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万里江の仇討ち

作者: tetsuzo

相模国大山阿夫(あふ)()神社への参拝客のため開かれたという大山道(おおやまみち)の始まる赤坂御門に近い、青山百人町の道具屋主人原口屋徹五郎(はらぐちやてつごろう)は売り物の道具をしかめ面で磨いていた。原口屋は江戸指物を中心に、京指物などの道具を扱う(みせ)である。近年では阿蘭陀渡りの南蛮の洋灯(らんぷ)行灯(あんどん)小箪笥(こだんす)床几(しょうぎ)や腰掛け、立ち机なども店に置いて商売をしている。顧客は大店の主人や武家などで、得意先に注文を伺いに出向くことも多い。番頭は槌屋(つちや)(こう)(すけ)といい小僧の時から徹五郎に鍛えられた腹心だ。他に手代、小僧、女中など総勢十三人。店構えは道具屋としては小規模の間口五間。徹五郎は上背があるが、最近は腹が出、皮膚が弛んで皺が目立ち、(びん)に白いものが増え、髪も薄くなってきた。若い時分は眉太く、鼻筋が通った男前と自認し、女遊びや博打も沢山やった。しかし此の頃はそうした遊びにも飽いて、商売に身を入れようとしている。元々万事(よろず)(やかま)しく細心な性格で奉公人に仕事のことだけでなく、私生活にもやたらと口を出す。毎朝徹五郎は雇い人全員をあつめ帳場の前で挨拶する。挨拶とは言うものの、毎度しつこい説教ばかりで雇い人たちは皆辟易(へきえき)しているのだが、当の本人は全くそれに気づいていない。

「おはよう。本日も商いに精を出して貰いたい。公助。お前何年この商売をやってるんだ。少しは(わし)に見習い大名家や旗本の屋敷に出入りが許されるよう勤めんか。いつまでたっても店番ばかりじゃしょうがない。日向に座ってばかりだから、顔や手足が真っ黒に日焼けしている。そんな面じゃ、お客様が怖がって店に入りません。お前はもう少しマシな男と思った。見損なったよ。番頭というのは、主人に成り代わってお得意を獲得しようと努めなきゃならない。お前は番犬以下だ」

「で、ですが旦那様は私が外に出るのを嫌がるじゃありませんか」

「それはお前は外に出たら最後、油を売ってふらふらあちこちの茶屋に入り浸るに決まっています」

「そ、それじゃあ、得意先の新規獲得なんかできません」

(やかま)しいっ!それと和幸(かずゆき)。手代に上げてやったばかりだ。それをなんだい。お前の担当する行灯の売り上げががくっと落ちている。近頃は上方や芝浦あたりの田舎の行灯屋でも、ウチで使っている蝋燭の十倍も長持ちする灯芯を使っているそうじゃないか。仕入れにも気を配らなければ、手代の資格は無い。今度又売り上げが下がるようだったら小僧に格下げだ。それにお前はいわく付の口下手です。説明が丸でなっていない。お得意様を接待も出来ぬ。商売人としては落第です」

「お言葉ではございますが、お屋形様が費用を出し惜しみされますので、接待も(まま)成らないのでございます」

「ほおっ。お前手代の分際(ぶんざい)で儂に口答えするのか。費用なんぞはお前の給金から工面する、それが当然だろう。いいか、儂の方針に些かでも文句があるなら、即刻この店から出て行ってもらう。此処は儂の店だ。お前等は奉公人に過ぎん」

不機嫌な面持ちのまま、帳場奥の座敷に行く。ここが徹五郎の店での居場所である。新入りの女中の美香(みか)が茶をたてて持ってくる。

「まずいっ。湯が熱すぎるんだよ。気持ちが丸で入っていない。茶を点てる時はな、相手の気持ちを推し量り、その人が今どういう気分なのか考えて点てるんだ。お前、(つら)が拙く愛嬌も無い。茶ぐらい全うに淹れられるようにしろ。どいつもこいつもウチの雇い人たちは無能な無駄飯食いばかりだ。面白くない。出てきます」

「旦那様、どちらへ?」

「そんなことお前が知る必要は無い!」

徹五郎の機嫌がいつも悪いのは他にも訳があった。長患いの老母をずっと介護してきたが、昨年やっと身罷った。是までの介護費用や葬式代、墓を作るなど大枚な費用が掛かった。ほっとしたのは事実だが、今度は女房が倒れ殆ど寝たきりで家事を一切やらない。買い物や食事の支度は主人自らやらねばならぬ。野菜や魚を購い、近所のお上さんの失笑を買って恥ずかしい思いをするのもしばしば。一番恥をかくのは塵芥を捨て場に持っていく時である。いつも頬被りして外に出るのだが、徹五郎だと皆気づいている。捨て場が裏の長屋の井戸端にあるので、いやでも長屋の住人と顔を合わせてしまう。列記とした道具屋の主人のすることでは無い。沽券に関る。近所のかみさん達の笑いものだ。徹五郎が足早に立ち去ろうとすると、聞こえよがしの悪口が追いかけてくる。

「あれま。原口屋の旦那。今日も又ごみ捨てですか。ご精がでるねえ」

「あのダンナ、ゴミ捨てだけじゃ無くて、メシも炊くし、買い物までするそうだ。ウチの宿六もあやかりたい見上げたご亭主だよ」

「しかし、大勢の奉公人を抱える大店の主人がソコまでやるかねえ。何でも小僧や女中に家事を言いつけると、あまりに喧しく小言ばかり言うンで、皆嫌がって逃げちゃうそうだ」

「頬被りするなんぞ、見っともない。それにしても毎度仏頂面なのは笑えるねえ」

「店の小僧が(こぼ)してたヨ。旦那のあまりの(しわ)さにさ。厠の落とし紙はたったの一枚きり。メシは実なしの味噌汁に沢庵二切れと麦飯一膳。一日中倹約しろと喚いているそうだ」

「とこらがサ、アノ旦那外ではエラク気前がいい。いい女がいれば処構わずおべんちゃらを言い、何でも買ってやるそうだ」


「糞!好きでやってるんじゃ無ェ。ど暇な嬶ぁ達に俺の気持ち解ってたまるか。ええいっ面白く無ェ」

徹五郎は独り言を呟いて戻る。気持ちが癒されることは丸で無く、店でも家でも当り散らすばかりだ。


大山道を五丁ほど下り、左手の狭い通りに入る。曲がり角から五軒目は小さな骨董屋だ。万里(まり)()という女主人が一人でやっている店で、書画、骨董、陶磁器などを扱う。客は少なくいつも手持ち無沙汰のようで、元々骨董趣味のある徹五郎は、面白くないことがあると、この店を訪れ、品物を見たり女主人と言葉を交わす。万里江は三十路を少し過ぎた年増だが、身体つきの色っぽさは着物の上からも窺える。目が大きく顎はやや尖り、鼻筋は通って美人だ。だが、徹五郎が気に入っているのは、華奢でありながら見事に張った胸と腰の悩ましい曲線である。初夏のある日、徹五郎は夕刻、骨董屋を覗いた。

「どうですか。景気の方は」

「それが相変わらずさっぱりです。何かお探しですか」

「いや、なに、探すってわけでもないんだが。お前様がどうなさっているか気になってね。お互い少しばかり気鬱のようだが、一緒に食事でも如何かな。この先に()弥下(やした)っていう、小体(こてい)な茶屋がある。行きませんか」

