十
四-十
「太郎殿。どこにおわす、太郎殿。」
姿を消したことに気付いて、捜索が始まったようだ。
「太郎さん、逃げましょう。」
加奈は乱れた着物を手早く直すと、左手を取って声がする反対側の扉に向かう。
自分は慌てて混乱しているのに、何事もなかったような冷静で、機敏な動きに驚く。
突き当りの扉の横に、背丈より低い隠し扉がある。加奈は馴れた手つきで隠し扉を開けて入り、手招きする。
「さあ早く。」
「小さな扉じゃ。この奥に隠し部屋があるんか。」
「いいえ、農園に抜ける地下道に通じています。この扉は、一部の人以外には知られておりません。早く入りましょう。」
迷っている場合ではない、加奈を信じよう。小さな扉をくぐると、加奈は扉を内側から閉め、閂をしっかり押し込んだ。
「もう大丈夫です。」
階段を下りると、四角に掘られた地下道に出た。二人が並んで歩くには狭く、頭が触れるほど天井が低い。まっすぐな一本道で、全面が光を放って明るい。
「急ぎましょう。」
加奈が先に走り、振り向いて手招きする。引かれるように背を丸めて追いかけた。左右に別れる場所に差しかかると、加奈が指さして再び走る。
二人は長い地下道を走る。加奈は走るのが苦手のようで、時々(ときどき)手を広げて飛び上がろうとする。だが天井が低くてかなわず、頭に手を当てながらの走りだ。
「どこへ行くんじゃ。」
「私の家です。」
「もう追っ手が、来とるかもしれんぞ。」
「構いません。太郎さんは私が守ります。」
「戦うんか。」
「場合によっては。」
短い言葉を交わしながら二人は走る。加奈は塀の外へ出る場所を知っていて、そこから半里の海木の森に入れば、誰も追って来られないと言う。
こちらは太郎の行動や心理状態の変化を監視している、岩の鏡の前。
「乙姫……いやリュウビ様、太郎が消えました。」
マイスが、慌ててリュウビに報告する。
「存じています。予定外のことなので驚いていますが、人間の本性が見えそうで興味深いですね。」
リュウビが落ち着いているので、マイスは安心したが加奈の姿も見えない。
「加奈もおりません。この鏡に加奈の情報も映らないそうです。」
「加奈は太郎の性欲もかき立てる役割ですが、心を許すようにも造っています。おそらく一緒に逃げているのでしょう。恐怖が迫ると逃げ隠れするのは、当然の成り行きです。たぶん地下道を使って加奈の住処か、農園のどこかに向かっているはずです。急いで見つけてください、怪我があっては大変ですから。」
リュウビ達に監視されているとは知らない二人は、ひたすら走る。
「あれが出口です。」
正面に階段が見えた。加奈が先に階段を上がって、出口の扉をそっと開け、上半身を乗り出して外の気配を窺う。
「大丈夫です。まだ誰も私達に気付いていません。」
警戒しながら、扉の外に出た。
「ここはどこじゃ。」
「私の家の近くです。少し歩きますが大丈夫です。背の高いハクビが隠してくれますから。」
辺り一面に、身の丈を上回る緑の海藻が密集し、ユラユラと潮になびいている。柔らかなハクビの葉を掻き分け、しばらく進むと白い壁が見える場所に出た。
「あれが私の家です。」
加奈に先導されるまま、家に入った。そこは三間角くらいの小さな部屋で、床面の柔らかな光が、殺風景な壁や天井を照らしている。
片隅に農具が立て掛けてあり、部屋の中央に低い石の台が置かれている。裏島の我が家に似ていて、落ち着ける佇まいだ。
「加奈さんの家族も、ここで暮らしとるんか。」
「私には、生まれた時から家族がおりません。」
「そうか、嫌なことを聞いてすまなかった。」
「平気です。もともと家族というものを知りませんから。」
そう言うと、うつむいたまま寄り添って来た。両腕で抱き止めると、胸に顔を預けて目を伏せた。
「オラと逃げてくれたこと、かたじけないと思うちょるが、加奈さんの身も危ないのと違うか。」
塀の外に出て森へ入らない限り、見つかれば加奈も捕らえられる。なのになぜ、こんな危険を犯したのか。加奈は胸に顔を預けたまま、黙ってじっとしている。
このまま追っ手に捕われるのを待っているのか……。加奈を抱いたまま入口に神経を集中する。
「ここにおったら駄目じゃ。塀の外に出るとか、農園とか、隠れるところはないんか。」
「……。」
ドヤドヤと大勢の足音が近付き、扉を叩く。どうする、この部屋は裏へ抜ける戸も、窓もない。
「加奈殿、いるのは分かっております。扉を開けてくだされ。太郎殿もおられるか。」
太い声は、二人を捕らえに来た侍の大将か。すると加奈はそっと離れ、扉に向かって歩き、大胆にも扉を大きく開け放った。
---しまった、加奈にはめられた。
逃亡罪という処刑の口実づくりに、まんまと引っ掛かった。引っ立てられ、ゼクスと称する龍に差し出される。
---もう駄目じゃ。加奈の誘いに乗ったオラが甘かった。




