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1 不義の子

きっかけは些細なことだった。




グランベルク辺境伯爵家、その居城にある調練場で一人の幼子が6人の歳上の子供達に取り囲まれていた。


「おいラーハルト。お前、不義の子なんだってな」


3つ歳上のユリアンが幼子に問いかける。茶色の髪に勝ち気な目付きが父親の特徴をよく受け継いでいると評されていて、ラーハルトと呼ばれた幼子の腹違いの兄だった。その表情はにやにやとした侮蔑の笑みに満ちている。


「ユリアン兄様、その、ふぎの子ってなんですか…?」


ラーハルトと呼ばれた9歳の幼子は、ともすれば震えそうになる声を我慢しながらユリアンに問い返す。

亜麻色の髪にくりくりとした目付きの整った顔立ちで、母親の特徴を色濃く受け継いだその表情には少しの怯えが浮かんでいた。



苦手だった。長兄を除いて1年ほど前から自分に辛く当たってくる兄姉達が。



「お前、そんなことも知らないのか。流石は無能だな」


ユリアンは嘲笑するようへらへらと周囲に向けて笑う。すると周囲を取り囲んでいる兄姉達もそれに釣られたかのようにラーハルトを嘲笑った。


「みんな言ってるぞ。お前が9歳になってもレベル1から全然成長しない無能だって」


「そうよ。どうしてこんな無能がグランベルクの末子なのかホントに分からないわ」


「俺たちがお前くらいの歳にはどんなに低くてもレベル6はあったぞ」


「ラーハルトが無能なのはお父様の子じゃないから、不義の子なんだってみんなが言ってたわ」


「俺たちみたいにグランベルクの血を引く子どもは7歳からレベルが上がり始めるんだ。グランベルクの血を引かない他の奴らは12歳くらいまで待たないと上がり始めないんだぜ。こいつもそうだから忌み子なんだって、みんなそう思ってるよ」


ラーハルトは兄姉達のあまりの侮辱に居た堪れなくなってその場から逃げ出した。その目尻には涙が浮かんでいた。


「流石は不義の子ね」


ラーハルトの4つ歳上の腹違いの姉ナターリアが皆に言う。桃色の髪が特徴的で目鼻立ちも整っており、その表情が侮蔑に歪んでさえいなければ美しく愛らしいと言える少女だった。


「男の癖に嫌なことがあれば泣いてすぐ逃げ出す。臆病な卑怯者だわ」



兄姉達がラーハルト本人に面と向かって不義の子と罵ったこの日以降、ラーハルトに対するグランベルク家中の風当たりは激しさを増していく。








ラーハルトはとぼとぼと重い足取りで母の部屋に向かっていた。

かつて7歳を僅かに越える頃までは、兄姉達と探検や冒険と称して色んな場所を走り回っては顔を出していた、この巌を彷彿とさせるような古城も、家中の者達が悪意を向けてくる今となってはラーハルトの行動の自由を縛る牢獄のような場所だった。


そんななかで唯一の例外が、ラーハルトの母フィリアの住まう部屋である。

フィリアはラーハルトに悲しいことや辛いことがあった時、立ち直るまでいつも優しく抱きしめて励ましてくれるから、ラーハルトは母のことが大好きなのだった。


フィリアの部屋の前に着いたラーハルトはそのままドアをノックしようとして、自身が泣いたままであることに気付き服の袖で涙を何度も拭って、そうしてようやく涙の痕跡を消してからドアをノックする。


ガチャリ、とドアが少しだけ開く。ドアの向こうにはフィリアの側仕えの侍女がいた。


「ラーハルトです。あの…母上は、いますか?」


「少々お待ち下さい」


侍女は表面上は慇懃に、しかしその内心は嘲りの笑みを浮かべながらラーハルトに応対し、フィリアにラーハルトの来室を告げる。


「ラーハルト。どうしたの?さあ、こっちにいらっしゃい」


フィリアは優しく微笑んでラーハルトを手招きする。その容姿は肩ほどで揃えた亜麻色の髪に大きな目のよく整った顔立ちで、貴人向けの上質で品の良い服を見事に着こなしている。

ラーハルトと二人して並べば誰でも親子であると思うだろう美しい女性だった。


ラーハルトは母が住まうこの部屋が好きだった。品良く置かれた上質な調度品。窓辺に飾られた美しい花。それら全てが優しく美しい母を引き立てていて、この部屋の中ではラーハルトに悪意を向ける者は彼の知る限りいなかったから、母が住まうこの部屋はラーハルトの聖域だった。


