第一腐
『ブリエラス王国』王都
百合の花が所々に咲き誇る美しき花の都。
芸術文化に富み、画家や音楽家を目指す貴族子弟が絶えず国家間を超えて留学する為に、この国を中心とした国家同士は剣を交えることが滅多にない。
何せ人質を常に保有しているようなものであり、更には国家同士の諍いを起こせば、国内の芸術文化に接触する一切の機会を閉ざすとブリエラス国王によって宣言されていた。
その宣言は、意外にも直接的な武力を封じる大きな抑止力となっている。
どんな国であっても優れた芸術文化に傾倒する王族貴族は多く存在する。
娯楽に飢えた彼らにとって、それらを手に入れる機会が奪われる事になれば、暴れ出す者が絶えないだろう事は容易に想像できるほどに、それはそれは非常に魅力的なものであったのだ。
以来、小さな諍いごとはあれど、大きな争いに発展する事は無く、世界のどこよりも平和な国となっている。
さて、そんな他国とは一線を画して、異質とも思える国柄の王都に、リリスと俺の勇者一行は到着した。
以前の街から数日かけてこの都市に到着したわけだが、魔王城があるという北に向かわず、西にあるこの国の王都に来たのには大きな理由がある。
北方面では既に豪雪の冬になろうとしており、今から向かうには流石に厳しい気候となっている為だ。
この都市は、年中変わらず文化の発信地であり、長期滞在する上で比較的資金が集めやすく、冬越しの物資が豊富なのである。
北へ強行しても魔王様の力で冬など吹き飛ばせる!
と言いたいところだが。流石のリリスも気候を操るような魔法は持ち合わせていないと言う。
なにより、リリスの聖剣による弱体化は俺が思っていた以上に重いものだったらしい。
俺が聖剣を預かり、一時的に全盛期の力を取り戻したとしても、魔力を使い過ぎた後に再び体に聖剣が戻って来れば、聖剣に施している封印がうまく作用しない可能性があるのだそうだ。
何とも、厄介な祝福を賜ったものだ。
それにしても現魔王も随分いやらしい真似をする。
まあ、意図しての事ではないだろうけどな。
魔王が聖剣にぶっ刺されても死なず、逃げ延びて勇者の祝福を受けるとか、考えられねえよ、普通。
そんなこんなで、王都に入ろうとする列を追い越し、門の手前まで俺達はやって来た。
そこで一人一人手続きをしていた衛兵が俺たちに気付いて、百合の花の文様が入った旗を振る。
「止まれ! 王都への入場はこの列に並ぶんだ。今から並べば、夜には入れるはずだ。」
親切にも、わざわざ俺たちの前に立って長蛇の列の後方を指差してくれる衛兵。
その言葉に従ってもいいのだが、荷台で不貞腐れている後ろのお姫様がそろそろ爆発寸前なので、とりあえず便宜を図ってもらえるよう会話をする事にした。
「俺達は勇者一行だ。急ぎ、物資を補給する必要がある。」
「悪いが、貴族様だろうが何だろうが、許可のない者は通さないようにとの命令だ。例外はない。」
……一言で会話が終わってしまった。
取り付く島もない。……頑固者め。
いや、職務に忠実な、ちゃんとした兵士ということだろう。この調子じゃ賄賂にも転ばないだろうな。
さて、時間をかけすぎると手続きの人員が減った事で、列に並んでいる連中から不満の声が出てくることだろう。
ここに居るのも無駄な時間になりそうだから、今回は素直に並ぶことにするか。
勇者権限なら何とかできるかと思っていたが、アテが外れたな。
「……分かった、並ぶことにしよう。面倒をかけたな。」
「その必要はありません。アザトゥルス様。」
馬車を旋回させようとニールに指示しようとしたところで、凛とした声に呼び止められた。
振り向くと、法衣を着込んだ美しい女性が衛兵の後ろにいた。桃色掛かった金髪と優しげな垂れ目が特徴的な若い女性。
法衣は教会の人間が着るようなものではなく、魔法使いがよく使用する、術的に意味のあるものだ。
美しい意匠から、相当に金のかかったものであると分かる。
……というか、誰だこいつ?
