二
三-二
「逝ったらあかん、あかんっちゃ。」
髪を振り乱し、目を引きつらせて叫ぶ音根を、万作が後方から抱きかかえて樽から離し、努めて優しい声で諭す。
「もう母ちゃんを、静かに寝かせてあげなされ。」
村の衆が集まってきた。朝日はまだ顔を出していない。法衣姿の万作と弥助が樽の上で線香を薫らせ、念仏を唱え始めた。皆は神妙な顔で合掌し、頭を垂れている。念仏が終わり、樽を縛った縄に太く長い棒が差し込まれた。
万作に先頭を担ぐよう指示され、男衆六人で担いだ。小さく声を掛け合って丘をゆっくり上がる。担いだ棒が右肩に食い込み、お佐夜の声が聞こえた気がした。
「音根を頼みます。」
炭焼小屋の東側に、大きな穴が掘られていた。村の衆が徹夜で掘ってくれたらしい。
担いだ男衆に三人が加わって樽を穴に沈める。樽が収まると、参列の人達が交代で鍬を持ち、土を被せていく。
その間、万作と弥助の念仏は続いた。順番が来て鍬を手渡され、ひと掬いの土を掛ける。
---これでもう、おばさんとは会えんのじゃ。
土を掛け終わると、猪よけの大きな石が乗せられ、墓が完成した。
音根は樽が埋められる間、ずっと下を向いていた。
「さあ音根、母ちゃんに水をあげなさい。旅の途中で喉が乾かんようにな。」
震える手で桶と杓子を受け取った音根は、墓の前に正座し、しばらく動かない。丁重な見送りの儀式、村の衆の温かい心に触れて、溢れる涙を懸命に押さえているに違いない。
「天国で幸せになってね、母ちゃん。」
小さな声で語りかけながら何度も何度も、墓石に水を掛ける小さな背に、万作が話しかける。
「お佐夜さんは仏様になりなさった。これからは墓に手を合わせて話しかけなさい。きっと、おぬしを守ってくれるじゃろう。」
翌日の朝、音根の希望で丘の上り口に、栗の木の苗を植えた。この苗木を母の分身と思って、世話したいと言う。
それからの音根は、雨の日も欠かさず栗の苗木に声をかけ、墓と周囲を掃除して野の花を供えた。
場面は変わって、ここは深い海の底。
陽の光が届かない暗黒の海を、さらに下った海底。生い茂る海藻や海木に隠れるように、直径二里(約八km)ほどの砂の平原が広がっている。
この一帯は太古に落下した隕石の不思議な作用で、砂も岩も発光して明るい。
広大な平原は大小の魚が群れを形成し、キラキラ輝きながら交差したり、離れたり。色とりどりの魚達が演じる、あたかも万華鏡の世界だ。
行き交う魚達を眺望できる平原の片隅に、長さ一丁(約百m)ある龍が横たわっている。龍の周りには鯛やヒラメ、タコなどが群れを成していて騒がしい。
龍のアゴの下には一本の槍が刺さり、タコが抜き取る作業をしている。耳の横には弾丸が貫通した傷跡もあり、アンコウが治療している。じっと横たわる龍は、金色の眼を時々開き、鯛や亀と話している。
「この槍の穂が抜けるまで、まだ少々のご辛抱が必要ですね、リュウビ様。」
「ああ、面倒をかけます。」
今から五百年ほど前、海峡周辺の地上に直立歩行の奇怪な動物が集団で棲み付くようになった。カモメのジョイによると、それは人間という新種の動物らしい。
著しい雑食の人間は、木の実や動物の肉に飽き足らず、川魚まで餌にする貪欲な動物だ。最近は舟という乗り物で沖へ操り出し、海の魚まで狙うようになってきた。
リュウビは海魚の捕獲を阻止しようと、幾度も巨大イカや龍に化身して、漁師を脅かしたり懲らしめてきた。以前はその姿を見るだけで漁を断念していたが、最近は武器を手にして抵抗するまでになっている。
龍の姿で襲った今回は、槍と鉄砲で深い傷を負わされた。さらに追い打ちを掛けて爆雷まで投げ込まれ、人間がますます手に負えなくなってきたのだ。
「もう私の化身では、人間の漁を抑えることが出来なくなっています。でも、このまま野放しにしていると、鯛族どころか魚族全体の未来は危ういでしょう。」
大海亀のショウは、陸上の人間界を覗き見ているが、裏島の太郎という若い漁師が暁鯛を大量に獲るので、気になっていた。
「太郎は鯛釣り塾というもので仲間を増やし、もっと漁獲量を増やそうと考えています。これは危険です。何としても阻止しなければ。」
「そうですね。太郎一人でも困っているのに、優秀な鯛漁師が大勢育てば、大問題です。」
空からの偵察隊、カモメのジョイから受けた最新情報では、塾の準備は着々と進んでいるという。
「今思うと太郎の父を襲った時、見逃したのが失策だったのです。」
リュウビのため息に、ヒラメの長老シオンが、やんわり否定した。
「いいえ、あの時のリュウビ様は正しかったのです。龍に直面した幼い少年は、漁師の道を閉ざすだけでなく、その恐怖を他の漁師にも伝えます。リュウビ様でなくても、策として見逃したでしょう。」
太郎は、すぐ間近に見た龍の恐ろしさと、父が食われた無念を漁師に話す。これで多くの漁師が断念すると考え、気を失った太郎と舟を浜まで戻した。だが幼い太郎の話は誰も信じなかった。




