第七邪
「アザトゥルス様、おはようございます。」
「ああ、おはよう。ヴァルマイスト卿、体はもう大丈夫そうだな。」
「ええ。アザトゥルス様のお陰で随分と良くなりました。少し、まだ腕に違和感を感じておりますが、本来なら腕自体無くなっていたことでしょう。これ以上の贅沢は罰が当たってしまうというものです。」
あの戦いから既に数日が経過している。
救出した貴族の男、ロキネリウス・フォン・ヴァルマイスト男爵の治療は、思ったよりも時間がかかった。
あの赤妖鬼にどれだけの力を込められたのか、右腕は骨が粉々に砕けており、村に帰った時には酷く膨れ上がり紫色に染まっていた。
更には顔面蒼白で酷い発熱、助けたは良いものの、危うく失血性ショックで死ぬところだったのだ。
助けた甲斐が無いし、何より今後の方針に関わってくるため、夜通しかけて回復魔法をかけ続けて一命を取り留める事に成功した。
骨が粉々になっている腕に関しても、何とか治す事ができた。
俺の使える回復魔法では無理だったので、ちょっとした常備薬を飲ませたのだが、思いの外よく効いたらしい。
一夜明けて無事目を覚ましてくれたのは僥倖だった。
今までの経緯と、身分や立ち位置を教えてくれたからな。
ヴァルマイスト卿は、前に俺たちが滞在していた街、アスタロトの徴税官をしているらしい。
村の存在を冒険者の会話で知り、確認の旅に出た途端赤妖鬼に捕まってしまったそうだ。
根掘り葉掘り情報を引き出され、あの時俺たちが助け出さなければ、用済みとして処分されていたのではないかと言っていた。
取り敢えずここで大事なのはこいつが『徴税官をしている男爵』という点だ。
洞窟に入る前に想定していた事だが、魔王軍の魔族が居て、人質がいるとするならそれなりに立場の高い奴だろうとは考えていたのだ。
情報源としてなら、普通ちゃんとした知識がある奴を選ぶからな。
魔族ってのは、人間が勝手に想像しているよりも強かで狡猾だ。
それこそ、人間と同じくらいに。
多分だが、あの赤妖鬼は意図的にこの男を村に向かうように仕向けたのだろう。
穿った見方をしているが、方法は分かる。
『人間に紛れる事のできる魔族』
おそらく卿の話に出てきたそいつらを使ったのだろう。
冒険者に化けたのか、或いは冒険者との会話相手だったのかは分からないが、この活動的な貴族サマを釣る餌を用意した。街道の中心にある隠れ村という微妙な立ち位置の村を。
こいつの言うように、街と街の間にある村への徴税というのは微妙な問題だ。互いの街の徴税官による調整が必要なくらいには。
それに、情報源が不確定ならば確認せざるを得ないので、自ら動く事にならざるを得ないのだろう。
そうした事情から、のこのこと街道に繰り出した。
それらが奴らの罠だと知らずに。
とはいえ、これはあくまで推測のみ。
真実は闇の中だ。
当事者は今もそれが罠だったとは全く思っていないようだし、加害者は既に死んでいる。
もはや、一件落着している。
考えるのも蛇足というものだろう。
「そうか。なら馬車で揺られている内に感覚を取り戻す事だな。アスタロトへ戻ればたくさん仕事があるだろう。」
「ええ、大恩あるアザトゥルス様の要望です。この村の事は全てお任せ下さい。ところで、リリス様はどちらに? 姿が見えませんが。」
「……ああ。昨日は流石に飲み過ぎたようでな。まだ寝ている。」
「そうですか。私は飲んでいませんが、随分酒精が多そうな匂いでしたからね。アザトゥルス様は平気なのですか?」
「問題無い。俺は蟒蛇だからな。あれ以上に強い酒を飲んだ事もある。」
