《3》
≪3≫
一時間後。心の中で早く終われと願い続けてやっとのこと講義が終わると、私は教材を粗雑に手でかき集めてすぐさまバックへと仕舞う。
そんな私に教授が何か話でもあるのか陽気に近づいてきたけれど、彼から逃げ出すように私は足早に講義室を後にした。
「どこかでゆっくり休みたいな」
なんだか気だるさを感じて、思わず目に入った日陰にあるベンチで少しばかり休むことにした。
じりじりと肌を焼く夏の日差しに参っただけではない、妙な気だるさを感じて、私は自然と眉間に一筋の皺を刻む。
親からはその顔はよしなさいとよく叱られるが、目の前に誰もいない時くらいは自分のしたい顔をさせてほしかった。
この町では気軽に愚痴の一つも口には出来ないのだから。
「出来ることなら私だって、無邪気に笑っていたいよ」
「どうしてこんなに、可愛げのない顔しか出来ないんだろうなぁ」
誰かが悪い訳でもない。この土地が悪い訳でもない。
ただこの自分の境遇と生まれを、私は心底恨んでいた。
――茜家と言う特殊な血筋に生まれ堕ちたことを、生涯悔やむしかなかった。
「つい暗くなっちゃう……何か気分転換してから帰ろう」
この気持ちを重くするのも軽くするのも、全て自分次第だ。
「自分で自分の機嫌取っていかなきゃ、このままじゃ簡単に潰れちゃう」
木漏れ日から差し込む昼過ぎの容赦のない日差しに、次から次へと汗が噴き出してくる。
このままベンチで休んでいるのも考えものだと、私は仕方なく腰を上げた――その時。
「茜さん、お疲れ様です」
「え?……あぁ、お疲れ様、です」
名前も知らない誰かからそんな挨拶を寄越されて、内心面食らってしまう。
私の名前を何故知っているのだろう。
そんな当然とも言える疑問は、この町では愚問でしかない。
町の中心に建っているこの大学の学生の殆どは、子供の頃からこの町に住んでいる人ばかりだった。
そもそも外部からこの田舎の大学をわざわざ選んで通おうとする変わり者はそういない。
アメリカの大統領の名前は知らずとも、茜家次期当主である私の名前を知らない者はこの町にはいなかった。
正門を出る時、ふと数人の同回生とすれ違った。
はたりと目と目が合うと、腫れ物でも扱うかのように恭しく会釈される。
その疎外感と言ったら、彼らとの立場の違いをこれでもかと思い知らされるようだった。
特段、愛想良くする気は毛頭ないけれど、形式上、私は彼らへ軽く会釈を返す。
それが最低限の礼儀であり、じわりじわりと胸を押し潰す焦燥感を抑える最後の意地でもあった。
私はこのキャンパスで、無慈悲な程に孤独だった。
「……やけ食いでもしたい気分」
私は頭の中に大好物のかき氷を思い浮かべた。
一人遊びや空想は昔から得意なほうだ。自分の機嫌取りなんて朝飯前。
そうだ、喫茶店へ行こう。なんて軽やかなキャッチコピーまで生まれてしまう。
そんな名コピーライターの私が立つこの地は、日本の歴史を詰め込んだ華やかな都、京都。
なんといっても、京都の氷菓子は絶品だ。
喫茶店で大好きなかき氷でも食べながら読みかけの小説でも読もう。うん、それがいい。
そんなことを思っていると、僅かばかり足取りが軽くなった。それはまるで体に羽でも生えたかのように。
この小さな幸せを、私はまだ愛しいと感じられている。
そのことが何だか不思議と心を落ち着かせるのだった。