第88話 リアナ
「暗い……俺は、どうなったんだ……」
俺は気が付くと、真っ暗な世界を漂っていた。
何も見えないし、何も聞こえない。誰もいなくて、一人だけの世界。
トリアナ……
「っ……そうだ、トリアナは無事なのか?」
俺は彼女の存在を探そうとするが。自分が立っているのかも、寝ているのかすらも分からず。ただ、無意味な時間だけが過ぎ去ってゆく。
どれ位の時が経ったのだろうか。俺の視界に、小さな灯りのようなものが見えてきた。
「光り……? 出口か?」
暗闇の世界に、明るい出口らしきものが見えたので。俺はその場所を目指そうとする。
しかし一向に足が進まない。というか、歩いている感覚すら無い。
「どうやって脱出するんだよ……ここから出せよ、コノヤロー」
流石にイライラしてきたので、愚痴をこぼしていると。灯りが、俺の方へと向かってきた。
やっと出られると思っていたら。それは出口などではなく、誰かの記憶だった。
たぶんこれは――
いつか見た、遠い記憶――
俺の目の前には、二人の男女が会話をしている光景が観えてくる。
男は俺と同じ顔をした奴で。もう一人の方は、長い銀色の髪をなびかせた美しい女性だ。
「なぁ……お前の名前を……聞いてもいいか?」
「そんな事、知ってどうするのさ。神族はキミの敵……なんでしょ?」
「ならどうして、俺の側に居るんだよ」
「んー……どうしてだろうね。なんとなくキミの事を、放っておけなかったからかな」
「なんだそりゃ……」
男が呆れたような表情をして。女性は、そんな男の顔を見て楽しそうに笑っている。
「魔皇を名乗っている人間が。どんな子なのか、気になっていたしね」
「好きで名乗っているんじゃねぇよ……」
男が頭を抱えながら、そんな事を呟く。
「変な世界に召喚されたと思ったら。勇者じゃなくて、魔皇だとか……」
「とんだ災難だったね」
「理不尽すぎだろ……」
女性が男に同情しているが、男はやり切れないような気持ちで、いっぱいみたいだった。
「魔王が死んだから、新しい王が必要になったので。人間を召喚して魔皇になって貰うとか……初めて聞かされた時、こいつらアホかと思ったぞ」
あぁ…… そうか……
これは……俺の直前の前世だ。たぶんそんな感じがする。
「だいたい、人間で魔皇って何なんだよ……俺は普通の人間だったんだぞ。勝手に、神魔戦争なんかに巻き込みやがって……」
「ご愁傷さまです」
男は散々愚痴った挙句、不幸だぁぁぁ……と叫びながら天を仰いでいる。
女性の方は、なんだか少しだけ、楽しげな感じがした。
「それに。聖王? だったか? あの野郎も、話が通じなかったしな……」
「ゴメンね。たとえ人間でも、魔族の味方になっちゃったら、ボクたちの敵……ってことになっちゃうんだ」
「はぁぁ……」
「でもキミも、開き直っていたよね」
「もう……やけくそになるしかなかったからな」
盛大なため息を吐く男に、女性がそう話しかける。
男は戦争で、聖王や神王と戦った時の話をしていた。
魔族の味方として、神族を相手に戦争をしていて。
そして二人は、戦場で出会ったそうだ。
女性は、魔皇を名乗っている人間の男が気になったので、一緒に付いてきてしまったらしい。
男が、一緒に居る所がバレたら、殺されるぞと警告していたが――
「だいじょうぶ。用が済めば、すぐに帰るから」
「あぁそうかい」
二人はどこかに向かって、歩きながら会話をしている。
神族と魔族の戦争の話をしていたから。とんでもない世界なのかと思っていたが。
普通に人間が住んでいるような、そんな景色が見えた。
男は歩き疲れたのか、草むらの上に仰向けになって寝転がる。
二人がいる場所は、広大な草原が広がっており。気持ちが良さそうな風が吹き抜けている。
西に傾いた日差しが、セピア色の秋のような風景を醸し出していた――
「なんで戦争なんてするのかね」
「種族が違うだけで、簡単に争いごとは起きるものだよ」
「それは人間じゃなくても、同じなのか」
「そうだね……」
男の言葉を聞いて、女性が、少し悲しそうな表情をしながら答える。
「争いなんてくだらないよな。みんなで、仲良くすればいいじゃないか」
「理想論だね」
「理想、大いに結構。心に描いて求め続けなければ、何も始まらないさ」
「そんな甘いモノじゃないと思うけど……ボクは、キライじゃないかな。キミのその考え方」
自分の言った言葉が恥ずかしすぎたのか、男は照れたような仕草をするが。
そんな男に向かって、女性は優しく微笑みながらそう言った。
そして暫くした後、二人が自己紹介を始める――
「そうだね。キミになら……教えてもいいかな」
「うん?」
「トリアーナ・ヴェルシュバルテ」
「何だそれ?」
「ボクの名前だよ」
「苗字も名前も、可愛くねぇな……」
「ひどい……キミが知りたいって言うから教えたのに……」
「あぁ、わるいわるい。そうだったな」
口ではそう言っているが、男は少しも悪びれた様子もなく。
それなら俺が、可愛い愛称をつけてやると言って――
「リアナって呼ぶのはどうだ? 可愛いだろ?」
「リアナ……」