あちらは俺の事を知っているみたいだけれど、俺に覚えはない。
この国に以前来たのは、もう5年も前のことになる。
当時、金欠で喘いでいたのは覚えているが、さすがに細かいことまで覚えていない。
「覚えていない、というお顔ですね。うふふ……。これで、思い出されていたら逆にショックを受けてしまいますよ。……アルさん、こちらのお方は国賓です。私が対応致しますので、職務に戻ってください。」
「はっ!」
アルと呼ばれた衛兵は、女性の指示に従い手続きの作業に戻っていった。
「お前は誰だ?」
奇妙な対応に、俺は首をかしげるしかない。そんな様子に彼女は微笑を浮かべて返す。
「詳しいお話は王都に入ってから行いましょう。思い出話も一緒に……ね?」
意味深な笑顔に若干気圧されてしまうが、取り敢えず降っておりた幸運に流されて、恨みがましく睨んでくる、列に並んだ連中を横切って入門する。
白百合の花が中央道端に咲き誇り、丁寧に飾り付けられた目の前の美しき光景を目に焼き付ける。
更には白の色合いで統一された建造物が、その中心にそびえ立つ王城を引き立たせ、荘厳さを思わせた。
同時に、その視界の端で芝居掛かった礼で迎えてくれる美しき一輪の花。
「ようこそ。花の都、ブリエラスへ。」
ーーー
「むう、二月もこの都市に滞在するのか。流石に退屈してきそうだぞ。」
「ならお前も仕事を探すか? 平和な町だから冒険者や傭兵の仕事は見込めないが、飲食店の店員なら出来るだろう。」
「王たる妾に給仕の真似事をしろと言うのか。……ふむ、それも多少の余興にはなるだろうが、いずれ死人が出るぞ。」
多分、不快なことをされた時のことを考えているだろうが、我慢しろよ。仕事だぞ。
「難しいのならやらなくていい。元々、俺が稼ぐ為にこの都市を選んだんだ。しばらく自由にしていていいぞ。」
「うむ。では、ルシファーに任せよう。妾は目立たない程度に自由を謳歌する事にする。」
目立たないってのは無理だろうが、居場所がすぐにわかるってのは良いことだ。俺の仕事の邪魔をしないでくれればそれで良い。
控えめなノックの音が耳に届き、俺は特に警戒も無く部屋の扉を開いた。
「お迎えに上がりました、アザトゥルス様。」
来訪者は、この都に迎え入れてくれた美女。
彼女は俺達が王都に入った後、手早くこの宿を手配してくれた上に、俺がやろうと考えていた仕事の段取りを行ってくれている。
妙な手際の良さから、前にこの都市でやっていた仕事の関係者だという察しはついているのだが、俺が彼女と出会った覚えは、やはりない。
こんな美女と出会ってたなら忘れるはずがないし、どういう事だろうか。
美女の年齢から推測しても難しそうだ。
見た目の年齢から十八から二十歳程度だと思われるが、女ってのは化粧をすれば若返ったり、歳を進める事ができるものだから、正確には不明だ。
まあ、少なくとも俺より年上ってことはなさそうだがな。
「わかった。では案内を頼む。」
今回、彼女を遣わせ、俺を客として都市に招き入れて、更には仕事を用意してくれている謎のサポーターにようやくお目見えができるそうだ。
はっきり言って怪しさ満点なのだが、いざとなれば食い破る事は出来るだろう。
俺は対人戦が得意なのだ。
仕事道具の入った皮袋を掴んで、俺は美女について行く。
「待て、ルシファー。妾も付いていこう。主がやるという仕事に興味があるのだ。」
部屋を出る前に、リリスからそんな提案が寄越される。
んー……正直、リリスには余り知られたくない仕事なんだがなぁ。
「それはいけません。」
どうやって断ろうか、沈黙して悩んでいると断固とした口調で、反対の意を表す声が飛び込んでくる。
思わず振り返ると、瞳に不思議な迫力を宿した美女の姿がそこにある。
「な、な、何なのだ貴様は!?」
つかつかと部屋の中に入り、美女はリリスの両手を包むように取って、その瞳をじっと見つめる。
今までそんな事をされた経験がないだろうリリスは、見てわかるほどにたじたじな様子だ。
それにしても、美女同士が見つめ合う光景ってのは、実に良いものだ。実に良い絵になる。
「これから向かうのは王城の最奥、貴女のような方を迎え入れるわけにはいきません。」
どきりとした。
行き先が王城だという事にも驚きだが、そこに招かれてもおかしくない筈の『勇者』が門前払い扱いである事に驚愕を覚えたのだ。
まさかこの女、リリスの正体に気付いているのか!?
「貴女は汚れのない、純真な精神を持つお方。王城におわす方にとって、貴女のような存在は、眩しすぎるのです。」
……ん? んー?