「旦那様からお声を掛けていただき恐縮でございます。ですが殿方と二人きりで食事をするなど、世間の目もあり、ご遠慮させていただきます」

「何。ただ食事をするだけですよ。遠慮なさらんでください。バカ話すると気が晴れます」

「そ、そうですか。ありがとう存じます。実は私一人暮らしなので、夕食の支度を一人でするのが、面倒なんですよ。嬉しいわ」

「それは丁度良かった。儂の(かか)ぁは病勝ちで寝込んでばかりいる。食事の支度など丸でやらんから、外で食事をすることが多い。さあ、行きましょうか」

「ちょっとお待ちになって。このままの格好じゃ茶屋に参れません。着替えますからお店の中の骨董でも眺めていてください。すぐにまいります」

徹五郎がぶらぶらと店の中をあれこれと物色していると、やがて万里江は白菊の小紋を散らした鮮やかな朱鷺(とき)(いろ)の小袖を着て現れた。化粧を直し、口には赤い紅、手足の爪は桜色の色を差し、髪を上げ(かんざし)で止めている。見違える美しさだ。万里江は徹五郎の少し後ろについてくる。

「万里江殿。見違えましたぞ。大層お美しい」

「あら、徹五郎さんも素敵です。その黒い絽のお着物、とてもお似合いでございます」

料理茶屋美弥下は大山道を逆に三丁ほど登り、梅窓院横の小道に折れた竹林の中に隠れるように佇む、知る人ぞ知る名店で、こうしたお忍びの顧客が利用する店なのである。仲居に六畳ほどの狭い小部屋に案内されると、二人は向かい合って座った。仲居が次々と小皿に美しく盛り付けられた料理を運んでくる。徹五郎は給仕は自分たちでするので部屋に入らぬよう仲居に頼んだ。

「美味しいわぁ。徹五郎さんはいつもこんな美味しいお料理召し上がっているのですか」

「いや、何、こういう格式の高い店はたまに訪れる程度ですよ。万里江さん、いける口でしょう。一献如何かな」

「わたくし、そうはいただけませんが、今日は憧れの徹五郎さんとご一緒です。いただきますわ」

注しつ注されつ。万里江は頬を薔薇色に染める。暫く徹五郎の下らない駄洒落やどうでも良い噂話に花が咲く。万里江は喜んでいるようだ。

「万里江さん。貴女はこれほどの美貌だ。お付き合いされておられる方お出でなのでしょう?」

「そんな人がいれば良いのですが。以前お付き合いした人はおりましたが・・・」

万里江は(うつむ)いて黙ってしまう。

「ど、どうかなされましたか?悪いこと言ってしまったのですか。それなら謝ります」

「いえ。徹五郎様はちっとも悪くはありません。悪かったのはそのお付き合いした男です」

「差し支えなければお話ください。きっと気が楽になります」

少し躊躇(ためら)っていた万里江は、酔いも手伝って途切れ途切れに話し出した。

「五年前の初夏のことでございます。私の実家は古くから続く川越藩上尾の幕府御用達の和菓子屋ですが、隣村の桶川に藩のお納戸役を勤める原広之(はらひろの)(すけ)という侍がおりました。私が店の前に水を撒いていますと、通りかかったお侍様の袴に水が少しかかってしまいました。そのお侍様が原でした。原は土下座して謝る私を(なだ)め、許してくれました。それからでございます。原はしばしば店に立ち寄りまして、私の着物や容姿を褒めたり、時にはお土産などもくれました。私は原の優しさに打たれ、いつしか好意を抱くようになっていました」

「和菓子屋のお嬢様でしたか。道理で気品があり、おしとやかなわけだ。そ、それでお侍とどうなったんですか」

「はい。やがて原を両親に紹介したり、二人で茶屋へ行ったりしていくうちに身体を奪われ、割り無い仲になりました。何度か逢瀬を続けていますと、原は優しさの裏に恐ろしい本性を漂わせるようになりました」

「怖さ?怒ったりするのですか」

「それならまだ良いと思います。抱いたあと殴ったり蹴ったりするのです。私はいつも痣だらけでした」

「ふうむ。とんでもない輩ですな。その原という男は」

「それだけではありません。とうとう原は私をいたぶるように強引に犯しながら首を絞めたり、刀で切りつけたりするようになりました。殺されたくなかったら、店の財産を寄越せなどと脅すのです。私は辛抱できなくなって両親に相談しました。兎も角、原を呼んで何故そのようなことをするのか聞こうということになりました」

「原はお前様のことを好いておられたのかな」

「後になって考えますと、全くそうでは無いのです。一時の慰みに私を抱いたのだと思います。両親と面談した原は開き直りました。自分には桶川に妻子がある。男日照りの年増があまりに寂しそうだったので抱いてやった。寝たあとも執拗に求めるから少々懲らしめてやったまでだ。こう申すのです」

「なんという非道な侍。武士道も地に墜ちたとはこのことだ。それで別れることは出来たのですか」

「いえ。原は始めから実家の財産を狙って私に近づいたようです。最初誤って水を掛けてしまったと思ったのですが、実はわざと水を打っているところに原が飛び出して水を被ったらしいのです」

ここまで言うと万里江は涙ぐみ、嗚咽(おえつ)を繰り返していたが、やがて堰を切ったように泣き出してしまった。徹五郎は驚いて万里江の横に座り、両手を握りながら背や髪をなで慰めずにはいられなかった。泣きながら話す万里江の話はおぞましいものだった。その後原は白昼店に押しかけ、万里江を出せと大声で喚いたという。応対に出た両親は抜刀して踏み込んだ原に驚き、店の奥の住まいに逃げ込んだが、忽ち追いつかれ、滅多切りにされて殺されてしまった。万里江は隣家に逃げ込んで危うく難を逃れた。原は殺戮のあと、蔵に押し入って、全財産を奪っただけでなく、土地の証文や和菓子舗の鑑札などを持ち去った。万里江は何とか川越から江戸に逃げ、()(たか)などをして糊口をしのいで生き延びたというのである。徹五郎はあまりに哀れな万里江の境遇にもらい泣きした。二人して抱き合って泣いていると、いつしか互いの唇が合わされていた。

「万里江殿。そんなに辛い目に合われておられたのですか」

「私は夜鷹をしながら、食べるものも食べないで節約してお金を貯めました。そして両親が残してくれた書画や骨董を集め、それを売る小さなお店を開いたのです。苦労致しましたが、徐々にお客も付きました。昨今はほんの少しだけですが新しい品を買い入れ、売ることが出来るようになりました。でもお越しになるお客様は少なく、暮らしを立てるのに四苦八苦しております」

万里江は今まで誰にも言わなかった自分の哀しい身の上をすっかり話してしまい、気が楽になったようだ。徹五郎に身体全体を委ね、ぼうっとした眼差しで唇を求めた。徹五郎は万里江を後ろから抱きとめ、求められるままに唇を吸った。

「そうでしたか。よく辛いお話聞かせてくださった。宜しければこれからは私が援助して差し上げましょう。私の店はお蔭様で順調で、売り上げも伸びており、お前様を囲う費用を出すことなど造作ありません」

「奥方様やご子息様、叉雇い人などから苦情は出ませぬか」

「妻はいつも寝込んでおり、食欲もありません。だから全然金の掛からぬ女です。息子は遊び人で家から出て行ったきりです。番頭や手代は私のやることに一切口を出しません。そう仕込んでいるからです」

