「暴食」1
とりあえずホラーよりな話になると思います。
妄想の続く限り不定期で進みます。
宜しくお願い致します。
その日は突然訪れた。
誕生日でもなく、何かの記念日でもなく、車に撥ねられたり、雷に打たれた訳でもなく、曲がり角で誰かにぶつかった訳でもなく、ただ普通に目を覚ましただけの朝。
横目で窓の外を見れば、漸く明るくなり始めた、まだ夜に近い暗さだった。鳴き方の練習中だろうか、家の近くで調子外れの声で鳩が鳴いているのが聞こえた。朝一から熱心な事だ……。
鳩に倣った訳ではないが、目を覚ましたついでだと、ベッドから身を起こして、背筋を伸ばしつつ、一言呟いた。
「あ……俺……人類の脅威だったわ……」
普段なら何を寝ぼけているのか、まだ夢の中かと自分を恥ずかしく思うところではある。
人類の脅威だった?
……成人して暫く経った大の男が中二病的な事を言っているのかと、他人からは失笑必至、下手すれば怒られてもおかしくはないだろう。
でも、俺は自分の発言に何も疑問は持っていない。違和感の一つもない。
今まで忘れていた事には違和感は感じているが、まあ些細な事だ。
これは白い影の奴等の仕業だろう。
世界の裏で暗躍し、俺のような異端者を鎮圧、拘束、排除する秘密結社みたいなもんだ。
記憶の操作だなんて、趣味の悪い事をやる。実に不愉快だが、奴等は目的の為なら手段は選ばないからな。
思い出した過去の記憶と今までの記憶を混ぜて、意識の最適化を計る。少々頭痛はしたものの、概ね正常に完了できたようだ。
それから、記憶を遡り、いつ頃操作されたのかを推測する。
……ざっと10年て所か。随分と封じられていたようだ。
この調子だと、俺だけじゃなく、同胞も同じように封じられているだろう……厄介だな……。
ただ、俺が覚醒できたって事は、他の同胞も覚醒している可能性は高い。
まあ、すぐに分かる事だ。奴等は嫌でも目立つからな。
俺は人類の脅威であると同時に、一つの使命を帯びている事も思い出していた。
それは……彼女に会う事だ。まあ……なんだ……上司みたいなもんだ。
携帯で時刻を確認すると、午前4時過ぎを示していた。
ほう、最近の俺にしては随分と早起きじゃないか。仕事疲れで折角の休みも寝て過ごすばかりだったからな。
まあ……仕事は辞めたばかりで、この部屋も近々引き払う予定だったから、このタイミングで思い出せたのは良かったとも言える。
ともあれ、早起きは三文の得……だっけか。何か良い事でも起きると良いんだがね。
「……さっさと行かなきゃならんな。彼女を待たせると、後が怖い……」
一人呟きつつ、ベッドに腰掛けて、まずは煙草に火を付けた。
深く吸い込んだ煙は、すぅと寝起きの身体に染み込んでいき、そしてゆっくり吐いた煙は音もなく肌を滑っていく。
煙と一緒に頭のもやも出ていったのか、徐々に思考は澄んでいく感覚を感じた。そんな事を数回繰り返す内、すっかり短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けた。
「……さてと、準備するかね」
一服も終わって、ベッドからのそりと立ち上がり、部屋の電気を付け、クローゼットに向かう。中には一張羅のスーツとクリーニング屋から帰ってきたばかりのワイシャツが数枚、ファー付きの厚手のダウン、フード付きのダウンベスト、カジュアルなシャツが数枚、履き古したデニムなどを掛けてある。
雑多な中身を見ながら、何を着ていくか思案する。
久しぶりに彼女に会うんだ、それなりの格好はして行かないとな。とはいえ、それなりが難しかったりするんだが。
暫し考えた結果、赤地に黒のマイクロチェックが入ったシャツと濃紺のデニム、紺色のダウンベストを選ぶ事にした。カジュアルだが、多少は小綺麗に見えるだろう。
持ち物は……財布と携帯電話があればいいか。ダウンのポケットにとりあえず捩じ込んでおく。
もう戻るつもりはないので、部屋の鍵は置いていく事にする。後で大家のポストにでも入れていこうか。
俺が暮らしていたのは単身者用のワンルーム。所謂社宅として貸してもらっていた部屋だった。引き払う予定だったので、ある程度は荷物をまとめてはいたのだが。
特に思い入れもない部屋だが、多少なりとも世話にはなったからな……片付けていくか。残していっても、次に入る人や大家に迷惑だろうからな。
丁度、腹も減っているから、久々にあれを呼んでみるか。
そう思った俺は、開いた左手を見つめながら、グッと力を込める。すると、ミチミチと音を立てて掌の肉が横に裂けていく。そして、そこには異形の口が現れた。唇も舌もなく、裂けた側から歯が覗く。ギザギザと乱ぐいながらも鋭い歯は幾重にも連なり、威嚇しているのか、餌の催促か、動く度にガチガチと音を鳴らしている。
……おう、久し振りだな、元気してたか?
