを浮かべた。すぐに顔を引き締め、指示を出す。
「俺が土地霊の動きを止める間に小夜は裏世界の〈襲〉を掘り出せ。森の深いところ、本当に裏の奴だ!」
「分かった」
「陣はその補助。最悪土地霊を直に送り込んでもらうから、そのつもりでいろよ!」
「了ぉー解」
「そこの二人は周囲の安全を確保、いいな?」
「承知!」
目処が立つと分かって、二人の声は明るかった。
「さあ、行くぞ!」
透は腕を鳴らした。
次の瞬間。残像も音もなく、土地霊の頭上を取る。
「よう。お前とは、初めましてで良かったよな?」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッッッッッ!」
特大の危険を察した土地霊は絶叫を上げた。
思わず桐原を除く全員が耳を塞ぐほどの凄まじい声量だったが、透はむしろ笑った。
凄絶に。
「そう怖がんなよ。殺すわけじゃねぇんだ」
実は苦笑しているつもりだったのだが、戦神の性質が表に出てしまった笑顔である。
土地霊の意識は、完全に自分より格上の存在に向けられていた。
透は、槍の柄尻を下に向けた。今回は、いや今回も殺生が目的でないので、大事を取っての判断である。とはいえ今ここに実体はないので、透は土地霊の中を突き抜けていくし、その最中でも土地霊に実害はない。
だったら、透の行動に意味はあるのか。
当然、ある。
透は地面に着く寸前に槍をくるりとひっくり返した。虚像の中にある霊気を吸着させ、それを軸に内側から喰い破るように回転させた槍を地面に突き刺す。
「……うん?」
虚像の動きが止まったかと思いきや、さらに何か質を伴った気配を強く感じて、小夜達はいったい何が起きているのかと目を瞬かせた。
「ど……何事!?」
前崎がどもる。質量を感じるのであれば、それは恐らく土地霊だった。だが、虚像こそあれども、土地霊の姿はなく、混乱が深まる。
「実体を吊り上げた。これでしばらくは保つ」
「吊り上げた? 槍一本で?」
前崎は呻くように囁いた。
「槍に物凄い負荷が掛かってそうだな」
槍の状態を見て、陣が呟く。
「実際掛かってるから早く頼むぜ小夜ー」
「もう見つけてある」
そう言う小夜も、いつもの冷静さを差し置いて眼前の状態に冷や汗を掻いている。
「お、流石ぁ」
透は槍を地面に突き刺したまま、土地霊の耳元に寄って囁いた。
「提案なんだが、ここで俺らと遣り合って後で滅せられるより、今向こうに行って平穏無事に暮らすのはどうだ? ここの薄い空気を吸うより、ずっと居心地がいいはずだぞ」
透が話しかけているからか、土地霊に言葉は通じているらしい。為せる武力で為さず言の葉で片付けようとするあたり、格上の薫りが漂う。
「――――……」
土地霊の空虚な目が、透を見遣った。透は頷く。
「ああ、そうだな。いきなり立ち退きを要求されたって困るのは承知している。だが、お前はちと寝過ぎたんだ。災害を被ったとでも思って分かってやってくれないか」
「――――…………」
すぅー、と巨大な質量が消えた。理解してもらえたのか。
下の方で、前崎らが空気を圧迫していたそれがなくなったのを感じ取って瞬く。気配が完全に消え去ると、今度は虚像が動き出した。
そう、透の説得が功を奏したのだ。
気合を入れ、小夜はぐ、と両足を地面に貼りつけた。
上からの圧力が消えるや、目の前に土地霊の気配が迫って〈襲〉への道を開くを命一杯こじ開ける。
陣がそれを手伝った。
土地霊が道を通り抜ける瞬間、ゴォッととんでもなく風の吹き荒れる音がした。
衝撃もまた凄まじく立っているのがやっとのほどで、陣が咄嗟に肩を支えていなければ小夜は体勢をそのままに後ろに流されてかもしれなかった。
その暴風も、土地霊の気配が〈襲〉に消え去ると唐突に止む。
無事に土地霊が異世界へ引っ越しを果たし、道を閉じた二人でほっと息を吐いた。
「おっと、悪い」
陣は今の状態に気付くと、慌てて小夜から離れた。