「お言葉に甘えて宜しいかしら。実は骨董の商いは尻窄(しりすぼ)まりでこの先不安でならなかったのです」

「囲うと言っても、貴女は今の商いを続けていいのですよ。私は月々の入用の費用を用立てて差し上げます。その代わりと言ってはナンだが、今日のように抱き合って唇を合わせたり、身体を触らせてください。そして興が乗れば一緒に床の入るのも良いでしょう」

「嬉しいわ。私徹五郎さんが大好きでございます。初めてです。こんな気持ちになったのは」

「私もだよ。万里江。今日はここに泊まって行こう。思う存分愛しあえる」

その夜、二人は何度も結ばれ喜びの声を上げた。翌日昼過ぎに目覚めた徹五郎は全身に疼痛を感じていた。

「万里江。昨日お前が話していた原という男、今はどうしているのか」

「おぞましい限りですが、今も川越藩でお納戸役についているらしいのです」

「人を二人も殺しておいて何の罪にも問われなかったのですか?万里江のご家族から奪った金子や鑑札などはどうしたのだろう」

「はい。しかとは解りませんが、恐らく町人が武士に逆らったので無礼打ちにしたとでも役人を言いくるめたのでしょう。奪った金子は遊興や博打などで蕩尽してしまったようです。暮らし向きが豊かになったという噂は聞きませんので」

「極悪人だ。このまま放っておくわけにはいかぬ。儂に思案がある。貴奴を二度と立ちあがれぬよう懲らしめてやる。そのあとお役人に引き渡すのだ」

「どうやって懲らしめるのですか」

「儂の後見人と相談する。あの人ならきっと良い思案を出されるだろう。万里江。儂は今度、その後見人のところへ行ってみる。それとお前との逢瀬を楽しむための屋敷も探さなきゃね」


それから二人は度々逢うようになった。一杯飲み屋のときもあったし、こ洒落た店、格式の高い料亭の場合もある。その日の気分の赴くまま、食事をしたり、泊まったり、野外で抱き合うことさえあった。徹五郎は次第に万里江に夢中になり、溺れていった。徹五郎は毎日のように通った。着物や装身具、草履などを買ってやったり、螺鈿細工の木箱に入った、銀作りの矢立を買って持っていったこともあった。

「万里江。お前は骨董屋の主だ。骨董の謂れや能書きを書くこともあるだろう。そういう時、きちんとした小筆を持っていた方がいい。道具一つで信用も増すんだ」

「嬉しいわ。徹五郎さん、そんなに私のこと大切に思っていてくださるのね」

「泣かないでくれ。私はお前の喜ぶ顔さえ見られればそれでいい」

「徹五郎さん・・・」

小さな筆を買い与えただけで、涙を流して喜ぶ万里江が心底可愛いと思う。この幸せがいつまでも続くよう祈った。

「徹五郎さん。私怖いの。あの原が今でも、のうのうと市中をのし歩いているのが。あの男に見つかったら殺されてしまう」

万里江は細い身体を縮めて怖がっている。後見人に会い、万里江の仇をうつ相談をするはずがずるずる先送りされていたのだ。


翌日徹五郎は深川六間堀の「後見人」安芸河鐡蔵を訪ねた。今は順風満帆の原口屋だが、十年ほどまえ、店が潰れそうになった。道具屋は問屋を介して品物を仕入れるのだが、商売を始めて以来商品を納めている大問屋、清武屋(せいぶや)が突然取引中止を申し渡してきた。どうやら原口屋の将来性に疑義を感じ、別の道具屋に色気を出したらしい。徹五郎はその申し出の撤回を求め、何度も清武屋に足を運び、大旦那の(つつみ)(よし)()衛門(えもん)に頭を下げた。義左衛門は末端の小売原口屋の言い分に少しも耳を傾けようともせず、無慈悲に取引中止を宣告するだけだった。品物が卸されなければ商いは続けることができぬ。弱りきった徹五郎は長年親交があり、困った時いつも面倒を見てくれる深川のご隠居鐡蔵に相談してみることにした。鐡蔵は徹五郎が道具屋を始めたころからの知己で、七歳ほど年上だが気のいい職人である。そのとき問屋に見放され自暴自棄で自害まで考えた徹五郎を救ったのは鐡蔵だった。鐡蔵は懇意にしている老舗問屋山極屋(やまぎわや)のお久という女主人を紹介してくれたのである。山極屋は清武屋に比べれば取るに足らぬ小さな問屋だが、お久や番頭の粉蔵は親切で、原口屋を救ってくれという鐡蔵の願いを快く引き受け、商品卸してくれたのである。それ以来徹五郎は寝る時、足を鐡蔵の住む深川方面に向けたことは無い。


徹五郎は鐡蔵と会うといつもの高慢な態度とはがらりと変わって打ち解け、ざっくばらんに商売や家庭の愚痴などをぶちまけ、日頃の鬱憤を晴らしている。鐡蔵は元は腕の良い大工棟梁であったが、七年前隠居し、今は弟子たちの仕事を見守ったり、偶には手伝ったりする気楽な身分である。元々大工仕事の傍ら、本を読むのが好きで、いつも本を読み、何かしら研究している。その為か知識は該博であらゆることに通じ、相談すれば何でも答えてくれるのだ。深川六間堀は小名木川と竪川を結ぶ狭い堀で、富岡八幡や木場、東陽なども近く、大工仕事にはお誂え向きの土地。青山の徹五郎の店からは二里半ほどあってかなりの距離なので、次の日朝早くに出かけた。昼前に鐡蔵の住まいに着き、座敷に案内された。

「ご隠居。お久しぶりです。お元気そうで・・・」

「いやぁ、お前さんこそ。おい。えらく肌の色艶がいいじゃないか。鼻の周りなんか脂ぎっていやがる。さては、何かいいことあったな」

「ず、ず、図星です。実はご隠居。喜んでください。あたしに滅法いい女が出来ましたんで。それが、ここだけの話ですが、顔もいいが、身体はもっといい。痩せぎすでありながら、胸や腰の膨らみはナミじゃ無ェ。膨らみが大きいだけだとお思いなさりましょうが、コレが、ご隠居。か、か、形が素晴らしい。胸は上向きで持ち重りする弾力。丸っこくてなだらかで、エも言えぬ柔らかさ。一度触れたらモウ絶対忘れられ無ェ。腰っていうか、尻もスン晴らしい。キュっと持ち上がって、柔らかく締まってヤガル。それにヨ、腹や肩や臍の窄まりも悩ましいが、何と言っても最高なのはアソコだ」

「おい、いい加減にしねえか。解ったヨ。要はいい女を見つけたってことだな」

「ふ、ふ、ふ。見つけただけじゃございません。遣りました。遣り尽くしました。お陰で腰が痛くてたまらねえ」

「お前、そんなことを言うために態々(わざわざ)この深川くんだりまで歩ってきたのか。呆れたヤツだ」

「ご、ご隠居。人払い願います」

「人払い?何を巫山戯(ふざけ)たことを言ってるんだ。嬶ぁは出て行き、娘も嫁入った。此処はアタシ一人で住んでいるんだ。そんなこととっくに知っているくせに。なんだ?」

「その女、名を万里江といいます。どうです。良い名でございましょう。歳の頃三十位の(ちゅう)年増(どしま)です。色っぽい身体は(せん)に申し上げた通りですが、性格といいましょうか、気持ちの持ちようも半端じゃございません。アン時の声、か細く消え入るような泣き声でヒイヒイ言うんでございます。あたしも年甲斐も無く、海驢(あしか)のような大きな()がり声で吼えてしまいます」

