二
二-二
昼時をだいぶ過ぎていたが、万作の家に招かれて飯と酒が用意された。
「太郎は二十歳になって、ようやく女のことを知った。もう大人の男としてやっていける。めでたしじゃ。」
万作が盃をグッと顔の前に突き出し、飲めと促した。頭を下げて受け取り、一息で飲み干した。万作がガハハと豪快に笑い、一緒になってワハハと笑う。
「万作はん、勘次や吾作や藤造は、もう女のこと知っとるんけ。」
「皆、親父がおるで、教えちょるじゃろう。見てみい、吾作なんかは音根やお春の尻を追い回しちょる。まるで発情した猪じゃ。」
「音根は、男のこと知っとるじゃろか。」
「お母がおるでの。女はちょっと早いで、十四~五歳になったら教わり、知っとる筈じゃ。お春もな。」
妹の梓も十五歳。もう母から教わっているのだろう。何も知らなかったのは自分一人だ、身体の中を得体のしれない風が吹いた。ちょっと情けなく悔しい。
だが父を亡くして、機会を失ったことを悲しむより、遅かったとはいえ教えてくれた万作に感謝し、心の中で手を合わせた。
翌日の早朝に、勘次と漁に出た。初夏の爽やかな風が吹き、雲は早く、波も少し高目だが、まずまずの釣り日和だ。ところが場所を変えても、撒き餌をしても鯛は一匹も釣り上がらない。
「どうしたんじゃろ、この辺に龍が来とるんか。」
勘次が心配そうに呟く。
頭が音根のことで充満し、釣りへの意識が吹き飛んでいた。それどころか、龍のことまで失念していたので、勘次の呟きで恐怖が甦った。
「い、急いで帰ろう。」
しかし龍は現れなかった。勘次が家に帰ったあと一息ついて、ほとんど減らなかった餌の小海老を舟の桶に移していると、後方で吾作の声が聞こえた。
「音根。オラにもくれやー。」
振り向くと、吾作が手を回しながら浜を駆けている。その目線の先には音根の後ろ姿。
「ちょっと、待てやー。」
音根はアカンベーをして、丘の上り口を素早く駆け上がり、姿を消した。
舟越しに音根を目で追いかけていると、舳先にスモモが五個転がっている。音根が来てそっと置いたのを見た吾作が、追っているらしい。
---オラにスモモを持って来てくれた。怒ってないんじゃな、オラを嫌ってないんじゃな。黙って置くちゅうことは……。
心の中で問い正しながら、スモモを懐にしまい、両手でしっかり抱える。浜で万作が確信ありげに言った言葉が甦る。
「音根は太郎を嫌っとらん、恥ずかしかったんじゃ。」
梓が吾平組の投網の手入れを手伝ったと言い、一抱えのイワシを貰って帰ったので、おりんが大根とイワシを焚いて夕食にした。
梓は友達のお春と、よく吾平組で投網干しや、網に絡んだ海藻取りを手伝うらしい。
呉作には次作という十七歳の弟がおり、体格のがっしりした男前である。どうやら梓は次作が目当てのようだ。
「梓、次作と仲良うしちょるか。」
冗談まじりに聞くと、顔を真っ赤にして手許のおじゃみを投げ付ける。
「兄ちゃんこそ、音根さんに泣かされるなや。ええ年して、格好悪い。」
おりんが話題を逸らすように、口を挟んできた。
「音根さんの母さん、身体の調子が悪うなったみたいじゃの。太郎は聞いたか。」
音根は母親のことをあまり話さないので、詳しいことは知らない。
「後で様子を聞いてくらあ。このイワシ持って行ってええか。」
いい口実ができた。一抹の不安はあるが、心の中で小躍りした。夕食を終えると五尾のイワシを縄で縛り、ぶら下げて外に出る。
今夜は東の空に満月がぽっかり浮かび、周囲の雲が白く輝いている。遠くの山や海がよく見えて、木立の影もクッキリと地面に投影されている。
提灯なしでも歩けるほど、明るい夜だ。一気に丘を駆け上がり、家の戸を叩く。出てきた音根は、表島の土産で渡した小花柄の着物を着ていた。
「あ、あの……。」
あれこれ言葉を捜すが、出てこない。音根の顔をじっと見るしか方法がなかった。すると音根の方から切り出した。
「この着物、似合うちょるか。お月さんが明るいんで、着て出ようとしとったっちゃ。」
笑顔を振り撒きながら、目の前で袖を広げてクルリと回る。濃い緑の生地に、赤や白、黄色の小花が散りばめられた派手な柄だが、音根の美貌はそれに負けていない。
「よ、よう似合うちょる。ま、まっこときれいじゃ。」
この場に不釣り合いな声で叫んだ自分に驚いた。音根は口を押さえて、笑いながら外に出た。
「太郎さん、どうして家に来たん。」
「おう、音根の母ちゃんが具合悪いと聞いたんで、元気つけてもらおうとイワシを持って来たじゃ。ホレ、よう肥えとるじゃろ。今朝、吾作が獲ったやつじゃ。」
手にしたイワシを差し出した。
「ありがとう、母ちゃん喜ぶわ。母ちゃん最近、咳が酷うなって寝込む日が増えたんよ。弥助さんにお薬作って貰うちょるけど。」
「そうか、大事にせにゃいけんのう。それと今日のスモモ、旨かったぞ。」
少しはにかんだ音根は、うつむいたり上を向いたりして、足許の石を何度も蹴る。
「母ちゃんが食べたいって言うで、木に登って取ったんよ。余った分を舟に置いただけじゃ。」