「は?」
「私は多くの人を見てきました。貴女の性質は匂いで……いえ、香りでわかります。」
呆気にとられているリリスを置き去りに、美女はこちらに一度意味深な視線を送り、再度リリス向きなおる。
「例えば、貴女にはこう言った知識はありますか?」
徐に美女はリリスの左耳に口元を寄せ、何やら小さく語りかける。
その行為自体に真っ赤になっていたリリスは、時間が経つにつれ、更にどんどん赤く染まる。
銀髪に白い肌だから余計に目立つな。
てか、何を話しているのだろうか。囁くような小声なのでまるで聞こえない。
「……以上です、勇者様。アザトゥルス様はその手の経験が豊富なため、問題ありませんが少しばかり貴女には早すぎるのではないでしょうか。」
「ル、ルシっ……え? いや、そう……そうなのか!?」
「おい、何を言った。」
流石にこれ以上はまずい。
何がって、リリスが俺に何らかの不信感を抱いたままでいたら、ふとした誤解で殺されるかもしれないからだ。
勝手な事を拡める真似は許容できる範囲を超えている。
「幾多の女性と交合う職業が存在するという、ごく当たり前の常識をお伝えした程度です。少々、男性に聞かれるにはあまりに表現が生々しくなりそうでしたので、声を控えさせていただきました。」
俺が女を強く睨みつけると、怯む事なく淡々と返事をしてくれた。
いやいや、流石に当たり前の知識を披露しただけにしても、このタイミングで言えば俺が今回やろうとしてる仕事がそれだと思われちまうだろ!
それ見ろ、リリスの目が完全に「信じられないっ!?」っていう目になってるじゃねえか。
「勇者様、アザトゥルス様の今回の仕事は、それではありませんよ。ですが、その程度の知識で赤くなるようでは、これから向かう場所に耐えられるとは到底思えないのですよ。」
「む……むむ。むむむ。……わかった。勝手に行くが良い。……妾は疲れた。」
赤くなったり、俺を見て青くなったり忙しいリリスだったが、げんなりとした様子でベッドに倒れこんだ。
魔王様、こういう事に免疫ないんだな。
……道中、セクハラしなくて本当に良かった。
「それでは、参りましょうか。アザトゥルス様。」
リリスをノックアウトして少しだけ満足そうなこの女は、ベッドに倒れこんだ彼女に一礼して部屋を出て行った。
と、俺も付いていかなければな。
「ルシファー。……あの女には気を付けるのだぞ。」
悔しそうなリリスの言葉に手を振って返し、俺は宿を出る。
妙な足止めを食らったが、俺の仕事はこれからだ。
ーーー
道中の会話
「それで、そっちの仕事を知ってるって事は、以前の客か?」
「ええ。もう五年も前になってしまいましたけれど、当時は随分と堪能させていただきました。」
「……悪いがお前に見覚えがない。」
「そうでしょうね。ですが、自信過剰でなければ、私ほど印象深かった客は居なかったと思いますよ。」
「死に際の婆さんや、横と縦が同じくらいのずんぐり体型の女が、一番印象深かったが、お前みたいな奴はーー。」
「あ、それ。私です。」
「あ?」
「そのずんぐりな体型の女が、私です。当時十三歳でした。……もう五年も前になりましたけれど、媚薬を服用して興奮した貴方様が豚、豚と私を罵りながら嬲って下さった事……今でも覚えているんですよ。」
「………」
「今回も、その……も、もし、開業されるというなら、予約……出来ませんか? 出来れば、同じプレイをお願い致します。……えへ。」
◆◆◆
箱入り娘。
そんな風に呼ばれている貴族の娘は沢山いました。
美しく成長して、高い身分の男性に見初められるという使命を持ち、政争の道具として扱われる娘達。
蝶よ花よと育てられて、可愛らしく成長していく少女達。早いうちから婚約者の話が持ち上がるほど、候補の男性はより取り見取りだったそうです。
そんな同世代の娘が沢山いた中、同じ貴族の娘であった私は、肉よお菓子よと育てられて、立派に成長致しました。
ええ、それはもうオークの花嫁でも当てがおうとしているのでは無いかと思えるほど立派に。
十歳の時までは普通の体型だったと思います。
勉強を教えてくれる先生や絵画や音楽の楽しみ方やお花の手入れを教えてくれる先生、それら全体のスケジュールを考えてくれるお付きの侍女が付いたのはこの頃が最初でした。
そして、確かこの頃からだったように思います。
傍らに、大量のお菓子が置かれるようになってきたのは……。
私には母が二人おりました。
一人は私を産んだ実母。もう一人は、義弟を産んだ義理の母。
