第248話 ヒーリング
この世界に来て二日目から、クローディアが主体となった俺の育成が始まった。
早朝からジイさんに剣技を習い、お昼頃にエレンさんから魔法のレクチャーを受けた後、夜遅くまでクローディアによる実戦稽古。
クタクタになるまでクロエやルナと一緒に魔法の研鑽を積み、その後は疲れて泥のように眠る。
正直始めの一週間は全然ついていけなかった。身体強化魔法を効率的に覚えるためだと言われて、全身にクローディアの重力魔法をかけられたし、合間に転移魔法の修練もさせられて、魔力切れを起こして倒れることもしばしばあったからだ。
他の女の子たちには口が裂けても言えないが、俺の心の支えでもあるソフィアになかなか逢えないのも辛かった。
彼女は今も向こうの世界でトリアナの手伝いをしているらしく、褥を共にすることも、ゆっくりと会話をする機会もあまりない。
そもそも気がつけば彼女の姿を探している自分の心の弱さに、少しばかり苛立ちが募っていたりした。
そんな俺が挫けずに今までやってこれたのは、ルナやアリス、それからマリアとエレンさんの美味しさと健康を考えて作ってくれた料理と、治癒魔法の練習という名目の、レティとクレアによる全身マッサージだ。
それだけではない。白亜とリアはずっと心配してくれていたし、最初は俺に興味がなさそうにしていたエリスリーゼさんも、だんだん気にかけてくれているのが嬉しかった。
俺は本当に恵まれているんだとつくづく思う。
まぁ、いろいろと小さな問題も起こって、それが予想外な出来事になったりもしたけれど。
まさかジイさんが刺身の食べ過ぎで寄生虫に当たって、それを治すために頑張った結果、転移魔法が上手く扱えるようになるとは思いもよらなかったな。
腹痛といえば、俺もこの間腹を壊した。
リアとディアナの二人と話をしていた時「強くなるためにはお肉を食べるんです」とか「体を鍛えるなら内臓も鍛えるべき」という言葉に、なるほど……と納得したのがいけなかった。
男として彼女たちには負けられないと食事の量を合わせていたら、戻しはしなかったけどあまりの腹痛にまともに寝ることができなかった。あれはきつい、あの二人の鉄の胃袋にはとても敵いそうにない。
自分の主人と俺の間で板挟みになっていたディアナとは、少しは仲良くなれた気がする。
最初の頃は俺の顔を見るたび嫌そうにしてたからな、あの子。
そこまで嫌悪感を表に出さなくても、再会したからといって、いきなりクローディアに手を出したりはしないぞ、俺は。
この前偶然聞いてしまったルナとクローディアの会話で「クロはヘタレだから……」という言葉は聞こえなかったことにしている。
「疲れは取れましたか? お兄様」
頭上から優しくかけられた声に、眠りそうになっていた頭が覚醒する。
現在俺は、風呂場でビーチマットの上にうつ伏せに寝ていて、レティとクレアのマッサージを受けていた。
「ああ、体が軽くなったよ、ありがとな」
「いえ、わたくしにはこれくらいしかできませんから」
「そんな事はないぞ。二人には悪いけど、俺はすごく助かってる」
最初は目に見える傷を治してもらうだけだったが、途中から魔法を使いながらの揉み治療に変わった。
いまだに気恥ずかしい気持ちもあるけれど、それよりも体の疲れが取れる癒やしが勝っている。
「それは良かったです」
レティの嬉しそうな声が響いてくる。
彼女は前々から自分のできることをしたいと言っていて、これならば俺の役に立てると意気込んでいたので、俺もされるがまま身を任せてきた。
マリアに含み笑いをされながら「人間の姫と魔族の王にマッサージをさせるとか、さすがですね、ご主人様」なんて言われたりもして、顔が引きつりそうになったこともあるが。
「水を使うと、本当に魔力が通りやすいわね。はい、終わったわ」
今まで俺のふくらはぎを揉んでいたクレアに礼を言い、首をコキコキと鳴らしながら起き上がる。もちろん水着を着ているので見られても恥ずかしくはない。
「海水はもう勘弁してほしいけどな」
「う……あれは悪かったわよ」
エレンさんから水で濡らして治癒魔法を使えば上手くなると聞いたクレアが、俺に試させて欲しいと言ってきた時はすぐに了承した。
しかし俺もよく注意しなかったのがいけなかった。
まさか海に面しているからとはいえ、コテージの風呂の中で海水をぶっかけられるとは夢にも思わなかったんだ。
あれは沁みたなぁ……傷に。
「目の前にお湯があったのに、何でわざわざ海水を運んできたんだよ」
「ま、マナを多く含んだ自然の水だから、そっちのほうが効果があるかと思ったのよ!」
確かにめっちゃ効いたけどな、別の意味で。
傷口に塩を塗るということわざは聞いたことがあるけれど、真新しい傷に海水をぶっかけられたのは初めての経験だった。
「少し、薄くなりましたね」
クレアと会話を続けながらタオルで体を拭いていると、俺の背中に手で触れていたレティがポツリと呟く。
彼女が言っているのは、俺の背中にある鞭打ちでできた傷のことだろう。
「そうか、レティが頑張ってくれているおかげだな」
「お兄様のお役に立てることができて、わたくしも嬉しいです」
俺たちの話を聞いていたクレアが、何か言いたそうな顔をしているが、彼女が思っていることは口に出さなくてもわかる。
