《2》
≪2≫
大学のキャンパスの売りになっている美しい日本庭園が一望できる3階の教室のベランダで、私はひとりぼんやりと景色を眺めていた。
変わり映えのしないその景色に、心が躍ることも、心が沈むこともない。
19年間ずっとこの土地で生きてきた私にとって、ここはひとつの国であるし、牢獄でもある。
不本意ながらこの国は私の統治下にあり、また、私を決して逃がしはしない檻でもあった。
「教授来たぞ」
「やっべ、レポート提出間に合わねー」
「……」
開いたままの講義室へと通じるドアから、同じ講義を受けるであろう生徒のそんな声が聞こえてきて、私は大股に近場の席へと腰を下ろす。
ショルダーバックから教材を取り出し、教授がプリントを配る様子を景色を眺めるかのようにぼうっと見つめた。
すると教授と目が合って、これでもかという愛想のいい笑みを返される。
私は内心50半ばの男性教授のその笑みに確かな不快感を覚えていた。
人の中にいながら自分の存在を消せるような道具があればいいのに。
そんなあまりにも夢物語のような願望を胸に抱きつつ、教授が話す内容を講義ノートに書き写す。
適当に履修したにすぎない日本の歴史に対する講義だ。
しかしその適当な判断が私を苦しめている。
この国の歴史はどこと比べても深く長い。
だからこそ、わざわざ『この町』の風土の話はそう出ないと高を括っていたのに。大失敗だ。
このままでは私は面倒なことで注目を浴びかねない。
この講義では今日までにも何度か嫌な目に遭ってきたせいか、思い描く想像はとてもネガティブなものになっている。
私が軽く意識を手放していた隙に、教授は先ほど配ったプリントの裏面を見るように促した。
それに従って私も同じようにプリントを裏返すと、思わず声を飲み込んでいた。
「この町の風土は国のどの地域よりも個性がある。たとえば、古くからこの町を統治してきたのは――」
どうして嫌な予感はこんなにも的中してしまうんだろう。
「そこに居る、茜汐里さんの茜本家だ。茜家のおかげでこの町は発展したと言っても過言ではないだろうね」
教授の言葉に続くように、周囲の学生の無遠慮で好奇心に満ち溢れた視線が注がれる。
それはまるで鋭い刃物か何かのように、私の心にずぶずぶと深く突き刺さってゆく。
「……」
そんなことはないです、なんて謙遜も私がこの町で口にするとただただ嫌味になり、違和感と捉えられるだろう。
私はあえて何も答えず、何もかも気づかぬ振りをして、ひたすら意識を目の前のノートに集中させる。
真面目にノートを取る姿勢とは裏腹に、この時私の思考は誰にも気づかれることもなく、静かにひっそりと錆びれていった。
教授の話も、同回生の話も、世間の話題も何も、この世の全てが嫌だった。どうでもいいと、考えることさえ、疲れる。
早く、終わらないかな……早く。
色んなことが早く終わってくれたらいいのに。
――『私』なんていらない。
私の世界の終幕。
それこそが、私の心の安息に繋がる。
長い間ずっと、くどい程にそう思ってきた。
『私の存在こそが、日本を、世界を、争わせる火種になりうる』
神様は私になんて役目を背負わせたんだろう。
こんな恐ろしい血なんて、早く途絶えてしまえばいい。
私みたいな子がこれ以上産まれない為にも――。