それを聞いて女性は、カワイイかも……と呟きながら、付けて貰った愛称を、何度も繰り返して声に出していた。
「キミの名前は、なんて言うの?」
「俺か? 俺は、夜神蔵人だ」
男の名乗りを聞いたリアナが、キミの名前も十分変じゃない……と言っていた。
その後も二人は、少しだけヒートアップしていたが。リアナも蔵人に愛称をつけると言い出して――
「それじゃ、クロちゃんってのはどう? カワイイでしょ」
「ちゃん付けかよ……まぁいいけど」
そして二人は仲睦まじく、笑い合っていた――
そうか……
俺は……トリアナとも、出逢ったいたんだな。
なぜずっと、俺の側に居るのか気にはなっていたが、ちゃんとした理由があったのか。
しかしこれ……封印された俺の記憶なのか? これが見えるってことは、封印が解けてしまった?
そんな事を考えていると、別の光景が見え始めてきた――
「くそ、あの白髪野郎……何が冥王だ……」
次に見えてきた光景は、蔵人が血まみれになって、今にも死にそうな状態だった。
冥王だと……俺の直前の前世は、冥王と戦ったのか?
「クロちゃん!」
どこから現れたのか、倒れている蔵人の側に、トリアナが駆け寄ってきた。
「リアナか……」
「しっかりして! クロちゃん!」
「悪いな……俺はもう……だめだ」
「そんな事言わないで!」
蔵人の言葉を聞いて、トリアナは涙を流しながら叫んでいる。
ここはどうやら戦場のようで。蔵人が、聖王や神王と戦っている時に。
冥王が現れて、こんな状態になったらしかった――
「ごめん……まさか聖王様が、あんな人間を連れてくるなんて……」
なんだと……
聖王が冥王を連れてきた? どういう事だ?
「聖王よりも……めちゃくちゃ強かったぞ、あの野郎は」
「クロちゃん……」
「けど倒した。ざまあみろ!」
は? 冥王を倒した!? 凄いな、前世の俺……
「必ず復活してやるとか……ほざいていたけどな……」
マジでか……
死んどけよ……
俺がそう願っていたら、二人の話が進んでいた。
「なぁ、リアナ」
「なに? クロちゃん」
「俺も……生まれ変わることは……できるのか?」
「できる、できるよ! ボクが必ず大神王様におねがいするよ!」
「そうか……」
トリアナは、例え神族の敵であっても。蔵人は、神魔戦争に巻き込まれた人間なので。
特例で転生者として、生まれ変わることができると言った。
ただそれは、戦争が集結してからの話なので。とても時間がかかるかもしれないと付け加える――
「生まれ変わることができるのなら、何でもいいさ……」
「クロちゃん」
「こんな世界に召喚されたかと思えば……恋人すらいない、悲惨な人生だったな……」
「ごめんなさい」
「謝らなくてもいい、リアナのせいじゃないだろ」
「でも……」
トリアナは蔵人に、何も出来なかった自分は、悔しいと言っていた。
それを聞いた蔵人は――
「なら……次に生まれ変われた時は、俺の恋人に……いや、俺に素敵な恋人ができるように……見守っていてくれ」
「うん……わかった……約束する」
「ありがとう……」
そして……
蔵人は血を吐き出しながら、最後の願いを口にした――
「もしもまた……生まれ変わることができるなら……もう一度お前と出逢って、今度は……ずっと一緒にいたいな……」
「クロ……ちゃん?」
「……リアナ……俺はお前のことが……好きだった……」
「クロちゃん? クロちゃん!」
蔵人は息を引き取り、トリアナは泣きながらその身体に抱きついていた――
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これで……三人目か……
トリアナが言っていた大事な約束というのは、これの事だったのか。
直前の前世の記憶を見せられた俺は、ずっと悩んでいた。
もう、どれほどの時間をここで過ごしているのかわからない。
俺の人生に巻き込まれていた、三人の女性のことを考えていると。
頭の中に、直接声が響いてきた――
《む? ここに居たか、我が主よ》
「ん? この声……クロフォードか?」
《うむ。息災そうで何よりだ》
「あぁもう、すげー不安だったぞ。いったい何処なんだここは?」
真っ暗な深淵で一人きりにされていた俺は、見えないクロフォードに向かって愚痴をこぼす。
《ここは次元の狭間だ》
「なんだそれ」
《あの魔人の力で、我らは飛ばされたのだ。本来ならば、身体を維持できない程にされてな》
「おい、大丈夫なのかそれ……」
クロフォードの言葉に、俺は更に不安な気持ちになる。
《問題はない。我の力で、御主はなんとか保たれておる》
「そういう問題じゃねぇよ。トリアナは無事なのか?」
《自分の事よりも、彼の者の方が大事か》
「当たり前だろ」
その言葉を聞いたクロフォードが、我の生まれ変わりが、御主のような者でよかったと言ってきた。
そして、トリアナは無事だが。護るための力で精一杯で、俺たちの記憶の混線は避けられないと言われる。
「記憶の混線?」
《うむ。御主も見たのではないのか? 彼の者の記憶を》
まさか……
さっき見た光景は、俺の記憶なんかじゃなくて。トリアナの記憶だったのか?
