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七-四
「ワシが生まれる前の地揺れと大波で、家も人も舟も海に流されよった。たまたま丘で野良をしとった親父とお袋は、森に逃げ込んで助かったそうでな……。」
磯八は空に向かって、遠い昔の出来事を思い出すように話を続ける。
「あっという間に村の仲間が死んで、何もかも無うなって、よほど辛かったんじゃろう。あん時の話をよう聞かされた。」
西方の浜や家にいた万作や弥助は、大波に呑まれたらしいと言う。我が家と勘次の家も舟も、跡形なく流されたようだ。
「丘に上がった潮が引くと、猪の親子が何事もなかったように丘を走り、蝶もバッタも蟻も元気じゃったそうな。あの災難で、人間だけが家も舟も命も失うた。」
遠くの水平線を睨む磯八は、何かに怒っている目だ。
そう聞けば嵐の後、鳥や動物が風雨に打たれて、死んでいるのを見たことがない。どこで避難しているのか、不思議に思ったことはあった。
人間は家に篭って身を護るが、彼らは避難場所を持たないのに。
「動物も人間も、汗をかいたり、咳をしたり、のどが渇いたり、時には身震いもするじゃろう。」
何を言い出すのか、次の言葉を待っていると磯八は、遠くの水平線を見詰めながら話を続ける。
「親父の話では天地も同じことを、やっとるそうじゃ。嵐、日照り、大雪、地揺れ、大波。これらは天地の怒りではのうて、意味のある営みじゃと。それと折り合いを付けて暮らしている動物や虫は、被害を受けん。それに逆らって生きとる人間だけが、酷い目に遭うと。」
確かに海に入る前よりも、家は頑丈になっている。丘の上がり口も石で補強している。これらは折り合いを付けたのではなく、はかない抵抗だと言う。
「オラも海底の国で聞いたことがある。小っちゃな人間が大きな自然に、どう逆ろうても絶対にかなわんと。」
「ワシは天地の営みを、怒りと思うておったで、身を護ることばっかり考え、親父の話には納得できんかった。」
動物や昆虫の暮らしを望む人間はいない。逆にもっと豊かに、もっと便利に、もっと快適に暮らしたいと願い、前の磯八と同じ考えの人が圧倒的に多い。
だから家を頑丈にして、田畑や道には、地崩れを防ぐ石を積んで防災している。しかし天地の営みに遭うと相変わらず被害をこうむり、さらに強固にする。
凝りもせず、その繰り返しをしているのだ。
「天地に逆らうと言えば、こんなこともあった。」
磯八は、表島の話を始めた。
差江には大きな川と高い山があり、豊かな水で稲作や様々な野菜の栽培に恵まれ、町は栄えていた。だが雨期になると川が氾濫するようになった。
町は度重なる洪水対策として、川の両側に土を高く積み上げて堤にした。これで洪水から免れることができたと言う。
ところが夏になると川が渇水して、水不足が深刻になった。この地はもう終りとの風評が広がり、他の土地へ移る民が相次いだ。
「そんなことがあったんか、あの大きな川が。」
困り果てた領主、差江将実が識者を動員して、重なる現象を調べるうち、奥山の地肌のむき出しが原因と判明したのだ。
差江は、大波被害の復興事業として、製材産業を興した。豊富にある奥山の木を伐採し、川を使って河口まで運び、削った木材を各地に売りさばいた。
当時は民家や社寺の建築が盛んだったので注文に恵まれ“製材の差江”として広く知れわたり、大いに繁栄した。
たちまち材木の調達が裏山だけでは追いつかず、北島や浦浜まで及んだと言う。
浦浜へ大勢の人夫が、丘の森の木を求め、見返りとして丘の中ほどに大きな溜め池を作ってくれた。川のない浦浜に水源を得ることができ、村の衆はたいそう喜んだ。
磯八の話を聞きながら丘を臨むと、何と頂上にあった森が消えているではないか。
「本当じゃ、あそこにあった大きな森が。」
まさか森が消えているなんて……。海底から帰った時は小雨で、丘の上部は霧に隠れて見えなかった。
森が消えるなんて夢にも思わなかったので、今の今まで気が付かなかった。
---何てことを。
北島の山々も地肌のむき出しが目立つ。そうか、ゼクスはこれを心配していたのだ。磯八の話はまだ続く。
奥山は山腹から頂上まで、ほぼ全面が禿げ上がった。以前は、奥山の豊かな木々が雪解け水や、雨水を山中に溜めて徐々に川や麓へ送り出していたので、雨期でも川に氾濫がなかった。また日照りが続く夏でも、水が満ちていた。
「木を伐り過ぎたんじゃ。山は木の根が雨水をいっぱい溜めると、ゼクスが言うとった。そうか、そんで山は今、どうなっとる。」
磯八は顔をくもらせ、小声で吐き捨てるようにつぶやいた。
「どうもこうも。差江の殿様が、禿げ上がった場所に苗木を植えたが……木は未だに、あの位にしか育っとらん。木はワシ等の思うようには、育ってくれん。」
丘の外れにある、八尺ほどの木を指さした。
「そんじゃ、まだ氾濫や渇水は続いとるんか。」




