第242話 おともだち
「く、クロ坊……そ、その……」
「あぁすまない、いきなり抱きしめたりして……」
白亜に戸惑いの声を出されてしまい、俺は彼女の体からバッと離れる。
つい勢いで抱きしめてしまったが、気持ちよりも先に体が動いてしまっていた。
「わ、わるい……嫌だったよな」
「別に嫌というわけじゃないんじゃが、その……じゃな……今は人に見られておるから、は、恥ずかしいのじゃ」
「見られている?」
ジイさんと竜人の姉妹はまだ稽古を続けているので、俺たちのことを見てはいない。
屋敷からは誰も出てくる気配はないし、一体誰が見ているというのだろうか。
「あっちじゃ」
白亜が指を差した方向に視線を向けると、木陰にあるガーデンテーブルに座ったエリスリーゼさんが、睨みつけるような目で俺たちのことを見ていた。
「え、エリスさんか……と、誰だあれ? 獣人の女の子?」
エリスリーゼさんの隣りの席に、獣人らしき女の子が座っている。
獣人なので実年齢は分からないが、見た目は白亜と同じか少し大きいくらいだろうか。
髪の色は薄めのブラウン・ベージュで、頭にはフワッとした大きな垂れ耳。
そしてその女の子は、自身の身長を超えるほどの大きな何かを背負っていた。
「あれは武具屋の使いじゃ。先ほどまではアリスが話をしておったが、今はあの姉が相手をしているみたいなのじゃ」
武具屋の使い? 帰ったんじゃなかったのか?
というか、もしかしてエリスさんに捕まったのか。
「う……気が重いな……」
「大丈夫かや? クロ坊」
エリスリーゼさんには近づきがたい雰囲気だが、そんな話を聞かされたら行かないわけにもいかない。
俺が覚悟を決めて歩き始めると、白亜も俺のことを心配しながら付いて来てくれた。
「貴方って、小さい女の子が相手なら手が早いの? 見境がないわね」
「うぅ……」
エリスリーゼさんが開口一番に俺に放った言葉は、俺を精神的に追い詰める口撃だった。
下心が微塵もなかった俺にその一言は少し理不尽だったけれど、先ほどの白亜の気持ちを晒したくないのでグッと堪える。
「クロ坊は落ち込んでいたわらわを慰めてくれただけじゃ。誓って言うが、決してわらわに変なことをしていたわけではない」
「そうなの? それは……早とちりしてごめんなさいね」
気持ちの沈んでいた俺を見兼ねた白亜が、俺の前に出てすかさずフォローをしてくれた。
白亜の態度はとても嬉しかったけど、元々重かった空気がさらに重くなる。
「私の大事な妹には何もしないのに、小さい子にはすぐ手を出すのかと勘違いしてたわ」
それは……うん、勘違いするような態度をしていた俺が悪いな。
アリスのことを大切に思っているからこそ、彼女との関係を深めようとはしなかった。
しかしそんな雰囲気が周りに伝わってしまうのは、確かに俺の努力不足だ。
「したくもないお見合い話を無理やり押し付けられて、少しイライラしていたのかもしれないわね……本当にごめんなさい」
「お見合いは自分の意志じゃなかったのかや?」
「ええ、そうよ。当主を引き継いだお兄様の命令だから仕方なくここまで来たけれど、そうじゃなかったら、正反対の大陸にまで嫁ぎに行きたくはないわよ」
「おぬしも……そうなんじゃな……」
エリスリーゼさんの話を聞いた白亜が、小さくつぶやきながら体から力を抜く。
自由に生きられない貴族の言葉を聞いて、過去の自分やレティと重ねてしまったのだろう。
「貴女にも余計な愚痴を言ってしまったわね。大変失礼をいたしました」
「い、いえいえ。私なんかにお貴族様が話し相手をしてくれて、大変光栄だったっス」
っス?
