第40話 アリスの生い立ち
「酒場の裏にある赤い屋根の家……ここのことか?」
《たぶん合ってると思うよ》
俺たちは、ギルさんと約束した赤い屋根の家の前に来ていた。
家の扉をノックして、二分くらい待っていたら、中から知らない女性が扉を開けた。
「あ……えっと……」
「オマエが、ギルが言っていたボウズかい?」
「あ。はい、そうです」
「入りな」
家の中から出て来たのは、黄色い髪で鋭い目をした獣人の女性だった。
予想していなかった人が出て来たので、俺は硬直してしまっていた。
声をかけられて、俺は女性の案内のもと家に入る。
「おう、坊主よく来てくれた」
「ギルさん、どうも」
獣人の女性に案内された部屋で、ギルさんを見つけて少しホッとした。
成人している獣人女性と話すことも初めてだが。
この女性は眼光が鋭く、言動も強気みたいで俺は萎縮していた。
「あぁ。そいつが俺の恋人だ」
「え……?」
ギルさんと挨拶をした後、再び女性の方へ視線を向けた俺に。
ギルさんが自分の恋人だと言ってきた。
マジか……
まさかギルさんの恋人が獣人だったとは……
《ビックリだね》
『驚きました……』
黒斗とソフィアの言うとおりだ。
俺も恋人は、普通に人間だと思っていた。
「アタシは、虎獣人のヘレンだ」
ヘレンさんか……エレンさんと名前が一字違いなのか。
名前は似ているが、エレンさんは天然の癒し系でこの人は野獣系だ。
獣人だからそれが普通なのかもしれないが。
「クロードです」
「面倒くさいからボウズでいいだろ」
「はい……」
名前を名乗られたので俺も名乗り返した。
そしてこの人も、俺の事は坊主呼びらしい。
虎獣人か……確かに虎っぽいケモノ耳と尻尾があるが。
体つきは筋肉が引き締まっていて、別に毛深いわけでもない。
そして胸は……巨乳でした――
「オマエは胸が好きなのか?」
「ご、ごめんなさい」
巨乳をガン見していたら、ヘレンさんに睨まれた。
「はっはっはっ、それは俺のものだから坊主にはやらんぞ」
「は、はい、わかってます」
優しいエレンさんならともかく……
そんな恐ろしいものは遠慮したいです。
『クロード様……胸なら私の……いえ……』
『大丈夫だソフィア、俺はソフィアのなら大歓迎だ』
『は、はい……』
何かを言おうとしたソフィアが口を噤んだから。
俺はそれを察して、素直に言葉にした。
《君って……ロリコンじゃなかったっけ》
《俺はどちらかと言えば、年上のお姉さんが好きだ》
《そうなんだ? 僕と同じだね》
コイツも年上が好きなのか……
「それでだ、坊主。ここに坊主を呼んだのは、アリスの話をするためなんだ」
「アリスのことですか?」
「あぁ。他にもあるがな、主な話はアリスのことだ」
黒斗と、好みの年齢の事を話していたら。
ギルさんが真面目な顔で、アリスの話をし始めた――
「坊主はアリスのことが好きなんだよな?」
「それは……はい……好きです」
「あー……別に坊主のアレのことはいい」
アレと言うのは、ハーレム宣言の事だろう。
「坊主が、アリスを大切にしてくれるかどうかが……重要なんだ」
「それは……誓って大切にします」
「そうか……」
これは嘘ではない。
将来、本当に結婚するのかはわからないが。
あの日、アリスの気持ちを大切にすると誓ったのは事実だから。
「坊主なら、もう察していると思うが……俺とアリスの苗字が違うのは、わかるな?」
「はい」
苗字が違うのは、アリスの自己紹介の時に気になってはいた。
何か理由があると思ってたので、ずっと聞くことはしなかったが。
「実は俺も、坊主にちゃんとした名前を名乗っていない」
「そうなんですか?」
「あぁ。俺の正式な名前は……ギルバート・グレイヴ・バーンシュタインと言うんだ」
グレイヴ……
アリスだけの苗字かと思っていたが……
