↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
PR
21/86

十一

二-十一

「太郎は龍との戦(たたか)いぶりを、勇(いさ)ましく話すと思うとったが、まあ正直(しょうじき)に話してくれた。あんな怪物(かいぶつ)と一人で勇(いさ)ましく渡(わた)り合える訳(わけ)がないもんな。やっぱ、太郎は村の英雄(えいゆう)じゃ。」

 意(い)に反(はん)して、村の衆の心を打ってしまったことが気恥(きは)ずかしく、顔が火照(ほて)っている。もう頭を掻(か)くしかない。  

 差江(さえ)でも大変な騒(さわ)ぎになっていた。身の丈(たけ)が一丁もあろう巨大(きょだい)な龍に、一人で挑(いど)んだ豪傑(ごうけつ)が見事に退治(たいじ)したと、どこも怪物(かいぶつ)退治(たいじ)の話でもちきりである。演芸(えんげい)場では張子(はりこ)の龍と英雄(えいゆう)の戦いを演(えん)じて、連日(れんじつ)大盛況(だいせいきょう)だ。


 その英雄が見すぼらしい漁衣(ぎょい)を着て、港(みなと)町(まち)で鯛を売って歩いている男とは、誰(だれ)も気付いていない。

 差江(さえ)将光(しょうこう)は丸十(まるじゅう)屋の事件以来、龍の存在を認(みと)めて警備(けいび)を補強(ほきょう)したほど、町の安全に細心(さいしん)の注意を払(はら)っていた。

 今回の龍を退治した男が、裏島(うらしま)に住む太郎(たろう)という漁師(りょうし)であることを水軍の川奈(かわな)次兵衛(じへい)から聞き、一度(いちど)会って見たいと言ったそうだ。

 北島でも、人々は会(あ)うごとに龍の話で盛(も)り上がる。だが龍の姿(すがた)・形(かたち)や動きを目の当たりにするほど場所が近かったため、誰(だれ)が龍と戦っていたのか、水軍の爆雷(ばくらい)で息の根を止めたのか、といった話題(わだい)が中心だった。

 

 秋もめっきり深(ふか)まって、朝夕(あさゆう)の風が冷たさを増(ま)す。山々は艶(あで)やかな紅葉(こうよう)の衣裳(いしょう)に衣(ころも)替えし、厳(きび)しい冬の到来(とうらい)に備(そな)えている。人々を恐怖(きょうふ)に陥(おとしい)れた龍の事件から月日が流れ、事件の話もめっきり減った。

 海峡(かいきょう)でも、死んでしまった龍(りゅう)を忘れたかのように、漁に精出(せいだ)す舟で賑(にぎ)わっている。


 万作の仲介で、次の春に音根と祝(しゅう)言(げん)を挙(あ)げる話がまとまった。

 近い時分(じぶん)に音根と表島へ、花嫁(はなよめ)衣裳(いしょう)を買いに行くことになり、音根が表島の町を一度(いちど)歩いてみたいと言っていたので、いい機会(きかい)だ。

 舟の手入れが一段(いちだん)落(らく)したので、音根の家を訪(たず)ねた。祝(しゅう)言(げん)の日に着る着物を見に行き、気に入ったのがあれば買おうと話していたが、それが明日(あした)だ。

 だがそこに、体調(たいちょう)を崩(くず)して寝床に臥(ふ)せている音根の母、お佐夜(さよ)の姿があった。

「母ちゃん、また具合(ぐあい)が悪うなったんか。着物は次(つぎ)にしよう。祝(しゅう)言(げん)は春じゃで、急ぐこともない。」


 音根は母の背中(せなか)を擦(さす)る手を休めず、今晩(こんばん)中に良くなれば、明日でも行けると言う。

「いつでも行けるじゃ。母ちゃんを大事にな。」

 看病(かんびょう)の邪魔(じゃま)にならないよう早々に引き上げたが、だいぶ容態(ようだい)が悪いようだ。騒(さわ)がしい蝉(せみ)が静かになりかけていた夕刻(ゆうこく)、音根が戸を激(はげ)しく叩(たた)いた。

