第246話 姫君たちの行く先
ここのところ体調を崩しがちで更新ペースが落ちています、申し訳ありません。
ベッドの上で目が覚めて一番に感じたのは、開け放たれた窓から入ってくる心地のいい風だ。
割と早めに就寝したのにあまり寝た気がしないのは、横になりながら何度も目を覚ましたせいだろう。
向こうの世界とは時間軸が違うといっても、別にこの世界の時間がゆっくりなわけでもないんだな。
日が沈めばちゃんと夜になるし、夜空を見上げれば美しい星々が輝いてた。この島の周辺しか知らないので、この世界がどんな所なのかわからないが、向こうの世界とあまり変わらないのかもしれない。
「いい加減起きるか」
このまま横になっていても仕方がないので、ベッドから起き上がって服を着替える。
「おはよう、よく眠れた?」
部屋を出て廊下を歩いていると、クローディアが窓の外を眺めていた。そして俺の顔色を確かめるように見た後「あまり眠れなかったようね」と小さく呟く。
「ずっと考え事をしていたから、あまり寝た気がしないな」
「そう、それは悪かったわね」
クローディアの言葉に相槌を打ちながら、彼女と一緒に窓の外を眺める。
「きゃっほぉ!」
「わぁい!」
「おぉ……!」
「楽しそうだな」
「ええ、あの娘たちの遊び相手をしてくれてるルナには、感謝しないとね」
コテージの外ではルナが水上バイクを乗り回している。後ろにリアとディアナの二人を相乗りさせて、ものすごく楽しそうだ。
ふと、クローディアの方に視線を戻すと、彼女も柔らかな微笑みを浮かべていた。前々から竜人の姉妹には甘いと思っていたが、どうしてこんなにも甘やかしているのだろうか。
「なぁ、聞いてもいいか?」
「なに?」
「リアとディアナは、育った場所で苦労してたのか?」
彼女たちの故郷は山奥にあるみたいなので、食べられる食料も自然と少なくなるのかもしれない。人間との関わりを避けて山に住んでいたのなら、閉鎖的な暮らしを余儀なくされていた可能性もある。
やたらと食べる食事の量が多かったり、体を鍛えるのも遊ぶのも全力で楽しんでいる姉妹を見ていると、そんな考えが頭をよぎる。クローディアがディアナの事を甘やかしているのも、それが理由な気がする。
「あの娘たちがどんな暮らしをしていたのか、あなたは聞いていないの?」
「全然聞いていないな」
「一度母親が迎えに来たって、聞いているけど」
「その時俺は居なかった」
「そう」
西の大陸のバーンシュタイン家でお世話になっていた時、リアの母親が訪ねてきたとアリスから聞いた。しかし俺はタイミング悪く東の大陸にまで飛ばされていたので、リアの母親がどんな話をしていたのか知らない。
「そうね……あの二人が、竜人の巫女と呼ばれているのは知ってる?」
「それは知ってる」
「竜人の巫女というのは、里を治めている王の妻となるべきものに、与えられる称号らしいわよ」
「えっ、リアには結婚相手が居たのか? なら早く、故郷に連れて行ってあげないと駄目じゃないか」
「落ち着きなさい、私は反対よ」
「何でだ?」
「あの娘たちは里で姫として扱われていたけど、その結婚相手の王は年老いた老人よ」
「マジで」
「ええ、一度だけ会ったけど、あのヤマトよりも遥かに老けていたわね」
あの二人が姫と呼ばれていて婚約者が居たことにも驚いたが、その相手がよりによってジイさんよりも老けているということの方が、俺には衝撃だった。
「私もそれ以上聞いていないから詳しくないけど、あんなに小さい子に、そんな生き方はさせたくはないでしょ?」
「そりゃそうだけど、これからどうすりゃいいんだよ……」
リアの故郷に向かうのは後回しにしてきたが、いつかは彼女を送って帰すつもりだった。けれどこんな話を聞かされたら、このまま竜人の里に連れて行くのはあまりにも不憫だ。
「あなたが責任持って養えばいいじゃない。あの子たちの母親も、そう思いついたから預けていったんじゃないの?」
あり得る。
これは俺の勝手な推測だが、老人の王に娘を差し出したくなかった母親は、リアのことを逃がそうとした。けれどリアは人間に捕まって奴隷にされて、なし崩し的に俺の所に辿り着いた。それに気づいた母親は、人間の手から娘を救うために山を降りてきたが、その本人から今の方がいいと告げられて、そのまま預けていった可能性が高い。
