第三話 今は昔、言の葉は無き 4
署内怨霊課の席で、陣はぐるぐると椅子に座って回っていた。傍目だといい年した大人が一人でやっているように見えるが、実は妖が背凭れを掴んで遊んでいた。
「夏島さーん、怒っていいんですよー?」
後輩の前崎が、桃色のツインテールを揺らして両手を腰に当てて言う。
陣はくるくると回されながら、まず先に主であるお前が怒れ、と言おうとしたが、いざ口を開くと別の言葉が飛び出た。
「お前、もう失恋の傷はいいのか?」
むろん、前崎は顔から火を出して目を吊り上げた。
「うっさいですよ! 何で蒸し返しますかね!? 桜花、やっちゃいなさい!」
「おいやめろやめろ、こいつ伸すぞ。つか職場でめそめそしてた奴が何言ってやがる」
主の命令を実行しようとした式の桜花を、陣は一言二言呟いた呪文で簡単に縛ると、無造作に放り投げた。
「あー! 桜花ぁー!」
封じられて身動きの取れない自分の式を慌てて助け出し、陣を睨みつける。
「くっ、島流しでやってきたくせに、流石は夏島家の人ですね。なんで人為係に居続けるんですか。早く霊障係に来てくださいよ」
「霊障係って簡単に言やぁ、実働部隊じゃねぇかよ。ただの人間も同然の俺が、お前らみたいに動き回れるわけねぇだろうが。何度言ったら分かる」
「謙遜っすねー。オレ、夏島さんがバリバリ動いてんの見たことありますよ」
脇で控えていた金髪の青年、霊障係の金井がばらす。
「ソイツハ人違イダロウネー」
「はいダウト!」
白を切る陣に、前崎は吼えた。
「失礼。ここは怨霊課で良かったかな」
そう言って現れたのは、臙脂色のスーツをきっちりと決めた若い男だった。眼鏡の奥に、それはそれは鋭い眼光がある。署内では見かけない顔だった。十中八九部外の警察の者だろう。
そのため、三人の中で唯一正規の警察である陣が、立ち上がって彼を出迎えた。
「ええ、怨霊課はここになります。どのようなご用件で?」
「私は警視庁の桐原警視正だ。本日付けで怨霊課を指揮することとなった。急な人事で遅刻したことを詫びよう。先に署長へご挨拶を申し上げたかったのが、今日はまだお出でになっていないようだな」
「午後になれば来ますよ。ところで、我々を指揮するとはどいうことでしょう? 指令書をお預かりしても?」
「指揮って、金井、聞いてる?」
「聞いてないっすね」
陣の後ろで、前崎と金井が囁き合う。
桐原は、眼鏡をくいっと上げた。
「君は? まずは、人払いを済ませてもらいたい。話はそれからになる」
「私は人為係の夏島です。聞かざるの呪いであれば、この課は常時展開されています。ここに来る前、嫌に静かだと思いませんでしたか?」
「……確かに静かだった。認めたくはないが。ところで、後ろの彼らはどこの係になる」
「二人は霊障係になります。女性の方は前崎巡査相当官。男性の方は金井巡査相当官です」
説明を受けた桐原の目はあからさまに困惑と嫌悪があった。生真面目な彼としては、金髪どころか桃色のツインテールという非常識極まりない姿が我慢ならなかったのだ。二人が正式な警察でないことが、何よりの慰めとなっている桐原だ。
「例の非正規員か……。分かった。だが、生憎のところ、これは非公式の任務であるため指令書は預かっていない。すべて口頭となる」
「またぁ?」
前崎が呻いた。
「夏島警部、詳しいことは君に聞けと言われている」
「……警部?」
今度は金井が首を傾げた。
桐原の表情が段々引き攣り始めるのを認めながら、陣もまた尋ねる。
「私に?」
「そうだ。夏島陣警部、君にだ。これは君にとってもまたとないチャンスになるはずだ。君の同期は既に全員が警視だったな。警部に留まっているのは君一人。私が今回の任務を遂行した暁には、警視への推薦の他、警察庁へ戻れるよう掛け合おうと思っている。なので、これから私が言うことに、しっかりと従ってもらいたい」
そこに、ようやく警部が誰を指しているのかを飲み込んだ前崎が素っ頓狂な声を上げた。
「えっ、夏島さん、警部だったんですか!? うっそー!? キャリア!?」
「そういえば、階級章見たことないっす!」
金井が続いて叫んだ。前崎がまたがなる。
「あーっ、普段制服着てないから! あ、じゃあ、署長は知ってる……!?」
「署長の人事でここに来てんだから、そりゃ当然知ってるよ」
面倒事を増やされて、陣はうんざりした顔で答えた。主に、今目の前に居る相手の眉間にさらに皺が寄ってきていることで。
ここで遂に、桐原の我慢の限界が来た。
「ええいっ、私が話している時に間に割って入るとは何事だ!? ここの教育はどうなっている。夏島警部、君は正規の手続きを踏んだ警察だろう、何故こんな口の利き方がなっていない者を放っているのだ! 私は警視正だぞ!」
「失礼しました、桐原警視正。しかし、ここは怨霊課で、彼らは陰陽省の管轄にあります」
「陰陽省管轄の者であれ、階級は順守されるべきものだ! これだから陰陽省というものは信用ならん!」
これは厄介な上司が来たかもしれない、と陣は思った。
いや、今の時代、超常現象に対して懐疑的な人間は沢山居る。
現に、徒人には何をやっているのかさっぱり分からない怨霊課の地位は低いもので、蔑みの対象だ。聞かざるの呪いをかけていようが、それ以前に怨霊課まで足を運ぶ者が居ない。
