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ルビアの末裔  作者: 秋月 皐月
6/7

《6》

≪6≫


「汐里様、お帰りなさいませ。お身体、大事ありませんね?」

「えぇ。何事もありませんよ。お気遣いなく。夕食は部屋に持って来ていただける?」

「かしこまりました」

この帰宅時の一連の流れは、私が一人で外出するようになってから始まった習慣だった。

私の身体に何かあれば、この茜家は一族諸共、大変なことになる。

端的に言うならば、現在の地位も、富も、何も、失いかけないからだ。

この家は、私の『血』によって、生き繋いでいるに過ぎない。

生まれながらにして、私の、一人天下だった。

無感情に靴を脱ぎ、使用人一同が私に向かって仰々しくお辞儀をする廊下を、不快感を抱きながら足早に歩く。

早く、眠ってしまいたかった。

部屋で好きなだけ、溜め息を吐き出したかった。

一刻も早く、『私』という存在を、人の目から、隠してしまいたかった。

2階の自室のドアを開け、得体の知れない何者かから必死に逃げるようにして、強く扉を閉める。

そうして扉を背に、ずるずると床に腰を付き、腹の底から競りあがってくる苛立ちを、嗚咽と共に吐き出していた。

「っ、う、く、はぁ……っ」

口元を腕で押さえ、酷い形相をする私に、ふっと人の影が降りかかる。

「――汐里様」

綺麗でややか細いその声音を耳にし、鬱屈とした嗚咽をぴたりと止めて、影の主に口元だけで笑いかける。

「相変わらず、かくれんぼが上手ね。ギン」

見上げた彼は、それはそれは上背があり、縦に長い。

すらりと伸びた白い手足に、ふわふわの銀髪がよく映える。

銀のたてがみを携えた白馬のような風貌の男。

この男が、私の影であり、私の盾であり、剣だ。

「自分をお使いください」

当然のように、ギンは身体の前で両手を広げて、私を迎え入れようとしている。

彼はいつもこうだ。

私がストレス塗れになると、鬱憤晴らしをさせようと、身体を差し出してくる。

「いいえ、平気。大丈夫だから」

一人きりにさせて欲しい。

誰にも、この苛立ちを見られたくなかった。

感情の波を悟られるのが恥ずかしくて、それでいてひたすらに悔しかった。

ギンの胸板を押して部屋から出るように促す。

けれど彼は、私の腕を捕まえると、否応なしに自身の胸へとかき抱いた。

言葉はない。けれど、確かな温もりがあった。

ギンの腕の中は昔から、私の感情の掃き捨て場だった。

いつも、いつだって、彼は私の愚痴を、苛立ちを、弱音を、自尊心を、醜い心を、その胸で抱き留めてきた。

私は彼に抱きしめられるのに弱かった。

抑えていた感情も、殺していた感情も、何もかもが舌へと上り詰めて、そして――。

「……も、もう、嫌。もう、こんな暮らしは嫌。助けて、もう、疲れたの。私一人じゃ、無理……もう、背負いきれない……どうすればいいのか、何が正しいのか、わからないの……」

「汐里様……」

ぼろぼろと、本音が零れ落ちてゆく。

もう嫌だ。助けてと、ギンに泣きついていた。

幼い子供でもあやすように、彼は私の背中を大きな掌でとんとんと一定のリズムで叩く。

その優しく愛情深い所作に、私はゆっくりと目を閉じた。

目を閉じてしまえば、何も見なくていい。

気づかないふりも、見ないふりも出来る。

誰かが私を色眼鏡で見ることも、私におかしな羨望の眼差しを向けることもない。

暗闇の世界へ行ってみたい。人のいない場所で過ごしたい。

決して、好奇の目に晒されることのない、ただ心穏やかに居られる場所で生きていきたい。

「ギン、助けて……ギン、ギン……っ、こんな家、燃やしてしまって」

「…………」

過激なことを口のする私に、ギンは何も言わず、ただひたすらに背中を撫で続ける。

この家での彼は、身分以上の言葉を口にすることを、一切許されていない。

――私は彼に、とても酷な仕打ちをしている。

彼はただ、『聞く』ことしか出来ないのに。

宝である私にどうしたって逆らいようのない、茜家の駒のようなモノなのに。

「自分に言えることは、そう多くありません」

不意に彼の胸から離される。

思わず彼を見上げて目が合うと、ギンは困ったような、それでいて笑っているような、何とも不器用で下手くそな笑顔を浮かべる。

「自分は何があっても、どれだけ敵が居ようとも、最期の瞬間まで汐里様と共にあります。自分は、貴女の影です。貴女が自分を必要とする時は、必ずお傍におります。ですから、いつでも自分の胸をお使いください」

「貴方は、本当にいつまで経っても、笑顔が上手くならないわね」

「……お許しください」

「ううん、違うの。その笑顔がいいの」

親子でもない。兄妹でもない。ましてや師弟でも、恋人でもない。

一方的に守り守られる存在。

きっと普通の関係性ではないけれど、私がこの家に生まれつき、一つだけ誇らしく思えること。

それはギンという優秀で信頼の置ける影を、自分の傍においておけることだった。

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