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海の色は青ですか?それとも  作者: 白雨霖雨
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夏休みの出来事

あの日、あの時、あの日が昇る前に僕らは走った。何もかも置いていくように、風を切り、後先考えずただただ走った。息も絶え絶えなりながら、誰もいない真っ直ぐな道を、後ろを振り向きもしないで、全力で走った。そんな何てこと無い平凡な夏の思い出だが、僕にとってはいつまでも忘れられない特別な想い出なんだ。



真夏の厳しい日差しが窓から入り、顔に光が当たる。その光を浴びて鷺宮透(さぎみやとおる)は不機嫌そうに目を覚ました。枕に顔を埋めながら枕元にあったはずのスマートフォンを手探りで探す。しかしいくら探しても見つからず、鷺宮はめんどくさそうに体を起こした。ベッドの下を覗いてみると案の定充電器に繋がったままのスマートフォンが落ちている。鷺宮はそれに手を伸ばし持ち上げ画面をつける。するとそこには大量のメールが数件届いていた。それを見て鷺宮は小さな溜息をつく。体をベッドから起こし寝ぐせの付いた髪を乱暴に掻きながらスマートフォンを操作しメールの内容を確認していく。内容は仕事の連絡、勧告メールなど様々な内容で鷺宮は興味なさげにメール画面を閉じ、スマートフォンでニュースを見ていく。ニュースのトップページには大きな文字で「宮下俊先生の最新作は噂のアレか!?」と書かれており鷺宮は眉間に眉を寄せた。

鷺宮透はペンネーム「宮下俊(みやしたしゅん)」で世界に名が通るほどの天才作家だ。特に注目が大きいのはミステリーのジャンルで、ミステリー好きの者なら一度は読んだ事のある程に有名な作品ばかりだ。そして鷺宮の書いた小説はどのジャンルも幅広い層に人気があり、全てミリオンセラー本になるものだった。世界では「天才」、「秀才」、「文字の申し子」等と称賛され、誰しもが名前は知っている有名人だ。そんな鷺宮だが一つだけ書けないものがある。それは「恋愛小説」だ。鷺宮の小説には一冊たりとも恋愛が絡んだ小説は無いのである。なぜなのかと、そこまでニュースを読み進め鷺宮はスマートフォンをベッドへ放り投げた。

そして再び体を横にする。恋愛の二文字を見るとどうしても胸の内がもやもやするのを鷺宮は感じ頭から追い払った。鷺宮は顔に当たる日差しが顔を熱くさせていくのを感じつつ目をゆっくりと閉じた。視覚からの情報が絶たれ他の五感が冴えていく。外から蝉の声と自動車の音が五月蝿いくらい耳に届き、否応なしに意識を覚醒させる。鷺宮はそれを聞こえないように布団に被り意識を落としていく。ようやく外の音が気にならなくなり意識が落ちようとした瞬間、スマートフォンから着信音が部屋に響き渡り鷺宮の意識は覚醒してしまった。鷺宮は布団から顔を出し未だ五月蠅く鳴っているスマートフォンを手に取り、画面に映し出された人物の名前を確認した。ディスプレイに映し出されていたのは古川英二(ふるかわえいじ)という名前と番号。それを見た鷺宮はそのまま切るボタンを押し再び布団の中へ潜り込んだ。すると再びスマートフォンが五月蝿く鳴りだし鷺宮は布団に被ったまま渋々電話に出ることにした。


「……もしもし」

「おい!鷺宮!なんで最初の電話で出ないんだよ!着拒されてるのかと思ったじゃないか!」

電話越しに大きな声で話すこの古川は鷺宮の唯一といっても過言ではない、ただ一人の友人と呼べる相手だ。古川はまだ頭に怒りが溜まっているのか、なおも声を荒げて問い詰めてくる。

「俺がいけないのか!?俺なのか!?鷺宮は親友だと思っていたのは俺だけなのか!?」

「誰もそこまで言ってないだろう……。それで、何か用か?」

鷺宮がそう言うと古川はああ、そうだと電話口で何かを思い出したかのように零した。古川は単純だ。良い意味でも悪い意味でも。古川が大抵興奮した声で電話してくるとロクなことが無いことを鷺宮は経験済みだった。ある日は唐突にゲームがしたいからと家に押しかけて来たり、またある日は彼女に振られたとかなんとかで自棄酒に付き合わされたりと散々な目にあっている。鷺宮はそんなことを思い出していると、電話口の方で何やらガサガサと紙の音が聞えた。あったと電話口で聞こえ古川はこれまた大きな声で言い放った。

「旅行行こうぜ!!」

「……はぁ?」

鷺宮は頭が痛くなった。やはり嫌な予感は当たってしまったと鷺宮は頭を抱えた。鷺宮はスマートフォンを充電器から取り外しリビングへ向かう。リビングに置いてあった煙草を手に取りベランダへ出た。外は厳しい夏の日差しが容赦なく鷺宮に降り注ぐ。暑いと思いながらも煙草を吸いたい欲求には逆らえず、煙草に火をつけた。電話口では古川が意気揚々となぜ旅行へ行くことになった経緯を話してくれた。

まず古川英二は色んな所へ行き写真を撮る、所謂写真家というやつで日本、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス等世界各地を回るカメラマンだ。そんな職業に影響されてか古川はすっかりアウトドアな性格になった。バーベキューや海、川、山に至るまでありとあらゆるアウトドアというものを総なめにし、アウトドアを満喫していた。

そんな古川の下に鷺宮の担当編集から連絡があった。なんでも、最近の鷺宮には余裕が無く、行き詰っていると感じた担当は昔からの友人である古川に気分転換にどこかに連れて行ってほしいと頼んだのだ。古川は最初、休みや仕事の事を心配し断ろうと思ったが担当からは休みを調節し、大丈夫だと言われ二つ返事で受けたのだった。

「それで、俺は考えた訳よ。なにするか、それで思い至ったのが……」

「……旅行ってわけな」

「そう!だから行こうぜ!」

「嫌だと言っても連れて行くんだろう?それで、いつから行くんだ?」

鷺宮は溜め息を吐きつつ二本目の煙草に火をつける。そして古川は笑いながらこう言った。

「今日!!」

それを聞いた鷺宮が煙草を落とすのに時間はいらなかった。電話繰口の向こうから鷺宮を呼ぶ古川の声が聞こえるが鷺宮には届いていなかった。鷺宮は呆然としながらも火がついた煙草を拾い直しベランダに置いてある灰皿へ捨てた。頭を手で押さえながらふらふらとリビングへ移動しソファに寝転がる。スマートフォンから古川の大きな声が聞こえるが気にせずに切るボタンを押し、代わりに担当編集に電話を掛ける。数コール後、低い声ではいと担当の声が聞えた。恐らく仕事が終わらず徹夜したのだろう。鷺宮はそんなことを思いながらため息交じりに声を出す。

「おはようございます。何してくれてるんですか……」

「……宮下先生?ああ!宮下先生おはようございます!どうしたんですか?宮下先生からお電話とは珍しいですね!」

担当は鷺宮の声を聞くと声が一気に明るくなった。電話の向こうで宮下先生からの電話だと浮かれている担当編集に鷺宮はため息交じりに聞く。

「古川から電話がありました。何日休み取ったんですか?」

担当はその言葉を聞くとスケジュール帳を開いたのか紙の捲れる音が電話から聞える。鷺宮はリビングに飾ってあるカレンダーを見ながら二日か三日、そこらだろうと予想をたてていると担当が声高らかに言った。

