第247話 王命
「お待たせしました、お兄様」
「あぁ、すごくかわいいな」
着替え終えて部屋から出てきたレティの服装は、薄い空色のワンピースに、同じ色のリボンを付けた麦わら帽子をかぶっていた。
今まで妙に変わった水着ばかり見てきたが、レティにこの服を見立てたルナのセンスは悪くない。俺も無意識に感想を口走ったほどだ。
「お兄様に褒めていただけて、わたくしも嬉しいです」
レティは少しだけ緊張していたのか、俺の言葉を聞いた直後にその表情がふわっと緩む。
「しかし、こんなに可愛い服も魔法で創造できるのに、どうして水着は変なものを出したんだ、ルナは」
「この水着は、そんなに変なのかや?」
「いや、似合っていることは似合っているんだが」
自分が着ているスクール水着を不思議そうに見ている白亜の言葉に、正直俺はコメントに困る。彼女にもの凄く似合っているけれど、狐耳にこの水着姿はコスプレにしか見えない。
「男性を喜ばせるためだと、ルナ様は仰っていましたが」
「俺にそんなマニアックな趣味はないぞ」
アリスやソフィアの水着姿はとても嬉しかったが、レティや白亜のような女の子に、スクール水着を着させて喜ぶような性癖は俺にはない。
「クロ坊ではなく、ヤマト爺を喜ばせるためなのじゃ」
「じっちゃんを?」
「んむ。ほれ、ヤマト爺の道場を勝手に大改造したじゃろ? じゃから、少しでも機嫌を取ったほうがいいとルナは言っていたのじゃ」
「なるほど」
無断で道場を改造されたのに、ジイさんはこの世界に来てからもの凄くご機嫌だった。その理由は誰の目から見てもあきらかだったけれど、それもルナの目論見の一つだったわけだ。
そういえば、前にじっちゃんが女の子たちの服を買って帰ってきた時、その中にスクール水着もあったな。
「ルナが紐のような水着を出した時は、あの女神も嫌がっておったが」
「あれを着れば、お兄様がとても喜ぶと仰っていましたけれど」
「さすがにあれは嫌がらせじゃろ」
「ソフィアに紐水着だと? それは凄く見たかった! あっ」
思わず本音が漏れてしまった俺は、慌てて自分の口をふさぐ。ちらりと二人に視線を向けると、白亜にジト目で睨まれていた。
「お兄様が見たいのでしたら、わたくしが」
「それはダメだ!」
「なぜですか!?」
どことなく犯罪臭がするからだなんて、とてもじゃないが面と向かって言えない。
「そ、そろそろ散歩に行こうか」
「そうですね」
レティはまだ不満そうな表情をしていたが、俺が彼女の手を取るとすぐに機嫌が良くなった。
「あれ?」
レティと手を繋いで廊下をエスコートしている途中で、白亜が部屋から出てこないことに気づく。
「白亜? 来ないのか?」
「いや、わらわは……」
「一緒に行きましょう、白亜様」
「う……む、わかったのじゃ」
なぜか二の足を踏んでいた白亜は、レティの誘いを聞いて、止むを得ずという感じで俺たちの後ろをついてきた。
◆◇◆◇
「お兄様、絶対に手を離さないでくださいね」
「ああ、わかってるよ」
レティが海に来たのは初めてだと言っていたので、俺は彼女を波打ち際まで連れてきていた。
目の見えない彼女はクロエの魔法で空間を認識して、周辺を見渡せることができるそうだが、まだその力には慣れていないので、すぐに周りを把握できるわけではない。
したがって、住み慣れた屋敷の中では視覚の障害にも負けずに過ごすことができるけれど、これが外だと誰かの手を借りないと駄目みたいだ。
「気持ちがいいですね」
「そうだな」
寄せては返す波に素足をさらし、俺たちは自然がもたらす心地よさに身を任せる。外の気温は少し高いが、こうして海のそばにいると、この暑さもそんなに不快ではない。
白亜のことが少し気になるが。
俺たちがいる場所から少しだけ離れた所にいる白亜は、一人片足をちゃぷちゃぷとさせて海と戯れている。
何であんなに離れているんだ?