彼女がこの傷を初めて見た時、レティが沈痛な面持ちでクレアに説明をした。
あの時の俺はこの傷のことをすっかり忘れていたという体を装ったが、本当は違う。
一度レティとの別れを経験した俺は、もう会うことはできないだろうと思い、この傷はずっと残そうと思っていた。
囚われの身となったレティに俺が唯一できたことは、彼女の代わりに拷問を受けることだった。
レティはバルトディアの王女なので、俺が居なくても鞭打ちの拷問はされなかったかもしれないが、そんなことは関係ない。
つまりこれはただの自己満足でもあり、この傷を残そうと思ったのは俺の未練がましい結果だ。
そんな俺の女々しい気持ちを知らないクレアは、どうして自分で治療しなかったのだと思っているのだろう。
いまさら説明する気もないがな、情けないし。
「できることなら、今すぐにでも治して差し上げたいのですが……」
「焦る必要はないさ。エレンさんも、古傷の治療は難しいって言ってただろ? 俺もレティの治癒魔法の練習の役に立てて嬉しいんだから、そんな顔をしないでくれ、な?」
「はい!」
頭を優しく撫でながらそう告げると、沈んでいたレティの表情が明るくなる。
クレアもまだ何か言いたそうにしていたので、同じように礼を言うと「べ、別にアンタの為じゃないんだからねっ!」と言われて視線を逸らされた。
◆◇◆◇
「ただいま……って言うのも変よね」
マリアが入れてくれた紅茶を飲んでいると、向こうの世界に帰っていたアリスとエレンさんが戻ってきた。
基本ずっとここに留まっていた俺には分からないが、他の女の子たちからしたら、この世界は遊びに来る感覚なのかもしれない。
「おかえり、向こうで何か問題でもあったか?」
「急ぎの用件ではないけど。ジルベール様が一度、ギルドに顔を見せてほしいと言っていたらしいわよ」
エレンさんが冒険者ギルドに行った時に、ギルドマスターに着任したばかりのジルベールさんがそう言ったそうだ。
用件は俺のギルドランクをCからBにランクアップさせてくれるそうなので、向こうへ戻ったらすぐに行ってみよう。
「そっか。Bランクにしてもらえるなら行かないとな」
領主の依頼を受けた俺の働きが評価されたとの話だが、いずれ迷宮に挑むつもりなので断る理由がない。
さくっとAランクにしてくれてもいいんじゃないかとも思うけど、若手のギルドマスターにはそこまでの権限はないだろう。
Bランクでも迷宮に行けないこともないらしいし。
これは最近エレンさんから教えてもらったことだが、Bランク冒険者でも大迷宮に挑めることは挑める。
もっともそれは、Aランク冒険者の手伝いという形なので俺一人で挑めるわけじゃないが。
「深刻という程でもないですが、向こうとこちらを行き来していると、時間の感覚が狂いそうになるのが問題と言えば問題ですね」
「ああ、それはあるわね」
ティーカップを置いたエレンさんの言葉に、アリスが紅茶を飲みながら同意する。
こっちの世界で一晩過ごしても向こう側ではほとんど時間が変わっていないらしいので、確かに体内時計がおかしくなるのかもしれない。
「俺がこっちに来てから、何日くらい過ぎたんだ?」
「えっと、三日から四日くらいかしら」
「まだそれだけしか経っていないのか……」
俺がこの世界に来てから、もうひと月以上は経過している。流石にこれ以上引きこもるのもどうかと思っていたけれど、全然問題はなさそうだ。
「アナタはまだ帰らないの?」
「いや、そろそろ戻れると思うぞ。エリカのおかげで俺の魔法も向上できたし」
「そう」
正直クロエとクローディアのスパルタ教育はキツすぎたが、おかげで得るものは多かった。
これ以上の力を望むこともできるけど、それをしたらどこぞの雪山に放り込まれそうになるので出来れば遠慮したい。
「ただ、俺たち全員が居なくなったら寂しいから、たまには遊びに来てほしいって姉さんが言ってた」
「屋敷から近いというか、ある意味ここも家の中だからそれは別にいいけど。クロエ姉さんの本体は、アナタの中にいるんじゃないの?」
「それはそうなんだけど……直に触れたいからそっちの方がいいって……」
俺の返事を聞いたアリスとエレンさんが、ああ、という感じで同時に頷く。
そう、クロエの目的はお気に入りの女の子たちへのセクハラだ。
しようと思えば俺と感覚を共有することもできるのだが、当の俺がルナとソフィアばかりに構っているため、クロエはそれが面白くないらしい。
「す、すまない」
俺は椅子に座ったまま頭を下げる。
謝る対象は二人だけではない。ここに居る五人と、他の所に居る女の子たちの全員だ。
「アナタのお姉さんだから、別にいいけどね」
「女性同士ですしね」
二人は軽く流してくれているけど、俺は知っている。
クロエが次々と女の子たちにハグする姿や、背後から胸を揉みしだいている姿を。
一度やめてくれと注意したことがあるが、いい笑顔で殺気を飛ばされたり、俺への教育がめちゃくちゃ厳しくなったりしたので、怖くてもう戒める気にもなれない。
「お互い大変ですね、ご主人様」
自分もセクハラの対象になっているマリアの言葉に、俺は心の底から無言で同意した。




