第240話 助力
レイモンド家の晩餐でひと通りの接待を受けた俺は、家路につく前に領主の執務室に呼ばれた。
俺と一緒に来たのは弟のジルベールさんだけで、アリスとエレンさんにはコンスタンツェさんが話し相手をしてくれている。
「時間を取らせてすまない。実は、勇者殿に折り入って頼みたい事があるんだ」
「頼み事……ですか?」
「ああ。勇者殿は、この街の冒険者ギルドのマスターに会ったことはあるか?」
「いえ、俺は会ったことはないですね」
冒険者ギルドは仕事で利用しているだけなので、上の人間のことはあまり知らない。
受付で対応してくれる人たちとは何人か顔見知りにはなったけれど、一介の冒険者を相手に職員をわざわざ紹介することもないからだ。
ラシュベルトの冒険者ギルドでは、偶々ギルドマスターのマルコさんに会う機会があったけど。
「そうか。この街の冒険者ギルドのマスターは、知り合いの子爵家が引き受けているんだが、その人が少し高齢でな。そろそろ代替わりをしてもいい頃なのだが、ずっと断られ続けてきたそうなんだ」
現在のギルドマスターは80歳という高齢で、ずっとその仕事を続けていたらしい。
そのほとんどが書類仕事とはいえ、さすがにこれ以上働き続けるのは限界なのだそうだ。
「正直に言って、ラシュベルトの方に冒険者を取られ続けている今は、この街で冒険者ギルドを運営しても全然儲けにはならない。あの人の身内が拒否している理由は、そんなところだろう」
冒険者ギルドのマスターは、その街の貴族でないと就くことができない。
しかし今その役割を引き受けている子爵家は、息子が商人ギルドの方で高い地位についている。
祖父の孫は後を引き継ぐのが嫌なわけではないみたいだが、息子がそれを許さないらしい。
サミュエルさんは現在のギルドのマスターに前々からそのようなことを相談されていて、冒険者ギルドの運営を引き受けることにしたそうだ。
「次のギルドマスターは、俺のこの弟のジルベール引き継がせようと思っている。だが、勇者殿も御存知だと思うが、この街は高ランク冒険者の数が少ない。先日のような大きな事件が起きても、傭兵ギルドに協力を要請しないといけない程だ」
ここまでの話を聞いて、この人が俺になにを頼みたいのかわかってきた。
つまり事が起きても常に人手が足りなくなるので、俺のような存在に力を借りたいのだろう。
「勇者殿には大事な弟の命を救ってもらったり、並の冒険者では歯がたたないほどの魔物を討伐してもらったりと、言葉ではとても返しきれないほどの恩がある。重ね重ね協力してもらって本当に申し訳ないが、どうかこれからも俺たちに力を貸してもらえないだろうか」
「近頃この街の周辺では、立て続けに様々な事件が起きています。その度に私たちは私兵を派遣したり、ラシュベルトに支援を要請したりしてきましたが、それも限界があります」
「数年前まではギルバート様がこの街に住んでいらしたので、事が起きても全てあの方が引き受けてくれていた。我々にとって実力のある冒険者というは、街を守る上で重要な存在なんだ」
要するに、俺にギルさんの代わりをやってほしいということか。
サミュエルさんとジルベールさんは、兄弟揃って俺に頭を下げる。
こんな風に協力を要請されるのは悪い気分ではないのだが、俺にはひとつだけ大きな問題があった。
「俺もこの街に住んでいるので力を貸すことはできますけど、ひとつだけ問題があります」
「それは?」
ジルベールさんの受け答えに対し、俺は意を決して本当のことを話す。
「実は俺……本当は勇者ではないんですよ」
二人は俺のことを勇者だと思っているので、これは話さないといけない大事なことだ。
このままずっと黙っているという選択肢もあったけれど、いずれバレてしまうかもしれないので最初から話しておいたほうがいい。
「えっと……」
沈黙を破ったジルベールさんが丸い目をして俺を見ているが、彼が驚くのも当然だろう。
「今まで黙っていたことについては悪いと思っていますが、俺は最初から勇者と名乗った覚えはありません」
俺は勇者の鑑定スキル用にステータスを偽っているが、彼らの前で自らを勇者と名乗った覚えはない。
初めに大きな声で勇者と叫んだのはあの治癒術士の女の子だったけど、俺は決して騙そうと思っていたわけではないのだ。
「いえ……そういうことではなく」
「えっ?」
「勇者様が勇者でなかったことは、私たちはすでに知っています。確か、異世界の魔皇……でしたっけ?」
「へっ?」
な、なんでルナの作った作り話を知られているんだ?
