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めがぱらっ!  作者: 緋村豪
第一話 「メガネの女神様」
6/24

-6-

 家に帰りつくころには、すっかり暗くなっていた。


 誠司はあれからも自称女神(仮)を小一時間ほど問い詰めていたが、成果はまったく得られなかったようだ。下校時間が過ぎ、顧問のちなみちゃんに部室から追い出されたときには、精神的に打ちのめされてゾンビのようになっていた。南無。


 まだ営業している眼鏡店の入り口をくぐる。

 奥で本を読んでいたオヤジ殿が顔を上げてこちらを見た。


「おう、おかえり」

「ただいま」

「ただいまー」


 背後から続いてきた声に、俺はがっくりと肩を落とした。

 オヤジ殿はまだ傍観を決め込むつもりのようで、面白そうなものを見る顔のままだ。

 俺はしかたなく、ため息めいた声を吐き出す。


「いつまでついてくる気だ?」

「え?」


 この顔はさっきも見た。

 心の底から不思議に思っている顔。なぜそういうことを言われたのかまったくわかっていない表情だ。


「そろそろ自分の家に帰ろうとか思わないのか?」

「だから、ただいまって」

「日本語が通じない……」


 多分こんな返しがくるんだろうなと思ってはいたが、実際に返ってくると脱力感がハンパない。

 俺はそれ以上言い返すのをあきらめ、店舗スペースを横切って奥へ上がる。

 当然のようについてくる自称女神(仮)のことは、なるべく考えないようにした。


「こーうーちゃーんー」

「……なんだよ」

「なんか冷たい」

「えらいえらい。少しは空気を読めるようになったじゃないか」

「ひど!?」


 オーバーなリアクションを繰り返す自称女神(仮)を無視して、階段を上り始める。

 その俺の首に、後ろから腕が巻き付いた。


「こーうーちゃーんー!」

「ぐッ……ばっ、やめろ! 首が……!」


 のけぞりかけた状態を無理やり戻して、首にかかった腕を引っ張る。どうにか呼吸を確保すると、自然と自称女神(仮)を背負う格好になった。


「む……う……」

「ん? なに? どしたのこうちゃん?」

「なんでもねえよ!」


 ホントはなんでもなくないのだが。背中にやわらかな感触が押し当てられて、非常に好ましい、いや、よろしくない。


「ってか、こうちゃんて呼ぶな」

「えー」

「えーじゃねえ。あとおりろ。重い」

「ぶーぶー」


 こんなやり取りももう何度目だろうか。

 おかしいな。初めて出会ってから、まだ1日しかたってないはずなのに。

 2階へ上がり、ダイニングキッチン(というほどしゃれた部屋ではないけれど)に入る。

 台所では愛美が夕飯の準備をしていた。


「ただいま」


 声をかけると、まな板に向かっていた愛美が包丁を持ったまま振り返った。


「ひっ」


 漏れた悲鳴は俺のものだったのか、それとも自称女神(仮)のものだったのか。


「……ナカ、ヨサソウヤネ」


 怨念がこもっている、と言うのだろうか。

 かくんと横に倒した顔の奥で、ふたつの目がうす暗く輝く。

 腹の奥底をきゅっとつかまれて、背筋に冷たいものが走る感覚。


「まっ、ちょっまて!」

「待つ……? なにを待つって?」


 言いながら、愛美が一歩踏み出す。包丁は持ったまま。

 怖いよ、マジで怖いって!


