第250話 甲斐性
ラシュベルトに向かう前に、屋敷に残る女の子たちに挨拶を済ませる。
俺と一緒に出かけるのはエレンさんと、それからクレアとマリアの三人だ。
他の女の子たちはクローディアと一緒に留守番をし、ついでに彼女が直々に鍛えるつもりらしい。
「それじゃ行ってくるけど、くれぐれも無茶はしないでくれよな」
「そんなに何度も念を押さなくても分かっているわよ。少し可愛がってあげるだけだから、安心しなさい」
クローディアにそう言われても、あの世界で彼女のシゴキを受けた俺はちっとも安心できなかった。
まぁ女の子大好きなクロエも居ることだし、そこまで酷い修行にはならないと思うけど。いや、別の意味で危険か……?
「それよりも、ゲートを使う場所にアテはあるの?」
ゲートというのは俺の新しい転移魔法のことだ。ルナとクロエの協力により使えるようになったが、時空魔法と次元魔法の複合技なので人目がある場所では使いづらい。
「一応候補はあるけど、まずは向こうについてからだな。まだ空き家のままだといいんだけど……まぁ、無ければ安めの借家でも借りるさ」
ゲート型の転移魔法は人目がない場所で使用したいので、使うならラシュベルトでクレアたちが住んでいた屋敷の地下が理想だ。マリアの話だとあの屋敷は誰かが借りてもすぐ空き家に戻るらしく、転移用の場所として利用しようかと思っている。
「街の中に転移できないなんて、この国は何かと面倒ね」
俺の返事を聞いたクローディアが独り言つ。彼女のいた国では違うみたいだが、この国では勇者が転移する場所は予め決められている。ヒカルの話では転移魔法を犯罪に利用されないようにと、その辺りの法律が厳しいらしい。
「それはそうと、エリカはまだ帰らなくても大丈夫なのか?」
「なによ、私に帰ってほしいわけ?」
「いや、そういう意味じゃないんだが……」
俺の転移魔法が完成すればすぐにでも帰ると言っていた彼女だが、いまだにその素振りすら見せない。いくらあの執事が優秀だといっても、聖女のことは心配ないのだろうか。
「向こうの世界であの娘達をそれなりに鍛えたら帰るわ。私がいない間に、勝手に死なれたら困るもの」
そこまで心配するほど、アリス達を危険な目に合わせるつもりは毛頭ないんだが。
「そうか。まぁアリスも喜んでいるみたいだし、俺は別にいいんだけど」
そんな会話を続けていると、馬車の準備ができたとアリスが呼びに来た。屋敷を出て庭を歩いていき、門の前に停めてある馬車に向かう。
「アリス、姉さんには気をつけろよ。もし襲われそうになったりしたら、嫌だってきっぱり告げるんだぞ」
「そんな事にはならないとは思うけど……分かったわ」
異世界のリゾート地で過ごした女の子たちは、クロエの性癖を嫌でも理解していた。初めの頃は邪な目で見ているだけだったが、最近頓にボディータッチが増えてきて、彼女たちも危機感を覚えたみたいだ。
「エリカにも無茶はしないように言ってあるけど、修行が厳しいと思ったらいつでもやめてもいいからな」
「心配しょうねぇ。おじい様も一緒なんだから平気よ」
「そうか」
確かにアリス大好きなジイさんが側にいれば、厳しすぎると思ったらすぐに止めに入るだろう。エレンさんたちが乗り込むのを見て、俺も御者台の方へと飛び乗る。
「グラさん、クロさまのことをおねがいしますね」
「グルァ……」
馬車を引く役目であるグランドラグーンのグラさんの頭に、リアがぽんぽんと手を乗せる。グラさんはリアが一緒に行かないのが不服なのか、とてもやる気のなさそうな声で啼いた。
「それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「いってら~」
「いってらっしゃいですぅ」
アリス達に見送られて、俺は馬車を発進させる。屋敷の二階を見上げると、レティが手を振っている姿が見えた。彼女の隣にはおずおずと片手を挙げている白亜の姿が見えて、その様子に微笑ましくなりながら俺も手を振り返した。
ゲートを繋げればいつでも戻ってこれるけど、できるだけ早く帰ってきてあげたいな。
ラシュベルトの街ではレティを連れ回すわけにはいかないので、彼女には窮屈な思いをさせてしまうかもしれない。
「ルナ様のご様子が、少しおかしくありませんでしたか?」
「そうですね。クロードさんが出かけるなら、てっきりルナさんも一緒についてくるのだと思っていましたが」
レティの事を想いながら手綱を握っていると、背後からマリアとエレンさんのそんな会話が聞こえてきた。俺もルナの態度は少し気になっていた。昨夜はルナにラシュベルトに向かうことを伝えたのだが、何故か彼女は一緒に行くとは言わなかった。見送ってくれているときも機嫌が良さそうに感じたが、離れて寂しいと思ったのは俺だけなのだろうか。
◆◇◆◇
「クロードさん、そろそろ交代しましょうか」
「お願いします」
ルシオールの街を出てから数時間後、昼食を取るためにエレンさんに手綱の操作を変わってもらう。三人は先に食事を摂ってもらっていたので、食べていないのは俺だけだった。
「はい、お茶」
「ありがとう」
クレアからお茶を受け取り、昼食が入ったバスケットの蓋を開ける。
「なんだこれ……サンドイッチか?」
バスケットの中には肉や野菜を挟んだサンドイッチがたくさん入っていたけれど、そのすべてが不自然なほど崩れていた。まるで詰め込んだ後に落としてしまったような惨状だ。
「ああ、それはお嬢様の手作りです。お弁当は皆さんで作りましたが、お嬢様が作った不格好なものは、すべてご主人様用に詰め込みました」