なんだったか。昔ヒュードラが持ってきたあの酒。
『鬼神殺し』だったか。
水だと思って飲んだら、ジュースみたいに甘い味があったのを覚えている。
あの後、体が熱くなって大変だったな。
さて、リリスだが。
昨日、村長に対して今回の事件のあらましを話している最中にぶっ倒れたのだ。
俺が青妖鬼を倒したあたりを話した頃合い、三杯目の盃を飲み、ひっくり返って目を回していた。
村長は驚いていたが、ありゃ当然だ。
リリスは酒に弱いわけでは無い。この村の酒が強すぎるのだ。
外の環境と切り離されていても酒ってのは必要になるもんだ。だが、行商など来るはずも無いこの村だと作るしか無い。
そして出来上がったのは強い酒。
大量に作る事のできない環境なので、少量で満足させる必要があったのだろう。
地酒ってのは酒精が強いものが多いけれど、格別にこの村は強くなってしまったわけだ。
話で気分が盛り上がっていたリリスは、それに気付かず何杯も勧められるままに飲んでああなっちまった。
寝室で体を真っ赤にして唸りつつ、徐々に着崩していく姿は眼福だったな。
一言でいうと、エロかった。
「日が昇り終わる前には出るぞ。」
「分かりました。」
それにしても不思議な奴だ。
貴族相手にタメ口で話している俺が言うのは何だが、やけに恭しい態度を取ってくる。平民の俺に、何故か様付けしてくるし。
なんか、その内跪きそうなほど畏まっている気さえするぞ。
まあ、こいつにとって命の恩人っていうのはそれほど重いって事なのかもしれない。
貴族サマの価値観は俺たち庶民にはわからないもんだ。
ヴァルマイスト卿と一旦別れ、俺は村長の家の横にある、仮設の厩舎となっている小屋へと足を向ける。
リリスの愛馬であるニールは今、そこにいる。
開け放たれた窓から黒い顔を覗かせていた。
「ニール、出発の準備だ。……ん?」
馬車との繫ぎ止めをしようと思ってきたのだが、ニールはその場を動こうとしなかった。いつもなら、言葉を理解して動いてくれるのだが、どうした事だ?
嫌がっている風ではなく、何かに困惑しているような……。
小屋の中に入る。
ふむ。仮設の厩舎とはいえ、よくできたものだ。ニールの水飲み場も綺麗にされているし、寝藁もいい位置にある。
村人の中に、馬の知識が豊富な人間がいたのか。
ニールも不満なく過ごせた事だろうな。
さて、そんな快適空間に、異物を見つけた。
丸まって、ニールの寝藁に身を隠している小さな存在が二つ。
ニールがその場を動こうとすれば踏んでしまいそうな危ない位置にそれがいたので、さっきのニールの対応に、俺は合点がいく。
俺は足音を消して、それに近付いた。
身を隠してやり過ごそうとしているのかもしれないが、お粗末にも程がある。
「おい。」
「ひゃっ!?」
「わわわっ!?」
隠れていた子供二人の首根っこを同時に掴み、猫のように釣り上げる。
十にもなってなさそうな子供だ。何やってんだここで。
俺のちょっとした沈黙に、今にも泣き出しそうな二人。泣かれても困るし、取り敢えず一度下ろして頭を掴む。
涙は引っ込んだみたいだが、今度は体が固まってしまった。……俺の顔ってそんなにおっかないのか?
「ここで何をしていた。」
「お、馬さんの水、かえにきたの。」
「と、父ちゃんが今日はぼくたちにまかせるって……。」
成る程、この子達は厩舎の手入れをしてくれた人の子供か。よく見ると、水飲み場の横に空の桶がある。あれで新しい水を汲んできたようだ。
……それなら何で隠れていたんだ?