「母ちゃんが、母ちゃんが。」

 そう叫(さけ)んで西浜の方へ駆(か)けて行った。この慌(あわ)てぶりは尋(じん)常(じょう)ではない。

 勘次(かんじ)に声をかけると、悲鳴(ひめい)に似た音根の声だったので、勘次(かんじ)は気付(きづ)いて家を出ていた。


 二人で音根の家に駆(か)け込み、よもやの光景(こうけい)に立ちすくむ。音根の母、お佐夜(さよ)が床(ゆか)のムシロに倒(たお)れ、多くの血を吐(は)いたのだろう薄暗(うすぐら)い行灯(あんどん)に照(て)らされたムシロが、赤黒(あかぐろ)い血で染(そ)まっていた。

 お佐夜の口の周(まわ)りも手も首も血まみれで、吐血(とけつ)の臭(にお)いが漂っていた。たまらず勘次(かんじ)と二人で抱(かか)え上げ、寝床(ねどこ)に運ぶ。喉(のど)の奥(おく)が、ゴボゴボと苦しそうな音を発(はっ)している。

「おばさん気(き)を確(たし)かに。大丈夫じゃ、すぐ弥助(やすけ)はんが来るで。」

 横にして背中を擦(さす)りながら、声を掛(か)け続ける。そこへ弥助(やすけ)と大勢(おおぜい)の村の衆(しゅう)が、ドタドタ駆(か)け込んできた。

「こりゃまあ、大変なことじゃ。」


 弥助が煎(せん)じ薬(ぐすり)を飲ませようとするが、反応(はんのう)しない。婦人(ふじん)達が水でお佐夜の首と顔、手の血を拭(ふ)き取る。

 弥助は吐血(とけつ)による窒息(ちっそく)が危ないと、うつ伏せにさせた。もう弥助では手の施(ほどこ)しようがないようだ。

「オラ、これから表島へ行って医者(いしゃ)を連れて来る。今からなら朝(あさ)までには帰れるで、それまでおばさんを、もたせてくれ。」

 藤造(とうぞう)が立ち上がって、足早(あしばや)に戸口(とぐち)へ向かった。まだ夕暮(ゆうぐれ)れだ、これから舟を出したら、医者(いしゃ)の戸を叩(たた)くことができるだろう。


 皆より早く来ていながら、こんな大事(だいじ)なことを藤造(とうぞう)より先に気付かなかった愚(おろ)かさを悔(くや)やんだ。

「藤造、オラも一緒に行く。表島はオラの方が詳(くわ)しいじゃ。」

 立ち上がって後を追(お)おうとしたが、万作(まんさく)が着物の裾(すそ)を掴(つか)んで引き止めた。

「太郎はここにおれ。藤造、お佐夜さんは胸(むね)を患(わずら)っていて、血を吐(は)いたと伝えるんじゃ。治市(はるいち)が一緒に行ってくれ。」

 納得(なっとく)できない思いで万作を見ると「お佐夜(さよ)さんは朝までもたんじゃろ。その時は最期(さいご)を音根と看(み)取(と)ってやれ。」と、顔に書いてあった。


 誰(だれ)も声を出さない静かな時が流れた。行灯の光を求めて、開け放った小窓(こまど)から黄金(こがね)虫が飛び込んで、秋の到来(とうらい)を知らせる。まだ夜明(よあ)けまで、時はたっぷりある。

 藤造(とうぞう)達は、もう医者(いしゃ)を連れて引き返(かえ)している頃か。婦人達が代(か)わるがわる、暗い浜へ様子(ようす)を見(み)に出る。

 東の空が少し白くなってきた。医者(いしゃ)が来るまで、あと少しの辛抱(しんぼう)だ。

 突然(とつぜん)、静寂(せいじゃく)の空間(くうかん)を引き裂き、お佐夜が海老(えび)のように背を丸めて、激しく咳(せ)き込(こ)んだ。

 被(かぶ)っていた布団(ふとん)が弾(はじ)け、口から鮮血(せんけつ)が飛び散(ち)る。音根が慌(あわ)てて口に手拭(てぬぐ)いを当てるが、見る見る赤く染(そ)まっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。