「なんと一週間です!旅行楽しんで来てください!」

鷺宮は今度こそ意識が遠くなるのを感じソファに倒れこんだ。倒れた音が聞えたのか担当から心配そうな声が鷺宮の耳に届く。鷺宮は今にも途切れてしまいそうになっている意識をどうにかして繋ぎ止め、担当を問い詰める。

「なんで一週間も休みが取れているんですか!?」

「僕頑張ったんですよー。宮下先生ここの所あまり調子がよろしくないと聞いていたので、たまには大きな休みを取っていただこうかと思いまして。久々の長い休暇だと思って行ってきて下さい」

担当はそう言うと誰かに呼ばれたのか軽く挨拶してから電話が切れた。鷺宮はスマートフォンを耳から離し机に置く。それと同時に玄関のチャイムが鳴り響いた。鷺宮がインターフォンを見てみるとそこには画面いっぱいに古川の顔があった。仕方なく玄関の鍵を開けに向かう。鍵を開けた瞬間ドアが勢いよく開けられ古川に抱き着かれその反動で後ろに倒れこんでしまった。痛みに耐えつつ突然入ってきた古川に鷺宮はチョップをかました。

「いってぇ!何すんだ鷺宮!!」

「うるせぇ!こっちも痛いんだ!どけ!重い!」

鷺宮は古川を無理矢理自身の腹の上から退かすと奥へと向かっていく。それに気がついた古川も急いで靴を脱ぎ鷺宮の後を追う。先にリビングに向かった鷺宮はそのままキッチンに向かい棚からグラスを二つ取り出し、冷蔵庫から作り置きの麦茶を出した。そしてグラスの中へ氷を入れリビングへ向かう。古川はソファの上で胡坐をかき体を揺らしながら笑顔で待っていた。鷺宮は持ってきたグラスと麦茶を机に置きグラスに麦茶を注いでく。そのグラスを古川に手渡し自身もグラスを持つ。

「サンキュー」

「で、どこに行くんだよ」

鷺宮は麦茶を口に運びながら古川に疑問をぶつけた。古川は喉が渇いていたのかすでに一杯目を飲み干し二杯目を注いでいた。古川は待ってましたと言う様に目を輝かせながら鞄から一冊のパンフレットを取り出し、机の上に広げる。そのパンフレットには琉歌島(りゅうかとう)と書かれた島が乗っていた。書いてある文章をよく見てみると珊瑚礁が綺麗な海、一度訪れてはいかがだろうと言う内容が書かれていた。あまり聞かない島の名前だったので最近観光スポットとして注目され始めたのだろう。鷺宮はパンフレットから古川に視線を移すと古川は鷺宮の隣に移動し得意げな顔で話す。

「ここの写真、俺が写真撮ったんだ。それに鷺宮はあんまり人混みとか得意じゃないだろ?ここは先日できたばっかの観光地だからほとんど人はいないし、メディア嫌いのお前もここならいいかなって思ってさ」

そう言った古川は楽しそうにパンフレット見ながら微笑む。鷺宮は溜め息を吐きながら立ち上がり寝室へと向かう。寝室にある押し入れから鞄を取り出しその近くにあるタンスに手をかけると、タンスの中から服や下着を取り出し鞄の中に入れ鷺宮自身も着替えた。一週間分の衣類を詰め込むとリビングへ戻った。リビングに戻ると古川が驚いた様子で鷺宮を見やった。古川はすぐさま立ち上がり鷺宮に近づく。

「行く気になったのか!?」

「……嫌と言っても連れだすんだろう?」

「まぁな!じゃあ、さっそく行こうか!」

古川は鷺宮の手を取り物凄い速さで家を出た。鷺宮は瞬く間に古川に連れられいつの間にか港まで辿り着いていた。古川は慣れた様にボートに乗っていた男に話しかける。男も古川の姿を見るや否や快く歓迎していた。古川があの島の名前を出すと男は船に二人を促した。鷺宮は少々不安になりつつも船に乗り込み、船は少しずつ動き沖に行くにつれて徐々にスピードが増す。時々船が揺れ波飛沫が飛び、海は青く遠くの方まで続いている。鷺宮はここ暫く海など眺めていなかったと思いながらどこまでも続く海を眺めていた。鷺宮は暫く海を眺めていると古川が鷺宮の肩を叩き真っ直ぐ指を指した。そこには一つの島が見えてきた。恐らくあれが琉歌島なのだろう。近くになるにつれて鷺宮は意外と大きな島の様に思えた。船が近くの港に近づき速度が落ちていく。そして船が港に到着しわざとらしく古川が降り立ったようなポーズをとる。それを鷺宮は軽く突き飛ばしつつ船の男に礼を言う。男は笑顔で返事をした後、再び船を発進させた。それを鷺宮は見送ると辺りを見渡す。そこはよくある小さな港で少々大きい建物が一軒、そこに少し丸い猫が地面で寝転んでいる。建物をよく見てみるとそこには真新しい看板があり「ようこそ!琉歌島へ」と書かれていた。物珍しそうに鷺宮が辺りを見渡していると後ろから突然声をかけられ勢いよく振り返る。そこには杖を突きながら歩く老婆の姿があった。その老婆は鷺宮の事を見ると口に手を当て柔らかく微笑んだ。

「ふふふ……、ごめんなさいねぇ、驚かせてしまた様ねぇ」

「い、いえ、大丈夫です」

鷺宮がそう言うと老婆はじっと鷺宮を見つめた後再び笑いながら二、三度頷いた。

「自然とのんびりとした空気しかありませんが、ゆっくりしていって下さいねぇ」

老婆はそういうと軽く会釈をし再び歩き始めどこかへと行ってしまった。その姿を見送った鷺宮は古川に呼ばれているのに気がつき古川が呼ぶ方へ向かう。

古川に呼ばれ歩いて行くと古川は20台半ばだろうか、そのくらいの歳の女性と楽しそうに話しつつ鷺宮の事を紹介している。その女性は鷺宮の方を見るとニコニコと笑いながら挨拶をしてくれた。名前は天海優美(あまみゆみ)と名乗りこの島の案内役も兼ねている人だった。この島を観光地にする際古川がお世話になった人らしくとても親しそうに話していた。

「宿が決まってないみたいだから私の知り合いの所で泊まれるか聞いてみるよ」

「まじで!?サンキュー!優美さん!!」

感激しながら古川は天海に抱き着き、鷺宮は礼を言って頭を下げた。

鷺宮達は天海に案内され車に乗車し、島の外側に沿って走っていく。鷺宮は海をぼんやりと眺めているとサーフボードに乗る人物に目が行った。いや、正しくは眼が離せなくなった。その人物は大きくなった波に臆することもせず向かいタイミング良く波に乗った。上手くバランスを取りながら波に乗っている。その様子を見ていた天海が鷺宮に話しかける。