もう腹ペコで死にそうだって?そりゃあ10年も飲まず食わずじゃそうだろうな。
俺も起きたばかりでね、腹が減ってるんだ。久し振りに一緒に朝飯といこうか。
朝方から近所迷惑だとは思うが、腹が減っては何も出来ないんでね。片付けついでに腹ごしらえさせてもらおうか。
食べるのはいいんだが、お互いに動き辛くなってしまうので、俺は左腕を切り離して口を自由にしてやった。指を手足代わりにして、器用に動き始めたソイツは、激しい咀嚼音と共に回りの家具や家電に齧りついて片っ端から平らげていく。まるで紙か粘土かを裂くように軽々とだ。
俺は残った右手で昨日買っておいて食べ損ねていたコンビニ弁当を食べている。レンジで温めようとしたが、口が既に喰ってたようだ。まあ、冷めててもいいか。
無機物は俺も喰えなくはないが、寝起きの胃にはちと厳しいんで、今朝はこっちにしておくよ。
久し振りの餌にありつけたのが嬉しかったのか、普段より食べるペースが早いようだ。このペースで行けば、すぐに片付けも終わるだろう。
先に食べ終わった俺は、食後の一服をしながら、左手の口の食事風景を観察していた。
はは、相変わらずの食欲だな、お前。
ああ、壁や床や柱は喰うなよ?大家が困るからな?
しかし、いい喰いっぷりだな。好き嫌いも言わないし、見ていて爽快だね。
……何?これはこれで旨いけど、出来れば肉も喰いたいって?
悪いな……残念ながら、今この家には肉が無いんだよ。
まあまあ……そうしょげるなって。
俺の予想が当たれば、久々に良い事があるかもしれんぞ?
……良い事って何かって?それは……来るまでのお楽しみだな。
改めて時刻を確認すると、午前5時を指していた。
部屋を見回すと、入居したてのようにまっさらな状態に戻っていた。実に壮観だ。埃一つに至るまで口が綺麗に平らげてくれたから後始末としては完璧だろう。
家具として残っているのは俺が座っていた椅子だけだが、立ち上がった直後に口が喰らい付いているから、もうそろそろ無くなるだろうさ。
久々に喰いまくって満足したのか、残っていた椅子を平らげた後、げふりと一つゲップを吐いて、左腕ごと俺の所に戻ってきた。なかなか可愛いヤツだよ。
左腕の癒着待ちの間、煙草を吹かしつつ、次の行動を考える。
俺が過去を思い出した事、能力を取り戻した事は既に奴等にも伝わっているはずだ。
そして……彼女にも、だ。
さて、今頃は何処にいるのかね……。
恐らく以前と姿は違うだろう。だけど、会えば分かる。
俺と彼女はそういう風に出来ているからだ。理屈なんか分からないが、間違いはない。
そうだ……待たせた詫びに、何か手土産でも持っていくか。
ただ……この時間じゃコンビニぐらいしか開いてないから、ろくなものは買えそうにないが……どうするかな……。
俺の思考に水を指すように、部屋のドア近くと窓の外に人の気配を感じた。
……恐らくは、いや確実に奴等だな。
……ふむ、今回は早いじゃないか。
耳を澄まし、辺りの音を聞く。
微かな金属の衝突音、僅かな足音と呼吸音。ぐるりと部屋を取り囲むように位置しているようだ。
……ざっと15人程か。出迎えの人数にしてはちと少ないんじゃないか?
……銃やら盾やら装備は整えては来ているようだな。
少数精鋭、余程自信があるか、ただの偵察か。それとも命知らずか。どれにせよ、俺に仕掛けてくるなら馬鹿には違いないが。
……まあ、そのぐらいの人数であれば、問題ないだろう。
左手の口を見ながら、小声で呟く。
「……良かったな、デザートに肉が喰えそうだぞ?」
すると、口は喜んだのか、ニンマリと口角を上げて、ガチガチと歯を鳴らした。