第219話 神威
レオンの拳の攻撃を、俺は紙一重で避ける。轟音を立てる鉄拳の一撃は、俺の頬を切り裂いて肩をかすめた。
一度でもまともに食らえば、重症を負うくらいの攻撃だ。それでも俺は、時空魔法を使って近接戦闘に持ち込む。
リアや白亜の戦い方を参考にして、レオンとぶつかる前に戦術を立てた。相手は獣人なのでスピードもあるし攻撃力も高い。
ジイさんやギルバートさんと戦った経験から、達人には銃が通用しない事はすぐに想定できた。得物に短剣を選んだ理由は、竜人の剣や女神の剣よりも小回りが利くからだ。
「っふ、ははっ」
相手の攻撃をかわしながら、俺の口から小さな笑い声が漏れる。別にこれは余裕から出た笑いではない。
この魔法がなかったら、俺は何度死んでいたんだろうな。
レオンが繰り出してくる攻撃は、一撃必殺と呼べるほどの威力を秘めている。そのような連撃を、鼻先をかすめるほど間近で避け続けているのだ。いつ死んでもおかしくはない状況なのに、気分が高揚しているのも相まって、何だか可笑しくなってくる。
「おぉぉぉ!」
「くっ」
レオンが振り下ろした拳を、俺はギリギリのところでかわす。それは思っていた以上の威力があり、近くにあった石棺を粉々に粉砕した。
まだ足りないか。
俺は敵から距離を取りながら、相手の堅固さに歯噛みする。
獣変身したレオンの体毛が分厚すぎて、俺の短剣の刃が相手の皮膚にまで届かない。自分の魔力を上乗せして斬れ味を増しているが、それでもまだ足りない。
「俺の攻撃が、ここまで見切られるとは……」
粉砕した石棺から手を引き抜き、レオンは俺の方へと振り返る。その表情から察するに、攻撃が当たらなくて苛立ちを感じているのは、どうやら向こうも同じようだった。
「割と本気で行ったのだが……やはり、普通の人間の動きではないな」
体中の筋肉が悲鳴を上げているのにも構わずに、俺はずっと時空神の力を使い続けている。それは他人の目から見れば、あり得ない動きをしているのかもしれない。しかしそれでもなお、レオンはそんな俺の動きについて来ていた。
決め手に欠けるな。
戦いながら魔法を唱えようにも、そんな隙きなど全く無い。そもそも魔法が当たるような相手ならば、初めからルナティアやソフィーティアで戦っている。
結局は正攻法の戦い方をして、魔力で自力を上げながら相手を倒す方法しか思い浮かばなかった。
「それにその剣術、覚えがある。ヤマト流か?」
「知っているのか」
「使い手の数は少ないのに、高名だけはどの大陸にも知れ渡っている」
「なるほど」
まぁ、ジイさんは若い時に世界中を旅をしていたらしいし、弟子も全然取っていなかったみたいだからな。
「俺も子供の頃、中央大陸で流祖が戦っているところを見たことがある」
「へぇ……」
「人とは思えぬほどの強さに畏怖し、同時にこの流派を広めてはならないと思ったものだ」
「なんでだ?」
「当然だろう。それが神をも殺す剣だからだ」
レオンはヤマト流剣術を神殺しの技と罵り、俺がそれを使っていることが信じられないと言う。
「神殺しの剣術か……確かにそうだな」
真意のほどは定かではないが、ジイさんが倭国で神っぽい何かを殺した自慢話は、耳が腐るほど聞かされた。
俺が森で時空神の力で暴走していた時も、アリスが神を滅ぼすような技を繰り出していたと、クローディアが言っていた。
「神よ、なぜそのような技を使うのだ」
なぜって言われても、偶然が重なったとしか言えないな。
この世界に来て偶々ギルバートさんと出会い、その妹のアリスに惹かれて恋人同士になった。
そして西の大陸でアリスとソフィアの身に危機が迫り、救出するために彼女たちの後を追っていたら、色々と巻き込まれた俺は東の大陸にまで飛ばされたんだ。
ヤマト流剣術の開祖であるジイさんは、この東の大陸で既に死んでいたし。まさか俺の魔法の力で生き返るとも思っていなかった。
全ては偶然ではなく……必然だったのかもしれない。
「そう……だな。神にも倒すべき神の存在がいる、そういう事だ」
嘘は言っていない。今の冥王は人間だが、元々は時空神という名の神だ。ただ強くなるためにジイさんの弟子になっていたけど、もしかしたら、俺とアリスが出逢ったのは運命だったのかもしれない。
「神の敵か……俺の相手がそいつならばよかった」
レオンは少しだけ悔しそうな表情を見せると、再び拳を握って俺と対峙する。俺はそれを見ながら、離れた場所に居るクレアの事を確認した。
そんな顔をするなよ……お前は魔王だろ。
クレアは胸の前で両手を組み、まるで祈るように俺達の戦いを見ていた。これだけを見ればか弱い少女のようだ、とても魔族の王をしていたとは思えない。
形振りかまっていられないか。
遠くから見ていても、彼女が浅い呼吸を繰り返しているのがわかる。ナナシにおかしな武器で斬られたのが原因だろう、早く治療を再開しなければ。
「レオン」
「なんだ?」
「本気で行く……死んでも恨むなよ」
「本気だと?」
「あぁ。神の力を見せてやるよ」
ごめん姉さん、俺に力を貸してくれ。
俺は手に持っていた短剣を消し、瞼を閉じる。まず頭の中に思い浮かんだのは、蔵人と時空神の力。だがこれではない。
俺の心の深層、求めている力は俺の奥深くに眠っている。冥王との戦いで一度だけ浮上し、俺の新しい属性魔法の基礎にもなった。けれどそれは、クロエの協力があって出来たことだ。
しばらくの間目を瞑っていると、一つ言葉が俺の頭の中に思い浮かぶ。