俺はレティと手を繋いだまま、白亜に向かってジェスチャーを送る。しばらくして白亜が気づいて目を合わせたので、俺は自分とレティを白亜を順番に指差した後に、こちらに来い来いと手招きした。
要するに、三人で遊ぼうという合図だ。しかし白亜は、それを拒否するかのようにふるふると首を左右に振る。
何でだ?
反応からして伝わっているようだが、どうして拒否するのだろうか。
「お兄様? どうかなさいましたか?」
「や、白亜がそばに来ないから、少し気になっていたんだ」
「そうですか。白亜様は、わたくしに気を遣ってくださっているのかもしれません」
俺の言葉を聞いたレティは、うつむいて沈んだ声を出す。あきらかに落ち込んでいる様子だ、俺は白亜に向かって再びジェスチャーをする。
いいから、こっちに来いよ。
いやじゃ、わらわはここでいいのじゃ。
何でだよ。
中距離でジェスチャーのやり取りをしていると、白亜は俺とレティを指差してから、自分の両手の人差し指の先をちょんちょん、と合わせて頷く。
俺とレティの邪魔をしたくないっ、てわけか?
白亜と意思疎通をしていて薄々気づいてはいたが、俺にレティのことを優先しろという意味は伝わってくる。だけどそれは、レティにとっては余計な気遣いではなかろうか。
「お兄様……きゃぁっ!」
「レティ!」
レティの悲鳴を聞いて振り向くと、彼女は波に足をすくわれて尻餅をついていた。俺が白亜とのやり取りに熱中しすぎて、彼女の手を離してしまったせいだ。
「すまない、レティ、大丈夫か?」
「あぅ……とても冷たいです」
慌ててレティの体を抱き起こしたが、彼女の服は海水でずぶ濡れになった。せっかっくの綺麗な服が台無しだ。
「戻って新しい服に着替えないと……」
「大丈夫です、この下は水着のままですから」
レティがワンピースのスカートをたくし上げた瞬間、俺は首がグキリと鳴る勢いで視線を逸した。なぜならば、彼女の白い水着が透けていたからだ。
「お兄様?」
「あ、あぁ、でも、風邪を引くといけないからな」
やっぱり透けるじゃないかこの水着!
俺は心の中で、白いスクール水着を用意したルナに文句を言い、レティに羽織らせるためのパーカーを魔法で創り出す。
「服を脱いでしまえば大丈夫ですよ、お兄様」
「俺が大丈夫じゃないんだ」
よくわからないとレティは首を傾げ、そのままワンピースを脱ぎだす。俺はできるだけ彼女の体を見ないようにしていたが、このままではマズい。
「姫、大丈夫か……や?」
いつの間にかそばまで近づいて来ていた白亜が、レティのその姿を見たまま絶句した。俺はこれ幸いとばかりに、用意した上着とバスタオルを彼女に手渡す。
「クロ坊、見るでない!」
「わかってるよ」
このまま白亜に任せれば、レティの体を拭いて服で隠してくれるだろう。
「俺は帽子を取ってくる」
レティがかぶっていた帽子は波にさらわれていたが、そんなに深いところまでは流されていない。俺は帽子を取りに行くついでに高ぶった体のほてりを冷まそうと、ざぶざぶと海の中に入っていった。
「白亜様、少し暑いのですが……」
「綺麗な肌を焼いて、クロ坊に嫌われたくはないじゃろ?」
「それは……はい」
別にそんなことで嫌いになったりはしないが。
日焼け姿も健康的な魅力だと思うけど、確かにレティの白い肌が日焼けするのはもったいない気もする。
けど、これはこれで……
白亜によって服を着せられたレティは、もう中の水着が見えなくなっている。しかしパーカーから覗く白い太ももは、俺の視線を惹きつけてやまないほどの魅力が溢れていた。
「クロ坊……何か変なことを考えておらんかや?」
「いや、ソンナコトハナイヨ」
心の中では下心が全開になってしまっていたが、あくまでも平静を装う。白亜が懐疑的な目で俺を見ていた気もするけど、気にしたら負けだ。
「と、とりあえず向こうで休まないか」
結局視線に耐えられなくなった俺は、ビーチマットとパラソルを魔法で創造し、白亜とレティの二人を誘った。
「レティ、少し込み入った話をしてもいいか?」