「お、おぅけぃ、とりあえず落ち着こうか。まずその包丁を置こう。なっ?」


 言われて気づいた、という様子で、愛美は手に持っていた包丁を見る。

 そして俺と包丁を見比べるように、何度か視線を行き来させる。


「あ、あの……愛美さん?」

「なに?」


 無表情。声にさえ感情がこもってなかった。

 相手を本当に怖がらせる顔って、怒り顔じゃないんだな。俺、初めて知った。知りたくなかったけど。

 でも、どうしたんだこいつ。今までになくマジギレしてるんだけど。


「……俺、そんなに悪いことした?」

「わからへんの?」


 わかってたら聞いてない。

 ゆらり、と愛美がまた一歩。


「じゃ、あたしはこれで……」


 言いつつ逃げ出そうとする自称女神(仮)の手首をつかむ。


「どこへ行く?」

「いやー、お邪魔かなって」

「いやいや、そんなことはないぞ」

「さっきまであんなに帰れ帰れって言ってたくせに!?」

「それとこれとは話が別だ!」

「巻き込む気なの!?」

「お前も当事者だろうが!」

「え!? うそ!?」


 言い合ってる間にもまた一歩。

 俺たちが短い悲鳴を上げる間にまた一歩。

 知らず知らずのうちに、ふたりして壁に背をつけ、手を取り合う格好になっていた。


「ま、愛美さん……?」

「お、落ち着こうよ……?」

「……」


 無言で迫る愛美。

 ちょ、マジでこわっ、こわっ!?

 額がくっつくほど近くに突き出された愛美の顔は、表情と言えるものが完全に抜け落ちていた。それどころか、目と口のある場所には、なぜか真っ暗な穴がぽっかりと開いていた。


「うわああああああああああああ!」


 叫び声を開けると同時に目を覚まし、布団を跳ね飛ばして身を起こした。

 肩で息をしながら周囲を見回す。自分の部屋だと確認して、大きく息をついた。


「……またかよ」


 なんだか立て続けに悪夢を見た気がする。

 それに、どこからどこまでが夢だったのだろう。

 判断がつかないのは、寝起きだからか、それとも他に理由があるからか。

 考えたところでわかるはずもない。

 俺は右腕だけを動かして目覚まし時計をとりあげ、目の前に持ってくる。


 7時29分。


 アラームが鳴り始めるまえに、スイッチを切ることにした。

 そのまま、また布団に倒れこむ。

 と、左腕に暖かくやわらかな感触。上下に軽く動かしてみると、ふよふよと心地のいい反発を受ける。

 なんか、昨日もこんな感じじゃなかっただろうか。


「……まぁいいか」


 心の片隅になにかころりとしたものを感じるが、たぶんそれは夢見が悪かったせいだろう。なんとなく不安な気持ちがあるような気もしなくはないが、きっと気のせいだ。

 そんなことより、今はこのまどろみの感覚を大事にしたい。

 ふたたび意識を手放しかけたとき、部屋の戸が開けられた。


「こうちゃん? さっき大きな声が聞こえ……」


 不自然な位置で途切れる声。

 なんだ……?

 薄目を開けてみると、部屋の入り口で愛美が立ち尽くしていた。台所の蛍光灯で逆光になっていてよく見えないが、なんだかあんまり愉快そうな顔はしていないようだ。

 俺は寝るのをあきらめて、身を起こした。


「ふぁ~……ぁぁ……どしたー愛美ー?」

「こ、こうちゃん……そ、それ……」

「……あ? それ?」


 俺の横あたりを指さす愛美。つられて目を向けると、自称女神(仮)が薄い襦袢一枚でくーすか寝ていた。


 俺の時間が止まった。


 ここでなにをするべきか、なにを言うべきか。運命はそれで決まるというのに、全身の関節は接着剤で固められたかのようで、思考はと言えば熱で溶けたアメの中に放り込まれたかのようだ。

 そうこうしているうちに、自称女神(仮)が目を覚ました。

 むくりと身を起こして、眠そうな目をこする。


「……おぁよー」

「あ、ああ……おはよう?」


 同じ布団の上で固まっている俺と、部屋の入り口で固まっている愛美を交互に見る自称女神(仮)。

 それから、にっこりと笑った。


「おぁふみなふぁい……」


 言ったかと思うとふたたび倒れて寝てしまった。

 そのとき、俺は見逃さなかった。

 ふたつのふくらみが、揺れてはずんでふるえるのを。

 はぁ……眼福。


「……」

「はっ!?」


 殺気を感じて振り向くと、目に涙を浮かべた愛美が右手を大きく振りかぶったところだった。


「バカー!」

「うおっま――」


 待てと言い切る間もなく、軽やかな破裂音が響いた。

 またこのパターンかよ、と理不尽に思いつつ。

 これも夢だったりしねぇかなぁ、などとも願いつつ。

 俺はまた、布団に倒れこんだ。


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