三
六-三
「リュウビ様、太郎を海底に引き止めることは、計画に入っていたのですか。」
太郎を地上に送り届ける役目のショウが、ミンクから聞いた話を持ち出した。
「はい。私が音根を想起させる姿に化身したのは、そのためです。地上と同じ楽園を用意したのも、海底で暮らしたいと思わせるためです。もう十分に地上と引き離しはしましたが、永久に帰さないことも選択肢としてありました。」
地上の調査中に、人間は金・銀・財宝に欲望をかき立てることが判明した。そこで龍宮の内外を豪華な彫刻や、煌めく材料で飾り立てた。
無防備な光り物を見て、太郎が独り占めを画策すると期待したが、太郎は欲望という邪念に火を点けなかった。
ところが楽園に誘うと、予想以上に心が素直になり、海底を疑念する心が薄らいだ。たとえ無意識でも自然を汚し、破壊しておきながら、自然に囲まれることを好む人間の独善的な本性を見た。
乙姫は、この本性を利用し、楽園で海底での永住を決断させようと告白した。だが太郎は迷ったものの、決断はしなかった。まだ何かが足りないと、リュウビは思っている。
ミンクは、太郎が海底に永住することに反対である。疑似人間たちが早く元の姿に戻って、建造物や農園が消滅することを望んでいる。
「太郎が王になると決めたら、本当に永住させるのですか。私はこれ以上、人間の姿でいることに耐えられません。他の魚達も限界にきています。」
「存じています。太郎が地上に帰れば、直ちに魚達は元の姿に戻り、建物も農園も跡形なく消えます。もし住み付いた場合は、楽園に閉じ込めて二度と出ることはないのです。」
「太郎のために、楽園は残すのですか。」
「そうです。春の丘を残しますが、そこには人間はおろか、動物も鳥も虫もおらず、風もない植物だけの静寂世界です。飲み水と、木の実や果物はありますので、そこで生き抜くか、孤独と寂しさで発狂死するかは、太郎次第です。」
ふと目覚めると、天蓋が静かに揺れている。広い部屋はぼんやりと明るく、人の気配はない。
「今日がこの国の見納めか。早く帰って母っちゃんや、音根、村の衆に会いたいもんじゃ。」
海に入った日から、昨日までの出来事を振り返りながら、寝床で天井に見入った。眠気はないが、起き上がるには身体がだるい。またげっそり痩せ、骨と皮だけになっているのだろう。
「もうちょっとだけ、この国にいたい。じゃが豊作祭は終わったし、皆が普段の暮らしに戻ったら王にならん限り、オラの居場所はない。」
名残り惜しい気持ちと、帰りたい気持ちが激しく交錯して胸が痛い。
モヤモヤしながら天井を眺めていると、二太夫が着物を抱えて入って来た。海底を訪れる時に着た、一張羅の羽織と袴だ。遅れて一太夫が朝食を運んで来たが、膳を置くと黙って立ち去った。
「おやおや、太郎殿。もうお目覚め(めざ)ですか。」
「これから乙姫様と話し合いをするで、落ち着かんのじゃ。」
「案じてばかりでは、何も解決しませんし、そなたの心も重いでしょう。」
「そうじゃ。胸が痛いし、何か分からんが、恐い。」
左胸を小さく何度も叩いて、二太夫に苦悩を伝える。
「誰でも事を為す前は、不安が頭を駆け巡って緊張します。でも肚をくくって実行すると、不安が無意味だったと気付くのです。案ずるより生むが易しとは、よく言ったものですなあ。」
だるい身体をなだめながら寝床で着替え、膳の前に座った。
腹ぺこだったので、返事もそこそこに朝食を平らげた。すると骨ばっていた手がいつもの手に戻った。痩せこけた顔も戻っただろう。
風呂場に入り、伸びた髪を切ってマゲを結う。
二太夫の案内で、乙姫が待っていると言う部屋に向かう。廊が七色に輝き、白い壁も赤い柱も、来た時と同じ光を放っている。
最初にこの廊を歩いた時、圧倒的な美しさに仰天し、周りを眺める余裕はなかった。今は柱や壁に触れてみたり、天井の小さな装飾まで観賞したりすることができる。
少し歩いた先に金色の大きな扉が見え、あの部屋で乙姫が待っていると、二太夫が指さした。
あの大きな扉を入ると、部屋も金色に輝く大広間で、奥の玉座には水色の衣裳で、輝く冠を頂いた乙姫が、数人の子供を従えて座っているのだろう。
そんな想像を巡らせながら、改めて気を引き締める。
「着きましたぞ、入りましょう。」
一太夫が扉に手をかざすと、勝手に左右にゆっくり開く。
ところが、開き切っていない扉の隙間から、乙姫が廊に飛び出した。
その姿は意外にも、春の楽園で着ていた村人の着物であった。乙姫は半開きの扉を後ろ手で閉め、上目づかいで微笑む。
「お早うございます太郎様。まだ入ってはなりませぬ。」
うろたえる二太夫に目もくれず、自分の前に立って扉に向き直す乙姫。
「この部屋へは、目を閉じてお入りいただきます。私がいいと言うまで、開けてはなりませんよ。さあ。」
「分かった、そうする。」