今はじめて声を聞いた女の子の口調は、ずいぶんと特徴的な喋り方だ。
改めてよく見た感じからすると、彼女は犬の獣人なのだろうか。
細い首におしゃれに飾った首輪をつけているけれど、一目見ただけでは奴隷なのかファッションなのか判断がつかない。
「あ、あなたがクロードさんっスか?」
「そうだけど」
「はじめましてっス。カザン親方の下でエンチャンター見習いをしている、アンジェラというものっス」
「エンチャンター見習い? その背中の盾は?」
アンジェラが背中に背負っていたのは、仰々しい形をした大きな盾だった。
身を守るにしては少し大袈裟な気がするうえに、彼女は盾の他に武器らしきものは何も持っていない。
「あ、これっスか? 自分はシールダーをやっているので、これは商売道具っスよ」
「エンチャンターで……シールダー?」
俺の質問にアンジェラは丁寧に説明くれているけれど、どれも初めて聞く言葉なのでさっぱり要領を得ない。
「エンチャンターとは付与術師のことじゃ。武器や防具に魔法を付与して、力の底上げを行う者のことじゃな」
「じっちゃん」
リアたちとの稽古を切り上げたジイさんが、俺の独り言に答えながらこちらに向かってきた。
「シールダーはその名の通り、盾を武器として戦う者たちのことじゃ。戦うときは仲間の盾となるので一番身を危険に晒す職業じゃが、強い者はドラゴンを相手にしても一歩も退かぬ」
「へぇー……それはすげぇな」
「ドラゴンさんをあいてに……」
「一歩も退かない……」
「いえいえいえ、自分なんてまだまだっスよ」
興味津々で覗き込んでくるリアとディアナの二人に、アンジェラは両手を前にしてブンブンと首を振る。
「両方共この世界に召喚された、異世界人が名付けた職業じゃな」
「ああ、それでか」
ゲームみたいな職業の名称に少し引っかかっていたが、異世界人が名付け親なのだとしたら納得できる。
「お嬢様。これからこやつの武器を取りに鍛冶屋に向かうので、少しばかりお暇を頂いてもよろしいでしょうか?」
ジイさんは刀を腰に差して身を正した後、実孫のエリスリーゼさんに向かって丁寧にお辞儀をする。
今日は執事服を着ていたりはしないけれど、この罰ゲームみたいなものはまだ続いているのだろうか。
「四六時中お祖父様を縛ったりしませんから、どうぞご自由になさってくださいな」
「む、そうか。すまんのぅ」
「でも、まだ許したわけではございませんわよ」
「わ、わかっておるよ」
じっちゃんも大変だな。
「お前たちはどうする?」
「そうじゃのぅ、わらわはクロ坊についていくのじゃ」
「あ、わたしもいきます」
「私は部屋に戻って、エリカ様をまってる」
「わかった」
白亜とリアは俺に懐いているが、ディアナはまだあまり打ち解けてくれない。
俺たちはエリスリーゼさんとディアナに見送られ、カザンさんの待っている武具屋に向かうことにした。
◆◇◆◇
武具屋の方にたどり着くと、店の前には大きめの馬車が停まっていた。
「おう、やっときたか」
メチャクチャ大きな木箱を運んでいたカザンさんが、俺たちに気づいて声をかけてくる。
大きさからして何も入っていない空箱かと思いきや、カザンさんがそれを馬車に載せるとズシンと嫌な音がした。
「カザンさん、どこかに出かけるんですか?」
「おう、これからラシュベルトにな。ヤマトの刀もオークション会場に持っていかなきゃならんし。おいアンジュ、例の箱を持ってきてくれ」
「はいっス、よっ! はっ!」
声をかけられたアンジェラが、背中の盾を店の入口にぶつけないように横歩きで入っていく。
入口が狭いのだから盾を置いていけばいいのにと思ったけど、手放せないほど大事なものらしい。
「お主がわざわざ行くのか?」
「まぁな。向こうの店の奴に任せてもいいんだが……相手がアーシェラだと、ちと不安でのう」
アーシェラ? アンジェラの身内か?