「あの子が気になるの?」

「……少々、眼に入っただけです」

鷺宮がそう言うと古川も身を乗り出し海にいる人物を見た。古川はその人物を見つけると目を輝かせながら運転している天海に話しかける。

「あの子って幸ちゃんですよね!?相変わらずサーフィン上手だなぁ」

「幸ちゃん?後古川邪魔だ。戻れ」

古川を無理矢理座っていた場所へ戻しつつ女性の方に目を向ける。女性はその視線に気が付きクスクス笑い話し出した。

サーフボードの人物は名前を海沢幸(うみさわさち)という少女らしい。この島の生まれで歳は16歳、夏はずっとサーフィンをしているとのことだった。彼女の趣味であるサーフィンは小さい頃からずっとやっているものらしく、あの浜辺で波に乗っていると天海は話してくれた。

古川は真剣に女性の話を聞いていたが鷺宮は不思議とその少女を眺めていた。

波に乗って楽しそうに乗っているあの子を見ていてなぜだが胸が苦しくなった。黒くてドロドロしたものが胸を占めて俺は眉間にしわを寄せた。その後バランスを崩し海に消えた少女を見て少しだけ笑ってしまったのは、正直大人げないと自分自身思った。次第に車からはあの少女は見えなくなったがその後も窓を眺めていた。

暫く走ると小さな町が見えてきた。古川は隣で前の方に身を乗り出しながら懐かしいと天海に話していた。その古川と天海の会話を聞きながら鷺宮は見えてくる小さな町を見つめ小さく笑みをこぼした。その小さな町は建物が数件建っており、まさに田舎の町という感じだった。車はその街に向かって走り続け次第に町の中へと入っていく。天海はある旅館の前に車を止めその旅館の中へと入っていった。その旅館の外見はどこにでもありそうな古い日本家屋の様にも見えた。

古川と鷺宮がたわいのない話しをしていると天海が車の窓を軽く叩いた。鷺宮は窓を下げその窓から女性が覗き込んでくる。

「お待たせーここの旅館に泊まれるようにしておいたから、後は古川君よろしくねー」

「了解しました!!優美さんあざっす!!ほら、鷺宮降りるぞ!!」

「わかった」

古川と鷺宮は荷物を持って車を降り、天海は二人と入れ違う様に運転席に乗った。窓を開け二人に話しかける。

「じゃあ、なんか困ったら連絡してね?まぁ、古川君がいるから大丈夫だとは思うけど」

「了解しました!!それじゃ、優美さんまた!!」

古川がそう言うと天海は手を振りながら窓を閉め、車は走って行ってしまった。それを見送ると古川と鷺宮は旅館の入口へと足を進める。自動ドアの旅館の入口を入るとそこは和という言葉じゃ足りない、風景が広がっていた。旅館の中は木ではないんじゃないかと思うくらい輝いて見えたのだ。まるで文化遺産の建物の中にでも入ってしまった様な、感覚に陥った鷺宮はその場から動けなかった。その様子を見た古川は鷺宮の肩を軽く叩き、二カッと笑った。

「ほら突っ立てるな!!行くぞ!!」

鷺宮は古川に押されながらも歩を進める。その先に着物を着た一人の女性が正座をしながら待っていた。その女性は鷺宮達が前まで来ると深々とお辞儀をした。

「お待ちしておりました。古川様、鷺宮様。お部屋へご案内させていただきます」

「よろしくです!!」

「よろしくお願いします……」

女性に案内され二階へと続く階段を上っていく。とても立派な旅館だがまだ観光地として名をお売り出し始めたばかりのせいか、他の客は見当たらなかった。階段を上がって一番近くの部屋へ通され女性は「何かございましたらお呼び下さい」と言い、下がった。古川は勢い良く部屋の奥へと小走りで進んでいく。鷺宮は部屋の隅に荷物を置くと古川の近くに行く。その窓から見えるのは白い砂浜とキラキラと光る青い海が目の前に広がっていた。その風景を古川はキラキラとした目で見た後すぐさま首に下げてあったカメラで写真を撮り始め、何枚もシャッターを切っている。古川の顔はいつの間にかいつものおちゃらけた顔では無く、一人のカメラマンの顔をしていた。鷺宮は古川の邪魔にならないように風景を少し見た後、後ろにあった座椅子に腰を下ろした。暫くして満足したのか古川はカメラから手を放し再びカメラは首にぶら下がった。古川は鷺宮に振り返ると仕事の顔ではなく、いつものおちゃらけた顔に戻り鞄の中から少し分厚いファイルを取り出した。そのファイルを持って鷺宮の反対側の座椅子に座るとおもむろに机の上にファイルを開いた。ファイルの中は何枚もの海や空、森、建物、港が写っていた。その写真に映っている風景はどれもとても綺麗に写っており、鷺宮はさすがの腕前と思いつつ何気なく一枚の写真を手に取った。何気なく取ったその写真を見た瞬間鷺宮は眼を離せなくなり、凝視してしまう。それに気が付いた古川は写真を整頓しつつ、鷺宮が見ている写真を覗き込んだ。

「鷺宮何見て……ああ、その写真か」

「……これ、どこで撮ったんだ?」

古川は腕を組み悩むしぐさをするが暫くうなっていたと思うと座椅子の背もたれ体重をかけた。今の古川を見ると頭から煙が出ていても可笑しくないだろう。

「ここはこのこの島の、どこだったかなー撮ってた時は夢中になって彷徨ってたからなー……」

「そうか……」

鷺宮は再び写真に目を落とす。その写真は海、空、森の全てが写っているそんな写真だ。その写真は別段変わった写真ではないが不思議と魅せられる風景だった。鷺宮がじっとその写真を眺め居ると古川はファイルの写真を整理し終わったのか鷺宮の持っていた写真を取り上げる。そのままその写真をファイルの中へ差し込んだ。古川はそのファイルを鞄の中へしまった。その鞄の中から小さな鞄を取り出し小さなショルダーバックを

「ほら、行くぞ!!」

「え、どこに?」

古川は得意げな顔しながらいつの間に持ったのか二つの鞄を見せびらかす。

「海に行くぞ!!」

「……は?」



鷺宮達は旅館から出て近くにある海を目指し歩き始めた。夏の厳しい日差しが鷺宮達に降り注ぎじわじわと額に汗が伝い始める。

「いつの間に俺の分の水着も用意したんだよ……」

「どうせ持ってないんだろ?俺ってばやっさしー!!」

騒がしい古川を鷺宮は横目で見つつ渡された鞄の中身を見る。その中には水着とタオル、ポカリスエットそれに上着が入っていた。水着のサイズがピッタリな辺り用意がいいとしか思えなかった。鷺宮達が歩いているとすれ違う人が古川に声をかけてくる。話の内容はまた来たのか、うちに遊びに来いよ等とても仲が良さそうにしゃべっていた。そんな事をしながら歩いていると目の前から三人の女子学生が前から歩いて来ていた。二人の学生が古川を見た瞬間手を振りながら近づいてくる。近付いてくる二人の女子学生は夏に栄えるセーラー服を着ていた。一人は白い肌に金髪、髪はセミロングの少女ともう一人は黒髪をポニーテールにしたいかにもスポーツ少女というとても活発そうな女子学生二人だった。持ち物はおそろいのキーホルダーだろうか、そのキーホルダーが付いたスクール鞄とビニールの鞄を持ち凄い勢いで走ってくる。二人の女子学生は古川の前まで来ると黄色い歓声を上げる。