「母上、その…」


ラーハルトはフィリアの慰めを求めてここへ来たが、どう母に切りだしたものか逡巡していた。

ふぎの子という言葉の意味は未だ幼いラーハルトには分からなかったが、兄姉達の態度から良くない意味合いであることは察していたから。


フィリアはラーハルトのその様子を見て、我が子に辛いことがあったのだと察し侍女に退室を促す。


「ごめんなさい。少しラーハルトと二人にしてもらってもいいかしら」


「畏まりました。ごゆるりと」


慇懃に、表面上は敬意を払いながら侍女は退室していった。

それを見届けたフィリアはラーハルトに向き直り優しく語りかける。


「フィル、どうしたの?何か辛いことがあったの?」


フィリアはラーハルトと二人だけの時に息子をフィルと呼ぶ。かつてラーハルトがその理由を聞いた時に、フィリアがこれは二人だけの秘密だからね、と教えてくれた、グランベルク家中の誰にも知られぬ母子だけのささやかな秘め事だった。


フィリアの問いかけに意を決してフィルは答える。


「母上、その……ふぎの子ってなんですか?」


フィルは母に問う。それがフィリアにとって残酷な問いかけであるとも分からずに。


「誰が…フィルに、そんなことを言ったの…?」


我が子のあまりの問いかけにフィリアは一瞬言葉を失いかけるも、己を叱咤してフィルに問い返す。その声はほんの微かに震えていた。


「それは…あの、家中のみんなが僕をそう呼んでるって、言われたから」


不義の子、とフィルは言った。それが誰の事を指すのかは言うまでもない。

不意に悲しくなって、静かにフィルを抱き寄せた。


「フィル、あなたはそんなことを気にしなくてもいいの。フィルは確かにお父様の子なんだから」


フィリアは思う。どうしてこの子がこんなにも辛い目にあわなくてはならないのかと。


フィリアは15歳の時に生家であるリンドハースト子爵家から、グランベルク辺境伯爵家当主レオンハルトの第5夫人として嫁いだ。

夫レオンハルトに純血を捧げたし、それ以降だってただの一度足りとも夫以外の男性に体を許したことはない。フィリアが16歳の時に生んだフィルは間違いなくグランベルク当主の血を引いた実子である。


だというのに、かつて家中から愛され慈しまれた我が子は8歳を過ぎた頃から、グランベルク家中の悪意をその小さな幼い体で一身に受けている。

レベルが上がらないという、ただそれだけの理由で。それが堪らなく悲しくて、フィリアが人知れず声を圧し殺して泣いたことも一度や二度ではなかった。


そんなフィリアの内心とは裏腹にフィルは嬉しかった。大好きな母が優しく抱きしめてくれる、この静かで優しい一時があるから、フィルは明日もまた頑張ろうと思えるのだった。


「母上、ごめんなさい。僕、もっと頑張ります」


「フィルは優しい子だものね。それに辛いことがあっても諦めないとっても強い子だから、いつかきっと皆もフィルの凄さを分かってくれる筈だわ」


フィリアは思う。この現状をどうにかできないかと。夫を頼る。それは既に何度も試みていた。

夫はフィルが7才を越えた頃、フィルのレベルが上がらず成長の気配を見せなくとも心配することはないと笑い飛ばしていた。

フィルが8才を越えた頃には息子の異常性に思い悩んでいるようだった。

そして現在、フィルが9才を迎えた今は関心を向けることがなくなった。


夫レオンハルトは彼に5人いる夫人達のなかでも、その寵愛を一心にフィリアに注いでいる。それはフィリアが夫人達のなかで最も年若く美しいということもあったが、レオンハルトがそれ以上に愛したのはフィリアのもつ凛とした佇まいとその優しい気性であった。


夫の寵愛がフィリアに注がれている以上は、家中の者達はフィリアに遠慮してフィルが悪意以上の害意を向けられることはない。

結局、そんな風に自分を慰めてフィルを抱きしめてやることしかできないのか。


フィリアはそれが悔しくて、悲しくて、堪らなかった。





その日からフィルはこれまで以上に訓練に励んだ。


フィルを忌み嫌う兄姉達や家中の者達に認めてもらう為に、そして何よりフィルを見捨てずにいてくれる大好きな母と長兄の思いに応えたかったから。


フィルは気絶する寸前まで走り込み、腕が上がらなくなるまで木剣の素振りを幾日も何度も繰り返した。

しかしそうまでしても、レベルという枷はフィルの思いと努力についぞ応えてくれることはなかった。

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