九
二-九
ずっと人に会えず、動物も昆虫もいない静寂の世界に身を置いていると、遠からず気が変になってしまいそうだ。
草原は、遠くの地平線を超えても延々(えんえん)と続いているのか。ヘタヘタと草の上に座り込み、涙があふれる。これほど人や動物、物音を恋しいと思ったことが、今まであっただろうか。
「天国って寂しい所じゃ。」
しばらく膝を抱えてうずくまっていると、背後から「太郎、太郎。」という小さな声が聞こえた。それも一人や二人の声ではない。
---誰かいる。オラを呼んでいるじゃ。
救われた気持ちで振り返り、立ち上がったが誰も見えない。今度は頭上から、少し大きな呼び声が聞こえた。人の声が、これほど嬉しいとは思いもしなかった。だが天を仰いでも、やはり何もない。
「オーイ、誰かおるんかぁ。早よう出て来てくれぇ。」
人に会える、話ができる……。この好機が断ち消えないことを念じながら、なり振り構わず四方八方に向かって、声の限りに叫んでいると、前方に大きな明るい光が現れて近付き、全身を包み込んだ。
その眩しさに思わず腕で目を覆うと、誰かがその腕を掴んで揺する。そっと目を開けてみると、目の前に成人した音根がいるではないか。
「太郎さん、気が付いたっちゃ。」
音根の背後に五、六人の男がいる。知らない人ばかりだが、右端に万作が見えた。初めて布団を掛けられ、仰向けに寝ていることに気付いた。
---ここは草原じゃない。誰かの部屋らしいが……。
何が何だか解せないが、寂しさからは解放された。起き上がろうとすると、腰や背中に激痛が走る。
「イテテ、身体中が痛い。」
万作が満面の笑みを浮かべて、近寄ってくる。
「良かったのう太郎。無事で何よりじゃ。」
西浜で漁具の手入れをしていた万作は、現れた龍を見て北島に向かった太郎と音根が襲われていると直感し、鉄砲を携えて弥助と駆け付けたと言う。
着いた時は龍が海に沈んだ後で、そこに五隻の軍船と野次馬の小舟で、溢れかえっていたと説明する。
万作は丁寧に話してくれるが、さっぱり状況が掴めない。キョトンとしていると、ヒゲ面の厳つい男が寝床の横に座った。
「太郎殿、ここがどこか、そなたが何故ここにいるのか、お分かりか。」
黙って首を横に振る。
「我らは差江の水軍で、拙者は川奈次兵衛と申す。そなたが龍と格闘して退治したあと、海に浮かんでいたところを救助したのじゃ。そなたの女房殿も無事じゃった。目覚められて本当によかった。」
---女房って、音根のことか。あの龍をオラが退治したと、この男は言うとるが。
話を聞くうち、龍に襲われて舟から槍で突き、その槍にしがみついて振り回されたことを思い出した。龍に振り解かれて海面に叩き付けられたことも。
「オラ、龍に食われんかったんか。」
「我ら水軍がここに着いた時、戦いは終っておったが、北島の者が龍の首に張り付いて、戦っておるそなたを見たと言う。それは凄まじい戦いじゃったそうな。そなたの勇敢な戦いぶりに我らは皆、感服しておる。」
とんでもない。食われまいと、龍のアゴの下にしがみついていただけで、戦った記憶はない。その後の龍はどうなったのだろう。
「そなたが撃ち抜いた鉄砲で、龍は死んだ。その最期はのう、苦しそうに胴体を立てて天に向かって吠え、大木が倒れるように横倒しになって、海へ沈んだ。」
音根を護りたい一心が、龍に挑ませたに違いないが、いつ鉄砲を使ったのかは覚えていない。すでにその時、意識が途切れていたのか、海に叩きつけられて記憶が失せたのか……。
音根が身を伏せていた舟は転覆を免れ、波のうねりに押されて龍から離れ、事なきを得たらしい。
何よりも音根が無事でよかった。
「音根、オラは今しがた天国へ行って来たぞ。音根の父ちゃんにも会うてきた。そこは花がいっぱい咲いてきれいじゃったが、どうにも寂しい所での。」
音根は口を押さえ、肩を揺らせて笑っている。万作も笑い、男たちも笑う。仕方なく一緒に笑ったが、克明に覚えているので、夢だったとは到底思えない。
川奈次兵衛が七人の部下を甲板に集めて、目まぐるしく指図をしている。
「これから爆雷を投げ入れて、龍を粉砕する。この下に沈んどるで、ぬかるな。」
爆雷とは、火薬を詰めた円錐形の鉄の固まりで、海底に着弾すると爆発する仕掛けらしい。それを五隻の軍船から一斉に投げ込むと言う。
「ああいう怪物が生き返ると、厄介じゃからのう。」
龍が沈んでいる位置を特定すると、軍船が船尾を寄せるように後進して集まり、それぞれが半丁ほど離れて舳先を外にし、円陣を組んだ。
船尾で七人の乗組員が爆雷を乗せた台を慎重に運び出している。舳先を外に向けているのは、爆雷を投下すると直ちにその場から離れるためだ。
川奈次兵衛が大きな扇子を高々と掲げると、それぞれの船尾で七人の乗組員が爆雷を支えて待機する。
扇子が下って五隻の軍船から、掛け声とともに一斉に投下された。直ちに櫓が大きく水を掻いて、外側に向かって発進した。




