第6話 朝チュン
「ソフィア。ルナの反応が無いけど、どうなっているんだ?」
『魔王は……あの子はお休みになっていますよ』
「寝ているのか?」
『はい。クロード様が倒れた時、すごく取り乱していましたが……あの子もかなり無茶な力の使い方をしたみたいです』
「そ、そうか……」
ルナは俺を助けてくれた、彼女が居なければ俺はすぐに死んでいただろう。
「ん……? 洗面台か」
部屋の隅に視線を向けると、そこには洗面台らしきものがあった。
俺はベッドから出て、フラフラとした足取りでその場所へと向かう。
「う……」
体がダルい。
『クロード様、あまりご無理をなさらないでください。魔力を使いすぎていて、立っているのもお辛いはずです』
そうか……
この全身の気怠さは魔力を大量に消費したせいで、斬られて傷を負ったからじゃないのか。
「背中はもう、痛くないな」
『ギルバートさんのお仲間の方が、魔法で治してくださいましたよ』
ソフィアに教えられて、あの時の事を思い出す。
ギルバートさんの他にも、ピンクの髪の色をした女性が居た。
あの女性のおかげか。
俺は洗面台がある場所にたどり着き、壁に掛けられていた鏡を覗き込む。
「これは……」
鏡に映っていた俺の顔は、ギルバートさんが言っていた通り、黒い髪に黒い瞳をしていた。
「俺が選んだものと、全然違うな」
『クロード様……』
俺の言葉を聞いたソフィアが、この姿は転生前のままだと言ってくる。
どうやら前世の姿を維持したまま、この世界に来てしまったらしい。
「それって、転生って言わないんじゃないのか?」
姿形が変わらないまま異世界に来たのなら、それは転生とは言わない気がする。
『人間が転生の聖域に来るためには、魂だけの存在にならなければ駄目なのです』
「つまり、死なないとあそこには行けないのか」
『そうです。クロード様の場合は、前世での肉体を再現しながら転生したと思われます』
「何で、そんなややこしい事になったんだろうな」
『申し訳ありません……私には分かりかねます』
ソフィアにもわからないのか。
『転生の時にあんなことが起こったのは、初めてでしたので……』
ルナのことか。
俺はあの時のことを思い出しながら、右手で髪を触ろうとして鼻の前で手が止まる。
「血の臭い……」
右手から血の臭いがした直後、人を殺した光景がフラッシュバックした。
「うぷっ」
『クロード様?』
「ぐっ……はぁ……はぁ……」
あの時のことを思い出すと気持ちが悪くなり、胃液を吐き出す。
『クロード様! 大丈夫ですか?』
「大丈夫だ」
人を殺したことに気分が悪くなったが、それもすぐに収まる。
そしてソフィアを安心させるために、鏡を見ながら無理やり笑顔を取り繕う。
『クロード様』
「わるい。盗賊を殺した時の事を……思い出したんだ」
『それは……仕方ありません』
「これは正当防衛になるのかな? というか、神さまの前で人を殺しちまったんだが……」
『私は気にしてはいません』
「いいのか? それで」
女神さまの目の前で人を殺したのに、気にしていないなんて言われると戸惑ってしまう。
『この世界の神ならともかく。神界に居た私にとって、この世界は不可侵領域に設定されております』
「どういう事?」
『私の場合は、転生の儀式として干渉する事はありますが。基本的に他の全てはその世界の神に委ね、それ以上は何もしません』
「つまり投げっぱなし?」
『そうとも言います』
それは身も蓋もないな。
『あまり干渉すると……罰がありますから』
そう思っていると、何か嫌なことを言われた。
「罰ってなんだ?」
『はい。私は……降格でしょうね』
うわぁ……
「それってやばくね? というか神王って、神界とやらで一番偉いんじゃないのか?」
『神王は私も覚えきれない程の複数神が居ますよ。それを統括なさっているのが大神王様です』
大神王ねぇ……
魔王にも大魔王とか居そうだもんな。
「魔王の後ろにいる、大魔王みたいなものか?」
『はい、更にその上の御方が居ます』
「なんだと……」
俺が驚いていると、ソフィアが話しを続ける。
『私が居た神界には、複数の神王とそれを統括なされる大神王様が。そして更に深い場所に、聖界という場所が有ります』
「聖界?」
『聖界という場所には、複数の聖王様が居て。更にその御方達の上に、大聖王様と呼ばれる御方が存在しています』
「スケールが大きすぎて、ついていけないんだが……」
『私も大神王様までしかお会いした事がないので。それほどお気に為さらずとも宜しいかと』
「そ、そうだな……」
よく考えたら、俺はただの人間だしな。
生まれ変わっても人間なんだし、気にしなくてもいいよな。
「ソフィアは、降格されても大丈夫なのか?」
雲の上の存在のことなんてどうでもよかったが、ソフィアのことは心配だ。
『神王を剥奪されても、それ以前の戦乙女に戻されるだけなので。ただ、もう……神界には戻れないと思います』
ぐはっ……
何かカッコ良さそうな単語が出てきたけど、後半の言葉がキツイ。
「神界に戻れないって……」
『その……クロード様に決して非はないのですが……わたくしは神という立場なのに、人間とともに人間界に降りるのは、許されないことだと思われます』
