第221話 撤退
「ずっと姿を隠していた貴様が、なぜ今頃になって姿を現した?」
「別に隠れていたわけではないのだよ。吾輩はここ何十年もの間、同族の手によりずっと封印されていた。それが数日前に、吾輩の同胞がその封印を壊してくれたのだ」
ルナが封じられていたヴラドを助け出した? いつの間にそんな事をしたんだ。
「そして、封印を解かれた吾輩はあまりにも弱っていたのでね。近くにある人間の街まで赴き、そこに暮らしている人々から血を頂戴していたのだよ。あまり大騒ぎにならぬように、ひっそりとね」
「どうりで、あの男がここでいくら罠を張っていても見つからなかったわけだ」
それが街で噂になっていた、ヴァンパイアと亡霊騒ぎだったのか。
街の人々が森で目撃した亡霊というのは、死霊魔術師が廃墟や森で亡霊を使って、吸血鬼を探していたのが原因だったのだろう。
「いずれにせよ、貴様を土産としてあの男の所へ持っていけば、俺の不利な状況が覆せる」
「吾輩を捕まえる? それは無謀ではないかね」
「ぬかせえぇぇぇ!!」
怒気を帯びたレオンの身体が、一足でヴラドの懐に入る。そのまま凄まじいスピードで体重を乗せた拳を放ったが、ヴラドはそれを片手に持った鉄扇だけで受け止めた。
「ぬうぅぅぅ」
「成程。これが獣の王と呼ばれる者の膂力か」
鉄扇と鉄拳がぶつかり合う金属音が高鳴ったが、二人の位置はその場からまったく動かない。ヴラドの見た目は50代くらいの華奢な体格をしているのに、レオンよりも遥かに力があるようだ。
「きゃっ!」
「なんだ?」
ヴラドたちの戦いに見とれていると、背後にいたクレアが悲鳴を上げる。その声を聞いて彼女の方へと振り返ったら、俺たちの間にコウモリが羽音を立てながら入り込んできた。
「キィ、キィ」
「ちょ、あっち行け、しっしっ」
「落ち着きたまえ」
「うわっ!?」
「これは吾輩の分体だ、攻撃の意志はない」
散らばっていた石棺の破片の上に止まったコウモリが、唐突にヴラドの口調で喋りだす。
「その声、ヴラドなのか?」
「うむ、この蝙蝠は吾輩の体の一部だ。本体が少しばかり忙しいのでね、このような姿で失礼するッキ」
するっき?
「な、なんでわざわざそんな事を? もの凄く大変そうだけど、大丈夫なのか?」
本体とやらが戦っている方に視線を戻すと、レオンの連続攻撃をヴラドが忙しなく躱し続けている。攻撃こそまだ食らっていないようだが、あの男と戦うにはとてつもない集中力が必要なはずだ。
「問題はない。確かに気を抜くと蝙蝠が鳴きそうになるが……吾輩は君たちを、君の仲間の元へと案内しようと思ってね」
「ルナたちの所に?」
「うむッキ。クロード、君が先ほど使おうとしていたのは転移魔法なのかね?」
「そうだ。他の場所じゃ使えなかったけど、この部屋でなら使えそうだったからな。転移魔法で一気に地上に戻るつもりだった」
「それはクレア嬢のためかね?」
「あぁ」
クレアを仲間の元へと送り届けた後、俺はもう一度戻ってくるつもりだった。死霊魔術師はナナシが転移魔法を使えるので逃げるかもしれないが、レオンのことを放置するわけにもいかないと思っていたからだ。
「安心したまえ。クレア嬢にかけられていた呪いは、吾輩が見たところそれほど強力なものではない」
「えっ!? あれ呪いなの……」
ヴラドの言葉を聞いたクレアが、自分の体を見ながらビクリと震える。俺も彼女と同じ気持ちだ、呪いなんて言われたら安心できるわけがない。
「全然安心できないぞ、それ」
「あの屍人が使用していた呪具は、魔力を奪う呪いの付いた楔だ。ずっと触れているのならまだしも、一度斬りつけられたくらいで死んだりはしない」
「そういえば、マリアから聞いたことがあるわ。吸血鬼を動けなくするために、吸血鬼の体に打ち込んで弱らせる道具があるって」
あー……吸血鬼の心臓に打ち込む杭みたいなものか。言われてみればナナシが持っていたあの棒は、なんとなくそれっぽかったな。
「クレア嬢は吾輩と同じ種族ではないので、魔力を根こそぎ奪われただけだろう」
それでクレアは弱っているのか。
俺が彼女にかけた魔法は、体の異常を治すものと体力を回復させる魔法だ。クレア自身の魔力を回復させたわけではないので、ずっと衰弱していたわけだ。
「それなら、魔力を回復させればいいのね」
クレアは小さなポーチから魔力回復ポーションを取り出し、それを一気に飲み干す。
「キィ……では、君たちを仲間の元へと案内しよう」
「いいのか?」
今はまだ一騎打ちのように戦っているが、ここで俺たちが引くと、ヴラドの本体は二対一で不利な状況になる。
「あの獣の王だけなら兎も角、勇者がいる現状で劣勢だということは、君が一番良くわかっているであろう? 今は一時撤退するべきだと思うがね」