聞くと、この子達の親父さんから、馬に近付いたり、触ることを禁じられていたらしい。
しかし、水の入れ替えが終わった後、姉の方が我慢し切れず約束を破ってニールを撫でてしまったそうだ。弟も羨ましさから同様に凶行(笑)に及んでしまった。
そんな時に、馬の主人である俺が現れ、見つかったら怒られてしまうと考えた二人は大急ぎで隠れたというわけだ。
事の顛末は可愛いもんだが、最悪の事態が起きていたらとんだ惨事になっていた事だろう。
ニールが賢い馬で良かったなお前ら。
そう言って、二人を送り返す。
……何て事を俺はしない。
流石に、こればかりは許しておけない。
年齢は幼いが、ニールの事が前例になって馬の怖さを見くびる事になってしまっては困る。
特に、馬に関わってきそうな人間なら尚更だ。
昔、馬を預けていた厩舎の下郎が、俺の馬に蹴り殺された事があった。俺の馬が悪かったわけではなく、その下郎に馬の知識が全くなかったという話だ。
馬の視野は広いが真後ろは当然死角。
その場所に気配を感じると、大抵の馬は危険を察知して蹴るという習性があるのだ。
後ろにいるのが安全な相手という認識をさせ、ようやく後ろに回れるようになるというのに、下郎は真後ろで、さらには大きな声を上げたそうだ。
事故で人を殺した馬は縁起が悪い。
一時期傭兵の間でそんな迷信が流行ったこともあったが、俺は気にしていなかった。
長年連れ添ったパートナー。そんな事で馬に不信を抱くほど俺は人でなしではない。
とは言っても、敵でもない人間を殺したってのは、不幸な事故だとしても気分のいいものではない。
例えば蹴り殺した相手が女や子供だったと思うと気が滅入るってもんだろう。
ちなみに、その馬は今はもういない。
魔王様と出会う少し前に、非常食として食っちまった。
閑話休題。
俺はニールと子供達を外に連れ出して、小屋から離れた場所に移動する。
使わなそうな、そこそこ大きい枯れた木材をニールの後ろ足に立たせた。
ニールの後方は森だ。人の通りは確実にない。
俺は子供達に、あの木材がさっきのお前らだと思え。と言い聞かせる。
二人が不思議そうな顔で木材を見つめると、突然ニールの後ろ足が跳ね上がり、次の瞬間木材が吹き飛んだ。
中心から上は遥か上空に上がり、森へ落ちる。
下半分は地面をずりずりと音を撫でながら滑っていく。
そんな光景に、二人はぽかんと口を開いて驚愕を露わにする。
こいつらの頭の中では、あの木がもしも自分だったらと、想像が働いている事だろう。
そこまで至っていなくても、馬の後ろ足は怖い。或いは、力強い。という感想を抱いてくれたはずだ。
さて、次のステップだ。
ニールを近くまで招くと、子供達は面白いくらい怯えていた。
そりゃそうだ。あんな場面を見せられて、自分の姿で想像させられたらトラウマの一つにはなる事だろう。
俺の後ろに隠れた二人を、手早くニールの背に乗せる。姉は前に、弟はその後ろにだ。そして、最後に俺が乗る。
普通の馬なら結構重くて大変だろうが、ニールは特別なので問題ない。困惑している二人を体で包み、しっかりと背中を掴ませる。
そしてそのままゆっくりと駆け出した。
ーーー
「ほう。それで妾のニールがこうなっているわけか。」
「……想定外だ。」
「……ふふふ、策士のルシファーも純真な童には敵わぬか。」
出発の時分となり、リリスが起きてきて、さて発とうという段階で、ニールは先の子供二人に泣き止められてしまった。
経緯を話すと、リリスのツボにはまったらしく、したり顔でいじってくる。
馬の力に恐怖感を植え付けて、その後に馬全体の恐怖感を払拭するため、乗馬の楽しさを覚えさせ、最後に自由に触れ合わせた。
こうする事で、やってはいけない事というのを人は理解する。馬をどう扱えば怒らせないで済むか、或いは快くさせる事ができるかを体で覚えるのだ。
実際、自由に触れ合わせた時には、後ろに立つような真似はしなかったし、体を撫でさせている時も、ニールの不快な態度を機敏に察知して触るところを常に気にしていた。
そこまでは計画通りだったのだが、ニールが子供らを変に甘やかせ、懐いていく態度を取るものだから、逆に子供らがニールに懐いてしまっていたのだ。
この変な子供好きは一体誰に似た事やら。
少なくとも、間違いなく俺には似ていないな。
「引き放そうか。」
「ふむ。だがそれでは追ってきそうで困ってしまうな。この子らの親はどうしているのだ?」
「父親は今朝、あの洞窟に向かった。村長が何人か連れて行って子供らの遺骨探しをするそうだ。」
「むう。……そうか。確か四人だったか、あの洞窟前で死んだ童は。」
「一人助かっただけでも御の字だ。低ランクの冒険者でさえ複数匹相手には手こずる。ルドフが生き残ったのは奇跡に近いだろう。」
