六
八-六
作佐に会わせてくれた次郎にも感謝する。書き上がった書物の内容は聞けなかったが、しっかり真相を見抜いていると信じる。
「太郎、ワシじゃ。聞こえるか。」
突然、聞き覚えのあるガラガラ声がした。
「ま、万作はんじゃ。」
「太郎、お佐夜さんが死んだ日を覚えとるか。村の衆がひと晩中看病し、明け方に泣いて別れを惜しんだことを。あん時ワシは死ぬ時こそ、生き様が結実して表れると言うたじゃろう。ワシは地揺れと大波で船の下敷きになり、一人寂しゅう死んだ。生き様が悪かったでな、ガハハハ。」
オラも万作はんと同じように、この煙のような霧に包まれて、一人寂しく死のうとしている。
曲がったことをせず、いつも前を見て生きてきたつもりの最期がこれだ。二十二年の生き様は、こんなものだったのだ……。
「違うぞ太郎。おヌシの後ろに次郎、磯八、作佐、そして村の衆も集まって、心配そうに手を合わせとるぞ。そんだけじゃない、海の中では何千何万の魚が、悲しんでおヌシとの別れを惜しんどる。こんなに大勢の仲間に見送られとるおヌシは、まっこと幸せもんじゃ。」
こちらからは見えないが、一人寂しく死ぬのでないと、万作は言った。
「帰るとき、周りを取り巻いて泳いでいた魚達もか。あれは、すっげえ綺麗じゃったな。」
すると今度は乙姫の声。楽園や林の間で過ごした時の、陽気で快活な声だ。
「あの魚達が、太郎様をおもてなしした民の、元の姿です。」
龍宮を発つ時に見送りがなく、とても寂しく悲しい思いをした。あの魚達だったのなら、賑やかな見送りだ。別れのあいさつは、残念ながらできなかったが……。
「あの中に加奈さんや、乙姫さんも、おったんか。」
「もちろんですともー。太郎様の、すぐ横を泳いでおりました。」
桃色に輝く大きな鯛と真っ黒の魚が、手の届きそうな近くを並んで泳いでいた。あれが加奈と乙姫だったのだ。
思い返すと、嬉しさと感動が重なって沸き上がり、涙が溢れる。
地上では村の衆に、海からは乙姫やショウ、加奈、何万の魚にも見送られている。寂しいはずがない。
「万作はん。死ぬ時って、もだえ苦しむんか。」
だが万作ではなく、乙姫の声が返ってきた。
「魚はその瞬間、快くなります。海底で五十年間も暮らした太郎様です。その時は快くなりますよう皆で念じております。」
「苦しまんようにしてくれぇ。最期の頼みじゃぁ。」
手を額の前で合わせ、背を丸めて拝む。上げ潮の波が、繰り返し膝を叩く。
「太郎様を、お母様や音根様のお側に導いて差し上げます。」
太郎が浜の中央に座って手箱を開けた時、すさまじい煙が太郎を包み込んだ。離れた場所で様子を窺っていた次郎は、足がすくみ動けなかった。
隣にいた磯八は、あの不気味な煙を払わねばと、村の衆に戸板を何枚か持ってくるよう頼んだ。だが近づいて三人がかりで扇いでも、煙はビクともしない。
「何とかしなければ。」
別の方法を探していると、別の三人の男が投げ網を引きずってきた。
「風で煙は動かんようじゃ。これをかぶせて、皆で引いて太郎さんを助け出そう。」
いい手だ。少々荒っぽいが煙全体に網を被せて、一斉に引けば太郎は引き出せるはず。
作佐も加わった五人が網を抱えて煙に近付き、前の二人が網を広げて投げようとした時、煙が海に吸い込まれるように流れ込んで、波に消えた。
太郎が煙に包まれてから消えるまで、わずか三時(約三十五分)のことだったが、磯八にとっては半刻もの長さに感じた。
作佐は煙が晴れた場所に、太郎の姿がないことに驚いて駆け寄った。
「また海の中へ、連れて行かれた。」
磯八と次郎も来た。そこには黒い手箱と、太郎が着ていた着物が波に洗われている。その下に散らばった白骨が、砂を被りながら沈んでいる。
「ああっ、太郎さんが……。」
太郎が白骨化した現実を目にし、三人は例え様のない虚無感に打ちひしがれた。
「何で太郎さんが死なにゃ、ならんのじゃ。一生を滅茶苦茶にした海を恨まず、海の中で知った大事なことを、地上の人に伝えると決めたのに。何でじゃあ。」
誰にともなく、怒りと悲しみの言葉を吐きながら、三人は波の下の白骨を拾って手箱に詰める。
いつしか村の衆も駆け寄って、三人を取り巻いていた。
「太郎さんよ。ワシはそなたの志を引き継いで、旅に出るぞ。そなたが伝えたかった海や、自然と人間の関わりを話して、諸国をまわるぞ。これはな、死んだ親父の意志でもあるんじゃ。安心して天国で、音根さんと幸せに暮らせ。できたら親父にも逢うてくれ。」
震える声で手箱の骨に語りかける磯八に、作佐が目に涙を溜めて同行したいと訴える。
「私もお供させてください。太郎様にお聞きした鯛の陰謀はひとつの例で、差江の川の件も無関係ではありません。この大変な問題を他人事ではなく一人ひとりが考えないと、人間の行く末は悲惨です。
太郎様にお聞きした書物に、磯八さんの考えも足して、世間の皆さんに読んでいただきます。私もお役に立ちたい。」




