七
一-七
「このまま怪物が大人しゅうしとりゃ、言うことないんじゃがのう。」
「今さら邪魔したってなあ、怪物も観念したんじゃろうぞ。」
言いたい放題の会話を交わしながら、大八車に献上箱を積み込む。
「夜が明ける、そろそろ出向くとするか。」
太作組の舟は、海の方に向きを変えてあり舳先には太い縄が飾られている。
万作が徹夜で自分の舟を洗ってくれ、差江の祝いのために、立派な縄飾りまで用意したことを知った。
「万作はん、かたじけない。」
「ガハハ……。舟が貧相じゃけ。こうでもしておかんと表島の奴らに、馬鹿にされるでな。舟を白に塗るには、時が足りんかったが、よう出来たじゃろう。」
その豪快な笑いに皆もつられて笑う。
舟を真っ白に塗られず、本当に良かったと思ったが、万作の気づかいに目頭が熱くなる。
表島の城へ鯛を納めに出向くのは、自分と勘次のほか万作、弥助、藤造、吾作の六人に決まった。自分の舟には鯛百尾を積み、弥助が札持ち役をする。
そこへ婦人が三人、炊き出しの味噌汁と握り飯を持って来た。その婦人の中に音根もいる。
こちらへ来て上目遣いに微笑み、声をかけてきた。
「早う帰って来てね。待ってるっちゃ。」
黙ってうなずき、握り飯と味噌汁を受け取って頬張った。
音根は今年十七歳。他にも年頃の娘は妹の梓も含めて数人いるが、この村では珍しく色が白く、大きな黒い瞳が若者の羨望の的になっている。
若者達はこぞって畑仕事や、炭焼きを手伝い、用事もないのに何かしらの声を掛け、音根の気を引こうと懸命だ。
弥助が鯛を詰めた献上箱五箱の上に、差江の家紋が入った白い布を被せた。
「さあ準備はできたじゃ。太郎と弥助の舟が真ん中を行け。勘次は大八車を積んでワシの舟に、藤造は吾作の舟に乗り込んで両側から警護じゃ。それー 行くぞぉ。」
万作の号令に「おぉー。」と雄叫びを上げて、男たちは舟を一斉に海へ滑り込ませ、勢いよく乗り込んだ。
身なりはいつもの漁衣なので、漁に出る普段の風景と変わらないが、真ん中を進む自分の舟だけが、少し違って華々(はなばな)しい。
浜では婦人や村の衆が、手を振って見送っている。
いよいよ朝日が東の空を黄金色に染めて顔を出すと、海も空も山も一斉に明るくなり、丘の鳥がにぎやかにさえずりを始めた。
表島に向かう漁師達の顔に朝日が反射し、どの顔も眩しげに輝く。
明けの風が吹き出すと、海も目覚めたように波打ち、黄金色の空を映して青白く広がる。今朝は珍しく、カモメが数羽、頭上を飛び回っていた。
いざ出港はしたものの、六人にとっては恐怖に包まれた航海だ。
海から大きな怪物が、突然飛び出してくるかもしれない。櫓をこぐ者は足許に槍を置き、もう一人は背を丸くして四方の警戒を続ける。
だが緊迫した心境とは裏腹に、一度たりとも強い風がなく半刻が過ぎた。
表島の町が目の前になった時、全員の顔に正気が戻った。
「無事に着けそうじゃ。まだ油断はできんが。」
弥助が立て札を持ち直し、右手に長い槍を持って仁王立ちになった。もう表島の方からも見えていて“差江殿御用達”と大書きした札の文字が、遠眼鏡で確認できているだろう。
今日は二代目領主の嫡子、差江将大が東の国から姫を迎える婚礼の日だ。
すでに町は笛や太鼓の音で騒がしい。城に通じる港の大通りには提灯が連なり、停泊中の商船には紅白の幕が張られている。
舟が港に入ろうとすると、二隻の黒い軍船が両側から挟むように接近し、ヒゲ面の侍が舳先に立って大声で叫んだ。
「差江殿の港内じゃ、槍を納めいっ。」
皆がハッと気付き、手にしていた槍を足許に落とし、深々(ふかぶかと)と頭を下げた。
「もう怪物は出んのに、ワシたちは戦いの体勢で港に入ったんか。迂闊だったわい。」
万作は頭をかいて恥じ入った。
軍船が、港の端に突き出した桟橋へ誘導する。軍船は裏島で最も大きい万作の舟より大きく、大筒を一門備えている。
三隻の小舟が桟橋に横着けすると、能勢右門が家来らしい五人の侍を従えて来た。
「おお裏島の。本日の婚礼に供する鯛じゃが、百尾揃ってござるか。早速で悪いが荷物を改める。」
能勢右門の後ろにいた侍の一人が舟に乗り込んで、黙って献上箱を他の侍達に手渡し、桟橋に積み上げていく。
能勢右門がフタを開けて大笹をめくり、鯛を見回して横の家来に小声でつぶやくと、家来はそれを帳面に書き留めている。
どうやら鯛の状態と、数を確認しているようだ。
「ワシたちは、ていねい洗って箱に詰め、大事に運んできたんじゃ。数も間違いなく百尾揃っちょるわい。」
万作が不服そうに言っても耳を貸さず、五箱全部を確認し終えた。
「実に見事な暁鯛である。大きさが皆同じで、数も間違いない。主人はどなたかの。」
弥助が、主人はこの男だと言いながら、自分の背中を強く押した。
「おお、鯛釣り名人の太郎殿か。拙者が出向いて頼んだだけの事はあった。このとおり厚く礼を申し上げる。」