第二話 かれは呪いの花がごとく 8
大八島国において、純粋な人間といえば黒髪黒目で、もちろん小夜のような血族もあるが、それ以外の色合いを持つ人間は人外の血を引く証であった。
近代に入って、外津国との混血もわずかながら進んでいるが、人外との混血家系の方が多いのが、大八島という国である。
花岡の黒髪黒目も、小夜とは違い混血が薄れて徒人になった結果で、陣の外見もまた、混血家系ながら花岡と似たようなものになっていた。彼女と陣の違いは、陣の家系は一応まだ現役にあるところだ。
「へー、そいつがお前にとり憑いてる精霊神か」
そんな陣は、警邏の仕事中に鉢合わせた小夜と透を見ると、持ち前の力でその正体を見抜いた。その精霊神がしでかした、四肢を捩じられた男のことは記憶に新しい。
「とり憑いてるとは言いがかりだな」
陣がかなりの上物であることを認めて、透は面白そうに答えた。
小夜といえば、そっぽを向いていた。
彼女からすると、今日は知り合いによく会う日だった。といっても、学校関係者以外では、花岡と陣しか居ない。
ここは学校からの帰り道の一つで、どの道を使うかはその日の気分次第だというのに、図ったように続けざまである。
出会い頭にそっぽを向くような少女ではないと知る陣は、何があったのかと透を見遣った。視線一つで尋ねられた透は小夜を見遣った後、ふすんと鼻を鳴らした。
「人と会ってばかりで、疲れてるんだろ」
「なるほど。だが、それで行くと、あんたが主な原因になりそうなんだが」
「否定はできねぇな」
この前にも無理を押している透だ。
精神的な負担がかかっていることに自覚のない小夜は、自分が花岡に不調を指摘されてさらに不機嫌さを増していることも、それで陣に八つ当たりしていることにも気付いていない。
「それにしても、お前、魂依姫の匂いがするな。名前は何て言うんだ?」
「……夏島陣だ」
魂依姫と言われて少し警戒しつつ、神に問われては言の葉を返すのが礼儀なので答える。
「ふーん。名前からは薄いな。先祖返りか?」
陣は思わず自分の匂いを嗅いで、小夜を振り返った。
「確かに俺は先祖返りだが……、神ってのは匂いで分かるもんだったっけ?」
「私もこの前、初めて知りました。私からも匂うみたいです。……ていうか、霊依姫って言いました?」
「念のために言うが、魂の方の魂依姫だ。そんで俺は直系じゃない」
魂依姫とは、その名の通り魂の依り代となる姫である。降霊、口寄せをする巫女であり、読み方こそ一緒だが、霊依姫を八島神族の、魂依姫を民間信仰の巫女と分けている。
透は、ほんの微かに霊依姫の匂いも嗅いでいたが、血が薄くて最早神との混血家系ではないことは確かだったので、黙ったままにした。神の血筋としては、いいところ傍流の傍流のそのまた傍流といったところだろうか。他にも血が混じっているが、どれも薄い。
「直系っていう辺り、傍系ではあるんですね」
小夜の指摘で、陣は口を滑らせたことに、しまったという顔をした。
それを見て小夜はそれ以上を問わなかったが、代わりに透が何かを察したように言った。
「お前、難儀な奴だな」
「あんたみたいな奴にそう言ってもらえるのは、有難いね」
呆れるでもない精霊神の言葉に本当に感謝しつつ、陣は乾いた笑みを浮かべるしかない。
「ま、どんな経緯であれ、神の加護があるなら心配なさそうだな。この頃は悪霊達が活発だし、性被害もあるから……。あ、命を対価にしてるとかないよな?」
「してません。透が勝手に私を守ってるんです」
小夜は再びそっぽを向いた。契約しているとはいえ、実質の内容はそれだ。
透は、小夜が万全な状態で殺し合いたい。そのために直近の邪魔を削ぐという契約。それ以上のことは墓穴を掘りかねないので黙る。
一方で、透は陣の言葉選びに些細な違和感を抱いていた。
「陣、お前、眼がいいよな。ここにいる怨霊についてどこまで知ってる?」
「怨霊? 第二皇子のことか?」
透がうべなうと、陣はしばし考え込んだ。
「第二皇子は、何かを探し回るみたいにうろうろしているな。おおかた闇槌家の末裔なんだろうが、まったく見つけられずにいる様子だ」
「……それだけか?」
透はにわかに信じられないという表情で陣を見た。陣は頷く。
「それだけだが? 生憎と、俺の眼は万能じゃないぞ。それに、知らなさそうだから言うが、人の間じゃ、第二皇子に纏わることは禁止事項になってる。もし、これ以上の情報が欲しいなら、同類に当たってくれ」
教科書には載っていないことなので大抵の一般人は知らないが、二百年前の第二皇子が怨霊と化しているのは知る人ぞ知る話である。