「バカバカしい。そんな世迷言聞くに堪えん。第一お前ェには嬶ぁがいるだろう。嫉妬で気が狂っちまう。修羅場がありそうだ。考えただけで恐ろしくなる。その歳だ。夢中で遣りあっていると腹上死しちまうゼ。資金も懸かるだろ。商いで稼いだ金全てつぎ込みやがって」

「へ、へ、へ。ソコんところはご心配無く。あたしは根っからの小心者。宿代や飯代、贈り物なんぞ全て計算づくで算盤を弾きながらやっております。だから足を出すことも無く、嬶ぁにはバレておりませんデス。はい」

「嘘をつけ。相当つぎ込んでしまった筈だ。かみさんに露見してしまうのは時間の問題だろ。ところで用件は何だ」

「へ、へい。実は万里江の境遇は酷く哀れなもので、そこンところをご隠居に何とかして貰いたいと思った次第です」

徹五郎は万里江を犯し、両親を殺害しながらのうのうと川越藩の納戸役に納まっている原広之(はらひろの)(すけ)のことを語った。徹五郎は鐡蔵の長年の友である。友人の万里江を想い、彼女の怨みを晴らしたいという気持ちが良く解った。始めは冗談半分の(たわ)けた自慢話だと思ったが、話すうちに次第に真剣になり、終わりには涙を浮かべた懇願に同情した。

「そうか。お前は儂にその原とやらを成敗して欲しいと言うんだな」

「左様にございます。ご隠居には是まで散々お世話になりながらきちんとした御礼が出来ておりません。もし原を二度と立ち上がれぬほど痛めつけてくださったら、ご隠居が遣いきれぬ程の金子を差し上げる用意がございます。この前伺った時、ご隠居は資金不足で歯科医師の浩美(ひろみ)殿と知り合えたのにお付き合いがママ成らぬと零しておいででした。この機会を逃すと二度と機会はありませんよ」

「貴様、儂の弱みを突きよって。良かろう。引き受けよう。だが、儂一人でやるには相手が悪い。何しろ原は今をときめく柳沢吉保様の家来だ。近づくことも容易ではあるまい。仲間を引き入れよう。医師の岩橋(いわばし)()(あん)がいいだろう。利庵は江戸きっての蘭方医。毒を盛ることも容易だし、手術に使用する小刀の切れ味は日本刀の比では無い。手足を切り落とすことなど朝飯前の仕事だ」

「利庵先生ですか・・・誠に良き思案乍ら、果たして協力してくれましょうか。真面目一徹の変わり者。ご隠居のようにあっしの浮気相手に同情するとも思えませんが」

「任せておけ。儂が作戦を立てよう。しばし時を貸せ。多分この件には大勢の人間の協力が必要と思う。お前はもとより万里江殿にも協力してもらわねばなるまい」

翌日から鐡蔵は座敷に篭って色々思案を巡らせた。歳はとっても頭脳明晰な鐡蔵。五日後考えが纏まったらしく、半紙を取り出すと策と絵図を描きはじめた。昔取った杵柄。絵図の腕前は中々のもの。大工仕事には絵図がつき物だからである。


鐡蔵はその翌日、策に協力してもらう人物を呼び出した。深川富岡八幡境内にある料亭の座敷を借り切っている。集まった面々は、頭領として安芸河鐡蔵。介添え愛妾おりん、依頼主原口徹五郎、愛人万里江、医師岩橋利庵、看護人琴姫以上六名である。簡単に紹介しておこう。

鐡蔵の愛妾おりんは十数年鐡蔵の世話をしている女で、元辰巳芸者。(あだ)な美貌で(いろ)っぽい。

医師利庵は華岡青洲に先立つこと凡そ百年、長崎で阿蘭陀医学を学んだ俊才で、日本橋新富町で蘭方医を開業している。

琴姫というのは徳川御三家の何れかの落胤と噂される姫君で、利庵の施術に憧れ弟子入りし、我が国初の看護術を身に着けた異色の女である。利庵とは夫婦同然の暮らしをしている。

皆が座に着き、料理が片付いたころで(おもむろ)に鐡蔵が口火を切った。

「本日は突然の呼び出しさぞや驚かれたでござろう。皆様方はご承知のことかと存じるが、儂は普段は老い耄れた楽隠居であるが、該博な知識を生かした闇の稼業も有しておる。皆様方の中には過去この稼業を手伝っていただいた御仁も何人か含まれているから、ご存知の向きもござろうが、初めて加わった方々のため、手順を説明致そう。儂は仕事の依頼を受け、その依頼の謝礼が妥当な場合にかぎり仕事を請け負う。謝礼の多寡により共に仕事に協力してもらう人数を決める。今回の仕事はここにいる原口屋徹五郎の依頼である。今を時めく天下の側用人柳沢殿を(かた)りにかけ、家臣の原広之介を消し去るのだから斯様な大掛かりなものになった。謝礼は原口屋から金五百両が出る。相違ないな、徹五郎」

「うっ。ご、ご、五百両とは申しておらぬが」

「お前が扱う南蛮家具は殆どご禁制の抜け荷の品だ。それを廉く叩いて買い、高値で売り捌き、莫大な利を独り占めしているのは当に承知。それに愛する万里江殿のためだ。その位出すのは当然じゃろう。原が片付いた暁には、万里江殿は、隠れることなく、大手を振って徹五郎に抱かれる筈だ。そうだな、万里江殿」

「その通りにございます。いつ原に見つかるかと思い、徹五郎様との逢引は怯えながらでございました」

「む、む。止むを得ぬ出費。万里江がそう申すなら致し方ない。五百両拠出しよう」

「それでは儂が考えた施策のあらましをお伝えする。まず仇敵である原は本郷駒込の川越藩下屋敷、柳沢殿の屋敷の一角にある役宅に住んでおる。屋敷地は高さ二間もある塀で四週を囲まれ南側に表門、北側に裏門があって警護は頗る厳重だ。敷地はほぼ中央に中ノ島のある広い池があり、池から疎水が北側にある柳沢殿の本屋敷をぐるりと巡っている。本屋敷は広大で豪華だ。何しろ将軍綱吉公がしばしば、柳沢殿に表向き下げ渡したお染の方に逢いに訪れるからな。(くだん)のお納戸役原の役宅は敷地南側にある。長屋風の建物だが四六時中大勢の武士が詰めている。従い屋敷にいる原に近づくことはまず無理だ」


岩橋利庵は何故自分が道具屋の妾のため一働きしなければならぬか大いに不満であった。

「安芸河殿。儂がこの座に呼ばれた訳が解らん。儂は金には困っておらんし、お前たち暇人と付き合う余裕は無い。詰まらん用件なら帰る」

「利庵先生。今回の仕事では貴殿が尤も重要な役割を果たす。抜けてもらっては困る」

「叉人殺しか。モオ飽きたよ、なぁ、琴姫」

「そうです。鐡蔵殿の仕事は何度もやりましたが、汚れ仕事ばかり押し付けてくる。殺しは先生の高度な腕前を生かすとは言えません」

「きついことを申すな。今回は殺しでは無く、琴姫を助手に性転換の大手術を行ってもらう。勿論我が国始まって以来、前代未聞の施術である。恐らく阿蘭陀国でも類例は無かろう。利庵先生でしか成し遂げられぬ極めて困難な術だ。術前男だった人物が術後女に生まれ変わる、地獄で閻魔大王が行うといわれている秘儀中の秘儀」