「それは……」
「私のせいよね……」
「いや、俺も結構消耗しているし」
打ちひしがれたような顔をするクレアに、俺は無理やり笑顔を取り繕う。
「気遣ってくれなくても平気よ、私たちは最初から不利だったんだから」
「そうだな」
偶然とはいえ、俺たち二人は無理やり仲間の元から離された。ここで手間取っているよりも、早くみんなと合流した方がいい。
「ルナ嬢たちはここまで降りてきている、吾輩についてきたまえ」
コウモリは翼をはためかせ、ナナシが歩いていった通路まで飛翔する。俺はクレアを先に行かせてジリジリと後退していたが、レオンもアカネも俺たちを気にする素振りは一切無かった。
◆◇◆◇
クレアがまだ辛そうだったので、俺たちはゆっくりとした速度で通路を突き進んでいく。
「ヴラド、ルナたちの方はどうなっているんだ?」
「キィ、少しばかり地上が厄介なことになっているのでね、今の吾輩みたく、分体を使って地下を案内している」
「厄介なこと?」
「後々説明する、それより今は警戒したまえ。ここより先は、屍人使いのテリトリーだ。敵も襲ってくるぞ」
「そ、そうか」
目の前を飛んでいるコウモリの言葉を聞き、俺は慌てて女神の剣を具現化させる。
「ご主人様、私にも何か武器を出してくれない?」
「武器を?」
「うん。今の状態だとたいした魔法は使えないから、ちょっと不安なの」
「わかった」
クレアが使える武器か……そういえば。
「えっと。どうやって出せばいいんだ……」
「どうしたの?」
「いや、ちょっと待ってくれ」
俺がクレアに貸そうと思った武器は、ルナが創ってくれた漆黒の長剣だ。あの剣は斬りつけた敵の魔力を吸収すると聞いたので、今のクレアにはピッタリの装備だと思った。
しかしどういう原理なのかわからないが、あの剣は魔王鎧とセットになっている。腕輪を鎧に変えれば一緒に出てくるけれど、長剣だけを取り出したことは一度もない。
「お前、剣だけを出すことはできるか?」
鎧が変形した腕輪に向かって話しかけると、一瞬だけ光った腕輪がペッと長剣を吐き出す。
「うぉ! 危ねぇ!」
腕輪から飛び出てきた長剣は俺の左肩を通り過ぎ、背後の壁に深々と突き刺さった。
「これ、ルナ様の剣よね」
「ほほう……これはまたなんとも、愉快な装飾品を持っておるな」
壁に刺さっている剣をクレアが引き抜く。ヴラドのコウモリはどこか楽しそうに、キキ、キィと鳴いていた。
「はぁ……ルナが言ってたけど、その剣は斬りつけた相手の魔力を吸収して、それを持ち主に還元するらしい。魔力が減っている時は丁度いい武器だろう?」
「そうね。見た目は重そうなのに羽根みたいに軽いし、私でも扱えそうだわ」
クレアが軽く剣を振るった後、俺たちは行動を再開する。ナナシが通った道は魔導石の足元灯があり、その通路はかなりの長い距離で続いていた。
「一つ質問があるのだが。その剣の効果とやらは、屍人にも効くのかね?」
「それは……どうなんだろうか」
「試してみなければわからないということかね」
「あぁ」
髑髏の騎士と戦った時はすぐに武器を取り替えたし、唯一この剣で倒した巨大ヘビはロボットだった。俺があまり使っていないせいでもあるが、普通の生き物に効果があるのかすら知らない。
「んむ? 丁度よい敵が来たようだぞ」
飛んでいたコウモリがその場で旋回して、俺たちの背後に回り込む。しばらくすると、通路の奥からヒタヒタと音がしてきて、何者かがこちらへと向かってきた。
「あれは……」
「動く死体のようね」
俺たちの目の前に現れたのは、目と口から血を垂れ流す、青白い女の死体だった。
「ひぃっ!」
「大丈夫、私が守ってあげるわ」
死体を見て悲鳴を上げた俺にクレアは優しく微笑み、敵の集団に向かってその身を翻す。
「はぁぁぁ……はぁ!」
「ほう。まだまだ剣筋は甘いが、なかなかどうして上手く立ち回っているではないか」
ヴラドの言う通り、クレアの戦い方はアリスほど流麗ではないけれど、次々と敵を屠っていく。
「この! この! やぁ!」
七体ほどいた死体は全てクレアに切り刻まれ、ごく短時間で戦闘が終了した。
「ふぅ……やっぱり凄いわね、ルナ様の武器は。私の魔力も少しだけ回復したわ」
「なかなか見事な戦いぶりであったぞ。それにしても……君は少し情けなくないかね」
「う……つ、次はちゃんと戦うよ!」
確かに俺は情けなく怯えていただけだ。クレアが一人で勇敢に立ち向かって行った時も、援護をしようという気概がまったく湧いてこなかった。
「仕方ないのよ。この人怖いものが苦手だから、私が守ってあげなくちゃ」
「うぅ……」
クレアのセリフがアリスみたいな口調になり、俺はますます情けない気分になってしまっていた。