それを思えば桐原は至って徒人らしい人間だが、重要と思われる非公式の任務で彼のような人間が上司に宛がわれることは流石に稀だ。つまり、彼は処世術として普段はそういった嫌悪を隠している。或いは、それがあってもなお上が任したいと思うほどに優秀な人物なのか。
陣には、彼がどういう人物かは分からない。然らば、藪を突いてみるしかない。
「もしや、今回の指令も半信半疑といったところですか? では、今回の任務、どうすればいいのか、さっぱりだったでしょう」
「さっぱりどころではない! ありもしない存在をどう止めろという!?」
問うに落ちず語るに落ちるのを待つつもりでいたが、答えは案外すぐに出た。
桐原の視線は、目の前にでなく過去にあった。陣は人より視得る眼で見た結果、桐原は後者を理由に来ていると判断した。それでも念のために、問いを投げかける。
「ありもしないとは、神や幽霊のことでよろしいですか?」
「わーお。それって、帝室の神性まで否定してない? だからこんなところに流されて来ちゃったんじゃないんですかぁ」
売られた喧嘩を買って、前崎が揶揄った。隣で、金井がうんうんと頷く。
桐原が二人を睨みつけるその表情は、簡単には言い表せない様々な感情に彩られている。
陣は頭をかいた。
期待をかけられるというのも大変だなぁ、と他人事に思う。まあ、最悪な相手ではなさそうだと、それだけは安堵して相手の顔色を窺う。
「あー、なるほど。切羽詰まっているんですね。あなたの噂は、私でも少しばかり聞き及んでいますよ。しかし、齢二十七で警視正など、充分だと思いますが?」
桐原は分かり易く苦虫を噛み潰した顔になった。
「私よりもっと上の化け物が居ることを知っていての発言か?」
「ええ、知っていての発言です。それに、上に行きたいのであれば、こういったことは切っても切り離せない事柄ですよ。今回はどんな内容なのかまだ聞いていませんが、むしろ期待されていると思ってよろしいかと」
「切り離せなことは分かっているっ。だが、何も見えず何も感じられず、それでどう信じろという。これで期待されていると考えられほど、私はおめでたくはない!」
「それなのに、私のことを上に通そうと? 案外はったり下手ですか」
「はったりではない。君が私の言う通りにしたならば、約束通り私は上に掛け合う」
「あー、それはそれは……」
陣は言葉を詰まらせた。
噂では清濁併せ呑む者だと聞いていたが、いざ対面する限りに、陣が想像するより桐原は愚直に見える。また考え方も徒人らしい。
前崎と金井が、後ろから陣を見守った。知り合って数年。陣が既存のしがらみを嫌忌しているは知っていた。
陣は、深々とため息を吐くと一歩前に出て、桐原の傍に寄った。
「そうですね、上ばかり見るのもいいですが、下を疎かにしていると足元を掬われますよ。例えば、あなたは私が左遷されたと思っているようですが、それは違いますので」
「あれ、さっきは島流しを否定しなかったのに」
前崎が口を挟む。
「お前は黙ってろ。ですから、口利きとか関係なく、こちらは動き、ま……す……っ、ふっ……ぶふっ、もう駄目だっ……おい、桜花を止めろ……っ」
重苦しい気配を背負っていたはずの陣が、いきなり肩を震わせる。
「何を笑っている!?」
桐原は色を変え、目を吊り上げた。
「も、申し訳ありません……っ。その、怨霊課に属する式が、主を貶されたからと、あなたの顔に悪戯をしているもので……!」
答えながら、陣は呼吸を整える。
「主!? 誰のことだ!」
自分の知らぬ間に恥をかかされていたのだと知った桐原は、顔を真っ赤に染め上げた。すぐさま頭に手をやるが、空を切るばかりである。
「このっ! ええい、在るのなら実感を伴うはずだ! こんな……っ、非科学的な……っ」
「それは違いますよ、桐原警視正。それぞれに、異なる法則があるだけで、妖や幽霊を科学的にどうこうするのはまったく不可能、なんてことはありません。あ、式の主は前崎です」
「前崎巡査相当官! 今すぐ止めさせろ!」
「前崎」
陣からも促されて、前崎は仕方なく式を呼んだ。
「戻っておいで桜花。私のために怒ってくれてありがとう~」
桜花が前崎の許に落ち着くのを確認すると、陣は二人にも姿勢を正すよう促した。
「桐原警視正、同僚が大変失礼しました。だいぶ話が流れてしまいましたが、此度の任務をお伺い致します」
鼻息も荒く怒気を露わにしていた桐原だが、いい加減話を進めたいのは確かだったので、憤懣遣る方ないながらも、自身も襟を正した。
「よろしい。今回の任務は、この地に眠る土地霊の目覚めを阻止することだ。この危険性について夏島警部に聞けと言われているが、あくまでこの任務の指揮官は私であることを忘れないように。特に、前崎巡査相当官。階級は絶対であることを、肝に銘じ給え」
「それって」
「了解しました。怨霊課一同、任務を拝命致します」
責任はすべて桐原が背負う、ということでいいのかと指摘しようとする前崎を、陣が遮って敬礼する。仕方なく、霊障係の若者二人もそれに倣った。
お読みくださりありがとうございます。
感想など頂けたら幸いです。




