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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第一話 夜と月 1

 縦長の、格好つけた竜の形をした島嶼国、大八島国(おおやしまのくに)に、石動(いするぎ)小夜(さよ)という子供がいる。


 濡羽色の長髪はざっくばらんに切られて不揃いで、眼窩には黒曜石をはめ込んだような鋭く黒々とした眼がある。美しいと形容出来る顔に、ぎりぎり病的でない体の細さと色白の肌の持ち主だ。面立ちこそ剣呑な雰囲気を湛えているが、造形の良さを損なうものではない。


 公立松代(まつしろ)中学校の三年生で、進学の予定はなかった。

 高校へ進まないことに、天涯孤独の身であることは関係ない。金銭面での不自由はなく、単純に、進学することへの価値を見出せないからだ。

 始業時間も間近な時間帯に通学路を歩いているのも、彼女の身分の義務であるからだった。


「眠い……」


 そう呟いているが、うつらうつらと舟を漕ぎたい様子などは見せず、子供はしっかりとした足取りで歩いている。遅刻寸前であることなどまるで意に介さず、スカートが揺れる様はいっそ優美なほどである。


「石動さん! またですか! 走ろうという気は起きないのですか!?」


 生徒指導の教師が、もうすぐ門が閉まろうというのに悠然と歩く学生を認めて目を吊り上げた。ポニーテールの黒髪が跳ねる。白のポロシャツが眩しかった。真面目な性分が災いして揶揄われやすい、男子学生に人気の女教師だ。

 眠気を抑えた目で教師を捉えた小夜は、門をくぐってから、その教師に向かって会釈した。


「おはようございます」


 同時に、始業前の鐘が鳴った。朝の門限を告げる鐘の音でもある。教師は頬を引き攣らせた。ぎりぎり遅刻しない常習犯の小夜は、教師に睨まれた存在だった。


「おはようございます。石動さん、次こそは、余裕をもって、登校をしましょうね……!」


 問題児として敬遠されている小夜を、怒鳴り散らす者は居ても直接叱ろうとする教師など居ない。だから、この教師は真面目の評価に違わない、正義感の強い稀有な人であった。


「努力はします」


 小夜はもう一度軽く頭を下げてから正門を去った。校内からいくつかの視線を感じるが、気にするほどのものではない。学校は三階建てで、三年の教室は一階だった。たとえ教室が三階であっても間に合ってみせる少女は、少しも慌てる様子はなく下駄箱から靴を履き替えて自分の教室に入った。


 その際、扉を開ける前、教室の廊下側にある展示用の壁に画鋲を差し込む。小夜の下駄箱は上の方にあり、踵を下げながら上履きを下ろせば、だいたい尖った部分がしっかり上を向いた状態で画鋲が滑り下りてきた。


 教壇側の扉から堂々と入ってきた小夜に、学友のほとんどが白い目を向けていた。受験生として自覚を持てと散々教師に言われている彼らは、自由気ままな小夜を疎ましがっていた。今日も今日とて、批難の空気が生まれている。画鋲を仕込んだ生徒が、変化のない小夜を見て露骨に顔を歪めた。担任も、取り扱いの難しい生徒を前に苛立ちを隠さない。


 小夜はそのどれもを無視して、一応担任には挨拶をして、自分の席に着いた。

 沈黙が降りる。


「石動」


 名簿の縁を机に強く叩きつけ、担任の男教師は今日ばかりはと声を怒らせた。ただただ怒鳴り散らす方の先生である。生徒指導の教師と同じ白のポロシャツだが、室内だからか特に眩しくはない。小夜は顔を上げた。せっかちな怒号が被さる。


「石動!」

「はい」


 小夜は焦るでもなく淡々と答えた。

 教室の隅で、小夜のお陰で教師の視線が向かないのをいいことに数人の女子がひそひそと喋ってはスマートフォンを弄っている。担任は彼女らの所業を気付いていたが、石動小夜という問題児を前にしては些細なことだった。


「石動、このままではまともな学校に入れないぞ! 毎日毎日ギリギリの時間に来て、それでルールを守っていると言えるとでも思ってんのか!」


 ご尤もと言えばご尤もな言葉だったが、小夜はこてんと小首を傾げた。


「高校には進学する予定がないと、この前伝えたと思うのですが」

「そんな馬鹿な話があるか! 今どき高校にも行かない奴はロクでもない奴だぞ! お前にはお似合いだろうが、学校側としてそんな不良生徒を出せるか!」

「ロクでもないとは見識の狭い」


 欠伸をしたいのを堪えながら、小夜は率直な感想を述べた。


「現状の社会に適応するには先生の言も一理ありましょうが、私はその社会から外れた身にありますから、私のことは天災とでも思って不良生徒が出た不幸を享受してください」

「お前、それが教師に対する物言いか!?」


 担任の言葉など、右から左に流れていた。一時間目の授業の鐘が鳴る中、怒鳴り声によって目が覚めるどころかさらに眠気が増していた小夜は、白旗を振った。


「すみません、眠いので寝ます」

「は!?」


 怒号を上げたのは教師の一人だけだったが、目を剥いたのは教室の全員だった。誰もが小夜を振り返り、机に突っ伏している彼女に憮然とする。


「眠いとか嘘でしょ」


 一人の女子がせせら笑った。直前までの小夜の様子は、まったく眠たそうに見えなかった。


「いや、マジで寝てんだけど……」


 隣の席の男子が嫌悪も露わに言う。

 担任は肩を震わせていた。怒りが全身を駆け巡る。担任の男は、荒々しく猛牛の如く小夜の席まで行くと緑色の名簿を振り下ろした。


「…………ああ、すみません。寝惚けていました」


 シャープペンシルを逆手に持ち名簿を難なく抑えた小夜は、右手に佇む担任を見上げた。たったの一瞬であったが、彼女から発せられた鋭い眼光に気圧された担任は固まっていた。


「ただ、失礼ながら先生。今のは悪くない殺気ですが、実害性に乏しすぎます。同じ素人なら倒せましょうが、相手が女子であれ玄人を前に無謀なことをしますね。暴力を振るうのであれば、それに見合ったものを身につけられた方がよろしいかと思います」


 担任の様子など眼中にないのか、小夜は淡々と所感を述べた。

 怖気付いた担任が後退る。教室の空気は凍っていた。担任は後ろの生徒の机に当たって飛び上がると、その生徒に謝ることもなく一目散に教壇に戻った。生徒達の方も、強張りながら触らぬ神に祟りなしと教壇に向き直る。

 廊下では、その様子を一時間目の教科担当が恐れの籠った面持ちで見ていた。




お読みくださりありがとうございます。

感想など頂けましたら幸いです。

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