第227話 感謝
「刀の売却?」
「うむ。そろそろワシの貯えが、心細くなってきたからのぅ」
ジイさんが宝物庫から武器を取ってきたのは、馴染みの武器屋にそれを売ってお金にするためだった。
「俺たちが暮らしていく金は、俺が仕事をして稼いでいくつもりだったんだけど……」
「お主の今の稼ぎでは、皆の食事代すらままならいんじゃないかの?」
「うぐぅ……」
確かにジイさんの言うとおりだ。一緒に暮らしているのは女性ばかりだけど、これだけ人数がいれば食事代も馬鹿にならない。レティのためにとフランチェスカ様からもらったお金も、何かあった時のことを考えて、ほとんど手を付けてはいない。
竜人はよく食べるしな……
リアひとりだけでもめちゃくちゃ食べるのに、彼女の妹も来たので食材の消費量が一気に加速した。
「これだけかわい子ちゃん達が多いと、服代も馬鹿にならんしのぅ」
「かわい子ちゃんて……つーかジイさんは無駄遣いしすぎだろ。俺なんて一着も買ってもらったことがないのに、女の子たちにはどれだけプレゼントしてんだよ」
「男のお主の好感度を上げても、イベントは発生しないじゃろ」
「イベント……」
勇者と言えば、この世界をゲーム感覚で楽しんでいるやつらが大半だと勝手に思っていたが。残念ながら、このジイさんも例外ではないのかもしれない。
「まぁそれは冗談じゃて。それよりもお主。そろそろその、ジイさんという呼び方はどうにかならんのか?」
「何か不都合でも?」
俺はジイさんに出会ったときからこの呼び方をしているので、今ではすっかり定着してしまっていた。しかし本人がいまさらこういう話をしてくるってことは、もしかしたら師匠とでも呼ばないと駄目なのだろうか。
「もう少し、他の呼び方はできないのかの?」
他の呼び方ねぇ……
アリスやエレンさんの場合は、ジイさんのことをおじい様と呼んでいるけれど、俺が同じ呼び方をしたら背中がムズムズする気がする。男の孫たちはじいさんとかじじぃとか呼んでいるので、今の俺とあんまり変わらない。
「師匠とでも呼べばいいのか? それともアリスみたいに、おじい様とか」
「なんじゃ……背中がむず痒くなってきたのぅ……」
あぁ、やっぱり?
やはり呼び慣れていないと、ジイさんも俺と同じ気分になってしまうみたいだ。
「うーん……そうだなぁ……」
「ジッチャン……」
「む?」
「ルナ?」
二階へと登る階段の前を通ると、眠そうな顔をしたルナが俺たちのことを上から見下ろしていた。
「ふむ……じっちゃんか……悪くはないのぅ」
「えっ? それでいいのか?」
「少しは親しみが出てきた気がするじゃろ」
「それはそうだけど」
確かにジイさんと呼ぶよりは、じっちゃんと呼ぶほうが親しみ感がある。それにこのジイさんはアリスのことを溺愛しているし、彼女のために距離を縮めておくのも悪くない。
「わかった。じゃ、これからはじっちゃんと呼ぶよ」
「うむ。まずは汗を流してから、アリスちゃんの美味しい朝食じゃな。お主は先にリビングに行っておれ」
「あぁ」
風呂場に汗を流しに行くジイさんと別れた俺は、その場にとどまって二階の廊下にいるルナのことを見上げる。彼女はよほど眠たいのか、目を閉じたままコクリコクリと船をこいでいた。
「ルナ! まだ眠いのなら、ちゃんと部屋のベッドで寝たほうがいいぞ」
「ん……そうする。トイレに行っていただけだから」
「そうか、おやすみ」
「おやふみぃ……」
欠伸をしながら部屋に戻るルナを見届けてから、俺は朝食を食べるためにリビングへと向かう。
うん? なんか人の気配が……
廊下を歩いている途中に気配を感じて振り返ると、少し離れた場所からこちらに向かってくる女性の姿が目に入った。
エリスさんか。
背筋を伸ばして姿勢のいい歩き方で近づいてきていたのは、アリスの姉のエリスリーゼさんだった。俺と同じ方向に向かっているので、彼女も食事をしに行くのだろう。
目が合ったからには、挨拶しないといけないよな。
俺は立ち止まって振り返ったので、前を見ながら歩いていたエリスリーゼさんと視線が合ってしまっていた。
「おはよ」
「おはようございます、エリスリーゼさん」