「古川さん来てたんですか!?」

「また写真撮って下さいよー!!」

その女子達は鷺宮を突き飛ばすような形で古川に詰め寄る。その反動で鷺宮は躓く様に前へ出た。こけたりはしていないが、恐らく古川があの女子達から逃げるのは困難だろうと鷺宮は思っているともう一人の女子学生が鷺宮に近づいて来た。その女子学生は他の二人と同じ服装、鞄で違う所と言えば、大人しい雰囲気とその雰囲気にはあまり似合わない色が抜けたボブヘアーの茶髪の髪、そして吸い込まれてしまいそうな綺麗なエメラルドグリーンの瞳だ。その少女は鷺宮の視線に気が付くとじっと鷺宮を見返す。まさか見返されるとは思っていなかった鷺宮は戸惑いを隠せなかった。その行動を見ていた古川は二人の女子から抜け出し戸惑いを隠しきれていない鷺宮の肩を叩く。ハッと鷺宮が驚きの顔を古川に向けると頭を軽く叩かれる。

「おいおい鷺宮、幸ちゃんをそんな顔で見ないの!!幸ちゃんが怖がるだろ?」

「ああ……すまん、驚かせたか?」

鷺宮は申し訳なさそうにその少女を見る。その少女はなおも鷺宮から視線を離さず怖いとは違う、驚きと興味の視線だった。その視線は鷺宮にあることを思い出させ、額に冷や汗が伝っていく。そのさまを見た古川は鷺宮を後ろに隠し目の前の幸に声をかける。

「こんにちは、幸ちゃん。今日も海に行ってたの?」

「……うん。サーフィンしてた」

そう淡白に答える幸は後ろに隠された鷺宮に興味があるらしく、未だに後ろの鷺宮を見ようと体を横に振ったりしていた。そこに先程古川に詰め寄っていた女子学生が幸の脇から手を突っ込み後ろへ引きはがした。

「古川さんとえっと、後ろの人?ごめんなさい。この子興味持つと周りが見えなくて」

「ほら幸!!落ち着きなよ!!」

友達にそう言われ幸は我に返った様に大人しくなる。それを見た友人は脇から腕を抜き、古川に向き直る。

「古川さん、改めてこんにちは!!いつこっちに来たんですかー?」

「今日来たんだよ。今回は旅行で来たから皆と遊ぼうな!」

「そうなんですか。……えっと、後ろの方は?」

黒髪の少女が鷺宮を見て疑問も問いかける。鷺宮は自身を落ち着かせてから古川の後ろから出た。やはり古川のどういう関係なのかどういう仕事をしているのか、そんな目で女子学生達は興味津々の目で鷺宮を見つめる。鷺宮はその目に耐えつつも女子学生達に簡単な挨拶をした。

「あーえっと、鷺宮透です。古川とは高校からの友人で今は、しがないサラリーマンやってます。よろしく……」

その鷺宮の紹介を聞き、金髪の少女が元気よく手を挙げて挨拶をする。

「はいはーい!!初めましてー!!私、清海琳(せいかいりん)って言います!!清らかな海、光り輝く美しい玉という意味がある琳で清海琳!!よろしくね!!おにーさんっ!!」

琳は鷺宮に近寄り腕に絡みつく。その仕草はまるで恋人の様に甘える様な仕草で鷺宮は思わず後ずさってしまう。その様子を見た琳は面白いおもちゃを見つけた様にわざとらしく唇を舐め、腕に力を入れた。鷺宮は戸惑いつつも顔には出ないように気を付けるしかなかった。

「いい加減にしなさい!!琳!!」

黒髪の少女が助け舟を出してくれたようで琳を鷺宮の腕から引き剝がす。琳は名残惜しそうに指を口に持っていきながら鷺宮の腕を見つめる。それを見た黒髪の少女は少し溜め息を付きつつ鷺宮に向き直り礼儀正しく挨拶をしてくれる。

「初めまして。私、雨野鈴(あまのすず)って言います。琳の自己紹介を真似すると、雨の野原、風鈴の鈴で雨野鈴です。よろしくお願いします、鷺宮さん」

お辞儀をしながら笑顔を見せる。鷺宮も鈴によろしくと笑顔で会釈しながら話していく。鷺宮はふと何か突き刺さる様な視線を感じ、その方向を見てみるとそこには先程興味の眼でずっと鷺宮を見ていた海沢幸がいた。その顔は少し頬を膨らまし睨みつける様に鷺宮を凝視していた。鷺宮はそれにビク付きながらも笑顔で話しかける。

「えっと、名前、聞いてもいいかな?」

ぎこちない笑顔になってしまったが幸はそれでも満足したのか顔を綻ばせ自身を紹介し始めた。

「私、海沢幸。海の沢、幸せと書いて海沢幸。趣味はサーフィン。よろしくお願いします、鷺宮さん」

挨拶と同時に手を握られ鷺宮は少し驚きつつもその握られた手を握り返す。よろしくと一言言うと幸は再び顔を綻ばせた。幸の様子を見ていた琳と鈴は驚きながら古川に耳打ちをしていた。その話し声は鷺宮と幸には聞こえず、話しをしていた三人は面白い悪戯を思いついた様にお互いを見合っていた。

ふと琳が何かを思い出したかのよう古川に尋ねた。

「ところで古川さん達はどこにいくの?」

「あ!!忘れてた!!俺ら海行こうとしてたんだ!!」

「ですが、今日は海へは入らない方がいいですよ?」

鈴のその言葉に鷺宮と古川は何故と思い三人を見やった。三人がいうには今日の海は静か過ぎこんな日の海に行くのは危ないとのことだった。漁師や地元の人間は静か過ぎる海の日は船は出さず、海には入らないらしい。鷺宮があんなに綺麗な海なのにと一言呟くと鷺宮の近くにいた幸が俯き始め、明らかに暗い顔をしているのがわかった。鷺宮がそれに気が付くと大丈夫かと声をかけるがその言葉は幸には届いておらず、幸の顔はますます暗い顔になっていく。その様子を見た琳が幸の隣まで来ると幸の肩を手で添えつつ近くある木の影に幸を入れた。そのまま幸は木に寄りかかりつつズルズルと地面へ腰を落とした。幸は少し休めば大丈夫と言いその場に蹲ってしまった。鷺宮は鞄の中に入っているタオルとポカリスエットを琳に渡し、海沢さんを頼むと言うと自身は古川と鈴の下へ向かう。古川は心配そうな顔を鷺宮に見せながらチラッと幸の方を見る。

「幸ちゃん大丈夫か……?」

「幸のあの状態は少し休めば大丈夫ですよ、私も何度か見てますが少し休めば楽になるみたいなので……」

「……海沢さん、何かご病気なんですか……?」

鷺宮がやや複雑そうな顔をしながら鈴に話しかける。しかし鈴はその言葉を横に振り否定した。鈴の顔は難しい顔をしていたが鷺宮と古川の顔を見つめ話し出す。

「お二人はこの島の言い伝えをご存知ですか?」

「言い伝え、ですか……?」

「はい」


昔、この島は自然豊かな島でそこに暮らす人々は幸せに暮らしていた。しかしそんな島に沢山の嵐が襲った。その嵐は島に居続け島を荒らしていった。作物は育たず、海は荒れ果て漁にも出られず次第に人々は飢えを感じ始めた。ある日島の海辺に小さな子供が倒れているのを見つける。その子供は衰弱しておりすぐさま村へ連れ帰った。そして村にある食料を分け与え子供を介抱した。暫くすると子供は介抱の甲斐あってか、子供は元気になった。しかしこの嵐のせいで村の食料は底をついてしまった。それを見た子供は村の人々に尋ねる、私が皆を苦しませているのかと。その問いに村の人々は首を横に振る。子供はさらに尋ねる、このままだと皆死んでしまうのかと。村の人々は静かに頷いた。それを見た子供は海へと向かう。それを止めようと村の人々は子供を追うが追いつけなかった。村人が海まで来るとそこには海の上に立つ子供の姿があった。その姿はまるで海の申し子のように体が淡く白く光り輝き、その瞳はエメラルドグリーンの瞳が輝いていた。子供は不思議な歌を歌い始めると次第に嵐が止み海には様々な魚が海を飛び跳ねていた。それを見た村の人々は大いに喜び子供を崇めた。


