第三話 今は昔、言の葉は無き 2
話しているうちに食べ終わった小夜が、両手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
透の方も食べ終わっていて、こうのぎは一緒に皿を下げた。
食器は客が捌けてから洗うために満水の盥に浸して、最後に、カウンターに新しく出した湯飲みに番茶をを注ぎ、食後のデザートとなる和菓子を出す。
「ところで、二人の契約期限はいつまでなんだい? 透が帰ってきたんなら話をしたいって奴がいっぱい居てね、情報通でも知られている身としては、大雑把にでも把握しておきたいんだが、教えてもらえるかい?」
「契約自体は、直近の脅威の排除です」
透は、自分が止める間もなく小夜が迅速かつ簡潔に答えたので、あちゃーと項垂れた。
小夜はつんと澄ましたままである。
値段交渉から入るつもりでいたこうのぎは、目をぱちくりと瞬かせ、透に視線を向けた。
「一先ずは、そうなってる」
憮然としながら、透は正直に答えつつも詳細をぼかした。何となれば、小夜と透とで既に直近の目的が変わっているからである。
二人の契約には、明確な期限が設定されていない。あるのは、直近という言葉だけである。
契約時における直近とは所属不明の忍びのことであり、今なお暗殺の危機は継続中。状況次第では契約の長期化もありえる。
短期契約で終わらせるつもりでいる小夜は、せめて契約内容を直近の物に設定しておいて良かったと思っていた。透が、すでに第二皇子のことまで視野に入れていることも察している。
だから、先程も先手を打ったのも、契約内容を他者にはっきり伝えることで期限をより明確に定めたいからだったのだが、同時に頭の片隅で、墓穴を掘ったと思っていなくもない。
「小夜は、ずいぶんと直截で気が強い子だね。あんた好みではあるだろけど」
でも、苦労するだろう。
と、状況を察したこうのぎが目配せすると、透は肩をすくめた。
小夜のあからさまな態度は、これ以上追及するなとの一点張りで、こうのぎは胸の内で苦笑した。情報料代わりに話題を変えてやることにし、ずっと泣きっ放しの先客を指し示す。
「そうだ、折角だし、あいつの相手してやってくれないかい?」
小夜と透は、右端で泣きはらす妖を見遣った。
「どうしたんだ? こいつ」
と、湯呑を揺らしながら透が尋ねる。
「人の世で暮らしてる妖さ。お前みたいに器用でないから、うまく馴染めずに、人間に虐められてこうして泣いてるんだよ」
ぶつぶつと泣き腫らしている声は小さく、二人が耳をそばだてる。
「今どき、男でもご飯作るって、頑張ったのに……っ」
確かに人の世で苦労しているようだった。そもそも見るからにそうだった。
妖は人身の術を使っていて、上着は折り畳んで背凭れにかけ、シャツをきっちりかっちり着込んでいる。上から下までサラリーマンの風体だったが、瞳から零れ落ちる涙からは妖力が感じ取れる。
「仙太、ここで同じ場所にいるのも何かの縁だ。紹介するから、この二人に人の世の生き方でも聞いてみたらどうだい? 悩んでるんだろう?」
こうのぎに声をかけられると、仙太は鼻をすすりながら顔を上げた。一人は混血の人間で、一人は自分と同じように人の世に溶け込んでいる精霊神、と紹介された二人をゆるゆると見つめる。
仙太が黙ったままだったので、こうのぎを含めた三人とも様子を見て沈黙した。
唐突に、仙太は目を見開いた。がばっと相手に覆いかぶさるようにして小夜に食らいつく。
「あなたは! 女の人ですよね! じゃあ、ご飯とか、作れるんですよね!?」
小夜の護衛だと言い張っている透が、すぐさま腕を出して小夜を守った。ほんの一瞬、透の腕は仙太を突き飛ばそうとも動いていたが、こうのぎを仲介した相手であったために思い留まっていた。
小夜は透の腕を盾に、距離の近い仙太から身を離しつつ首を左右に振った。
「いえ、作ったことないので作れません」
「嘘!?」
「嘘言ってどうするんですか。家庭科の調理実習くらいです。これで作ったことがあると言ったら鼻で笑われます」
