九
一-九
五年前に太郎の父、太作が鯛漁の最中(最中)に海の鬼神に襲われ、食い殺されたこと。操業を手伝っていた息子が、鬼神を間近で目撃したこと。
昨日の荒れた海も、今日の大波も、鬼神の仕業に違いないと言った。
うなずきながら聞いていた侍は、立ち上がった。
「そろそろ拙者も、城に上がらねばならん時じゃ。ここで失礼するが、もし良ければこの絵匠に、その鬼紳がどのような姿・形をしていたのか、話してくれぬか。今後のために、主も知っておきたいと申すゆえ。」
後方に立っていた白髪の商人らしい男が、六人の前で平伏した。
「私が当家の絵師を勤めておりまする、盛親と申します。太郎殿のお父上をいさめた鬼神を、絵にしたためますので話をお願いしたい。」
弥助がこの男が太郎じゃと、盛親に言うと、黙って筒から巻紙を出し、膝の上に広げた。おもむろに硯を摺りながら、やさしい表情で笑いかける。
「さ、そなたが見たままの鬼神の姿を話してくだされ。私の絵が少しでも違っていたら、遠慮なく、その場で言ってくだされや。」
万作と弥助にも促されて、鬼神の風貌から話す。大蛇に似た黒い怪物で、目や鼻の色・形、頭の角、長いひげ、全身がウロコに覆われたように見える、胴体の様子と動き、父を飲み込んだ大きな口。
絵匠の質問が巧みなこともあるが、ここまで克明に話せるとは……。
「ひとまず描けましたぞ。太郎殿、この姿に違いはござらんか。」
記憶と異なる部分を描き直してもらい、じっくりと絵を見た。
「そ、そうじゃ。その、か、怪物が父ちゃんを。」
さらに絵師は問いかけて来る。
「手足はなかったと申されたが。その昔、漢という国にこのような怪物が現れたと伝え聞いております。それは龍と称され、一丁(約百m)もの長さがあって空を飛び、口から雷を吐いて地上を焼いたという。人間の悪行を諫める架空の生き物じゃが。」
その龍が実在したのかと、絵匠は疑いつつ驚いている。そして二枚描いたもう一枚の絵に、手足を描き加えた。
「漢の国の龍は、このような姿と伝えられております。」
龍が現れたのは漁の操業中だった。漁も悪行かと絵師に問うと、漁業は野菜の収穫と同じで、悪行とは思えませんと答えた。
絵匠は手足のない方の絵を丸めて、筒に収めた。
「この絵は主にお渡しするが、漢の龍の絵は持ち帰られますかな。」
見たくないので返事に迷っていたら、弥助が申し出て筒に収めてもらった。
「まだ日は高い。鯛の代金で、村の物を買い込むとすっか。」
裏島では、魚を売った代金の半分は当の漁師の取り分で、半分は村の衆が暮らしていけるよう、その地で食品や物品に変えて帰る仕組みになっている。
万作が先頭に立って、太鼓や笛の音が聞こえる通りの方へ歩く。まず米屋に入って俵一表と塩を、八百屋で野菜や芋を、呉服屋では反物を買い付けた。弥助は裏島の医者もしているので、薬の材料を買い込んだ。
「大八車は海に沈んだ。これだけの荷物を六人で背負うて、陸を歩くのは無理じゃ。夜中まで待って、そっと舟を出すしかないな。」
そこへ栗毛に乗った武将らしき侍が来た。
「婚礼の鯛を調達下さった御仁とお見受けしたが、相違ないか。」
万作がうなずくと侍は栗毛から下り、城からの通達と言って、万作に書状を差し出した。それを字の読める弥助が読み、歓喜の声を上げる。
書状には丸十屋という塩問屋の船を出すので、その船で帰ればよい。鯛を運んで来た三隻の舟は曳航するとあった。
弥助が港を見回し、一丁半ほど先に停泊している大きな商船を見つけて指さす。
「あの船でワシらを送ってくれると書いちょる。ありゃ高波が来ても転覆せんじゃろ。そんで護衛の侍十人が、火縄銃を持って乗り込むそうじゃ。もし龍が出ても退治するためにな。」
丸十屋の船は家の一軒がすっぽり収まる大きさで、櫓が左側と右側に六本ずつ突き出している。
召使いに先導されて甲板に立つと、そこは地上から二丈(約六m)ほど高い位置にあり、まるで丘の上から眺めたような景色が広がる。
甲板で丸十屋左兵衛という、でっぷり肥えた船の主人が挨拶に来たあと、侍から火縄銃の使い方を教わった。
火縄銃は長さ四尺(約一.二m)約あり、ずっしり重い。この銃から放たれる小さな丸い弾で、生き物があっけなく死ぬという恐ろしい武器だ。
しかし龍が現れたら力強い味方なので、火薬や弾丸の詰め方から構え方、撃ち方まで熱心に指導を受けた。
「でっかい船じゃ。この船はどこまで商売に行くんかいのう。」
弥助が召使いに尋ねると、南蛮の国まで行くらしい。弥助の勉学の虫が大人しくしている筈がない。
召使いに南蛮のことを根掘り葉掘り尋ねていると、左兵衛が来て話を制する。
「南蛮の国が気になるようじゃな。召使いは忙しいで、ワシが話して進ぜよう。」
出航の準備が整ったのか、船はゆっくり旋回して港を離れ、沖に向かって進み始めたが、さすがに揺れを感じない。
勘次と舳先に向かう途中、弥助に呼び止められて船室に入った。