「ふむ。男女転換術とな。好奇心が涌いてくるではないか。お主相変わらず人を使うのが上手いな。こうした甘言でいつも騙される」


「万里江殿。貴女は岡場所で働いた経験があると聞いた。お色気は素晴らしい。これと思った男を落とすのは造作あるまい。イヤ何、徹五郎のことを言ったのでは無いぞ。単なる

経験の聴取だ」

「はい。男を靡かせる手練手管は身体に染み付いております。大抵の男なら一度で落とせます」

「気に入った。万里江殿には美人局(つつもたせ)役を演じて戴こう。徹五郎、お前は裏で万里江殿を支えてくれ」

「承知しました。仇討ちが無事済みました暁には、全てを(なげう)ち万里江と夫婦(めおと)になる所存でございます」


こうして粗方の役割分担は告げられたが、肝心の仕事の全貌や作戦は、丸で語られなかった。あとは個別に教えられるらしい。鐡蔵自身とおりんの役割も叉示されなかった。一同は不満も多かったが、何度か仕事をしたことのある利庵から、いつもこんな調子だと言われた。与えられた役割に応じめいめいが研究し十日後再度ここに集まることにして渋々解散した。


翌日鐡蔵とおりんは連れ立って下谷御徒町三味線堀の諸道具問屋、山極屋にお久を訪ねた。お久は鐡蔵がおりんと知り合う前、深く付き合っていた大年増である。

「こりゃ珍しい。鐡蔵さんかえ。どうした風の吹き回しだい。ちっとも顔を見せないとおもったら、こんな可愛いお姐さんと懇ろになっていたんだね。悔しいよ」

「アネさん。面目無ェ。コイツはおりんっていうんだ。お見知りおきを」

「イヤだね。モオ悋気を燃やす歳でもないが、妬けちまうよ。ま、折角訪ねてきてくれたんだ。お上がりヨ。茶の一杯も飲んでいきな」

「お言葉に甘えさせてもらうよ」

お久の店は大変な繁盛ぶりで、出入りの商人は引きも切らない。店の中は豪華な調度で埋め尽くされている。お久の居室は庭に面した立派な部屋だ。立派な書の掛け軸や、大振りの花瓶に生花が生けてある。

「アネさん。今日(こんにち)大姐御(おおあねご)に頼みがあって来たんだ」

「矢張りそうかい。アタシも()ちたもんだ。なんだい?その頼みっていうのは」

「大姐御は大層顔が広く、諸方に付き合いがある。今をときめく幕府側用人、柳沢吉保様に(つて)はありませんか?」

「そうねえ。無いことも無いんだが。教えてやってもいいよ。その見返りはなんだい?」

「解った。この仕事が上手く行ったら抱いてやるぜ」

お久は吉保が密かに通う茶屋の名と贔屓にしている仲居の名前を教えてくれた。

「お前、こんなこと聞いてどうするんだい。又何か悪巧みでも考えてるんじゃ無かろうね」

「お久姐さんに掛かっちゃ全てお見通しになっちまう。桑原(くわはら)桑原(くわばら)


時は元禄十四年(1701)、将軍は徳川綱吉公。側用人として川越出身の柳沢吉保が抜擢されている。川越藩主は柳沢がそのまま勤め、石高十一万二千石。吉保の屋敷には綱吉に面会を求める諸大名や利権にありつこうという豪商たちでいつもごった返していた。お納戸役の原広之助は殿様の吉保が奥に入るとき刀を預かりお鈴口まで見送る役だ。身分は低いが殿と接するから、格式が高く態度は頗る横柄である。原は殿様譲りの(へつら)い上手で、上役に接する際は揉み手摺り手で媚びまくる。吉保の妾は綱吉からの拝領妻であるお染の方だ。お染の方は吉保との間に実は綱吉の子と噂される吉里を生んでいた。だから吉保が奥入りするときは微妙な空気が流れる。吉保は此の時四十三の男盛り。側女として押し付けられたお染の方を抱くことも侭ならぬ。有り余る権勢に比べ侘しい。吉保は綱吉の小姓から最高の権力者まで累進した男である。女に対する欲望も人並みではない。その吉保が形式上宛がわれ、抱くことも出来ぬお染の方に満足出来る訳もない。お忍びでしばしば日本橋や柳橋、時には向島や深川の料亭に足を伸ばし、芸伎を総揚げして大騒ぎし気に入った女を抱くのである。原広之助はそんな吉保に扈従(こしょう)し、好みの女の手配や宿の確保などよろず世話をする役目。


浅草山谷堀の八百善は江戸随一と言われる料亭で、格式が高く、大名や有力旗本、富裕な町人が利用する。(あるじ)の栗山善四郎は一介の八百屋から料理屋を始めた苦労人で、江戸前といわれる工夫を凝らした料理を提供する。吉原も近く、客の中には花魁(おいらん)芸妓(げいこ)を呼ぶものもいた。

堀に沿った(うま)(みち)沿いに黒い焼き杉の板塀が続き、塀内の鬱蒼とした木立から、(ひぐらし)の声が聞こえてくる。日差しは強いが時折吹く風にどこか涼味が感じられる。元禄十四年九月、身だしなみの立派な武士が、黒板塀脇に止めた駕籠から降り、八百善の門前に立った。店からは予め報せを受けた八百善の番頭、健吾衛門が出迎えている。

「原様。ようこそお出でくださいました。奥で主人がお待ち申しております。さ、さっ、どうぞお通りくださいませ」

門の格子戸をあけると、両側に庭木の刈り込みを配した飛び石がつづく。女中の案内で玄関の水を打った石畳で草履を脱ぎ、式台から複雑に曲がる広廊下を通って、主人の待つ座敷に案内される。八百善主人栗山善四郎は四十半ば、黒光りする肌の色は以前八百屋であったころの名残なのであろうか。しっかりした目つきで礼儀正しく出迎える。

「善四郎。本日は例により下見と当日の細目についての打ち合わせでござる」

「原広之助様。態々おん自らお越し賜りまして恐縮にございます。いつもご贔屓下さいまして誠に有難う存じます。例によりと申されるは、近々柳沢吉保様のお忍びがございますのでしょうか」

「察しが良いの。左様じゃ」

美しい女中が天目茶碗に淹れた極上の煎茶を和三(わさん)(ぼん)を添え恭しく差し出す。一口口に含む

と得も言えぬ高雅な香りに包まれる。

「中々良き茶であるな。何処の産であるか」

「は、はい。茶は一番葉から選り抜いた宇治の玉露でございますが、用いた水は多摩川の取水口、武州(ぶしゅう)羽村(はむら)より取り寄せたものにございます」

「道理で美味い筈だ。ところで善四郎。此度の吉保様のご来駕だがな、今月晦日(みそか)を予定している」

「晦日なれば旬日(じゅんじつ)もございませぬが、八百善精一杯ご歓待させて頂きます。材料の仕入れ方や板場の者にも固く申し伝えます」

「今回はな、いつもの遣いの者でなく、納戸役を相勤める儂が直々やってきたのはな・・」

そう言って広之助は急に声を潜め、善四郎に目配せで聞き耳を立てている人間がいないか確かめた。廊下越に庭に面する障子は開け放されており、左右と後ろは塗り壁で、覗き見や聞き耳を立てられる筈も無いが、念のため善四郎は廊下に出、左右や庭先に目を凝らした。元より人払いし、決してこの座敷には近づくなと、奉公人達に言い聞かせてあるので、誰もいない。善四郎が頷いて広之助に合図を送る。聞き取りにくい低い声で広之助が続ける。