二人は仲が良く、私や義弟を差別なく愛情を持って接して下さいました。
正妻と妾間での争いなど皆無であり、貴族としては珍しい、非常に円満な生活を行えていました。
そんな中、十歳になろうとしていた私に縁談話が舞い込んで来たのです。
お相手は、我が家よりも爵位が上である、公爵家の次期当主様でした。
当時私は、蝶よ花よと育てられていた為に、縁談の話を聞いた時には、お父様やお母様達のような素敵な関係が作れるのだと、信じて疑いませんでした。
今思えば、ぞっとするお話で……、いえ、今の私だとゾクゾクしてくるお話ですが、当時の私が真実を知っていればぞっとしていたお話だったことでしょう。
何せ、お相手の年齢は三十二歳。
十歳を相手にする年齢としてはあまりにも厳しいお相手だったのです。
二人のお母様達は、縁談に大きく反対しました。しかし、高い身分のお方と繋がりを持っておきたい伯父様や叔母様が、唯一縁談を持ってきた方とお話ができるお父様を説得してしまったそうです。
お母様達は、知恵を絞ってなんとか縁談を壊そうとしました。しかし、相手は公爵家。そんなことがバレれば、相応の罰が家を襲うことになってしまうでしょう。
迂遠、迂遠と大きく遠回しに考え出した結論は、運に委ねることでした。
そうです。
私が、『食いしん坊』である事に賭けたのです。
そして、それが大当たりしました。
何故か傍らにある大量のお菓子。
私は、それらをお稽古前にぱくり。
お稽古の合間にぱくり。
お稽古が終わった後にぱくり。
夕餉の後に、部屋に持って帰ったお菓子をぱくぱくと口に入れました。
どうやら私は、父に似て健啖家だったようで、十歳にして夕餉のすぐ後に山盛りのお菓子を食べきれるような大食らいだったのです。
そんな生活を数ヶ月。
痩せていて、儚げな印象だったらしい私は、見る影も無く、丸々とした顔に頰肉が垂れている、ぽっちゃりとした体になりました。
そして、縁談の相手と初めてお目見えする事になった時に、公爵家の次期当主様は、そんな私を見るなり怒り出して、縁談を破棄なされました。
私は最初、その方が私の縁談の相手だとは思わず、かの方のお父様だと思っていました。
そんな方に、突然の縁談の破棄を言い渡されて酷く困惑したことを今でも良く覚えています。
初めて経験する、失恋にも似た激しくも悲しい感情を覚えた私は、抑えられない感情を甘いお菓子にぶつけることしか出来ませんでした。
もう、この頃から私は、心の拠り所を全て食べ物に委ねていたのです。
公爵家からのお咎めは特にありませんでした。不利益があるとすれば、むしろあちら側で、下の家とはいえ、娘を見るなり破棄を言い渡したかのお方の評判は下がることとなり、縁談が来づらくなったそうです。
誰だって目の前で愛娘を貶されるのは嫌だったのでしょう。
お母様達の目論見は達成し、後は私の体型が元に戻ることで全ては落着するはずでした。
しかし、私はもう食べ物からは離れられなくなってしまったのです。
私は大層わがままになりました。
お稽古の時にお菓子が置かれないことがあれば駄々をこね、朝餉や夕餉の食事の量が少なければ喚き散らし、食後のデザートも沢山要求しました。
わがまま放題で、私に言うことを聞かせたければ食べ物を渡す、という話が通例化し、それの改善が殆どなされないまま、私は当たり前のようにぶくぶくと太っていきました。
そんなある日、家の中で新たな問題が浮上してきました。
それは至極当然で単純な問題。
私の縁談相手がいない、という事でした。
十三歳という年齢は、貴族として大きく変わらなければならない時期です。
貴族の娘ならば婚約者がいないなどあり得ず、更には社交界に積極的に顔を出し、名前を広めていく時期でもあります。
これを怠れば、将来の旦那様に迷惑をかけると言っても過言ではないものでした。
しかし、私は婚約者どころか動く事にも苦労する肉団子。そのような道はすでに閉ざされていました。
そして、私自身、それすらどうでもいい事だと思っていました。お菓子さえあれば生きていけると、本気で考えていたのです。
お父様やお母様達が、そんな態度の私を見放すにはそう時間が掛からなかったように思えます。
実母は私に、勘当の儀を言い渡しました。
貴族の娘という役割から脱落させる儀式。
処女性を失わさせるための姦通を行った上で、市井にて働かせるというものでした。
母の宣言の翌日。
一人の男娼が屋敷を訪れました。