「その後島に生まれる子供でエメラルドグリーンの瞳を持つ者は海に愛され、島に近づく嵐がわかると言われています」

「じゃあ、幸ちゃんは……」

「はい、言い伝え通りなら幸はその子孫なんです。今はそんな崇める風習など無いので、この島の巫女の役割を持っているんです」

そう話してくれた鈴は少し悲しそうな顔をした。鷺宮はその顔を見ていたが何故悲しいのかわからなかった。すると木の影で休んでいた幸がタオルを頭に被り鷺宮の下まで来るとポカリスエットを差し出してくる。それを受け取る時幸の顔は先程よりいい顔をしていた。受け取ったポカリスエットの中身は半分ほど減っていた。なぜ飲みかけをと鷺宮が疑問に思っていると幸のエメラルドグリーンの瞳が鷺宮の顔を覗き込んでくる。じっと見つめられていると幸は顔を綻ばせながら両手でタオルを掴みながらずいっと顔を近づけた。

「今なら貰い時。お買い得。いる?」

「……海沢さんまだ気分が優れないのかな?一緒に町の方へ帰ろうか」

「……うん」

鷺宮はとぼけた様に幸の言葉をかわし、一人町の方へ歩き出す。幸は少々むくれたが素直に鷺宮の後を追った。鷺宮達が町へと向かっていく中後ろで見ていた残りの三人はやはり顔を見合わせニヤつくのだった。

五人が来た道を歩いていく。前には先に歩き出した鷺宮と幸が、後ろには古川を真ん中に鈴と琳が楽しそうに話しながら歩いていた。帰り道、楽しそうに話している三人は前にいる二人を見ながらひそひそと二人に聞こえない声で話す。

「明らかに幸ちゃん鷺宮の事……」

「はい、恐らく……」

「あんなに人見知りの幸がねー……!!」

古川を間に二人はなおも話を続ける。その二人に相槌を打ちながら鷺宮の背中を見た。鷺宮と幸はただ静かにゆっくりと歩いていた。幸はちらちらと鷺宮の方を見ているが鷺宮はただ真っ直ぐ前しか見ていないように見えた。その様子を見ていた古川は少しだけ苦笑いをした。ただその胸の内は複雑に混ざりあってあまりいい気持ちでは無かった。

そんな空気に包まれながら五人は町へと戻った。琳と鈴は古川とまだ話し足りないようで、町の一角にあるカフェへ古川を引き連れて入っていってしまった。それを引き留める暇もなく古川を連れていかれた鷺宮が呆然としていると幸が鷺宮の腕を掴みカフェへと引っ張る。その力は弱弱しく瞳は子犬の様な瞳で見つめられ鷺宮は断ることができず引きずられる様にカフェへ入った。中へ入るとウェイトレスがいらっしゃいませと声を掛けてくる。鷺宮が言葉に迷っていると奥の方で手を振り琳が鷺宮達を呼んでいるのが見えた。ウェイトレスがそれに気が付くと二人を奥にいる三人の下へ案内し、お決まりになりましたらお声かけ下さいと言いその場から去った。鷺宮と幸は三人がいる席へと座り、二人はメニューを受け取る。鷺宮と幸は相変わらず鷺宮から離れようとせず興味の眼を向けていた。その視線に耐えられずメニューに視線を落としつつ五人はそれぞれ好みの物をウェイトレスに頼んだ。頼んだ物が届く頃には鷺宮も慣れた様に五人で話をしていた。話の内容はやはり古川の話が多く三人とも興味津々で聞いていた。

古川の話はどれもこれも面白い話で、時折写真を見せながらその土地の話や出会った人の話、そこで体験したことを古川は楽しそうに話していた。それを鷺宮も楽しそうに聞きながら頬杖していると琳が悪戯な笑みを浮かべつつ鷺宮に質問をしてきた。

「鷺宮さんは面白い話は無いんですかー?例えば……好きな女の子のタイプとか!!」

突然の質問に鷺宮は飲んでいたアイスコーヒーを吹き出しそうになった。なんとか口から出さずに済んだが頭の中で質問がぐるぐると回っていた。質問を頭の中でぐるぐると回していると琳が急かし始め、なぜか言わなければいけない雰囲気になってしまった。鷺宮は少し悩んだ後、困った顔をしながら話した。

「うーん、嘘を言わない人がいいかな?……平凡だろ?」

鷺宮は困った様に笑いつつ再びアイスコーヒーに口をつけた。質問した琳は案の定あまり興味がなさそうに曖昧な相槌を打ち、鈴も古川を何か納得したような顔で話を聞いていた。ふと鷺宮が幸の反応を見てみるとなぜか少しショックを受けている様に見えた。鷺宮はなんとなく幸が悲しい顔をしていると直感で思ったのだ。幸に向けて鷺宮が話しかけようとした瞬間、鈴が時計を見て焦ったように立ち上がった。時刻を見てみると17時前を指しておりそそくさと荷物を持った。

「ごめんなさい!!今日家でご飯作らなきゃ行けないんです!!お先に失礼しますね!!」

そう言うと鈴は飲み物代を置き店を出ていってしまった。その後、鈴が抜け丁度いい時間になったので解散という形で幸と琳は家に帰っていった。2人を見送った鷺宮と古川は自分達も泊まっている旅館へと足を運んだ。帰り道は古川と二人で歩いているのに一人で暗い道を歩いている感覚だった。夏の生ぬるい風が鷺宮にあたる。その風は海の匂いも乗せて夜道を吹き抜けていく。

「やっぱり暑ぃな、なぁ鷺宮?」

ふと古川が鷺宮に話しかけてくる。それに対して鷺宮は軽く相槌を打ちをすると古川がふいに立ち止まり夜空を眺め始めた。鷺宮も古川のその姿を見て空を眺める。夜空には無数の星が輝き思わず眺め続けた。鷺宮はその夜空を眺めても何も思わなくなっている自分に呆れた。そして鷺宮は自身の作品である小説の事をふと思い出した。その夜空は自身の最初の小説で出てくるワンシーンに似ていることを思い出す。最初の小説はファンタジー風の小説である少年と一人のエルフの少女が一緒に冒険をしていく話だ。その小説でエルフの少女が少年に一緒に旅立つことを話す時の夜空は、きっとこれよりももっと綺麗な夜空なのだろうと鷺宮は少しだけ悲しい気持ちになった。その小説のラストを思いだしてしまったのだ。