ギルさんの名前にもちゃんとあるんだな。
「なぜ、アリスは苗字を途中で切っているんですか?」
「俺とアリスは……貴族なんだ」
貴族か……
苗字があったから、そんな感じはしていたが。
「まぁ、とりあえず……貴族だったってのはどうでもいい」
「問題は、俺の親父のことなんだが……この親父が女に見境のないやつでな。手当たり次第妾を囲んでいて、俺の兄妹もいっぱい居たわけなんだが……俺とアリスが、20も歳が離れているのはそのせいなんだ」
おっさんハッスルしすぎだな……
アリスは18歳だから、ギルさんは38歳なのか。
「そして、その家でのアリスの立場が……正直いって悪かったんだ」
「それは……なぜですか?」
「妾腹の子と言っても、アリスの母親はメイドだったんだ」
おっさん見境なさすぎだろそれは……
「メイドの子とはいえ、体裁のためにグレイヴ姓だけは名乗らせていた。だが、アリスの母親は愛人扱いだったな……」
それでアリスは、バーンシュタインを名乗らなかったのか。
「アリスの母親は病弱で、アリスが6歳になる頃に亡くなったんだ。この辺りから、アリスの立場が悪くなってきた」
「母親の事を見下していた、家政婦や執事から蔑ろにされたり。それを見かけても、親父や兄妹は何も言わなかったりな……アリスの味方をする兄妹も居たが、少なかった」
前にギルさんが、家政婦と執事を雇うのを嫌がってた理由はこれか。
なんかすごいムカついてきたぞ……
味方の兄妹が少しでも居たのは嬉しいが、他の奴らがムカつく。
『クロード様、落ち着いてくださいね』
俺の思いを察したのか、ソフィアが声をかけてくれた。
ありがとう、ソフィア。
「そんなアリスを見かねて、ある貴族が接触してきたんだが……アリスを自分の妻にしたいと、親父に言ってきたんだ」
は……?
6才児を妻ってなんだ……
何処のクソガキだよそれは。
「その貴族は、結構狡猾な性格をしたやつでな……親父もそいつに少し恩があったから、話を受けるか悩んでいたらしい」
おっさんが恩を感じる……悪賢い奴……?
「そいつも女には見境無しで、10代から20代まで多くの妾を囲んでいる……40過ぎの……太ったクソヤローだった」
おいちょっとまて。
40過ぎの太った中年だと……
何だそのロリコンクソオヤジ……
俺もロリコンと言われているから、そいつを貶す資格はないが……
そんなクソオヤジと同列扱いはされたくない。
《蔵人……》
『ク、クロード様……どうか怒りを鎮めてください……』
ソフィアには悪いが、俺の頭が怒りで沸騰していた。
「こんな話を聞かせてすまんが。まぁ坊主、落ち着け」
怒りが顔に出ていたのだろうか。
ギルさんにそう言われ、少し深呼吸をする。
ふと、視線をヘレンさんに向けると……ものすごい形相で怒っていた。
こわっ……
怒りが消えたわけじゃないが、俺は再び萎縮した。
「アリスを自分の屋敷に迎え入れて、成人するまで手は出さないと言ったらしいが……そんなもの、信じられるわけないだろ。俺はその時、ある事情で街の外に出ていたが……妹の一人がそれを手紙で教えてくれて、急いで戻ったんだ」
名も知らない妹さん、本当にありがとう……
「流石に俺は危機を感じて、アリスを連れ出して……別の街に居たジイさんを頼ったんだ。その街でエレンにも出会って、まぁ色々とあったが安穏な生活をしていた」
エレンさん、そんな頃から人間の街に居たのか。
「それからアリスが13歳位になった頃、ジイさんとエレンにアリスの事を頼んで……俺は稼ぐために、この街に住んでいたわけだが……ここに来た時は知らない街だから俺も人間不信気味でな、頼れる仲間とかいなかった。そんな時にヘレンと出会って、情けなかったが俺は慰められた……」
人間不信……