「遣る瀬無いな。」
過去の出来事で、もしもの事など考えてもキリがない。終わった事は取り戻しようがないのだから、先の事だけ見ていればいい。
「ルーダ、ルティア。勇者様達が困っているでしょう。……ああ、申し訳ありません。」
そうこうしている内に、子供らの母親が現れた。
農作業の手を止めて、急いで来たのだろう。手や顔には所々土がこびりついている。
汚れもお構いなしに、子供達を抱きかかえようとするが、どうやら二人はニールにしがみついて、テコでも動かないらしい。
取り敢えず、母親の存在は付いてこない為のストッパーにはなるだろう。
俺は御者席を降りて、子供らの目線に合わせるように座り、頭を掴む。
母親が、小さく悲鳴を上げたが気にしない。
……気にしない。
「あんまりしつこいと、ニールに嫌われるぞ。」
ブヒンと、否定を露わにするニール。黙ってろ。
俺の言葉にか、ニールの嘶きにかは不明だが、一瞬力が緩んだ隙を見逃さず、俺は二人を脇に抱えてニールから引き離した。
そのまま、母親の方に手渡していく。
おお、流石に農作業に従事する逞しい腕だ。子供達二人を押さえつけるのはお手の物か。
小さく抵抗を見せる子供らを尻目に、素早くニールを駆らせて馬車を発車する。
村長には見送り不要と言ってあるので、纏まって見送られる事はないが、時折あちらこちらでありがとうとの声が聞こえていた。
まだ、問題解決は終わってないっての。
だがまあ、やってやろうかって気にはなるから悪い気分じゃない。
さっさと後ろの貴族サマをアスタロトに届けて、山積している問題を解決してもらおうじゃないか。
そういや、さっきの母親どっかで見たことあるような……。
◆◆◆
「村長。これで四人分です。」
「ああ。」
目の前に転がる人骨。それぞれ無事なものはなく、どこか欠けていたり潰れている。
骨だけの姿では、元々誰だったのかすら判別することはできないが、どうしてもわかってしまう事はある。
体格と、全員が子供であることだ。
ラスティ、リンドー、レオン、ロンド。
村の子供達。
ラスティは一番小柄だった。リンドーは顔のエラが張っていた。レオンは普通。ロンドは胸が張っていた。
それらの特徴が、遺体に全て残っている。
貴族様の話では、死んだ子供達は運ばれてゴブリンに食われたと言っていた。
ゴブリンがどういう生き物が詳しく知らないが、骨をバラバラにすると言うことはしていないらしい。
皮膚や内臓を食べて体格だけしっかりと残っている。
そんなことはあり得るのか。
いずれにしても、子供達が死んだのは悲劇だ。
未然に防ぐことが出来たのではないかと、後悔の念が私の胸に渦巻く。
私は長だ。
こんな事が起きないように、何かをすべきだったのだ。いや、分かっている。
アザトゥルス様に教えてもらっている。
私は、この村に戦力を作るべきだったのだ。
国に頼らない選択を選ぶなら、自衛する手段を作るべきだった。
愚かにも、木々による壁で満足し、ゴブリンという敵にそれを破られれば、なす術なく従った。
子供達が憤慨しても仕方のない話だ。
実に、情けない。
貴族様は我々を守ると言ってくれた。
アザトゥルス様の恩義に報いる為だと。
おそらく今後は、彼によって変わっていくのだろう。
隠れ村は、外と交流を持ち衛兵が常駐し、普通と変わらない村の姿に変わる。
素晴らしいことだ。
だが、その場所に私はいるべきではないのだろう。
今回の件で、責任を取る必要がある場面が出てくるのならば、私が取ろう。
そして、新しい世代に託すのだ。
私のような愚かな選択を行わないように。
最後の遺体が運ばれてきた。
長身で体格の良い遺体だった。
頭蓋は陥没して、顔の特徴は掴めない。
村の子供の一人であるのは間違いないはずなのだが、頭に霞が掛かっているように、どうしても名前が出てこない。
確か、あの子達を牽引していたリーダーだったはずだ。
……なぜ、思い出せない。
遺体を前に呆然としていると、真横にふらりと現れた一人の男が泣き崩れた。それが自分の息子だと分かったのだろう。
私はその男を見てハッとした。
本当に、なぜ思い出さなかったのだろう。
男は、勇者様達に貸し出した仮設の厩舎の手入れをしてくれていた、ルドラという三児の父親。
息子の名前は『ルドフ』。
体格が良くて、働き手として非常に期待されていた少年だった。
最近色々と問題が起きていたから、私も遂に呆けにでもなってしまったのだろうか。
ーーー
「ニールいっちゃったね。」
「いっちゃった……。」
「あなた達もこっちで畑を手伝いなさい。」
「えー。ルドフ兄ちゃんはまだ帰ってこないの?」
「お兄ちゃんがやったほうが早いもん。」
「何を言ってるの、ルドフは……。」
次回終章、一部謎の開示予定、のはず。