「おーい!鷺宮!何やってるんだよー!置いていくぞー!」

大きな声で呼ばれたと思ったら先程までほんの少し前にいた古川は少し遠い所にいて、手を振りながら鷺宮を呼んでいた。鷺宮はそれに気が付くと小走りで古川の元へとかけて行った。

旅館へ戻った2人は今日あった事を話しながら風呂に入りゆっくりとしていた。寝る前に鷺宮は小説のネタになりそうな事柄をスマートフォンのメモ欄に入力していく。古川はと言うとこちらも今日撮った写真を見ながら気に入った写真を保存している所だった。そろそろ夜も更け始めお互いに欠伸が出始める頃になると、古川は流石に睡魔の方が強いらしく布団にもそもそと入っていく。

「……鷺宮ー、俺先に寝るわー……おやすみー……」

「ああ、おやすみ」

鷺宮がそう言い終わる前に古川からは規則正しい息使いが聞こえていた。古川も疲れていたのだろう、と鷺宮は思いつつ手元にあるスマートフォンに再び目を落とした。鷺宮は器用にメモ欄に文字を打ち込んでいく。ひとしきり書き終わり鷺宮が一息付くと急に睡魔に襲われた。鷺宮はそれに抗うことが出来ずそのまま意識を手放した。



「おーい、鷺宮ー起きろー」

体が揺さぶられる感覚を覚え鷺宮は勢い良く顔を上げた。その勢いで古川の顔面に頭が当たりお互いに痛い所を抑える。気が付くと時刻は朝の7時頃を指していた。いつの間にか眠ってしまっていたらしくスマートフォンの画面がメモ欄を映し出したままだった。鷺宮はまだ寝ている頭をなんとか働かせながらメモ欄を保存しつつ、充電器に差し込んだ。まだ意識が覚醒していないのが分かったのか古川が冷たい水を渡してくる。その水を鷺宮はゆっくりと飲み干した。喉を通る冷たい水が胃の中へ入ってくるのを感じる。ようやく頭が覚醒し始めるとのそのそと鞄から着替えを取り出す。着替え終わると古川が鷺宮を呼ぶ声が聞えた。声がする方を覗いてみると古川が入口立ちすでに出かける準備が整っており早く行こうと言っているようだった。鷺宮は急いで出かける様の肩掛け鞄を持ち入口へ向かった。

鷺宮と古川は部屋を出て旅館の一階へ行くと旅館のスタッフがいってらっしゃいませとお辞儀をして送ってくれた。そのまま二人は旅館を後にし昨日とは逆の方向へ向かっていく。古川が先導し歩いて行くと一つのお店に着いた。古川はそのままその店の中へと入ろうとしていた。鷺宮が看板をよく見てみるとそこには「海鮮一番!新鮮!美味いの一言!海丸!」と書かれた縦看板が出ていた。古川と鷺宮が中へ入ると中は朝が早いというのに客が多くいた。店の店員が二人を席へと案内しメニューを置いて行った。古川がさっそくメニューを捲り楽しそうに見ている。鷺宮が何がいいのか悩んでいると古川が声を掛けてきた。

「ここのおすすめは日替わり丼だぞ!これが美味いんだよなぁ~」

そう言った古川は顔をうっとりしながら話してくれた。よほど美味しかったのだろうか今回もそれを頼むらしい。そこまで言うのならと鷺宮もそれを頼むことにした。店員に注文し暫くすると料理が運ばれてきた。

「本日の日替わり丼、サーモンといくらの親子丼でございます」

そう言い古川と鷺宮の前に一つずつ美味しそうな丼が置かれた。二人はいただきますと礼儀正しく言いその丼を食べ始めた。新鮮を売りにしているのが素人でもわかる美味しさだった。口の中でうま味が古川路鷺宮の口の中で広がる。古川が言う通りとても美味しいと鷺宮も満足していた。二人は食べ終わると会計を済まし、外へと出る。

「あー美味かった!!ここの海鮮丼はやっぱり美味いな!!」

一人で納得している古川に鷺宮も心の中で納得した。二人が余韻に浸っていると反対車線を歩いている昨日一緒にいたあの三人がいた。三人も楽しそうに話しながら歩いて行く。鷺宮の視線を感じたのか幸が鷺宮達に気が付いた。幸が軽く一礼し微笑んだ。それを見た鷺宮は思わず胸が飛び跳ねるのを感じた。そのまま幸は何事も無かったかのように二人と話しつつ歩いて行ってしまう。古川は不思議そうに鷺宮を見やった。

「おい、鷺宮。なんか面白い顔してるぞ」

そう言われて鷺宮は自身の顔を不思議そうに触ってみるが、そんなに不思議だったかと思うだけだった。その横で古川がスマートフォンを見て顔が青くなっているのが見えた。鷺宮もなんとなくスマートフォンを見てみるとSNSからの通知が数件溜まっていた。それを確認していくとファンレターの様な通知やあなたをフォローしました、等の事が書かれていた。鷺宮はレターの方をSNS上で保存しつつ、さっと今日のニュースを見ていく。今日も熱中症に注意などなんてことない事ばかりだった。スマートフォンを見ていると古川が肩を軽く叩く。鷺宮が振り向くとそこには古川がおり、青い顔しながら笑顔でこう告げる。

「鷺宮、ちょっと、手伝ってくれ……!!」

鷺宮は嫌な予感しかしなかったが古川からがっしりと両肩を掴まれ逃げ道が無かった。諦めて話を聞くことになった鷺宮は昨日行ったカフェに古川と入る。少し沈んだ古川が話し始める。結論から言うと仕事が残っていたらしい。先程スマートフォンに連絡がきたらしく何やら旅行雑誌の写真が一枚足りず至急一枚撮って欲しいとのことだった。

「それで、一枚鷺宮で撮らせてもらえないかなーって……」

「断る」

「そこをなんとかっ!!頼む!!」

古川は机に頭をぶつけ土下座の様な形を取った。しかし鷺宮の顔はその姿を見ても一切変わらず、なおも厳しい表情を浮かべていた。

「鷺宮がそういうの嫌いなのは知ってる……。でも、頼めるのはお前しかいないんだ……!!お願いだぁ!!」

古川の切羽詰まった声を聞き、鷺宮の良心が痛み始める。だが鷺宮の中の二人が講義を始めた。一人は撮られてもいいんじゃないかというものと、撮られたくはないという一人だ。鷺宮は腕を組み十分ほど悩んだ末に鷺宮が折れた。

「……今回の旅行はお前が誘ってくれたのもあるしな……。あまり気は進まないが、一枚だけならいい、ぞ……」

最後まで渋い顔をしながらの了承だったが、その言葉で古川の顔が一気に明るくなった。古川は鷺宮の手を握りそのまま手を上下に振り回した。

「サンキューな!!鷺宮!!」

「うるえぇ!!後一枚だけだからな!!」

念を押すようにもう一度いうが古川には届いていないように見えた。鷺宮は半ば諦めた様にそのまま手を振られ続けた。

さっそく写真を撮りに出かける。今回のテーマは旅行雑誌ともあって海や木が写っているものがいいらしい。その中に一人、人物が写っているものという細かな指示があったらしい。古川はそう鷺宮に説明しつつ急ぎ足で海へと向かう。その後を鷺宮が追いかけていた。暫く歩いて行くと砂浜と木と海、全てが見える場所へと辿り着く。その場所を見ると古川はすぐさまカメラを構え、パシャパシャと写真を撮っていく。納得のする場所が決まったのか鷺宮を木の木陰に誘導した。

