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「ちょっと無視しないでよぅ!」
いや、するだろ普通。
「な、中はどうなってるんすか? 服の中身は」
誠司の質問に、先輩は自分の体を守るように抱きしめて後ずさる。
「あっ、ちょっ、別にそういう意味では!」
俺としては、いきなりなに言ってんだこいつ、と、よく聞いてくれた、という気持ちが半々だ。
先輩の方はというと、抱きしめた自分の体に違和感を覚えたようだ。
「……ある」
「え?」
「自分で触ってる感覚が……胸に感覚が、ある」
言いつつ自分の胸をまさぐっている。
というかもんでいる。
むにむにしている。
……ありがとうございます!
俺は視線を固定したまま、誠司に向かって片手を伸ばす。それとほぼ同時に、がっしりと握手してきた。
それから先輩は後ろを向くと、胸元を開いて中を確認しているようだった。
そうなるとさすがに俺たちは視線を逸らした。
そらした先で、自称女神(仮)がまだドヤ顔をしている。
あぁ、まったくイラッとくる顔だ。
「ふわああ……」
先輩がなんだかすごい声を出している。やっぱり胸が大きいと嬉しいものなんだろうか。大きい子もそれはそれで苦労が多いとも聞くが、どうなんだろうな。
「しかし、なんでまたそんないきなり胸が膨らむんだろう」
誠司が当然の疑問を言葉に出す。
俺も不思議に思っていた。
服を戻した先輩もこちらへ向き直り、自分の胸を見下ろして不思議な顔をしている。
今では、もともと大きかったんじゃないかと思ってしまうほどの自然なふくらみ具合だ。というか、服はきつくなってないのだろうか。少なくとも上から見た限りじゃ、ボタンがはじけ飛ぶような事態にはなっていないようだが。
突き合わせていた俺と誠司と先輩の3人の顔が、自称女神(仮)に向けられるのにあまり時間はかからなかった。
自称女神(仮)はといえば、いっせいにむけられた顔に一瞬ひるんだものの、すぐにまたあのイラッとくるドヤ顔に戻る。
「認めたくないものだな……」
「ああ……でも、それしかないよな」
ワケの分からないヤツの虚言を信じるわけではないが、今のところ思い当たる原因がそれしかないのだ。
「先輩、一度メガネをはずしてもらっていいですか」
「え? あ、う、うん」
まばたきする間に、つつましやかな胸に戻っていた。心なしか全体的に平坦な体型になった気もする。
「……マジか」
「も、もう一回つけてみてもらっていいですか」
「う、うん……」
先輩がメガネをつけるとそこには、はたしてグラマラスな女性が鎮座ましましていた。
「ありえねえー!」
「ありえない、なんてことはありえない。とはいえさすがにこれは不条理がすぎる!」
俺のわめきに誠司が続く。
先輩の方も驚きすぎて言葉が出ないようだった。
「なんなんだよ『つけたら巨乳になるメガネ』って! 普通はそう見えるようになるとかじゃねえのか!?」
「そんなのありきたりすぎてつまらないじゃない」
「そういう問題じゃねえ! どんな仕組みで体型が変わるんだよ!?」
「……ごりやく?」
「なんで疑問形!? 話にならねえ!」
俺たちの言い合いをしり目になにごとか考え込んでいた誠司が、ぽつりとつぶやく。
「男がかけたらどうなるんだろう?」
ぎょっとしたような顔で見つめ合う四人。
頭の中ではいろんな想像がわきあがっていることだろう。
「その発想はなかった」
「持ち出した本人が言うか」
とはいえ、興味をそそられる話ではある。
自分のものなら触っても合法だよな、なんてバカバカしい考えが一瞬浮かんだ。
……顔に出てないよな?