「あたしが作ったものが見当たらないと思ったら、何でそんなことをしているのよ!」
「ご主人様にお嬢様の努力を知ってほしかったからですよ。さあご主人様、ありがたくお嬢様の愛情たっぷり弁当を喰らいやがりなさい」
「あ、愛情なんか入れていないわよっ!」
従者の言動にクレアは顔を真赤にしてプルプルと震えているが、俺は食えれば多少形が不揃いでもかまわない。だが、俺はこれを食べるのを躊躇してしまう。何故なら少し前にクレアが言っていた、自分の作る食事は壊滅的だというセリフを思い出してしまったからだ。
「召し上がらないのですか? ご主人様」
「い、いや……」
「うぅ……」
そんなに泣きそうな顔をするなよ……
バスケットを抱えたまま動かないでいたら、クレアが今にも泣きそうな表情になっていた。そんな顔を見せられると、とてもじゃないが食べたくないなんて言えない。俺は具がポロポロとこぼれ落ちるサンドイッチを手に取り、覚悟を決めてそれに齧り付いた。
「あれ、普通に食えるぞ?」
「えっ、ホントに?」
感想を伝えて次々とパンを口にすると、先ほどまで悲しんでいたクレアの表情がパァッと明るくなる。不味いものを食べさせられると警戒していたが、よく考えたら俺はクレアの手料理を食べたのはこれが初めてだ。
「見た目はちょっとグチャッとしてるけど、味はぜんぜんイケるぞ」
もの凄く美味いわけでもなければ、とてつもなく不味いわけでもない。そう、味は普通だ。卵サンドも薄味で少し物足りないけど、決して食えないことはない。
「でも……見た目はすごくヒドイでしょ」
「確かに見た目はちょっとアレだが、俺は手料理をご馳走してくれるだけでも嬉しいから文句はない」
さすがに吐き出すほど不味いものを食べさせられて、何も言わずに完食できる自信はないが。
「そ、そう? じゃぁ次は、もう少し美味しそうに見えるように頑張ってみる」
俺の言葉でやる気を出してくれたのならいい事だ。
パンに挟んであった肉の苦さや、卵サンドを口にした時に、ガリッと殻を噛んだ食感がしたのは言わないでおこう。
「ああ、頑張れ。俺もいつでも味見してやるから」
「そ、そうね! 別にアンタのためじゃないけど、味見くらいはしてくれてもいいわよ」
「うふふっ、いい傾向ですね」
やる気を出して燃えているクレアの耳には、自分の従者の怪しげな笑い声は届いていないようだった。
◆◇◆◇
「何だあれ?」
「検問……ですかね。この街では珍しい光景ですが」
「首都に検問がない方がおかしいですが……そういえば、この前来た時にはありませんでしたね」
ラシュベルトに到着すると、大きな門の前には馬車や人々が溢れていた。
前回訪れた時は検問もなく通行料も払わずに街へ入れたけれど、最近になってその体制が変わったのだろうか。
「とりあえず、ちゃんと並んだほうが良さそうだな」
「そうですね」
馬車と人の列が別れているので俺たちもそれに慣らい、商人のものらしき馬車の後ろに停まる。街に入るにはしばらく時間がかかるだろうと思っていたが、約二十分ほどで俺たちの番になった。
「そこで停まれ、身分証明はあるか?」
「これでいいですか?」
声をかけてきた兵士風の男にギルドカードを提示して、ついでに馬車の中も見せろと言われたので見せる。別に見られて困るような物はなかったのですぐに了承した。
「ルシオールのBランク冒険者か。荷物も少ないようだし、まぁいいだろう」
「よし、通っていいぞ」
許可を得たので門の内側に向かって馬車を走らせる。
提示したギルドカードの名前を紙に控えられたのが少し気になったが、相手は城の兵士のようなので文句は言えなかった。
「何か大きな事件でもあったのでしょうか」
「ヒカルが問題を起こした貴族たちを女王が粛清するって言ってましたから、それ関係かもしれませんね」
「なるほど」
街を出る前に通信魔導具である程度の話を聞いていたが、あまり貴族には関わりたくなかったので詳しい事は聞いていない。なので新しく検問ができていた理由も知らなかった。
「エレンさん、馬車をお願いできますか? 俺は宿屋の方へ行きますので」
「はい、預ける期間は何日くらいにしましょうか」
「二日か三日くらいでお願いします、屋敷が空き家になっているかまだわかりませんから」
「わかりました」
「では、私たちは不動産屋に向かいますね」
「ああ、お金は……」
「大丈夫ですよ、ヤマト様からこれを借りましたから」
マリアに金が入った袋を渡そうとしたら、彼女は黒いカードを取り出して見せてくる。あれはジイさんが持っていたSランク冒険者カードだ。冒険者のカードには持ちきれないお金を入れることが出来るけれど、数十万くらいならば俺は自分で持っている。あのカードには一体いくら入っているのだろうか。
「それ、本人じゃなくても使えるのか?」
「委任状と本人の署名があれば使えますよ。お嬢様の判断で、自由に使っていいと渡されました」
「そ、そうか」
ジイさんはアリスに甘いと思っていたが、それはクレアにも同じようだった。本人はこの話を聞かされていなかったのか、若干表情が引きつっている。
「何か欲しい物でもあれば、買えばいいんじゃないか?」
「何も言わなくてもいつも買ってくれるから、欲しい物なんかあまりないわよ……」
「だよな」
クレアやマリアが屋敷に来てから、彼女たちの部屋には無数のメイド服やドレスが増えているのを俺は知っている。それは他の女の子たちも同じようになっているので、ジイさんの存在で俺の甲斐性が小さくなっているのが正直悔しかった。