「どうしてそれを知って……?」
「いえ、あの……黒の森に魔物の討伐に向かったとき、そういう話で盛り上がっていたのですよね? 私は部下から聞かされただけですが」
「あっ……」
確かにあの時、アリスたちは俺が異世界の魔皇だというルナの作り話で盛り上がっていた。
あの場にはジルベールさんの部下もたくさん居たので、この人にその話が伝わっていてもおかしくはない。
「魔皇と呼ばれていても、種族としては魔族ではなく、人間なのですよね?」
「まぁ……そうですけど」
「なら俺たちは別に構わない」
「はい。私たちは勇者様ついて、女王陛下からも保証していただいておりますから」
「保証? フランチェスカ様の?」
俺が疑問を抱いていると、サミュエルさんが机の引き出しから一通の手紙を取り出す。
「俺たちが勇者殿に助力を求めても、なにも問題ないことを保証してくれた。それからこれは、ヴィクトリア大公から勇者殿に宛てた手紙だ。もちろん俺は中を拝見していない、家に帰ってから読むといい」
真っ白な封筒にはなにも書かれていなかったが、その中央には権威ある印章で封がされている。
フランチェスカ様から俺宛の手紙ということは、十中八九レティの事についての内容だろう。
「冒険者ギルドの手続きのために、俺は先日ラシュベルトで謁見してきた。ヴィクトリア大公は異世界の魔皇という名称に、いたく興味深げにしておられた」
「そ、そうなんですか」
俺が手紙を懐にしまっていると、サミュエルさんはその時のことを楽しそうに話す。
あの御方は見た目がルナに似ていて少し苦手なところがあるので、魔皇という単語に興味を持ってもらっては困る。
「勇者様には是非、これからも力添えをしていただきたい」
「さすがに魔皇殿と呼ぶには外聞が悪いので、これからも勇者殿と呼ばせてもらいたいが」
「ええ、俺として今まで通りにしていただけると助かります」
フランチェスカ様にまで話が通っているのならば、俺が断る理由は何もない。
俺はこの街にいるときはいつでも力を貸すことを伝え、この二人も俺が困ったときは何でも協力すると言ってくれた。
◆◇◆◇
「すっかり遅くなってしまいましたね」
「いい時間なので、俺もそろそろお暇したいです」
ルナの機嫌が悪くなってきゃいいいんだが。
ジルベールさんに送られながら、アリスたちを迎えに屋敷の廊下を歩いて行く。
いつもならこの時間は、自分の部屋にいてルナと一緒に魔力の鍛錬をしている頃だ。
「お時間を取らせていただいた次いでに、勇者様にお聞きしたいことがるのですが」
「アリスのことか?」
彼はここまで来るまでの間、アリスのことについて一切尋ねてこなかった。
二人っきりになるのを待っていたのかもしれないが、俺もアリスを譲るつもりは微塵もないので、腹を決めてジルベールさんと対峙した。
「そういう話では……いえ、アリスさんにも決して無関係な事ではないのですが」
勇んで踏み込んだ質問をしてくるのかと思ったのに、ジルベールさんはどうにも歯切れが悪い言い方をする。
「何の話だ?」
「街の外れにある廃墟にいたという魔族の事なのですが。勇者様はその魔族について、どれくらいの知識をお持ちなのでしょうか?」
「死霊魔術師の?」
てっきりアリスのことについて質問をされると身構えていたので、俺はすっかり肩透かしを食らった気分になった。
「……情報源については教えることはできないが、大体の事については詳しい人物から聞いている」
俺とは違ってクレアは本物の魔王なので、彼女たちの事を話すことはできない。
ジルベールさんもいくら人材が欲しいとは言っても、この世界の魔族の手は借りたくはないだろう。
「バーンシュタイン伯爵家のご子息たちのご協力により、この街で行方不明になっていた者たちの照会が終わりました。そのすべての者が死体となって帰ってきたので、私たちも悲憤の涙を零さずにはいられません」
「それについては……申し訳ないとは思っている」
あのとき俺は、クレアやヴラドの目を盗んで事切れた死体の蘇生をできないかと密かに試した。
しかし死体の傷を治すことはできても、アリスのジイさんのように死んだ者を生き返させることはできなかった。
俺が相談を持ちかけたクローディアの話では、ジイさんのように死んでも力強い魂がこの世に残っているのなら蘇生できる可能性もあるが、普通なら試すだけ魔力と時間の無駄だと言われた。
「勇者様は良くしてくださいましたよ。遺族ではない私も還って来ない者の死に、いつまでも嘆いても仕方ありません」
言葉ではそう言っているけれど、ジルベールさんから憤慨と悲しみが溢れて出しているのはありありと感じ取れた。
「ただ、葬儀の手配を済ませている最中に気づいた事があるのですが。その死霊魔術師という魔族は、死体ではない人間も操ることができるのですか?」
「どういうことだ?」
「行方不明になっていたのは生きていた人間だけではなく、埋葬されている墓も荒らされていることが判明しました」
「墓が荒らされていた? この街では土葬が主流なのか?」
「いえ、疫病の恐れがあるので基本は火葬をします。葬儀が終わった遺骨は頑丈な箱に詰めて埋葬するのですが、今回はその一部の者の遺骨が盗まれていました」