「此度はの、いつもの芸妓の総揚げだけでなく、大殿は飛び切りの生娘を抱きたいとのお申し越しだ。この飛び切りと申すのが難しい。年のころは二十歳前後、顔つきは内裏雛のように高雅で愛らしく、身体は花魁以上に艶かしい胸や腰、果ては下陰の膨らみも悩ましくせせり立つのが御所望である」

「難題でございますな。短い時間にお望みの女が探せるかどうか」

「八百善。事は将軍綱吉公の寵愛を一身に受け、今幕府最高の権力者、側用人柳沢吉保様の命なるぞ。どのような事をしても探し出せ。千両掛かろうが万両掛かろうが構わぬ。八方手を尽くし見つけるのだ」

「は、はぁ」

それだけ言うと原はそそくさと八百善を後にした。原が去った後、善四郎は頭を抱えた。料理ならばどのような材料も手に入れることが出来る。それを最高の料理に仕立てる自信もある。然し、女となると相手は人間。仮に要求通りの女が見つかったとしても、その女が(うべな)わなければならぬ。世の中金の力だけではどうにもならぬものがある。それは人の心だ。だが、柳沢様の命に背いたら、漸うにして江戸随一の料亭と評判になった八百善などひとたまりもあるまい。今柳沢様に媚び(へつら)わぬ大名、旗本など一人もいない。豪商達も同然だ。絶対逆らえぬ相手から、とんでもない要求が出されたのである。善四郎は密かに筆頭番頭の健吾衛門を呼び、鳩首(きゅうしゅ)凝議(ぎょうぎ)を始めた。健吾衛門は齢六十近くの苦労人で重要な決定の相談相手になることも多い。話のあらましを伝えると健吾衛門も額に皴を寄せ考え込んだ。

「ふうむ。これは前代未聞の難題でございますな。旦那様、私には何とも解決の途は見つけ出せそうにもありませんが・・・そ、そうだ。うちの仲居頭なら何かいい知恵を貸して呉れるかもしれん」

「すぐ仲居頭を此処へ呼べ」


十日ほど前のことである。鐡蔵は山極屋のお久からの情報で柳沢吉保が今度利用する店は八百善、贔屓の仲居は仲居頭のお滝と知り、綿密な計画を立てていた。又、吉保が昨今側室と同衾できず、苛立っていることも掴んでいた。

鐡蔵は八百善に何度か通い、お滝を呼び出した。

「お滝殿。折り入って頼みがある。近日中に筆頭番頭か、或いは大旦那が直にお前様を呼び出して諮問があるやにしれぬ。飛び切りの女を知らぬかとのお尋ねのはずだ。その時はこう応えてくれ。私は知る由もありませんが、江戸城大奥の女達を手配する深川六間堀の豪商鐡蔵殿ならご存知の筈です。そう言って欲しい」

鐡蔵はお滝に二十五両の紙包みを差し出した。

「本当にそう言えば是を貰えるんですか」

「ふむ。お滝殿も亭主と死に別れ、病弱な幼子を抱えて、何かと物入りでしょう。これは薬代の一部でござる」

狐につまされたような気分だが、娘の薬代に困り果てていたところだ。不審には思ったが、差し出された切餅二十五両を受け取り、約束を果たすと言った。


筆頭番頭の健吾衛門に呼び出されたお滝は、部屋に入って仰天した。普段は口も訊いてくれぬ大旦那の善四郎がそこにいたからである。善四郎は額に脂汗を滲ませてお滝に、原広之助の要求を伝えた。お滝は澱みなく鐡蔵に言われた通り答えたのである。


約束の晦日がやってきた。料亭八百善の前の掘割は洗い清められ、通りや門前は磨きぬかれたように輝いていた。あらゆる雑草は引き抜かれ、繰り返された綿密な掃除で塵一つ無く掃かれ、丹念に打ち水されている。門戸が開かれ、玄関に至る飛び石に際には、綺麗どころの女中がずらりと並んでいる。主の初代栗山善四郎は正装の五紋付の羽織袴で、畏まって屹立している。遠くから先触れの声が聞こえ、原広之助が緊張の面持ちで御駕籠の前に立っている。今日はお忍び故、引き連れる家臣はこの原広之助だけなのである。赤漆金象嵌の巨大な絢爛たる大名駕籠が八百善門前に到着した。栗山善四郎と筆頭番頭健吾衛門、仲居頭お滝らが、門前の白玉砂利上に土下座、平伏して出迎える。唯一供として扈従(こしょう)を許された、お納戸役原広之助は緊張でぶるぶる震えながら、片膝を着き、静かに御駕籠の御簾(みす)経木(きょうぎ)(すだれ)を引いた。ゆっくりと威厳あふれる武士が現れる。これが時の御用(ごよう)御側(おそば)取次ぎ、御大老格、左近衛少将、美濃守、武蔵川越藩主柳沢吉保公のお成りである。頭巾などで顔を覆うことなく、傲岸不遜の眼差しで浩然と頭を上げたまま前に進む。色とりどりの精一杯の衣装を纏い、ずらりと並んだ総勢百人の女中が一斉に平伏した。この日用意された座敷は、事前に全ての畳、襖が新規なものに総取替えされ、間仕切りを取り払った四十畳の大広間。新たに設えられた五間の床には、両隅に大花瓶に初秋の野花がふんだんに生けこまれ、中央には三本の幅太い掛け画軸には、川越出身の喜多川歌麿描く美人画が仕立てられている。床前に座した吉保の横には、選りすぐった芸妓衆がずらりと並んで次々と酒や料理を勧め、食べさしたり飲ませ始める。主の栗山善四郎が平伏したまま、大殿前ににじり寄る。

「大殿様。本日は斯様な遠方までご足労頂き、誠に恐懼の至りにござります。栗山善四郎、八百善の名を賭け、歓待したく存じます」

「挨拶はそれくらいにしておけ。原からの伝言(つて)聞いておるであろうな。儂の今宵の相手は何処に居る」

「はっ、はっ。た、只今是に」


善四郎は仲居頭のお滝から、女の手配なら深川の鐡蔵に頼むのが一番と聞き、鐡蔵に文をやって呼び出した。鐡蔵は愛妾のおりんと共に深川の大材木商安芸河鐡蔵という触れ込みで善四郎と面談に及んだ。善四郎から用立てる女の顔つき、身体つきの詳しい要望を聞き、眉間に皴を寄せながら考え込み、おりんとしきりに相談する。

「貴殿に聞けばどのような女子も手配可能と聞き及んでいる」

「ふむ。儂は大奥に出仕する御中臈様や奥女中様の手配を長年勤めておる。然しながら、今回の注文は些か難しゅうござる。生娘ながら途方も無い色気を持つ女がご所望でござるな・・」

そう言って首を傾げ、更に考え込む。

「ご、ご、五百両出そう。如何でござろう」

おりんが初めて口を開く。

「私の妹は如何ですか。名を万里江と申し列記とした生娘。歳はご要望より少しばかり上ですが、見た目は二十歳そこそこ。顔といい、身体といい、屹度吉保様のお目に適うでしょう」

「そこもとの妹御とな。先ほどより、貴女こそ大殿のご要望通りの女性と睨んでおったが、鐡蔵殿の愛妾とあらば生娘では無いと、消沈しておったのだ。妹御は貴女に似ておられるのか」