「わかっていると思うが、顔は移すなよ?」

「わかってるって!!じゃああっち向いてくれ」

「わかった」

鷺宮は古川に言われるがままその指示に従い海の方を眺めた。後ろの方から古川の唸る声が聞こえてくる。恐らく一回しかないシャッターチャンスを狙っているのだろうと鷺宮は思った。ふと鷺宮は海を眺め始めると昨日の言い伝えを思い出した。昨日の話を聞いていると無性に小説が書きたくなる。鷺宮が木に手を付いた瞬間、後ろからパシャっとカメラのシャッター音が聞えた。写真を撮っていたことを一瞬忘れてしまっていた為、鷺宮は驚き後ろを振り返った。古川は満足そうに今しがた撮った写真を満足そうに眺めている

鷺宮は古川に近付きその写真を見せてもらった。そこには海を眺めながら思いにふける自分が写っていた。

「……少し恥ずかしいな」

「上手く撮れたぜ!!これをさっそく送るぜ!!」

古川は速足でそのまま鷺宮を置いて行ってしまった。その場に残された鷺宮は仕方なくその場を後にした。行きは急ぎ足だったため周りをあまりいていなかったことを思い出す。鷺宮は改めて辺りを見てみることにした。行きにも通った林の中をゆっくりと歩いて行く。林の中はマイナスイオンと言う言葉が似合う空気が流れていた。木漏れ日がちらちらと鷺宮の頭を照らしている。ゆっくりとその空気を吸いながら歩いて行くと林を抜けた。抜けた先は畑が広がっていた。トマトやブロッコリー、大根、ホウレンソウ、キャベツの畑が町に向かう方に広がっていた。どれもとても大きく育ち瑞々しく美味しそうだった。その光景を見ていると前の方から一人の人物が走ってくる。その人物は幸だった。いつものセーラー服姿だったが先程とは違い大きな鞄を掛けていた。幸は鷺宮に気が付くとそのままの勢いで近づいて来た。幸は微笑みながら鷺宮の隣まで来ると鷺宮の袖を掴み、鷺宮が歩いて来た道に引っ張っていく。

「あのー……海沢さん?」

「……幸」

「え?」

「幸で、いい」

そう言う幸の耳は少し赤らんでいるように見えた。鷺宮は本人からそう呼べと言われてしまった為、少し照れくさそうに幸の名前を呼んだ。

「えっと、幸、ちゃん?なんで海に?」

そういう間にも林を通り抜け先程の海にまで戻ってきてしまった。幸は鷺宮の袖から手を放すと少し寂しそうな顔で鷺宮を見た。鷺宮はその顔を見ると不思議と懐かしさと少し悲しい気持ちになった。その様子を見た幸は少し残念そうな顔をした後、話してくれた。

「鷺宮さん、海は、好き?」

そう問うた幸は近くの木に自身の鞄を置き、少し歩いた所の砂浜に腰を下ろし懐かしむように海を眺めていた。海はいつも通りに波が引いたり来たりし、生ぬるい風が吹き付ける。潮の独特な匂いが風に乗ってやってくる。鷺宮は幸の隣に座りその問いの答えを探していた。鷺宮は海を見ていると島に来た時と同じことを思っただけだった。

「海は、嫌いじゃない。久しぶりにこんなに長く海を眺めているよ」

「……そっか」

ただ一言そう言った幸は立ち上がり海に向かっていく。歩いて行く途中に靴や靴下を脱ぎ棄て海に入っていった。幸は水で遊ぶように足で水を蹴ったりしている。鷺宮は幸を見ながら再び小説を書きたくなり、スマートフォンを取り出した。そのままメモ欄を起動させるが、そこに何を書くか悩んでしまう。メモ欄に「少女」や「海」、など単語を打ち込んでみるが納得のいく言葉が見つからず、諦めてメモ欄を閉じた。そんなことをしていると古川から電話がかかってきた。その電話に鷺宮が出ると鼓膜が破れてしまうんではないかと思うくらいの大きな古川の声が鷺宮の耳に響いた。

「鷺宮!?お前どこにいるんだよ!!心配しただろ!!」

「お前が置いて行ったんだろ……。今……幸ちゃん、とさっきの砂浜にいるぞ」

「え?幸ちゃん?幸ちゃんもいるのか?」

「ん?ああ、いるよ」

「あ、じゃあ、幸ちゃんと一緒に昨日行った喫茶店に来てくれよ。琳ちゃんと鈴ちゃんが幸ちゃんを探してて今一緒にいるからさ」

「ああ、わかった。一緒に向かうよ」

そう言って電話切ると未だに海で遊んでいる幸を呼びに立ち上がった。砂浜を歩く音がザクザクと響く。その音に気が付いた幸は小走りで鷺宮に近づいて行った。鷺宮は幸が脱ぎ捨てた靴下と靴を拾い上げながら近付いてきた幸に渡してやる。それを受け取った幸は木の下に置いてあった鞄の中からタオルを取り出し、足の裏に付いた砂をはらった。木に体重をかけ靴下を履き、靴を履くと行く準備が整ったのだろう、鷺宮の下へと駆け寄った。幸が靴下や靴を履いている間に鷺宮も尻についた砂をはらい落とし、幸の鞄がある木の下までいった。二人が準備をし終わると林の道を抜け畑を抜けて行く。その間の二人には会話は無く、ただ静かに暑い夏の道を歩いて行った。暑い中歩いて行き、昨日入ったカフェへ入ると昨日と同じ席に座っている三人を見つけた。二人はそのまま奥の席へ行き座る。三人はすでに飲み物を頼んでいるらしく古川はアイスコーヒーを飲みながら遅かったなと話しかけてくる。鷺宮は呆れつつも隣に座った。幸も反対側へ座る。近くにいたウェイトレスにアイスコーヒーと頼むと幸は何やら悩んでいるように見えた。その様子に気が付いた琳と鈴は何に悩んでいるのかメニューを覗いてみると二人は納得した様に顔を上げた。

「これが飲みたいの?いいんじゃない?だって古川さんのおごりだし!!」

「今日はこれが目的で来たんですし」

そう言い笑う琳と鈴を鷺宮が見ていると明らかに隣から明るいオーラが見えた気がする。恐る恐る見てみるとにこやかに笑う古川の姿があった。小言で鷺宮が古川に話しかける。

「……おい、明らかに気持ち悪い顔してるぞ」

「いや~女子高校生に囲まれてるとなんだかね~嬉しいよな!!」

笑顔で親指を立てる古川に鷺宮は溜め息が出た。そんなことをしているとメニューと睨めっこをしていた幸が意を決したような顔でウェイトレスにメニューを見せ何かを頼んでいた。ウェイトレスはかしこまりましたと一言いい奥に入っていく。暫くするとアイスコーヒーと何やらパフェらしきものを持ってウェイトレスがやってくる。

「お待たせいたしました!アイスコーヒーと新作のビックチョコパフェです!」

幸の前に結構大き目なパフェが置かれた。それを見ると幸はいつもの無表情な顔では無く目は輝かせ笑顔でパフェを眺めている。ちらちらと古川の方を見ると古川がどうぞと手を出した。それを合図に幸はいただきますと手を合わせ食べ始める。生クリームをスプーン一杯にすくい、そのまま口の中へ入れる。その瞬間、幸は眼を見開きその後頬に手を当て幸せそうな顔をした。その光景を微笑みながら鷺宮が眺めていると隣の古川がにやにやしながら鷺宮を見ていた。