先輩がメガネを自分のものとかけかえて、赤いフレームのメガネを机の上に置く。
女性ふたりに視線を投げかけられて、男のふたりは動きが止まってしまった。
「よくよく考えたら、これって罰ゲームみたいなもんじゃね?」
「女装……いや、女性化するならTSか」
「てぃーえすってなに?」
「トランスセクシャルの略。もともとは性同一性障害のことをあらわす意味だったけど、そこから転じて性転換モノのジャンルをさす言葉にもなったらしい」
「よく知ってるね」
「一般常識、でもないか。まぁ、ネット見てれば自然と入ってきますよ」
そしてまた四人の視線が、机の上のメガネに集まる。
とはいえ、今のところ興味をひかれているのは、男がつけたらどうなるか、なわけで。
ここに男はふたりしかいない。
「ええい、男は度胸! なんでもやってみるもんさ!」
言うが早いか、誠司は机の上のメガネを取り上げると、自分のメガネとかけかえた。
おお、男だな。いや、違うほうの字か。
一瞬ののちに、誠司の胸は大きくなっていた。
いや、胸に限らない。全身が筋肉質、いやマッチョ、つまりムキムキだ。
「……んあ?」
誠司の口から間抜けな声がもれた。
それもそうだ。自分の胸におっぱいができると思っていたら、逆三角形の筋肉質な体つきになっていたのだから、戸惑わないほうがおかしい。
ボディビルダーみたいな、かなりいい体格になっている。
「……どういうことだ?」
「うーん? じゃあ、今度は俺がかけてみようか?」
「あ、ああ、そうだな」
メガネをはずした誠司は、先輩と同じく元の体型に戻る。
俺は誠司からメガネを受けとると、おそるおそるメガネをかけた。
「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
いきなり雄たけびを上げたのは、自称女神(仮)だった。
ああ、そういえばこいつ、やたらと俺にメガネをかけさせたがっていたっけ。
「こうちゃん、ナイスメガネ!」
出かかったため息をどうにかこらえて、自分の体形の変化を確認する。
「……なんか、あんまり変わってないな」
「いや、ちょっと変わってるっぽい」
誠司の感想を、俺はやんわりと否定した。
ぺたぺたと自分の体つきを触って確認する。いわゆる細マッチョな体型になっていた。服の上からではあまりわからないかもしれないが、胸筋は盛り上がっているし、腹筋はしっかり割れている。
メガネをはずしてから同じように確認してみると、おなじみの自分の体つきに戻っていた。
「なるほど、そういうことか」
「どういうこと?」
「ええと……」
先輩の疑問に、俺は一言で応えるための言葉を探す。
「つまり、このメガネは『かけるだけで理想の体型になれるメガネ』ってことです」
言ってて自分でも何を言っているのかわからなくなりかけた。
四次元ポケットから出てくる便利道具なんかよりも、よっぽどぶっとんだアイテムなのは間違いない。
ありえない。
不条理すぎる。
常識どころか物理法則さえ超越している。
横を見ると、誠司が頭を抱え込んでいた。
逆に、先輩は目を輝かせていた。
ああ、ふたりの考えていることが手に取るようにわかる。
敬虔な科学信奉者には、足元が崩れていくような状況だろうし。
先輩のほうは、これさえあれば、なんて考えてるにちがいない。
「これさえあれば……」
……わかりやすすぎる。
とはいえ、これをこのまま渡してしまうのは良くないんじゃないだろうか。
渡すのがおしいってんじゃなく、このメガネを誰かに渡して、もしなにか問題が起きたらと不安がわいてくるのだ。それに、不思議なメガネを誰かにゆずった、という前例を作るのもまずいと思う。
ふと顔を上げると、誠司がこちらを見ていた。
どうやら同じことを考えていたらしい。
目だけでうなずき合うと、さっそく先輩に向きなおる。
「先輩、ちょっと待ってもらっていいですか」
「え? う、うん」
「そのメガネをかけたままにするのは、やめたほうがいいと思うんですよ」
「ど、どうして?」
誠司が机の上のメガネを取り上げてながめまわしながら、俺の後を引き継ぐ。
「これがどういう原理で体型に変化を与えるのか。まずそれがわからないことには、体型以外にもどんな影響があるのかわからないですよね。ぶっちゃけ、なにかしらの悪影響がでないとも限らない」
「ぶーぶー! そんなの出るわけないよー!」