最初の頃から見境がなく、闇槌家の関係者だと誤認されるのを恐れて、彼らの間では第二皇子は暗黙のうちに禁忌となっている。
「じゃ、俺はそろそろ行くから。いいか、石動、面倒を起こすなよ? 特に、この神が暴れるとかないように。こっちは人手不足で大変なんだからな」
また不愉快なことを言われて、小夜は反撃した。
「この精霊神は、驚くほどにまともに溶け込むので大丈夫だと思います。それより、連日で冤罪の報道がありますね。それから先程にも言われてましたけど、その強姦被害、つまり犯人は見つかってないということですよね。どうせ被害者は泣き寝入りなんでしょう」
「精霊神に問題ないならいいんだが……。そっちは、どれも俺の管轄じゃないから知らん、と言いたいところだが、レイプ犯の方はなぁ……。悪いが、被害届が出されないと現行犯逮捕しかない。超法的措置が許される怨霊課といえども、案件がかすりもしてないことには」
連帯責任の字など知らんとばかりで、とても国家公務員の一人とは思えない陣は、しかし、レイプ犯のこととなると気後れするように言った。
怨霊課の越権行為は、超常存在が絡まないと流石に許されない。
威信の回復のためにも真摯であれと朝礼で言われた矢先に被害届を突っぱねた者は、本部に栄転したと信じ切っていて改善の余地はない。本署が昇進的に僻地だということを知らないらしい。恐らく、完全に倦んだ部署に行きつくまで転々とさせられることだろう。
「そういうことだから、注意していてくれ」
陣とて取り締まる者として無責任なことを言っている自覚はあったが、被害届も証拠もないのでは、法的にどうしようもないのである。
もちろん、小夜は呆れを込め半眼になって陣を見返した。
その陣が巡回に去って、小夜が押し黙って歩くのについて行っていた透だが、しばらくするとおもむろに口を開いた。
「しかし、あいつの眼で、小夜のことに気付いてないってどういうことだ。いくらなんでも、目の前に居たら気付くだろう」
強姦魔に関しては、たかが常人に後れを取る透ではなく。それは小夜も同じなので、意識の片隅に押しやられている。
「さあ。第二皇子が私を正確に捉えられないのと同じ理由なんじゃない」
「実のところ、恐らく俺も同じ理由でお前の正体を捉えられてないんだが、原因、教えてもらえたりするか?」
「残念ながら、私も知らない。そもそも、私には七歳より前の記憶がない。気がついたら、私は一人で居た。第二皇子が居た気配もあって……、争った痕跡はないけど、家の中が血だらけだった。あの時に覚えていたのは、名前とか知識とか、生きるのに困らないことだけ。あの状況で一つはっきりしていたのは、私は守られたのだということ。後はさっぱり」
「じゃあ、その守った奴がお前を隠しているのか。それでお前は……、いや、違うな」
透は言葉を切った。小夜は恐らく特別に恩義を感じてとか、義務感で生きているとか、そういうのでないと思い直す。
「別に、お前の死生観とは関係無さそうだな」
小夜は頷いた。
「そうだね。私は、望まれて生まれてきたことを識ってる。だから、たとえ誰にどう恨まれようが、周囲に被害が及ぼうが、殺されそうになっていても、それが私自身の手で死を誘うことにはならない。でも、だからといって生きていなければと思うこともない。出生を望まれたという事実が、私をただ私足らしめる。私にあるのは、それだけ」
ふと、一旦言葉を区切って、小夜は首を傾げた。
「でも、これ、てっきり私を守った人が関係していると思ってた。違うんだ?」
「いや、お前がそう思ってたんなら、そうかもしれん。俺は適当に設定した値で物事を量ってるから、間違うこともある。現に、眼の良さなら陣の方が上だ」
この精霊神に、本当の意味で本気を出せるものはないのだろう。出してしまえば最後、どんなものもあっけなく終わるに違いない。
「ずっと本気を出さずにいて、平気なの? 能力が落ちるとか」
「さあ。案外落ちてるかもな。けど心配すんな、お前に関しては保険を掛けてある」
透は本当に気にしていないようで、至極あっけらかんと言った。
「透自身が気にしないのなら、いいです」
小夜は首を振った。面白かったのか、透は一笑した。
帰り道では時折、他の松代中学生から嫌な視線を受けたが、発生する噂など意に介さず、二人は一緒に家に帰った。透は護衛のために小夜の家に居座り、小夜の方はこれのお陰で睡眠を確保していた。
密かに気を張っていた透が生命の危機を察知したのは、この一時間後のことである。
その時二人は、学校の宿題をこなしていた。
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