俺に追いついてきた彼女の顔は、相変わらずムスッとした表情をしている。別にこの人は、低血圧だからこんな表情をしているわけではない。生まれつきのキツめな目つきのせいで、見慣れていないと常に怒っているようにみえるのだ。
「前にも言ったと思うけど、エリスでいいわよ」
「あ、はい」
挨拶をしたあとエリスリーゼさんは再び歩き始めたので、俺は彼女のあとを追うように後ろをついて行った。
世間話をするような親しい間柄じゃないけど、沈黙が重いな。
前を行くのも横に並んで歩くのも失礼だと考えて、そしてできるだけ彼女の後ろ姿を見ないように視線を下げてついて行く。これではまるで付き人だ。
いまさらだが……他国に嫁ぐ予定の王女や元姫とは親しい関係だけど、俺は貴族の女性との付き合いがまったくないんだよな。
王族であるレティにはお兄様呼びをさせているくせに、伯爵家のエリスリーゼさんとはこれだけの距離がある。共に過ごした時間が比ぶべくもないが、これでは立場があべこべだ。
ま、どっちにしても、俺はただの平民ですが。
「ねぇ、聞いているの?」
「うぇぁ、はい!」
やべぇ、まったく聞いていなかった。
ずっとあのまま無言だと思っていたので、いつの間にか話しかけられていたことに全然気づかなかった。
「だから私も一緒に、おじい様の買い物に付き合ってもいいでしょ」
「え、えっと……」
なぜそんな話に?
俺は挨拶以外は一言も喋った覚えはないし、当然買い物に出かけるなんて話はしていない。なのに彼女は俺が外出することを知った上で、買い物についてくると言っている。
「貴方とおじい様の話を立ち聞きしていたのよ、理由はわかった?」
「あぁ、そういうことですか」
俺が悩んでいると勘違いした彼女が、理由付きで説明してくれた。俺はただ話を聞いていなかっただけだが、これならば会話についていける。
「でもそれなら、俺に聞くよりもじっちゃんに言ったほうがいいんじゃないですかね」
「それができないわけがあるのよ」
「は、はぁ……」
彼女はおじい様の買い物と言っていたので、俺たちが階段前にいたときに立ち聞きしたのだろう。だとしたら主動は祖父の方だと理解しているはずなのに、血の繋がった肉親にお願いできない理由がわからない。
「貴方、おじい様とずいぶん仲が良さそうだったわよね」
「そ、そう見えましたか?」
「私はね、貴方がどうやっておじい様と仲良くなったのか、とても興味があるのよ」
「どうやってと言われても……普通に接していただけですが」
ジイさんは別に気難しい性格をしているわけではないし、どちらかと言えば人当たりがいいほうだ。
「その普通の接し方が、私にはわからないの」
「どうしてです?」
「私は……おじい様に嫌われているみたいだから」
哀調を帯びた声で返事をするエリスリーゼさんは、とても悲しそうな表情をしていた。
「まだここに来て一日しか過ぎていないけれど、私がおじい様と楽しそうに話をしているところを、貴方は見たことがないでしょう?」
「言われてみれば……そう……だったかも」
カインさんとアシュクロフトさんは修行だけではなく、夕食時もよくジイさんと会話をしていた。しかしエリスリーゼさんだけは違う。彼女も同じ孫なのに、食事の時はジイさんと全然話をしていなかった。
死んでいた人間が生き返ったので、俺はてっきり彼女のほうが接しづらかっただけなのだと思っていたが、ジイさんはエリスリーゼさんのことを避けているのだろうか。
「嫌われているなんて……か、勘違いじゃないんですか?」
「最初は私も気のせいだと思っていたけど……おじい様は私と目が合うと、すぐに視線をそらしていたわ」
アリスのことを煙たがっていた兄妹だとしたら話は別だが、エリスリーゼさんはギルバートさんと同じアリス派だ。そんな彼女のことをアリスと同じように大切にすることはあっても、嫌いになるような理由はないと思う。
「わかりました。一緒に買物に行って、それでもジイさんが避けているようならば、俺がそれとなく聞いてみます」
「ありがとう……お願いするわ」
「お兄様、おはようございます」
話に夢中になっていて気づかなかったが、いつの間にか俺たちは目的地に着いていた。リビングの中で椅子に座っていたレティが、俺の存在に気づいて笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう、レティ」