「リアが帰りたくないなら、俺は別にこのままでもいいけど」
「そうしなさい。それよりも今は優先することがあるでしょう。私は明日からあなたを鍛えるつもりだけど、昨夜の話の考えはまとまった?」
昨日の屋根裏部屋での話し合いの後、クローディアが一人で俺の部屋を訪ねてきた。間を置くことなく彼女が切り出した話は、レティの今後についてだった。
「レティの事か。俺はレティを手放さない方がいいんだよな?」
「昨夜にも言ったけど、あの娘は大地神の生まれ変わりであり、地母神の分け御霊よ。ただの人間に、あの力を制御することは不可能だわ」
原初神ガイアは己の力の一分を分け与え、大地神と呼ばれる神を産み落とした。何のためにそのような事をしたのか仔細はわからないが、原初の神の分身とも言えるその存在は、世に三度も転生している。
一度目はクロフォードの時代、聖王レイアという名で、初めて神々の前にその姿を現した。
二度目はクロエの時代だ。位こそ聖王ではなく神王であったが、彼女の法術と呼ばれる力は凄まじく、大神王であるアストレア様でさえ、彼女に畏敬の念を抱いていたみたいだ。
聖王ですらそうそう逢うことが叶わぬ地母神と同じ容姿を持ち、彼女が歌を歌うだけで、枯れた大地にも大いなる恵みをもたらした。そしてその姿を見た他の女神や戦乙女たちから、大地神レアーの名で讃えられていた。
そして三度目は今この時代。彼女は神ではなく、なぜか人間として生まれ変わった。
まるであなたのことを、ずっと追いかけているようね。と、昨日の話し合いの中でクローディアが付け足した。レティに追いかけられるのは嫌ではないが、あの言い方だと誤解を招くのでやめて欲しい。
「それで、結局レティシアの事はどうするの?」
「フランチェスカ様には掛け合ってみるが、どうなるかは分からない。レティは俺とは身分違いの王族だし、一応とはいえこの国の王子の婚約者だからな。女神の生まれ変わりである事を、吹聴して回るわけにもいかないだろ?」
「元大聖王のくせに、随分と消極的ね」
「それこそ関係ない。俺が神の生まれ変わりだからといっても、殆どの人間には全く関係のない事だ」
「欲しいなら力ずくで奪えばいいじゃない」
これまた、やたらと攻撃的な意見だな。
「あなたは生まれ変わる度に、そうやって生きてきたんでしょう?」
「そ、それはそうだけど……」
確かにクローディアの言うとおり、神界を敵に回す覚悟で女神と結ばれるよりは、まだ相手が人間なだけマシな気もする。
「いざとなればレティシアを攫って、この世界に逃げ込めばいいわ」
異世界に駆け落ちか……存外悪くないかもしれないな。
「ま、もしもあなたに人間を敵に回す覚悟があるのなら、私は喜んで手を貸すわよ」
「お、おう」
何でこんなに好戦的なんだ? あぁ、前世からこんな感じだったっけ。
「なにやら物騒な話をしておるのぅ」
対向からしてきた声の主の姿を見て、俺は口を開けたまま呆然となる。呆気にとられた理由は、細長い棒のようなものを持った老人が、なぜか白い褌姿だったからだ。
「じ、じっちゃん……何だよその格好は?」
「む? これか? いやなに、海を見ていたら久々に刺身が食いたくなってのぅ」
ジイさんは長い釣り竿を見せつけるようにクイッと動かしているが、俺が気になっていたのはそれではない。
「や、そのふんどしは?」
「おお、これか。これはルナちゃんが、ワシのために用意してくれた水着じゃよ」
水着なのか。
別に男の水着に文句があるわけではないけれど、ルナのチョイスはやはり変わっている気がする。
「おお! そうじゃそうじゃ。ボウズにも、渡すように頼まれていたものがあるんじゃ」
壁に釣り竿を立てかけたジイさんは、そんなことを言いながら徐に褌の中に手を突っ込む。
「うわっ、ちょっ、何をしてるんだよじっちゃん!」
「ほれ、これをボウズに渡してくれと頼まれとったんじゃ」
ジイさんは褌の中から黒い水着を取り出して、それを両手でぱっと広げる。どうやらルナが俺の分も魔法で創ったらしい。しかもあろうことか、それはブーメランタイプのピッチリした水着だった。
「俺に……それを穿けと……?」
「言いたいことはわかるが、お主はまだまだ若いんじゃから、アピールするのもいいのではないかの?」
ジイさんはウンウンと頷きながら、俺の手を取って、ブーメラン水着を手のひらに載せる。それはほんのりと生暖かくなっていた。