「何でしょうか、お兄様」
少しだけ他愛のない会話を続けてから、俺はさっそく本題に入る。白亜は先ほど飲み物を取ってくると言って、今は席を外している。
「レティのこれからの事なんだけどな。このまま俺たちと、一緒に暮らしていく気はあるか?」
「…………」
レティは少しだけ驚いたような仕草を見せて、それから海の方へと視線を向ける。彼女の驚きはすぐに収まったので、今は表情から考えを読めない。
「お兄様は……わたくしと結婚してくださいますか?」
「け、結婚?」
彼女の予想外の返事に、今度は俺が驚く番だった。当たり前だが兄と呼ばれていても本当の兄妹ではないので、もしかしたらそんな未来もあるかもしれない。
しかし俺はレティを傍に置いておきたい気持ちばかりが先行して、その先の事などまったく考えていなかった。
「レティシア・フォン・クロスウェルク・フィルトリエル・バルトディア」
「レティ?」
レティは間を置いてから、自分の本名を名乗りだす。久々に彼女のフルネームを聞いたけど、相変わらず長い名前だ。
「わたくしはバルトディアを出て、他国の者と結婚をし、王位継承権を放棄するようにとの王命を受けています」
レティは母親の王妃が浮気をして生まれたので、国王の娘ではない。しかしそんな出自でも王位継承権はあるのか、国王は彼女を他国に嫁がせることで、それを放棄するように命令をしたそうだ。
「レティの王位継承権は、結婚しないと消えないのか?」
「正確には嫁ぎ先の姓を名乗ることで、今の王家の名を捨てさせるのが、国王様の真の目的のようです。わたくしの出自を知っているのは、王宮でも限られた人間だけですから」
「レティの名字を?」
「はい。世の中には、別々の祖先の姓を引き継いでいる方が多くいらっしゃいますから、わたくしも結婚をすれば今の姓を捨てて、嫁ぎ先の姓を名乗る予定でした」
俺はこの話を聞くまで、あの世界の貴族や王族の、ミドルネームやラストネームの意味を知らなかった。
バーンシュタイン家に住んでいる者は皆同じ姓を名乗っているのに、フランチェスカ様たちの名字が全員違うことに不思議に思ったことはあるが、その答えは単純だった。アリス以外の兄妹たちは、祖父と祖母の名字を引き継いでいるから、皆同じ姓なのだろう。
「つまりレティの問題は、俺と結婚しても解消できるのか」
「もしお兄様と結ばれることができるのなら、わたくしは本当に幸せになれます」
こんな可憐な義妹に頬を染めてそんな事を告げられるなんて、俺はそれだけで幸せ者だ。しかし今の俺には大きな問題点があるので、そうすんなりと上手くいかない。
俺、あの世界で戸籍って無いよな?
ギルドカードのような証明証があれば流れ者でも街に暮らすことはできるけど、俺は住民票すら持っていない。
国ぐるみで勇者を召喚するくらいなので、フランチェスカ様に頼めば戸籍くらいは用意してくれるかもしれないが、レティと結婚したいから戸籍を用意してくれというのは、あまりにも図々しすぎる。
ルナやアリスにも言って、一緒に頼んでもらったほうがいいよな。
「お兄様は、わたくしと結婚するのはお嫌ですか?」
「そんな事はないぞ。ただ、その……な、俺は誠実とはかけ離れた優柔不断な男だから、レティだけを愛するというのは難しいと思う」
「それはよく理解しております。お兄様が一番に愛されているのはソフィア様、いえ、ルナ様とアリス様もでしょうか。お兄様はとてもわかりやすい性格をしていらっしゃるので、こうして一緒に暮らしていますと、それがよく伝わってきますよ」
「まぁ、そうだろうな」
アリスのことはともかく、ルナやソフィアとはほとんど毎日一緒に寝ているんだ、レティがそれに気づいていてもおかしくはない。
「けれどお兄様はこんな生まれのわたくしに同情することもなく、他の皆様方と同じく平等に接してくださっています。わたくしにはそれがとても嬉しいのです」
俺は自分の欲望に忠実に従っているだけなので、人に褒められるような生き方はしていない。平等という言葉にはいまいちピンとこないけれど、好きな女の子に優しく接するのは男として当然の行為だと思う。