透が改めてこうのぎを見遣ると、説明が入った。
「価値観っていうのもは時代の流れと連動するものだけど、こいつの居るところときたらよっぽど古い価値観の子が多いのか、こんな調子でね」
時代に取り残される者も居るには居るものの、神や精霊などその自尊心や魂の在り方の問題から時代に馴染めないのと違って、総じて自由な気風と在り方を持つ妖は、新しいものを取り入れるのが人よりも上手い方だ。
「調理実習、お前はどんな感じだったんだ?」
誰よりも古い精霊神の一柱であるのに、或いはそれ故か誰よりも人の世に馴染んでいる人外筆頭の透は、面白そうに小夜に尋ねた。
「怖いからそこで座っててって言われた」
「ははっ。それ、どっちの怖い、だったんだろうな」
恐らく包丁を握っていてのことだろうが、危なっかしかったのか、持っている姿が様になりすぎていたのか。その時の様子を想像して、透は笑った。
「さあ。でも、初めて言われた、それ」
「うん? 何が?」
「どっちのっていう奴。大抵の人は、包丁を取られたっていうと、それだけ私が下手だって認識するのに」
「そこです!」
仙太が叫んだ。耳元で大声を出されて、ぎょっとした小夜の肩が跳ねるが、妖は何も気付かず捲くし立てる。
「何やら、親が居らず大人になったものはロクでもないとか、片親だけでもたかが知れているとか、えらく一方的な認識で相手を扱き下ろすんです!
しかも、上司は部下を平気で足で使っていて、ちょっと融通が利かないだけで人格を丸ごと否定して、それはもう、恐ろしい有様なんです。特に本人にその自覚がない。いや、自分に与えられた当然の権利だとでも思っている……!」
察するに、恐らく今言っているものは、仙太自身の被害もそうだが何より別の誰かの被害と思われた。
彼は人間の持つ理不尽に泣いていたが、誰かのためにも憤っていたらしい。
自身は人に危害を加えられながらそれでも人とともに生きる。誰も彼も物好きな。
と小夜は思った。
だから、小夜は素直に疑問をぶつけた。
「そんなに嫌な思いをしているのに、わざわざ、なんで人の世に留まろうと」
「それは」
咄嗟に、仙太は視線を逸らした。唇を噛み締め、目を伏せる。
「……僕は、何十年か前、神格を持ってたことがあるんです。人から信仰を受け、それで得た物でした。だけど、その神格も、同じ人間達から奪われました。
俺には、彼らの行動原理が分からなかった。だから、人になって、人の世で生きてみれば、きっと、その答えが分かるんじゃないかって、そう思って、たんですけど……」
仙太が木の枝に座るその下でお辞儀をする人々と、石や松明を放り込まんとする人々。何十年か経って、寂れたそこを離れ、目の前の世界を歩んでみたが。
「難しいものですね。人として生きてみて、僕は、これでも、ちゃんと神様として気を遣われていたんだって思い知ることになりました。
人間達の言う気を遣えっていうのは、本当に難しくて、空気を読めというのは、まるで心を読めと言っているようで……」
「ははっ。それ、言ってくる奴ほどお前を慮ってねぇだろ」
透が思わず笑うと、仙太は、はぁ、と大きくため息をついて項垂れた。
「やっぱり、そうですか。……そんな気はしてました」
小夜は、仙太の状況をある程度理解すると一つ頷いた。
「とりあえず、あなたの状況は分かりました。でも、残念ながら、私に言えるのは関わらないでいることくらいなので、他の者のを参考にしてください」
「お前な……。俺は、しばらく傍観に徹するのが得策だと思う。町を転々としながら、大八島の民を観察するんだ。彼らは地域ごとにごく狭隘な空間を形成する。その地域ごとの特色を把握して、充分に知見を得たと思ったら、懐に入るようにすればいい。ま、あくまで一意見だ。色んな奴らの意見を参考に、お前がこれだと思う答えを導き出せ。それが一番だ」
「なら、どちらも、参考にさせてもらいますね……」
仙太は、弱弱しく笑って言った。
お読みくださりありがとうございます。感想など頂ければ幸いです。