どう考えてもあの子は、この人の娘じゃないよな。
カザンさんの種族はドワーフで、その奥さんであるサテラさんも獣人には見えない。
あの恰幅のいいおばさんはカザンさんとは違って背が高いので、人間かエルフのうちのどちらかだろう。
あの立派な体格の元が、美女エルフだなんて思いたくはないけど……
街で見かけるエルフは、誰も彼もが美男美女ばかりだ。
男性は細くて女性は皆スタイルがいいので、太ったエルフなんか見たことがない。
長い耳を見れば人目でエルフということが分かるのだが、耳の短いハーフエルフという種族も存在しているそうだ。
「持ってきたっス」
「おう、ご苦労。お前はサテラの手伝いをしててくれ」
「はいっス」
「ボウズ、お前に頼まれた短剣だ」
アンジェラが置いていった細長い箱を開けると、その中には二振りの短剣が入っていた。
「頼まれたとおり魔法の付与はしていない。多少斬れ味が落ちるが、その分耐久性を上げているぞ」
「ありがとうございます」
二本の短剣を両手に持ち、実際に素振りをしてその性能を確認する。
思っていたよりも重量があるけど、手にはしっくりくる。
制作の依頼をしたときにカザンさんが俺の手をじっくりと触っていたので、手に馴染むように柄を作ってくれたのだろう。
でもこれ、ちょっとデカすぎるな。
俺が魔法で創った短剣よりも一回り大きくて、想像していたよりも重い。
決して扱いにくいとは思いはしないが、俺の短剣と同じサイズで依頼してもよかったかもしれない。
「しかし仕事の早いお主にしては、時間がかかったほうじゃのぅ」
「なかなか納得いくものができなくてな……」
「はいはい、前を通るよ」
馬車の前で話をしていると、店の裏側からまたデカイ木箱を持った人が出てくる。
木箱で隠れていて顔は見えないけど、聞こえてくる声からして運んでいるのはサテラおばさんだ。
「あ、手伝いますよ」
「おや? どこの誰か知らないけど、悪いね」
「いえ……おわっ!?」
笑顔で木箱を受け取った俺だが、そのあまりの重さに思わず中腰になる。
ぐ、ぐぉぉぉ……
な、なんだこりゃ!? お、重てぇぇぇ!!
「ぬぐぐぐぐぐ……」
「なんだ、坊やかい。男のくせになんだい、そのへっぴり腰は」
「や……これ……おも……おも……」
やべぇ!
いま腰が……ミシっていった!
「てつだいますよ、クロさま」
捨てられた子犬のようにプルプルと震えていると、俺の横からリアがヒョイッと木箱を奪っていく。
「馬車にのせればいいんですか?」
「ああ、頼むよ」
「くっ……ぅ……」
「大丈夫かや? クロ坊」
「や、やばかった……」
その場でへたり込んだ俺は、白亜に腰を擦られながら自分で治癒魔法をかける。
「なっさけないねぇ……男だろ、あんた」
「いやあれ、重すぎますよ。一体何が入っているんですか」
「五人分の鎧じゃ」
背後から聞こえてきたカザンさんの声は、俺を追い詰めるには十分な一言だった。
無理。
力自慢の獣人と俺を一緒にしないでくれ……
「よっ! ほっ! はっ!」
アンジェラも軽い足取りで木箱を運んでいるが、普通の人間の俺にはとても真似できるわけがない。
「クロ坊、前々から思っていたのじゃが……おぬしは力を使うとき、魔法を使わないのかや?」
「はっ? 力を使うのに魔法?」
「うむ。魔法は何も、敵を攻撃するだけではないのじゃ。ほれ、リアとあの犬娘の魔力をよく探ってみるのじゃ」
「なんだってんだ……」
今日エレンさんに教えてもらったばかりの魔力感知を、リアとアンジェラの二人に向かって使用する。