「ご、ごめんなさい……」
その話を聞いて、俺は気がついたら謝っていた。
『お気になさらないで下さい。そもそもクロード様に他意は無いですし。私が連れ去られてしまったのは、あの子のせいですから……』
そう言われても……
まぁ、ルナが来なかったら起きない事故だっただろうしな。
「ルナはどうやって入ってきたんだ?」
『そう……ですね。いくら強い力を持つ魔王だとしても、本来なら不可能に近いはずです』
不可能? なんか普通に、壁を殴りながら入ってきてたけど。
『大魔王と呼ばれる者ですら、無理だと思われますから。更にそれを超越する力があれば、あるいは……』
「そう言われると、とんでもないな……」
大魔王を超越する力ってなんだよ……まったく想像できないぞ。
「まぁ、ルナが起きたら色々聞いてみるか」
『素直に教えてくれるといいのですが……』
うん。ルナの事はまだよく分からないが、子供みたいな感じだしな。
見た目はまんま小さな女の子だったが……
「ん? 小さな女の子……」
『どうかなさいましたか?』
「いや……なにか、小さな女の子が出てきた夢を見た気がするんだが……思い出せないな」
俺は夢の内容を思い出そうとしたが、思い出せなかった。
『特殊な転生の影響でしょうか……』
「そうかもな……」
そんな会話をしていると、俺のお腹がグウっと鳴る。
「腹減った……」
『ギルバートさんのご厚意に、甘えられた方がよろしいかと思います』
「そうだな、せっかくだし食べに行くか……」
そう言いながら、時間がわからないので窓を開けて外を見た。
「うわー……」
そこには立派な建物が並んでいて、遠くにはデカいお城のようなものが見える。
通りを見てみると、武器や杖を持っている冒険者らしき者たちが歩いていた。
「そうか、俺は異世界に来たんだな……」
あまりにもいろいろなことが起きすぎて、今まで実感がわかなかった。
しかしこうして外の景色を眺めていると、その気持もすぐに変化する。
「ん? なんの音だ?」
『上です、クロード様』
ソフィアに言われて空に視線を移すと、大きな音を立てて船が空を飛んでいた。
「おぉ! 飛空船か?」
七色の光の粒子を描きながら、船の様な物が空を飛んで行く。
「結構、発展した世界なのかな」
『綺麗ですね』
俺はしばらくの間ソフィアと共に、飛空船が描いてゆく不思議な軌跡に見惚れていた。
◆◇◆◇
「ん……」
眩しい光に照らされて、俺はベッドの上で目を覚ます。
「朝か……」
『おはようございます。クロード様』
「あぁ、おはよう」
右手で陽の光を遮りながら目覚めると、心の中でソフィアの挨拶が聞こえてきた。
挨拶を返してベッドから出ようとしたら、ふと左手にやわらかな感触がしてくる。
「ん? なんだ?」
なにやらもの凄く気持ちのいい感触が気になった俺は、その方向に視線を向ける。
そこには銀色の美しい髪を陽の光で輝かせて、全裸になって俺の左腕に掴まっている少女がいた。
「なんじゃこりゃぁぁぁ!?」
『クロート様、落ち着いて下さい!』
驚きで声を張り上げる俺を落ち着かせようと、ソフィアが声をかけてくる。
しかし俺は衝撃を受けすぎて、それどころではない。
俺の左手は、少女のやわらかな太ももをムニュムニュと揉んでいる。
すぐに手を離すべきだったが、自分の意志とは関係なく体が勝手に動いていた。
「ん……ぁん……」
そして、少女が小さな声を出しながら目を覚ます。
「クロ……おはよう」
俺の顔を見ながら、挨拶をしてきた少女の正体はルナだった。
「ルナ!? 何をやって?」
「ん……朝チュン?」
「えぇぇぇ……」
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「がはっ……」
驚愕している俺に、ルナがとんでもない事を言う。
それを聞いた俺は、血など出てはいないが吐血した。
「バカな……俺はなんて事を……」
目覚めると俺は、オトナの階段を登っていた。
『クロード様、落ち着いてください。昨夜は何もありませんでした、私がずっと見張っていましたから!』
「え……?」
ルナから視線をそらし、服を探しているとソフィアがそう言ってくる。
『クロード様の魔力の回復と活性の為に、一晩中引っ付いていただけです。というかルナ! ふざけないでください』
「うるさい……ソフィ」
ソフィアが状況を丁寧に説明してくれる。あと、二人のお互いの呼び方が変わっていた。
「そ、そうなのか。よかった、俺はまだコドモだったか……しかしなんで裸……」
そう言いながら、改めて自分の姿を確認する。俺の息子が、コンニチワっと元気よく挨拶をしていた。
「あぁぁぁ……」
俺は慌てて、床に脱ぎ捨てられていたズボンを穿く。
『っ……』
やばいっ! ソフィアと視線を共有しているんだよな?
下着とズボンを穿いていたら、ソフィアが恥ずかしそうな声を出していた。
「別に隠さなくてもいいのに……」
「服を着ろ!」
『服を着なさい!』
生まれたままの姿を恥ずかしげもなく晒すルナに、俺とソフィアの叫び声が木霊した。