「いいえ、助かりました」
小夜は礼を言う。
「……にしても、冷や汗かいた」
陣は心から呟いた。疲れを癒そうと目を閉じ、ようやくひと段落がついたと安堵するまま肩を揉む。そうして、本当に無事に終われたのかと確かめようと目を開いて。
瞳の、ようなものが。
「馬鹿、視るなっ!」
透の鋭い叱責が飛んだ。
陣がはっと我に返るも時すでに遅く。
視線が絡む。
「あっ、しまっ……!」
「夏島さん!」
陣は即座に目を閉じた。
怨霊課の部下と小夜の悲鳴が被さる。
見えない何かに、陣の体は絡み取られた。
荒れ狂う因果の渦。
透は陣に収斂する因果律を強引に引き剥がしたが、小夜の安全が最優先のためにいまいち上手くいなかった。
陣は足に霊力を込め、地面と同調し引き剥がされないように踏ん張ったが、蝸牛で音が増強され耳石がころころころころ転がり三半規管に侵入し眩暈を起こしているような抗いようのない吐き気と苦痛を堪えた。
「……っうう、はぎぞう……」
何とか現世にとどまったものの、気付けば地面に倒れ込んでいた陣はうつ伏せから顔を上げると大仰に呻いた。
「~~~~ッ、あ~~~~、何つー、凡ミスを~~~~」
「本当ですね」
陣に巻き込まれないよう、素早くその場から離れていた小夜が相槌を打つ。
本当はちょっとばかり危なかったのだが、そこは透に助けられている。
「お、おい、夏島警部はどうなっている!? 何故、彼の体の半分が無い!」
一事が万事に推し量ろうにも何も把握しえない桐原が金切り声を上げた。
彼からしてみればこの一連の動きはすべて、まるで映画の撮影か何かにしか見えない。
「絡まっちゃったんすよ」
金井が答える。
「神隠しの一種っすね。俺らみたいに視得る者っていうのは、見なくていいモノを見ちまうとこうして偶に別の世界に引きずり込まれるんす」
前崎が駆け寄って、陣を前に膝を折った。
「抜け出せそうですか」
陣は何度か体を動かすと、険しい表情を浮かべた。
「難しいな。ただ、花椿に助けられたのもあるが、すぐに目を閉じたお陰で何とか全部は引きずり込まれずに済んでる」
透は槍を担いだ。
「俺が外側を切り取る。お前らは陣を引っ張り上げろ」
「分かった」
「はい」
「悪い。世話をかける」
小夜と前崎が頷くと、陣は忸怩の籠った声で詫びた。
金井から説明を受けた桐原はそれをしばらく見つめていると、不意に踵を鳴らして陣の前に立った。彼の無言の圧に、小夜と前崎が顔を見合わせつつ離れる。
「桐原警視正?」
二人が傍から離れた代わりに桐原が自分を見下ろしてきて、陣は困惑げに眉をひそめた。
「切り離すぞ」
「いや、待っ」
桐原が前に現れて不安に駆られた制止の声も甲斐なく、透は一瞥の後、陣を絡めとったまま停止したそれを切り裂いた。
「ぐっ……!」
均衡を破られて、一瞬、陣の体が向こうに引きずられた。
陣は懸命に吸い込まれないように踏ん張っているものの、足元はすっかり飲み込まれていて抜け出すのは難しい。
「あ、あのー、何もしないのでしたら離れてもらってもいいでしょうか!」
そろそろ冷や汗がやばいくらいになってきて、それでも陣はなるたけ穏当に言った。
小夜と前崎、金井が揃って動こうとするが、桐原の無言の圧は変わらぬままだった。
彼はやおら屈み込むと、陣の両脇に触れた。
「ええい、本当に、いったい全体、何だというのだ! こんなことがまかり通っている世の中など、断じて認めん!」
と、叫びつつ陣を引き上げようとする桐原だが、いかんせん徒人であることが災いしてか成果は薄く、金井がすぐに補助へと向かう。
「そういう割には俺を助けれてくれるんですね」
苦笑気味に陣が言うと、桐原は唸った。
「貴様に不可解な死を迎えられると、私の査定に響く!」
「それはご尤も」
これには怨霊課の全員が笑った。
お読みくださりありがとうございます。
感想など頂けると幸いです。




