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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
第一章
5/86

一-五

 鯛は避難(ひなん)している小魚(こざかな)(ねら)って、()れで集まる習性(しゅうせい)がある。

「こんだけ海が()れたら、鯛はつばくろ岩の内側(うちがわ)に集まっちょる。北の(みさき)じゃ。」

 勘次(かんじ)が低く声をかけ、つばくろ岩へ(ふね)を向けた。海は昼間(ひるま)の荒れ模様(もよう)(うそ)のようにひっそりと静まり、勘次の()()の小さな波音(なみおと)だけが、(やみ)(ただよ)う。

 雲間(くもま)から時折(ときお)りのぞく半月(はんげつ)が、舟の航跡(こうせき)をほんの少し()らしている。


 その頃、浜では万作(まんさく)弥助(やすけ)が大声で(さけ)び合っていた。

「オーイ太郎や、海は静まったぞい。勘次(かんじ)(りょう)に出るんじゃろ、ワシの舟も使え。ワシも弥助(やすけ)も一緒に行くでな。」

 万作(まんさく)は、おりんから事情(じじょう)を聞き、浜の方から怪物(かいぶつ)翻弄(ほんろう)しようと狂言(きょうげん)を始めたのだ。

 家から飛び出したおりんが、続いて万作(まんさく)達に叫び(かえ)す。

万作(まんさく)はん、太郎はもう(おもて)(じま)へ走ったじゃ。もう漁には出られんさぁ。」

「なら、()(もど)さんかい。今からでも鯛を()らにゃ間に合わんぞ。」

(わん)の半分くらいは走っとるで。万作(まんさく)はん舟を出して、海の方から()(もど)してくれんかぁ。」


 おりんも万作まんさくも、この掛け合いを怪物が聞いているよういのりながら、渾身こんしん演技えんぎを続ける。

「わかった、すぐに舟を出そう。弥助やすけはん行くぞぉ。」

 万作は湾に向かって叫ぶと、けたたましく舟をぎ出す。湾のおくへ近づくと、陸伝りくづたいに走る仮想かそうの太郎に向かって、声のかぎりにさけぶ。

 弥助もさけび、時にはバシャバシャと海面かいめんはげしく叩いて、目立つようにさわぎ立てる。


「太郎やぁ、引き返せぇ。すぐ戻れぇ。」

 風もなく、とっぷり暮れた静かな海に、それは異様いようさわがしさだ。

 万作と弥助は漁火いさりびをいくつもともして高々とかかげたり、り回したりして途切とぎれなく大声を上げる。今頃は、太郎と勘次が漁を始めているだろう。


 勘次のたくみなさばきで、つばくろ岩のあいだに舟がすべり込んで止まった。急いで枝糸えだいとの付いた釣り糸六本を、舟のどうから垂らして漁を開始かいしする。

 そこでしばらく釣ると、舟を別の岩間いわまに移して釣る。それを何度か繰り返すと、予想を超えて鯛が釣り上がる。じゅん調ちょうだ。八十尾と言わず、百尾でも釣れそうないきおいだ。

 湾の奥の方で漁火いさりびが明々とともり、何やら叫んでいる声が聞こえる。


 あれは怪物の意識いしきを湾の奥へ引き付けるための、漁師りょうし仲間なかまによる援護えんごだと気付いて、心で手を合わせた。

---かたじけない。怪物よ、浜の方に気を向けていてくれ。

 つばくろ岩の根元ねもと無気味ぶきみなほどの静けさで、ピチャピチャと岩をなめる波の音だけが聞こえる。

 真っ暗で見えない手元は、雲間くもまからる月明かりにたよるが、この漁場は岩の形状も間隔かんかくも、しょうの位置さえも分かっているので不安はない。

 

 鯛釣りは物音を立てずに淡々(たんたん)と続いた。

「もう三刻さんこくほどったかのう。」

 勘次は釣り上げた鯛をトロ箱にめながら、小さな声で聞いてきた。

「まだ二刻ちょっとじゃろう。鯛はどのくらいになったんか。」

「今んところはこ四つ目で、六十をえたくらいじゃ。」

 目標の半分は超えている。まだ怪物が気付いた様子ようすはないが、ここで気づかれたら確実かくじつに二人の命はない。


 浜で援護えんごしてくれる漁師りょうし仲間なかま達と家族かぞくのために、何としてでも百尾を釣り上げて、無事に帰らねば。

---あわてるな、あわてても事は同じじゃ。

 何度も何度も自分に言い聞かせて、余力よりょくを振りしぼる。

 時おり、冷たい風がヒューッと岩をけるたびに、二人は舟底ふなぞこに身を伏せ、あたりの様子ようすを確かめる。


 背後はいご頭上ずじょうに、何かしらのかげを感じては身をすくめ、振り向く。月明かりに浮かぶとがった岩が怪物に見えて、手が止まる。

 何ごともないと分かると、また漁を始める。それを繰り返す。

 りくさわやかな春なのに、今夜ばかりは勝手かってが違う。てつく冬より寒く感じながらも、汗がひたい首筋くびすじから吹き出して止まらない。

 それをぬぐいながら、懸命けんめいの漁が続く。


 この汗は、いつ怪物に気付かれるかもしれない恐怖きょうふと、目標もくひょうの百尾を目指めざ緊張きんちょうの汗だ。

 これほど釣りを急いだのは初めてだが、一時いっときも早くこの場を去りたい心が、作業の手をゆるめさせない。かじかんだ手は感覚かんかくがなく、指が千切ちぎていても、今なら気が付かないだろう。


「太郎、百じゃ。百じゃぞ。急いで引き上げじゃ。」

 勘次は低く、しかし歓喜かんきた声で叫ぶと舟尾せんびに立ち、ぎ始める。


 自分は六本の釣糸つりいとをたぐり上げて、音を立てないようにたいまったトロ箱をかさねた。その上にムシロをかぶせながら、じわじわ遠のくつばくろ岩に目をやる。

---怪物を出し抜いたじゃ。どうか浜まで見つかりませんように。

 かじかんだ手を合わせ、何度も何度も神仏しんぶついのる。西にかたむきかけた月の明かりが、舟の航跡こうせき海面かいめんに映している。急げ、急げ。


 浜では数多くの松明たいまつが、右へ左へと交錯こうさくしている。おそらく村の全員が浜に出ているのだろう。舟は松明たいまつに引き寄せられるように、まっすぐ浜の方へ進む。

 松明や湾に入った舟の漁火いさりびは、二人への目印にと企図したものか、偶然ぐうぜんなのかはさだかでないが、目印めじるしとして充分じゅうぶんすぎる効果こうかがあった。

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