「それに王命とはいえ、好きでもない殿方に嫁ぐのは……わたくしも嫌です」
「そうか」
レティは視線を逸らすこともなく、俺の目を見ながらそうハッキリと言葉にする。その声が少し震えていたのは、これが誰にも言えなかった彼女の本音だからなのだろう。
「レティの気持ちはわかった。けど、本当にそれでいいんだな?」
「はい。お兄様も、これからもわたくしを妹としてお傍に置いてくださいますか?」
「そこは恋人じゃないのか?」
「お兄様の恋人はたくさんいらっしゃいますけれど、妹はわたくしだけです。それだけは誰にも譲れません」
「そ、そうか……」
何か強いこだわりがあるようだし、恋人ではなく妹ととして結婚したいというのなら、俺は甘んじて受け入れよう。
「待たせたのじゃ」
レティとこれからの事を話していると、白亜がアリスを連れて戻ってきた。彼女たちはそれぞれ大きなバスケットを手に持っている。
「アリス、昼食を持ってきてくれたのか?」
「ええ、昨日の余り物の肉をパンに挟んだ簡単なものだけどね。アナタ朝食も食べなかったけど、食べられそう?」
「ああ、でもこれ、多くないか?」
「ルナたちの分もここに持ってきたのよ」
「そっか」
「白亜、あの子たちも呼んでちょうだい」
「わかったのじゃ」
白亜はバスケットを下に置いた後、白い紐がぶら下がった筒状の物を取り出す。
「なんだそれ?」
「これはこうして使うのじゃ」
白亜が筒を空に向けて紐を引っ張ると、ボシュッという音を鳴らして空に発煙が舞い上がった。
「信号弾か」
煙が上がってしばらくして、ルナが乗っていた水上バイクの音が近づいてきた。おそらくこれを昼食の合図にすると、ルナとアリスが予め決めていたのだろう。
「ルナ、アリス、ちょっといいか?」
「ん……?」
「どうしたの?」
みんなで昼食を摂り始めてから、俺はアリスとルナがいる場所に移動する。先ほどレティと話していた内容を、彼女たちに知らせるためだ。
「レティの事なんだけど……」
俺はレティが国を出なければならない理由と、自分とレティの気持ち、そして、彼女とも結婚をするという事を二人に伝えた。
「ふーん……」
「アナタたち二人の気持ちはわかったけど、フラン姉さんがそう簡単に許可するのかしら?」
「いや、ふーんて、二人はそれでもいいのか?」
またこれ以上増やす気かと文句を言われると思っていたので、二人のこの反応は意外だった。ルナに至っては淡白すぎる。
「ん……? クロは全員と結婚するんじゃないの?」
「ぜ、全員て、あの……俺のそばにいる女の子と全員?」
「ん……」
「私はそうだと思っていたけど、違うの?」
「少なくとも、クレアとマリアは違うんじゃないのか?」
「アナタの事だから、どうせあの二人も入ってくるわよ」
「うんうん」
信頼されているのか呆れられているのか、俺は一体どういう反応を示せばいいのかと悩む。
「まぁ、私もレティシア様のことは好きだから手伝うのはいいけど、ルナに頼んだほうが確実じゃない?」
「ルナにか?」
「そう、ルナは頻繁にフラン姉さんと手紙のやり取りをしているから、こっちの事情はあらかた筒抜けだと思うわよ」
「週に四日は文通してる」
「マジでか」
だから返事は必要ないって書いてたのか。
この間手紙は来たのに返信は不要だと文面に書かれていたのは、ルナからの手紙を見てその必要がなかったからだと知る。
しかもルナは、俺がレティを嫁にもらうかもしれないと、それとなくほめのかした手紙も書いたことがあるらしい。
ルナが俺の将来を勝手に決めていることが少し気になるけど、まぁいいか。
本当に嫌な時は嫌だと彼女に伝えれば、ルナも無理強いをしないはずだ。
「近いうちに挨拶に向かうって、フランチェスカ様に手紙を出しておいてくれ」
「ん……わかった」
俺もそれなりに努力はしているが、フランチェスカ様が俺を信頼してくれているのはルナのおかげなのだと、俺は改めて実感した。