ジルベールさんが手で教えてくれた箱のサイズから推し量るに、それは骨壷のようなものだろう。
だとすればそれはスケルトンのような大きなものではなく、火葬後に粉骨されたものだ。
「私も死者を冒涜する行為はしたくなかったのですが……友の墓に新しく開けられた形跡があったので、自分の手でそれを確かめました」
この街の墓地にある墓石は、地面に埋め込むタイプのプレート型だ。
その墓の中央付近には四角い蓋のようなものが付いていたので、恐らくそこに埋葬する骨が納められていたのだろう。
「つまりあの死霊魔術師が、人の形を保っていない骨でも操れるのか知りたいってことか?」
「はい、そうです」
「悪いがそこまで詳しい事は分からない。俺が戦っているときはスケルトンのような魔物も出てきたから、それが粉骨された人間の骨で生成されていたのかもしれないが……」
「そうですか……」
そもそも俺は、魔石のないスケルトンがどのような原理で動いているのか知らない。
単純に考えれば魔術で動かしているのだろうけど、それは術者がその場にいなくてもできるものなのだろうか。
「それで、その話がアリスとどんな関係があるんだ?」
「私の友は、かつてはアリスさんの友人でもありました」
「なんだと?」
「もし彼がまだ生きていたら……アリスさんとは恋人同士になっていたのかもしれませんね」
「まさか……そいつの名前は……」
「勇者様もご存知なのですね。彼の名前は、グレンといいます」
「バカなっ! どう見ても子供の背丈じゃなかったぞ!」
あのときはただの偶然だと思っていたが、その思いも儚く消失していく。
死体を操る魔族になんてこれ以上関わりたくなかったのに、この運命は俺を離さない。
「彼の死体を見たのですか?」
「いや……正確には大人サイズの動く鎧だ。だが死霊魔術師は、そいつのことをグレンと呼んでいた」
「動く鎧……ですか。彼の遺骨は、呪術的な何かに利用されているのでしょうか」
「たぶんな」
ここまで傍証が揃っていると、アリスの友人の遺骨が何らかの形で使われていることは明白だ。
「勇者様、この話はそれだけではないのです」
「まだ何かあるのか?」
「はい。彼には兄がいたことをご存知ですか?」
「いや、そこまで込み入った事情は聞いていない」
アリスにそういう友人がいたことはギルバートさんから聞いたが、彼の話は全てアリスの事が中心になっている。
なのでその友人の家族構成どころか、そいつがどんな人間だったのかも詳しくは知らない。
「彼の兄もまた幼くして病気で亡くなったのですが、その者の墓も荒らされていました。その兄の名前は、ホムラという名前です」
「くそがっ!」
どこまで死者を冒涜しやがるんだあの野郎は。
俺は怒りのぶつけどころが欲しくなり、すぐ側にあった壁を力いっぱい殴る。
そして無意識に魔力が乗ってしまったのか、俺が殴った壁には大きなヒビが入った。
「ああぁ……す、すみません」
壁の大きなヒビ割れを見て我に返った俺は、慌てて魔法で壁の修復作業をする。
「ま、魔法で直せるのですか? すごいですね……」
「いやホント、申し訳ない」
ジルベールさんは俺の魔法の力に驚いていたけれど、俺はただひたすら平謝りをしながら壁の修復作業を続けていた。
◆◇◆◇
「この事をアリスさんに話すかどうかは、勇者様の判断におまかせします」
「はい、それは俺が決めます」
まずはエレンさんに相談するのが先だろう。
いきなりアリスにこんな話を伝えたら、動揺した彼女がどんな行動に出るのかわからない。
「私と話すときは、普段通りの言葉遣いで構いませんよ?」
「いえ、俺がアリスに怒られてしまいますので……」
さっきまでは俺が勝手にライバル心をむき出しにしていたので、敬語で話すのを忘れてしまっていた。
彼女がいないところでも敬語に慣れておかないと、ポロッと口調が砕けたときにまた怒られてしまう。
「アリスさんらしいですね」
「アリスとは小さい頃から知り合いだったんですか?」
「はい。アリスさんとは幼い頃から、一緒の学び舎に通っていた仲です。疎遠になってからも彼女の事はずっと気になっていたのですが……勇者様と共にいる彼女はとても幸せそうなので、私も邪魔するつもりはありません」
「あなたはそれでいいんですか?」
酷なことを聞くようだが、この事については俺のこれからの精神衛生上ハッキリとさせておきたい。
恋人の側に好意を持った男がウロチョロしているのを見ると、俺は気になって仕方がないからだ。
「完全に未練がなくなったわけではありませんが、私もそろそろ結婚をしないといけない歳です。そのような話もいくつか持ちかけられていますので、いつまでも報われない恋を引きずることはできませんよ」
平民ならば結婚を無理強いされることはないが、貴族としてはそういうわけにもいかないのだろう。
俺がジルベールさんに同情するのは筋違いだったけれど、彼の無念さを改めて心に刻みこんだ。
「アリスさんの事を、幸せにしてあげてくださいね」
「勿論そのつもりです」
ジルベールさんの真剣な表情で託された言葉に、俺も本気で力強く頷いた。