「はい。私以上の美貌で、胸や腰の膨らみは半端ではありませぬ。更に脚や手は細く、お(なか)(くび)れが著しく、黒髪は艶やかに長く、肌理(きめ)細やかな肌は雪より白うございます。高貴でありながら愛嬌溢れる可愛らしい顔は一目見た者の心を鷲摑みにしてしまいます」

「き、気に入った。その女を寄越してください。店で最高の髪結いと化粧師を手配します」

「それには及びません。全て当方で準備致します。万里江殿には柳沢様お着きの一刻前にそちらへ伺わせます」

「あい解った。委細お任せ致す。鐡蔵殿、宜しく願います。貴殿を信頼しております」


柳沢吉保の座す横の鶴と松柏(しょうはく)の描かれた襖が音も無く開く。中には(くれない)と黄金の打掛けを纏った眩いばかりの光芒を放つ女性が立っている。驚いたことに打掛けの下は桜色の薄絹の襦袢だけで、形の良い双の乳房や長い両脚が薄っすらと透けて見える。両側に控えた禿(かむろ)のような少女に両手を引かれ静々と出てくる。長らく禁欲を強いられてきた吉保には、女神の到来を思わせた。

「お、おうっ!!名を何と申す」

「はい。万里江でございます。お招きにより参上致しました。今宵は万里江と存分にお(たわむ)れくださいまし」


万里江は二日前、鐡蔵に命じられ徹五郎と共に朝早く日本橋新富町、医師岩橋利庵の蘭法医学塾に向かった。医学塾は浅蜊(あさり)河岸(がし)に面した小さな古い住居に設けられていたが、中に入ると最新の医療器具や手術台が設けられ、利庵と琴姫は三名の弟子と共に忙しく訪れた患者の治療に当たっていた。万里江は病気でも無いのに何故医師の診察を受けるのか不安でならない。利庵は万里江に裸になり診察台に横たわれと命じた。診察台は他の患者の目に触れぬよう、布幕で仕切られていたが、流石に恥ずかしく逡巡していると、利庵は強い口調で早く脱げと()かした。徹五郎だけは床脇で施術を見守ることが許されたが、気が気ではない。

「利庵先生。一体これから万里江になにを為さろうとするんですか」

「黙って見ておれ。安心せい。是よりの施術は琴姫が行う。儂は指示するだけだ」

「琴。全身を剃毛せよ。但し頭髪は洗浄し梳くだけだ。徹五郎。何をぼやっと突っ立っている。釜に湯を沸かせ」

湯を使って泡立てられた南蛮渡来のしゃぼんが全身に塗られ、琴姫が慣れた手つきで鋭利な剃刀で隈なく剃毛していく。剃毛が済むと揉み療治である。琴姫は棚から小瓶を取り出し、勿体ぶるように言う。

「ここに持ち来たりし沈香油はの、安南国に産する貴重なもの。このような小瓶で十両も致す。これをば薄く肌に塗り、(さす)るが如く柔らかに全身を揉み(ほぐ)すと、あまりの心地よさに寝入ってしまうと言う」

「本当。気持ちいいわぁ。眠りそう」

「利、利庵先生。琴姫様。これは病の治療では無く、美容術のように見えまするが」

「左様。これより顔の手入れを致す。十歳以上若返って見える筈じゃ」

その後、万里江は顔の皺や染みを完全に取り除き、眉、睫毛の一本一本の形を整え、黛や頬紅を差し、唇に蜜蝋を塗ってもらうと、言う通りどう見ても十代の娘に見える。施術は更に続き、次は膜再生術だ。万里江を生娘に戻すのである。執刀は利庵自らが行う。破れた膜は縫い縮められ、処女として通用するだろう。全ての施術が終わったのは深更である。その日は医学塾に泊めさしてもらった。

「さっき万里江殿が施術を受けるのを見て興奮してしまった。抱きたい」

「だめ。今したら折角戻してもらった生娘で無くなってしまうわ。今日は我慢してね」

「う、う〜〜ん。我慢できない」

「駄目といったら駄目。自分でしなさい」


翌日二人揃って深川の鐡蔵宅に報告に出向く。

「うむ。思った以上の素晴らしい出来だ。万里江殿は元々色白で肌理細やかなるが故、利庵先生の施術ですっかり若返った。明日着ていく着物や装身具を購っておいた」

「で、鐡蔵殿。万里江は明日何をすれば宜しいンですか」

「簡単なことだ。利庵先生より痺れ薬を処方して貰っただろう。それを葡萄酒に混入し、吉保に飲ませるのだ。その前にヤツを散々焦らしながら誘惑すれば良い」

「鐡蔵殿。万一万里江が吉保に手篭めにでもされたら、あっしは生きる(すべ)を失ってしまいます」

「心配するな。万里江殿はそんな(やわ)な女ではない。だから自らの裸身を曝け出し、全身の美容術を受けたのだ。生半可な覚悟で出来るものではない。お前と未来永劫結ばれたい一心で決心したのだ」



話を元に戻す。吉保の眼前に姿を晒した万里江は、膝を接するほど近づいて座り、吉保の目を見つめた。透き通る濡れたように光る瞳に見つめられ、(とろ)けそうになる。細い指を絡めてきた。万里江の肢体は想像を遥かに上回る見事なものだった。驚くほど豊満に張り詰めた柔らかな胸や尻に手を差し伸べると、喉を鳴らして甘えてくる。吉保は堪らず早くも人払いを命じ、隣室の寝間に万里江を(いざな)った。万里江は着ている着物全てを脱して床に落とし、目を閉じて前に進んだ。吉保は神々しいほど美麗な裸身に驚き、慌しく布団の上に押し倒し、ホトに指をいれ生娘であるかどうか確かめる。生娘だと解ると安堵して唇を合わせようとした。

「殿様。慌てないで。南蛮のお酒召し上がれ。私が飲ませて差し上げます。飲むと精気が一層漲りますよ」

万里江はギヤマンの杯に葡萄酒をたっぷり注ぎ、自ら口に含んで口移しに吉保に飲ませる。。強烈な痺れ薬の効果で、吉保は直ぐに動けなくなった。万里江は手水に立つふりをして素早く口を濯いだ。寝間の隣の狭い納戸で一部始終を見ていた徹五郎はほっとした。万里江の吉保を誘惑する姿が、あまりに(なまめ)かしく、ぴったり寄り添う二人を見て激しい嫉妬に駆られていた。策とは言え、ここまでしなければならぬのかと、歯軋りもした。


吉保が倒れた部屋から、遠く離れた一室では、鐡蔵とおりんが酒と料理を楽しんでいた。徹五郎は吉保が動かなくなったのを確認すると、急いで鐡蔵のいる部屋に向かい報告した。

「ご隠居。万里江が計画通り無事毒を吉保に飲ませました」

「よし。万里江に一騒ぎさせろ」

再び納戸に戻る。万里江に鐡蔵の指示を伝える。

「た、た、大変でございます。吉保様、ご気分優れず倒られました」

そう言うと万里江は徹五郎と共に姿を消した。大声で叫ぶ声を聞き、別室で控えていた原広之助が飛び込んでくる。


「何事が出来したのだ。や、やっ。と、殿。如何遊ばされた!医師だ。医師を呼べ。誰かおる。一大事じゃ」

原の悲鳴を聞きつけ、主人はじめ大勢が駆けつけた。

「こ、これは!何たること!ご同衾中の事故!興奮のあまり心の臓が止まったのやに知れぬ。お相手した女は何処じゃ」

「万里江ですが、何処にも見当たりません」

医師がやって来た。

「う、う〜〜む。全身が完全に麻痺しておられます。漢方医の私の手に余ります。新富町の蘭方の権威、岩橋先生を呼びましょう」

小僧が慌しく、新富町へ走る。


小半刻後、早駕籠で岩橋利庵がやって来、直ちに吉保が病臥する部屋に通される。利庵は沈鬱な鋭い目付きで、脈を取り、心臓に耳を当て、全身を触り触診を行った。

「極度の興奮で腎を痛めたようだ。このまま放置すれば命は無い」

「で、どうすれば助かるのでございますか」

「お主は何者だ」

「はい。殿様に扈従(こしょう)してまいりました藩お納戸役原広之助と申します。殿に万一のことあらば、川越藩の瓦解は元より、殿無くしては、恐れ多くも、徳川将軍家綱吉様も(まつりごと)を為す(すべ)を失い、将軍家をも危殆(きたい)にさらすと申さねばなりません」