「クレアちゃんとエリスちゃんを待たせておるんじゃ、ではの」
用を済ませたジイさんは釣り道具一式を持ち、挨拶をしながら俺たちの側を離れていく。俺はそれを見送りながら、何とも言えない気持ちが心の中で渦巻いていた。
「穿くの? それ」
「穿くかあああ!」
いつの間にか距離を取っていたクローディアの質問に、俺は力いっぱい水着を床に叩きつける。パーンと小気味よい音がした後に、しばらく俺たちの間には微妙な沈黙が支配していた。
◆◇◆◇
俺はクローディアと別れた後、レティと白亜の部屋の前に来ていた。ジイさんの体温で暖められた水着は穿きたくなかったので、自分の水着は自作した。ちなみに種類はハーフパンツだ。
レティと話をすることに決めた俺は、一度深呼吸をした後に部屋の扉をノックする。
「開いていますわよ」
なぜクロエの声が返ってきたのだろうか、俺は疑問に思いながらもゆっくりと部屋の扉を開けた。
「お兄様、おはようございます」
「ああ、おはよう。どうしてここに居るんですか、姉さん」
「あら、わたくしが何処に居ようと、それはわたくしの自由ではありませんこと?」
「そうだけど」
「この女は、姫のことを根掘り葉掘り聞いていたのじゃ」
一人だけ反対側にあるベッドに座っていた白亜が、ジト目でクロエを見ながら俺に告げ口する。クロエはそんな白亜の事を咎めることもなく、ニコニコ笑顔でどこ吹く風だ。
「レティの話を? それは俺も聞きたいな」
「お兄様っ! えっと、あの、そう! わたくしとお散歩をしていただけませんか?」
俺が会話に加わろうとしていたら、レティが慌てたように話を逸らそうとする。自分の過去の話を聞かれたくはないのだろうと判断した俺は、彼女の提案に乗ることにした。
「そうだな、一緒に浜辺でも散歩するか。でも、日差しが強いから、服を着たほうがいいんじゃないか?」
ここで遊ぶ時は水着じゃないと駄目だとルナが言っていたので、レティは今日も白のスクール水着を着ている。エリスリーゼさんは肌を男に見せるのは嫌だと言っていたみたいだけど、あの人も渋々了承したらしい。視線を合わせると睨み返されるので、俺はできるだけあの人の事を見ないようにしていたが。
「ルナ様に服も頂いたので、それに着替えますね」
「手伝うのじゃ」
「あぁ、わかった」
レティと白亜を部屋に残し、俺はすぐに部屋の外へと出る。クロエは部屋の中に残るだろうと思っていたら、なぜか俺に続いて部屋の外へと出てきた。
「それで、どんな話をしていたんですか? 姉さん」
「いろいろと、楽しいお話が聞けましたわ」
俺と一緒に壁に寄りかかったクロエは、楽しそうにクスクスと笑いながら視線を合わせてくる。
「あの娘の事なら今は大丈夫。あの娘が持っている女神の力は、姉妹で共有しているしているみたいですからね」
レティの力を人間に利用されるのは危険だが、その力は彼女の姉妹と共有している上に、今は厳重に封印されている。そんな風に詳しく説明された俺は、さしあたりレティに害が及ばないことに安堵した。
「それよりもクロード。貴方は一体いつまで、あの獣人の姫に侍女の真似事をさせるつもりなのです?」
「白亜のことですか?」
「あの娘も高貴な生まれなのに甲斐甲斐しく世話をしているので気になって聞いてみたら、貴方にレティシアの事を頼まれたからだと、言っていましたよ」
「あ……」
白亜が小狐の姿から戻れなかった時に、俺はレティが寂しい思いをしないようにと、彼女に一緒に寝てあげて欲しいと頼んだことがある。白亜は優しいので元の姿に戻ってもずっとレティの傍に居てくれていたが、そんな彼女が侍女の真似事をしているのに全く気づかなかった。
「ごめん、姉さん。そんな事になっているとは知らなかったよ」
「わたくしに謝っても意味はありませんよ、クロード。謝るのなら本人に謝りなさい」
「はい……」
「わたくしはこれから用があるのでこれでお暇しますが、あの二人のことは対等に扱うのですよ」
「わかってます」
「ああ、そうそう。貴方の大好きな女神さまの事ですけれど、彼女は多分、前世の記憶を思い出していますわよ」
「えっ……」
部屋の中にいる二人にどうやって話を切り出そうかと悩んでいたら、クロエは最後に、もの凄く気になる言葉を残して去っていった。