「と、いうようなことを言って売ってた健康グッズが、重篤なアレルギーを引き起こして死人を出してしまった、なんて話も世の中にはあるわけで」
少し前にニュースになっていたことを思い出したのだろうか、先輩は黙り込んでしまった。
「たとえ使用は自己責任でと言ったとしても、もしなにかあった場合には、俺たちも寝ざめが悪いですし」
「寝ざめの問題で済めばいいんだけど」
「ま、済まないだろうな」
うむ、とふたりしてうなずく。
まずはリスクの指摘。
次は俺の番。
「仮に先輩がこのメガネをかけたまま、コトにおよんだとします。そうなってから相手にメガネをはずされてしまったら、どうします?」
「うっ……」
「なにかの拍子に壊れてしまったら? あるいは知らないあいだに効果が切れていたら?」
「むむむぅ……」
誠司からメガネを受け取ると、俺はポケットからメガネふきを取り出してふき始めた。レンズはもちろん、フレームまで。
「それにね先輩。さっきも言いましたけど、もうすでに約束はしてるんでしょ? だったら、今のままの先輩でいいってことなんですよ」
「……え?」
「巨乳じゃなくても、今風のファッションじゃなくても、それでいいんですって」
「……」
「いやもちろん、自分で自分をみがくって言うんですかね。きれいになる努力をするのはいいことだと思います。でもそれは、今の先輩自身を否定してまですることじゃないとも思います」
「……そう、なの?」
「ええ。先輩が今の自分自身を否定するってことは、相手の男の人の気持ちを否定するってことにもつながりますから」
先輩は黙り込んでしまう。
ここでもうひと押し。
「先輩、自信をもっていいと思います」
「…………ほんと?」
「ええ」
にっこりと満面の笑みで。
「……わかった」
よし!
心の中でガッツポーズ。
つーかもうそろそろ気持ちがもたない。
「私、がんばってみるね」
先輩はイスから立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。
「どうもありがとう、話を聞いてくれて」
「いえいえ、どういたしまして」
「それじゃ、私はこれで」
「はい。健闘をお祈りします」
先輩は心なしか軽い足取りで部室を出ていく。
俺は笑顔を張り付けたまま手を振って見送る。
ドアを閉める前には視線が合って、笑顔をひとつ残していってくれた。
遠ざかっていく足音が聞こえなくなったのを確認してから、俺は大きく息をついた。
「おつかれ」
「まったくだよ。まさか恋愛相談を受けることになるなんて思わなかった」
「うん? 便利屋ってなんでもするんじゃなかったの?」
「まぁそうなんだけど。今までは体力仕事ばかりだったんだよ」
「じゃあこれからはバリエーションが増えるね」
「えー……」
正直、めんどうな相談とかは遠慮したいのだが。
「それよりも、だ」
「うむ」
「え? な、なに?」
俺は持っていた例のメガネを、誠司が突き出した手の上に載せた。
誠司は受け取ったメガネを、自称女神(仮)にも良く見えるように立てて持つ。
「このメガネはなんなんだ?」
「なにって……メガネ?」
きょとんとした顔。何を言われているのかわからない、そんな顔だ。
こいつと話していると、日本語が通じているのかときどき不安になる。
が、まぁここは、誠司にまかせて黙っていることにする。
「そんなことはわかってる。どういう理屈でこんなものが存在してるのかと聞いている」
「……細かいこと気にしすぎてるとハゲるよ? 若いのに、大変だね」
「るせえよ! ハゲてねえよ! ってかハゲねえよ! フサフサだっつうの! 薄くなってもねえし! 初めて言われたわそんなん」
「軽い冗談のつもりだったんだけど、実は気にしてた? そんなリアクション大きいと逆に気にしてるのかと思っちゃうよ」
こ、こいつ……
「それにさっきも言ったよ? ごりやくだって」
「それで納得できる奴がいたらここに連れてこい」
「ん」
そういって自称女神(仮)が指し示すのは自分自身。
誠司は頭をかきむしって地団駄を踏む。
「本人じゃねえか! ああもう! あーもう!」
うんうん。こいつと話しているとホント神経にクるんだよな。
にこにこと笑顔を絶やさない自称女神(仮)を見ていると、なんとなくわかった。
結局のところ、こいつ自身にもよくわかってないんだろう。それはメガネのこと以外についてもだ。世間知らずというには度が過ぎてる。そうかと思えば、みょーな事を知っていたりもする。
ホント、よくわからんヤツだ。