「お兄様、今日はエリス様とご一緒に、お買い物に行くのですか?」
「うん、その予定だ」
「わたくしもご一緒してもよろしいでしょうか?」
「一緒に行きたいのか?」
「はい!」
「俺は別にかまわないけど……」
レティの隣に座りながら、俺たちから離れた場所に腰を下ろすエリスリーゼさんに視線を向ける。
「私も構いませんが。あの、レティシア姫様……どうかわたくしのことは、エリスと呼び捨てにしてくださいませ」
「それでしたらわたくしの名前を呼ぶ時も、姫とつけるのはご遠慮くださいませ」
「そ、そんなわけには参りません。立場というものがありますから……」
お互いに他国同士とはいえ、二人の間には王族と貴族という立場がある。エリスリーゼさんは魔王と仲良くなるほどの豪胆な性格でも、王族相手には萎縮してしまうのかもしれない。
「わたくしはこの口調が性に合っていますので、これからも変えることはありませんわ」
「でしたらわたくしも……」
「エリスさん、ちょっと待ってください」
「なによ?」
会話の途中に俺が割って入ったので、エリスリーゼさんはムッとした表情で睨んでくる。
「貴女の言いたいことはわかりますけど、できれば姫とつけるのは俺としても遠慮してほしいです」
「どうして?」
「レティはお忍びでこの屋敷に住んでいますから、外にいる時に姫様なんて呼ばれてしまうと、どうしても目立ってしまいます」
「そ、それはまずいわね」
本当は別の理由があるわけだが、今は本人もいるのでそういうことで押し通す。俺も最近になるまで気づかなかったけれど、レティは姫と呼ばれる度に、少しだけつらそうな仕草をしていた。
「わかりました。人目があるときは、姫様と呼んでしまわないように気をつけます」
「お願いします」
俺たちの話がまとまったところで、マリアがタイミングよく朝食を運んできた。
「お食事をお持ちしました」
「今日のメニューは何かしら」
「はい、カリカの香草焼きと焼きたてのパン。それから、アリス様特製のスープとなっております」
「そう」
「今日もとても美味しそうです」
切り身になっているカリカがどんな魚なのかわからないが、食欲をそそる香ばしい匂いを出している。食事に出すパンは、その都度アリスかマリアが近くの店に買いに行っているので、いつでも焼き立てで食べられる。
スープが美味いのは食べなくてもわかるしな。
「主よ、日々の糧に感謝いたします……」
「えっと……いただきます」
レティの食事前のお祈りを聞き流しながら、とりあえず食事を作ってくれた二人に感謝をする。神にお祈りなんてしたことがないので、俺はいつもこうだ。
「あの、お兄様」
「もぐ……うん?」
長ったらしいお祈りを終えたレティが、食事もせずに俺のほうに質問をしてくる。
「そのお兄様たちがやっている、いただきますとはどのような意味があるのでしょうか」
「どういう意味って……」
あぁ、そうか。この世界にはそんなことを言う習慣がないのか。
食事の前にいただきますをするのは俺とルナだけで、他の人は何も言わないか神に祈るかのどちらかだ。最近ではリアや白亜も俺たちの真似をしているけど、よく考えたら意味を説明したこともない。
「そうだな……食事を作ってくれた人や食材となったものに対して、いただきますと言っているだけかな」
ルナがいただきますという言葉を覚えたのは、俺の前世の黒斗が毎回律儀に言っていたからだ。なので俺がこうするのも、黒斗の影響が少なからずあるからなのかもしれない。
「食材となった家畜にも、感謝をするってこと?」
「そうですね。自分が生き抜くために、あなたの命をいただきます……ってことだと思います」
「素晴らしいですわ!」
「うぉっと!」
隣りに座っていたレティが勢いよく立ち上がったので、テーブルの上の飲み物がこぼれなないようにガシッと掴む。
「女神さまにお祈りをするだけではなく、作ってくれた方や食材となった命にまで感謝を捧げる……中々出来ることではありませんわ」
「いや……まぁな」
俺は食事を作ってくれたアリスやマリアに感謝をしていただけで、別にそこまで深いことを考えていたわけではない。しかしこうもキラキラと目を輝かせているレティを前にすると、とてもそんなことを言えそうにはなかった。