「そのような重要人物が得体の知れぬ女性と同衾するなどもっての外。貴様は斬首に相当する」

「お、お助けを。利庵先生。何でも致します。殿をお助けください」

「たった一つ、助ける方法がある。吉保殿の痛んだ腎を健全な腎に取り替えることだ。貴様、今何でもすると申したな。貴様の腎を取り出し、吉保殿に移植する。それしかあるまい」

「い、生きたままの私から腎を取り出すのですか」

「左様。心配致すな。殺しはしない。おいっ。駕籠を用意しろっ!吉保殿とこの男を儂の医学塾まで運ぶのだ。急げ!一刻を争うぞ!」

慌しく大勢の男たちが動いた。通常四人で担ぐ駕籠を屈強な六人に替え、浅草山谷堀の八百善から日本橋新富町の医学塾へ駆け抜ける。利庵は馬を用意させ、一足早く医学塾に到着、弟子たちに命じ手術の準備を整えさせた。


手術室には二台の寝台が用意され、数十本の百目蝋燭が煌々と光り、熱湯消毒を済ませた手術器具がところ狭しと置かれていた。利庵と補助する琴姫と弟子三人は白衣に着替え、口と鼻を覆うように白布を回している。吉保と広之助が運ばれて、寝台に縛りつけられる。広之助は口を抉じ開けられ、多量の痺れ薬が注ぎ込まれた。やがて広之助は昏睡する。

「是より手術に掛かる。皆の者、用意は良いな」

「はい。先生」

「少刀!」

「鋏!」

「鉗子!」

次々と利庵の指示が飛ぶ。その都度弟子が手早く言われた器具を取り、利庵に手渡す。利庵の額に汗が滲む。弟子の一人が汗を拭い取る。利庵の手が余計なものに触れないためである。


この日行われた術は、腎の移植では全く無い。吉保は痺れ薬で眠っているだけだから、時がたてば目を覚ます。実際に行われていたのは、広之助を女に変えてしまう、恐ろしい転換手術なのである。広之助の全身を剃毛し下腹部を五寸ほど切り開いて、造膣を行う。陰茎と精巣を改変して作るのである。次に豊胸術を施して乳房をつくり、顎骨を削り、喉仏を取り除き、甘草や大豆の磨り潰した汁やその他の薬草を煎じたものを多量に飲ませる。男の性を女に内側から変える秘薬の投与である。


この男女転換術は医師の夢で、唐の国では宦官になるため去勢術が古来より行われていたが、生殖器の除去だけで本当の転換ではない。利庵はあらゆる文献を読み、研究を重ねてきたから、この夢の実現に必死だった。琴姫や弟子たちも固唾を飲んで見守る。数刻がたった。手術は成功した。あとは二人が覚醒するのを待つだけである。


後刻、吉保が先に目を覚ました。

「殿。お目覚めでございますか。もう大丈夫でございます。私は医師の岩橋利庵と申します。殿が八百善でお倒れ遊ばし、蘭方医である私が呼ばれました。此処は私の医学塾でございます。ご安心くださいませ」

「むう。まるで覚えておらぬ。儂を助けたのはその方か」

「はっ。危うきところで御座いました。痛んだ腎はこの者の腎と取替えましたから、ご安心ください」

「な、何者だ。其処に横たわっておるのは。胸は膨らみ、ホトもある。女のようだが、骨格は何処となく男」

「はい。殿が同衾されようとした女にございます」

「げっ。確かこのような汚らわしい男女(おとこおんな)では無かったぞ」

「些かご酒が過ぎまして、暗い室内で見誤ったので御座いましょう。確かにこの者が殿と絡み合って倒れておりました」

「は、早くその者を儂の目の届かぬところへ運び出せ。気色悪く吐き気がしてまいった」


原は裸のまま浅蜊河岸の土手に放り出された。通りがかりで是を見た人々はあまりの気持ち悪さに、石をぶつけたり、唾を吐きかけたりした。三日後、覚醒した原は己が姿に愕然とした。胸が膨らみ、陰茎が無くなっている。声を出すと上ずって女の声だ。川面に映る己が姿に嘔吐した。酷い醜女(しこめ)になり切腹も適わぬ。


翌日、六人の仲間達が深川の鐡蔵宅に集まった。

「ご隠居。お蔭様で上々の首尾となりました。御礼申し上げます。約束の五百両用意しました」

「柳沢殿の五百両と併せ、今回の報酬は千両。準備費用百両を除き九百両を等分する。各自百五十両だ。受け取ってくれ」

「わし等訴え人も頂戴できるんで?」

「勿論だ。今回は儂より岩橋先生が大活躍された。儂は絵図を描いただけだ」

岩橋利庵と琴姫は声を揃えていう。

「男女転換術という前代未聞の大手術。斯様な機会を与えてもらった、我等こそ感謝したい」

「憎き仇敵、原広之助は最早乞食女となった。あの身体は男と(まぐ)あう事は出来ぬ。男を捕って身をひさぐことも適わぬから、乞食で一生を終えるしかあるまい。万里江殿。仇討ちは果たしました」

「徹五郎。儂はお前が羨ましくてならぬ。これで天下晴れて万里江殿と夫婦になれるのだからな」

「皆、鐡蔵殿のお陰でございます。益々貴殿に足を向けて寝れなくなりました」




徹五郎は店に戻ると、番頭の公助を呼んだ。いつもの厳しい顔と異なり、今日は恵比須顔である。

「公助。長い間良く辛抱してくれました。この店をお前に譲ります」

「や、藪から棒に。一体どうなすったんですか。倹約家の旦那様が一代で築いた財産を、この私に無償で譲られるなんて信じられません」

「それがそうなのだ。私は財産より素晴らしいものを手に入れた。若妻だよ、若妻。今の嬶ぁはお前に熨斗をつけて呉れてやる」

「どうも話がうますぎると思いました。婆付(ばばあつき)ですか。旦那はこれからどうするお積りですか」

「この近くの骨董屋の主に納まる。愛の暮らしが始まるンだ。女房になるお人は、超美人で儂に首っ丈だ。はっ、はっ、はっ」


新しいキャラ、原口屋徹五郎が主人公です。徹五郎は大の女好きですが、真面目なところもあり、愛すべき主人公に育てるべく、今後書き続けるつもりです。時代背景は物語の展開上、一部時間をずらしてしまった部分もあり、ご容赦ください。

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[一言] 鐡蔵さん、こんばんわ。 う〜〜〜ん、困った………… 読んだからには、なにかコメントを書きたいのですが…… どー書くべきか…… ストーリーは奇想天外で面白いし時代考証なんかもバッチリ、鐡蔵さ…
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