すると、彼女たちの二人の全身を、薄っすらと魔力の膜らしきものが包んでいた。
「な、なんだありゃ? あれは何かの魔法なのか?」
「全身を己の魔力で包んで、力の底上げをしておるのじゃ。先ほどヤマト爺が、付与術師について説明していたじゃろ? あれと同じことじゃ」
魔法を付与する先が装備か自身の体かの違いだけで、理屈は同じことだという。
魔法の心得がある者はすべからくこの力の使い方を知っているが、装備とは違い生身では魔力を消費し続けてしまうので、長時間使うことは難しいらしい。
「それで付与術師なんて職業が成立しているのか……ってそんなことよりリア!」
「はい? なんですか? クロさま」
「お前……魔法が使えたのか?」
「つかえますよ? ほらっ」
「うわっス!?」
リアは俺に向かってガッツポーズをした後、空に向かって口からゴウっと火を吐く。
そして彼女の近くにたアンジェラが、口から火を出すリアを見てびっくりしていた。
あのブレスって、魔法なのかよ……
俺はブレスが魔法だったという事実よりも、リアが魔法使いだったことに少しだけショックを受ける。
「ただの小娘ではないと思っとたが、もしやあの娘は……」
「カザン、見なかったことにしてくれんかのぅ」
「ヤマト。なるほどな……そういうことか」
リアのことを見ていたカザンさんが、ジイさんに言われて何やら納得している。
恐らく彼女が竜人であることに気づき、黙っていてくれているのだろう。
リアに注意しといたほうがいいな。
「口から火を出せるなんて、凄いっスね」
「そうですかぁ?」
「リア、あんまり人前で見せるんじゃないぞ」
「あっ……ごめんなさい、クロさま」
「わかったのならいい」
人と仲良くなるのはかまわないけれど、竜人であることがバレるのはマズい。
リアも俺の一言ですべてを察したようだ、俺は彼女の頭を優しく撫でてやる。
「なんだかよくわからないけれど、お嬢ちゃんはうちのアンジュと仲良くやってくれるかい? その娘はあまり友だちがいないんだよ」
「アンジェラさんと?」
優しく微笑んでくるサテラおばさんに、リアはこてりと首を傾げる。
「そうそう。と言っても、これからすぐにうちの旦那とラシュベルトに向かうんだがね」
「そうなんですかぁ?」
「は、はい、そうっス」
「リアとおともだちになってくれるんですか?」
「わ、私なんかが友だちになってもいいんっスか?」
「リアとおともだちなってくれたらうれしいです」
「わ、わぁ! よ、よろしくっス!」
ニコニコとした笑顔でリアが手を差し伸べると、アンジェラがその手を両手で力強く掴む。
「クロさまぁ! 新しいおともだちができましたぁ!」
「よかったな、リア」
そんな光景を見て微笑ましくなった俺は、再び彼女の頭を優しくなでる。
サテラおばさんも俺たちの側に来て、アンジェラの頭を優しくポンポンとしていた。
「あの……少し込み入った質問をしますけど、サテラさんはひょっとして獣人なんですか?」
「はっはっは、そんなわけないだろ。あたしゃエルフだよ、この娘は養子さね」
な、なんだってーーーーー!?
「まぁ、深い事情はあまり気にしないでくれると助かるね……って、ちゃんと聞いてるのかい!?」
俺はリアが魔法使いだと知ったときよりも、さらにでかいショックを受ける。
サテラおばさんが養子についてはあまり聞かないでくれと言っていたが、正直俺はほとんど話が聞こえていなかった。
ちなみにこの後、白亜もアンジェラとお友達になった。
最初は彼女も恥ずかしがっていたが、俺が無理やり後押ししたのが功を奏したようだ。