「……なんだよ」

「いやー?人見知りのお前が笑顔で女の子見てるなーって……」

「……その言葉は語弊があるから言うな」

少しイラついた態度を取っている鷺宮の前に生クリームが乗ったスプーンが差し出された。幸が食べていたパフェを差し出している。鷺宮はじっと幸を見ると首を傾げ、ずいっと再びスプーンを前に突き出してくる。

「イライラしてる時は、甘いもの」

そう言うと油断していた鷺宮の口の中にスプーンを突っ込んだ。突然の事で鷺宮はびっくりはしたが大人しく甘い生クリームを食べた。鷺宮の口の中に甘ったるい生クリームの味が広がる。久々に生クリームを食べたからかとても甘く感じた。

「……甘いね」

「うん、甘くて美味しい」

二人がそう言うとそのまま沈黙が訪れる。その二人の空気に他の三人はなんだか気まずい雰囲気になってしまった。その空気を壊すようにウェイトレスが何かを持ってきた。

「お待たせいたしました!マスターの気まぐれスイーツ盛り合わせです!」

それを聞いた琳がぱぁっと顔を明るくさせた。運ばれてきたスイーツを自分の前まで持ってくると勢いよく食べ始めた。琳の顔は先程の幸と同じような顔をしながらスイーツを頬張っていく。その姿を見た四人は今ままでの空気が嘘の様に話し始める。鷺宮はそういえばと思い出したかのように幸に話しかけた。

「そういえば、なんで今日、海に来たの?」

「あ、それ聞いちゃいます?」

答えたのは幸ではなく琳だった。琳は自慢げに話を始める。今日は三人が通う学校は午前受業だったらしく、学校が終わったらここの新作パフェを食べにくる約束をしていたのだという。しかし途中で幸がふらっとどこかに行ってしまったらしく、二人で幸を探していた時、古川と会ったそうだ。古川も鷺宮を探し始めようとしていたところで、一緒になって幸と鷺宮を探したが結局見つからず、最終的に電話をかけて場所が分かったのだと丁寧に話してくれた。

「最初は焦ったんだから!!いきなり幸は居なくなるし……このぉ!心配したんだぞ!!」

「……琳、痛い」

琳は幸のほっぺたを引っ張り起こっているように見せかける。しかし幸はそんなことをされてもパフェを食べる手は止めなかった。その様子を見ていると恐らく電話だろうか、スマートフォンの着信音が聞こえてくる。皆が一斉に自身のスマートフォンを調べていくと古川のスマートフォンが鳴っていた。古川は画面に映し出されている相手を見ると、少し席を外し外へと出た。四人が気になって入口を見ていると、古川はご機嫌そうな顔で戻ってきた。そのまま席へと戻る。

「ふふーん!!俺ってばやっぱり天才だわ!!」

「その様子だと仕事の方は上手く行ったみたいだな」

「仕事って、何かあったんですか?」

そう質問してくる鈴に古川は軽くさっきの事を話した。話し終わると突然琳と鈴が鷺宮の事を凝視し始める。上から下までじっくり見終わると二人は腕を組み納得したように頷いた。

「鷺宮さん、意外とかっこいいですもんね……」

「こう、優男みたいな雰囲気出してるしね……」

そう二人に言われ鷺宮は照れくさそうに笑った。しかしそれをよく思わなかった幸が先程とは違うむくれた顔で鷺宮を見ていた。その顔を見た鷺宮はどうすればいいのかと固まってしまう。

「こーら、幸!!そんな顔しないの!!」

琳は幸の顔を再び抓った。少し痛かったらしく涙目になっている。鷺宮も困った様に笑っていると古川がカメラを操作して先程撮った写真を三人に見せていた。その写真を見た三人はその写真から目を離せなくなった。見惚れたと言っても過言ではないだろう。

「これ、好き」

「素敵だね……」

「私もこんな写真撮れるようになりたいです……」

三人がそれぞれ思った事を思い思い呟く。その中でも鈴が少し興奮気味に乗り出した。その先には古川がいる。古川も驚いた様に呆然としている。

「あ、あの古川さん!!写真の撮り方を教えてもらえませんか!?」

鈴にしては珍しく声を大きくして言ったなと琳や幸が思っていると古川がわざとらしく咳払いをした。その咳に注目すると古川が満面の笑みで古川も立ち上がる。

「写真に目覚めてくれたのか!!俺で教えられることがあるなら何でも教えるぞ!!さ!!今すぐ行こうさぁ行こう!!」

まるで子供の様にキラキラと目を輝かせながら鈴の手を取ると店を勢いよく出て行ってしまった。鷺宮は古川がああなると止まらないことを知っているため、溜め息を付き頭を抱えた。あれは数時間は離してはくれないだろうと頭の隅で思いながら鈴に同情した。鈴を連れていかれたことにより琳は唖然としていたがすぐに慣れたらしく笑い始めた。幸は相変わらずそのままパフェを食べ続けている。鷺宮はズボンのポケットからスマートフォンを取り出しメールBoxを開いた。メールアドレスの中にある古川のアドレスを見つけだし、保険として古川に暗くなる前に帰してやれよ、とメールで送る。それを送った後、鷺宮はアイスコーヒーを口に入れた。暫くして幸のパフェも琳のスイーツも食べ終わりそこの料金は鷺宮が払った。意外と高かった料金に少しだけ財布がすっきりした所で店を出た。

「それでは鷺宮さん。幸ちゃんをよろしくお願いしますね!!」

琳はそれだけ言うと鷺宮にウィンクをすると一人走って行ってしまった。残された二人はお互いに顔を見合わせくすりと笑い合った。幸は鷺宮の前まで来ると海に行く時の様に再び袖を引っ張った。

「……海、行きたい」

そう言った幸に鷺宮は素直に従うことにした。先程の道を歩いて行く。ただ、静かに夜に傾く道を歩いた。

「なんで、また海?」

「……見に、行きたくなった」

「そうかい」

鷺宮と幸は再びあの林を抜けていく。鈴虫だろうか、明るいうちには聞こえなかった夜になる頃に聞こえてくる虫の鳴き声が林の中で響き渡る。それは心地のいい音が耳に入ってくる。その音を聞きながらいつの間にか砂浜まで来ていた。幸は再び靴下と靴を脱ぎ捨て海に入る。なぜだか幸は海に入っているのがとても似合うと思った。そして消えてしまいそうな、そんな印象を鷺宮は受けた。

「幸ちゃんはいつも海に入っているね」

「幸、でいい。ちゃんは、いらないよ」

幸はそう笑った。儚くも美しいと思ってしまった。鷺宮はそう思ってしまったのだ。月が幸を照らしていく。とても幻想的に見えた。

「私、鷺宮さんに会ったことが、ある」

その言葉に鷺宮は胸の奥が苦しくなる。その後の言葉は聞きたくなかった。鷺宮はどうしても耳を塞ぎたくなる。

「貴方は、宮下俊、先生だよね?」

鷺宮はやはり聞きたくなかった言葉だった。

お読みいただきありがとうございました。

続き物ですのでよろしければ次もよろしくお願いします。

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