クロちゃん……
「え……?」
俺が疑問に思っていると、どこからかトリアナの声が響いてきた――
今のキミは知らない。
ボクたちが最初に出会ったのは、現在の時代ではなく。ずっと過去のこと。
キミはもう、忘れてしまったようだけど……ボクは、今でも覚えている。
大神王様に、キミがこの世界で生まれ変わったと教えられた時……どれほど嬉しかっただろう。
そして、居ても立ってもいられなくなって。すぐにこの世界に化現して、キミの事を探した。
それまでのボクは、無気力に生き続けてきた。任期を終えた前任の女神から、管理神の仕事を引き受けたけど。
人間の手伝いなんかする気も起きなくて。讃えられても、崇められても、何も感じることはなかった……
人から信仰心が得られなかったのは、ボクの自業自得。
それから、商人の街で歩いているキミを見かけた時。涙がでるくらい嬉しくなった……
今すぐにでも話しかけたい。また、キミの笑顔が見たい。
そう思っていたけど。キミは、ボクの事を忘れてしまっている……
だから……湧き上がる気持ちを我慢して、姿を変え、声を変えて、キミに話しかけた。
ボクが、少し震えた声でキミに話しかけた時。キミはすごく怪しんでいたよね。
ちょっとショックだったけど。占いを終えて、キミが、ありがとうと言って。
少しだけ、笑顔をみせてくれた時。ボクの顔が赤くなっていたのを、キミは知らない。
その後も、ルナちゃんがさらわれちゃった時。本当は、接触するつもりなんて無かった。
だけど……キミの悲しむ顔を、見たくなかったから。手伝うことに決めた。
キミに正体を明かすとき、怖かったから。小さいほうが本当の姿だって、ウソをついちゃった。
嘘をつくなんて、神さま失格だよね。でも、力がほとんど無くなっていたのも、小さい姿で化現するのが精一杯だったのも……本当のことだよ。
ルナちゃんを、必死で助けようとしてるキミを見た時。嬉しい反面、少し複雑だったよ。
あぁ……キミに好きな人が……大切な人ができたんだね。そう思いながら少しだけ、寂しくなっちゃった。
キミがおかしくなった時。ボクの事を……リアナって、呼んでくれたよね……
あの時はドキッとしたよ。覚えているはずはないのに、キミが付けてくれたボクの愛称を、キミが叫んだ時……
本当に、涙がでるくらい嬉しかった。でも、それはダメだから……ボクは必死で訂正した。
ソフィアちゃん以外の女神は、どうでもいいと聞いた時は。心の中で泣いたよ。
キミの前世の記憶を、封印するのに失敗しちゃったのは。ソフィアちゃんに対する、ボクの嫉妬が強すぎたのかもしれない……
キミが……ソフィアちゃんに、指輪を買ってあげようとしているのを見た時は。とてもつらくなった。
でも、こんな事を言えるわけないから。最後の悪あがきとして、ボクも……指輪を買って貰いたかった。
ボクの最後のワガママだったのに……キミは、しょうがないな……って顔をして、微笑んでくれてたよね。すごく嬉しかったよ。
記憶の封印をしてしまったから。キミは、ボクの事を……もう思い出すことは無いのかもしれないけど……
キミが幸せなら……ボクはそれでいい。キミが忘れてしまっていても、ボクだけは、キミの事を想い続けている。
大好きだよ……クロちゃん――
それは……
彼女が密かに隠していた……大切な想いだった。
そして、無意識に流れてくる彼女の気持ちが、俺の胸を熱くした――




