三
七-三
作佐は何かを掴んだ様子だったが、話し終えた今も、さっぱり真意が見えない。海に問いかけても、返事があろうはずもない。
もう話し忘れはなかったか、肝心なことが抜けていなかったか、最初から振り返ってみる。
東の空がじわじわと黄金色に染まり、足元が少し明るくなってきた。地上に帰って迎えた二日目の海は、心の動揺をあざ笑っているかのようだ。
「話し忘れはない。作佐はきっと、真相を探り出してくれるじゃろう。」
まだ海面は黒いが、つばくろ岩の輪郭が見えるまで、空は明るくなった。
「よう話したで、眠うなったじゃ。戻ってひと眠りさせてもらうか。」
黒い海面を眺めながら立ち上がった時、家の方角から次郎が慌てた様子で駆けて来る。
「太郎さん、今しがた。」
次郎の表情と声で、あとは聞かなくても分かる。
---音根が死んだ。
反射的に砂を蹴って浜を走る。
玄関の戸を乱暴に開け、離れの部屋へ飛び込んだ。音根は光を放つ赤いカンザシを、両手に包んで胸に当てていた。
作佐と話している時に、次郎が龍宮の土産と言って渡したのだろう。その顔は微笑んでいる。
「音根、すまんかった。あれほど反対していたのに、海に入ったオラを許してくれ。」
あの時、海に入らず祝言を挙げ、我が子を育てながら夢に向かっていたら……。
「あたい、もしも太郎さんが帰っても、会えん気がして。」
海に入る前の晩だった。音根の気持ちより、わずか五日間と言ったショウの言葉を信じ、海への招きに応じた結末が、これだ。
どう詫びても詫び足らない自分を、泣いて責めた。
弥恵を連れて、次郎が戻ってきた。二人は音根の顔を見つめて手を合わせ、何やら呟きながらそっと白い布を顔に被せた。
「太郎さん、そう泣かんでください。母はこの世で一番の、幸せもんじゃから。」
次郎は目の周りを真っ赤に腫らしているが、努めてにこやかな表情を装っている。
海に入った太郎が必ず帰ると信じ、再会を願う一心で七十歳まで生き抜いた音根。
次郎は、ついに願いを叶えた大往生だと、自らにも言い聞かせて、悲しみを抑えているのが見て取れる。
「母はつねづね、太郎さんとの想い出を話すのが楽しみじゃった。これほど母に大きな夢を……持たせてくれた……太郎さんに。」
ここまで言うと、声を詰らせて泣き崩れた。
朝日が昇ったばかりだが、訃報を聞いた村の婦人達が集まって来た。玄関の外で弥恵が迎えている。
「次郎さん、母さんが死んだって。まあ気の毒なことじゃ。」
「この前に会うた時にゃ、元気そうじゃったのになあ。」
集まった婦人達は十人、口々に声をかけて家に入る。もう自分のことは村中に知れ渡っているはずだが、誰も声はかけて来ない。
「母は他の御方より長生きし、これは大往生ですじゃ。今日はよろしくお頼みします。」
葬儀の準備が始まった。
一人ひとりに頭を下げる次郎を見かねて、再び浜に出た。砂に腰を下ろすと、蒼い水平線が表島と北島の岬を結んでいた。
打ち寄せる波と調子を合わせるように、悲しみと寂しさ、絶望感が繰り返し胸に込み上げる。
心の中にぽっかり空いた穴を、乾いた風が吹き抜ける。体内に僅かに残っている潤いさえも、風が拭い去る。
「音根も死んだぞ。もうオラは、この世で独りぽっちじゃ。乙姫、ショウ、オラがこうなるのも作戦か。お前らとオラの鯛釣りと、どんな因果があるんじゃ。答えろ。」
両膝を抱えて顔を埋めていると、背後に近づく足音が聞こえた。見上げると、あごに白いヒゲを蓄えた老人だった。
「そなたが太郎さんかな。」
「そうじゃが。」
力のない返事ではあったが、その老人は気にする風もなく横に座り、一緒に青い水平線を眺める。背が高く筋肉質で、その横顔はどこか見覚えがある。
「あなたは。」
「そうそう、ワシは東方の磯八という舟作りじゃ。親父は勘次と言うて若い頃は、太郎という人と鯛を釣っとったそうで。次郎さんの母さんの葬儀に行く途中じゃが、そなたが親父の相方じゃったか、と思うてな。」
驚いた。独りぼっちになったと思った矢先、勘次の息子が現れるとは。バタバタと四つん這いで磯八の前に出て、顔を見上げる。
その様子がおどけたように見えたのか、磯八が吹き出して顔を反らした。
「か、勘次の子か。」
「やはり相方は、そなたじゃったか。きのう本物の太郎さんが、海の中から戻って来たと、次郎さんからの遣いに聞いたで。」
磯八の顔色が赤らみ、見開いた目が笑う。こんな苦境でも知人に会える嬉しさと期待が、勢いよく膨らむ。
「そ、そうじゃ。勘次はどこにおる、すぐ会いたい。」
「親父はワシが三十の時に、病気で死んだ。もう二十年も前になるのう。」
勘次に会える望みは、空しく消えたが、勘次の子が自分の名を知っているとは、あの地揺れと大波の時は、助かっていたのだ。