だから恋人が獣人だったのか。
ヘレンさんは腕を組みながら、目を瞑っていた。
「しばらくして。ジイさんが亡くなって、アリスとエレンをこの街に呼んだんだ」
「なるほど、そういう事だったんですね……いろんな理由がわかりましたけど……その……いいんですか?」
「なにがだ?」
「今の俺の状況ですよ……」
そんな事があったのに、優柔不断な俺にアリスを任せられるわけが無い。
こんな事を言う資格はないが、俺なら絶対アリスを渡したくないな。
「普通なら駄目だったが、この三ヶ月坊主を見てきて。坊主なら……まぁ、任せられると思った。アリスも坊主のことが……好きみたいだしな」
「そうですか……」
「もちろんアリスを大切にしなかったら、俺がぶっ飛ばすぞ!」
「はい! わかってます、任せてください!」
「いい気概だ……」
今までの事を見守っていた、ヘレンさんが俺の事を見てそうつぶやいた。
「この話は、坊主が西に行く事と関係があったんだ」
ヘレンさんの気迫に押されそうになった俺に、ギルさんが言葉を続ける。
「バーンシュタイン家は西の国にある、街にあるわけだ」
「それは……アリスは何も言いませんでしたけど……」
「アリスは幼かったし、今は坊主がいるからな……心境は複雑なのかもしれんが、坊主について行きたいから何も言わないのかもな」
アリス……
「その街に行くなとは言わないが、まぁ気をつけろ。親父はもう死んでいるから、危険はないと思う……俺は次男で家督を継ぐ必要が無かったし、できの良い兄が家を継いでいる」
ギルさんは次男なのか……
何人兄妹なんだろ……
「もし何かあったらそいつを頼ってもいい、信頼はできる」
「わかりました」
そう言ってギルさんから、家紋の様な物が刻まれているネックレスを渡された。
「貴族のクソヤローはまだ生きているらしいから、そこだけ注意しろ」
「もし接触なんかしてきたら、ぶっ飛ばしていいですか?」
「おうよ!存分にやれ、俺が許可する!」
「はい!」
可能性は低いだろうが、もしかしたらなんて場合もある。
その時は、俺がアリスを護らないとな。
「そうそう。もう一つの話は、馬車のことなんだ」
「馬車ですか?」
「あぁ、坊主に馬車を貸してやろうと思ってな」
「ギルさん、馬車なんか持っていたんですか?」
「俺のじゃない、ヘレンのだ」
なるほど、ヘレンさんが所有しているのか。
でも……
「俺たちは、乗合馬車を利用しようかと思っていたんですが」
「オマエは、あんなものに好きな女を乗せる気か……」
突然ヘレンさんがそんな事を言ってきた。
え……
乗合馬車ってそんなにやばいものなの?
「だ、だめですかね?」
「アタシなら気にしないが……ギルの妹みたいな、いい女を乗せるべきじゃないな」
どんなにやばいものなの。
そんな事を考えているとギルさんが……
「えーとな、坊主……乗合馬車は、別に悪いものじゃないんだが……乗る馬車によって、ものすごい落差があるんだ」
「落差……ですか?」
「あぁ。しっかりとした馬車なら、女冒険者とかも普通に利用しているが。最悪の場合……値段は安いが、汗臭い男冒険者連中がギチギチに乗っていることがある……あと乗り心地も最悪だ」
げ……
それは嫌だ。
そんな馬車に、見目麗しい女性たちを乗せたくはない。
男冒険者連中に、何をされるかもわからない……
「それでもオマエはソレを利用するのか?」
「利用したくないです……」
「ならついて来い、アタシの馬車を貸してやる」
「はい」
俺はこの世界の乗合馬車の現実を知り。
絶望したくはないので、ヘレンさんの厚意に甘えさせて貰う事にした。
ちなみに、飛空船は値段が高い上に貴族連中が優先されていて。
俺たちのような平民は、長い予約待ちをしなくては乗れないらしい。
現実って本当に厳しいよな――