神皇解放? なんか、姉さんが俺の外に出てきそうな言葉だな。
少しだけ、そう、ほんの少しだけイヤだなぁ……なんて思っていたら、その言葉が別のものに切り替わる。
「神威」
ぐ……おぉ……ぉ……
その言葉を口に出した瞬間、俺の魔力が溢れ出し、体から白く輝くオーラのようなものが発現した。
「おぉ……神よ……」
俺の中の何処かでクロエが怒っていた気がするが、体中に響く痛みでそれどころではない。やがて白いオーラは俺の体全体を包み込み、冷気となってその力を発動する。
「アイスダガー……クリエイト」
氷の短剣を創造すると、俺の両腕も瞬時に凍りつく。どうやら今の俺では、分不相応な力らしい。
「っく……う……ま、待たせたな」
少しだけ呆けていたらしいレオンが、俺の言葉を聞いて我に返る。
「来い、神よ! 俺は逃げも隠れはしない」
俺はその言葉に頷くと、時空魔法を使い相手に向かって飛びかかる――
――勝負は一瞬でついた。
レオンは正拳突きを放つ体勢のまま動かない。それよりも先に、俺の攻撃でその身が凍ったからだ。
「ぐっ……はぁ……はぁ……」
俺は短剣でレオンに斬りつけた後、そのまま彼の背後で膝をつく。クロエに拝借した力がうまく扱えない、俺の両腕は凍ったままだった。
「ご主人様!」
自分の全身が凍っていくのをなんとか阻止していると、クレアが叫び声を上げながらこちらに向かってくる。
「あんまり近づくな、お前も凍るかもしれないぞ」
「早く腕を治療しないと!」
クレアは忠告を無視して、俺の肩にそっと触れる。俺の傍に来た彼女は凍ったりしなかった、どうやら杞憂のようだ。
「熱っ!」
「熱い?」
パキパキと音を鳴らしながら腕を元に戻していたら、俺の肩に手を添えていたクレアが悲鳴を上げた。彼女の手のひらを確認すると、火傷を負ったように赤く腫れ上がっている。
「お、おい、大丈夫か?」
すぐにでも治癒魔法を唱えてあげたかったが、生憎と俺の両手はまだ凍ったままだ。
「へ、平気よ。ちょっと、神聖な力にあてられただけだから……」
あぁ、そういえばこいつは魔族だったな。神族の力は苦手なのか。
「そうか、すまん」
「大丈夫。それより、この男は死んだの?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「や、俺もまさかこんな結果になるとは予想してなかった」
時空魔法でどんなに早く動けても、レオンを倒すことはできなかった。だから俺の中に眠っているクロエの力を引き出し、俺自身の能力の底上げを図った。
結果から言えばそれは成功しただろう、しかしその代償は決して小さくはない。
「人間の体に神の力を宿らせるのは、結構キツイもんなんだな」
「当たり前じゃないのよ!」
「いけると思ったんだよ……」
クロフォードが俺の体で力を使っていたことがあるし、クロエなんて意識のない俺の体を動かしていた。ねがいの魔法が特別なのかもしれないが、他の力も使えるものだと楽観視し過ぎたようだ。
「アンタが神の生まれ変わりなのは嫌というほどわかったけど、あんまり無茶しないで……お願いよ」
「わるい」
クレアのことを守りたいと思ったのは、俺の自己満足なので後悔はしていない。けれども涙目になりながらそんな事を言われると、俺は素直に謝ることしかできなかった。
「クレア、手を見せろ」
「うん」
自分の体に治癒魔法をかけた後、クレアの手の治療に取り掛かる。神威を消したとはいえ油断はできないので、恐る恐るという感じで、彼女の手に触れないように治療を施した。
「痛くないか?」
「平気、ネクロにやられた傷のほうが辛いわ」
「そっちか……」
俺も酷使した体がまだ痛いが、クレアの方もだいぶ弱ってしまっている。彼女の体がどんな状態なのか俺にはわからないが、ルナやマリアなら何かわかるかもしれない。
「とにかくここから脱出しよう、歩けるか?」
「えぇ、でも、あっちにはネクロが居るのよね」
「そうだったな……」
この部屋にたどり着くまで他の道など無かった。この部屋にある通路は二つ。ナナシが歩いていった通路と、俺たちが通ってきた道だけだ。
最初に俺たちがいた部屋は行き止まりだったので、ここから先は選択の余地がない。
「転移魔法が使えればよかったんだが……ん?」
もう一度転移が出来ないか試していると、今度はハッキリと地上の景色が思い浮かぶ。
この部屋からなら転移できるのか?
最初に転移させられた部屋では魔法が上手く発動できなかったけれど、この部屋だと妨害をされているような感じはしない。俺は立っていた地面にそっと手で触れ、転移魔法陣の構築に取り掛かる。
「ねぇ、ご主人様……」
「少し静かにしてくれ、集中したい」
「あんな槍……あそこにあった?」
「は? 槍?」
クレアの言葉に気を取られてしまい、俺が構築していた魔法陣が消滅する。仕方がないので魔法を一時中断し、クレアが指を差している方を確認した。
「なんだあれ……というか、槍なのか?」
凍りついているレオンの近くに、槍らしきものが地面に刺さっている。らしいと思ったのはそれが細身の槍ではなく、先端に斧の刃が付いた、ばかでかいハルバートのようにも見えたからだ。
「あいつの武器、じゃないよな」
レオンは槍なんて持っていなかったし、そもそも前腕を覆うほどの大きなナックルを装備している。そんな物を付けたまま、あんな巨大な斧槍を振り回せないだろう。
「まさか他に……っ!? 下がれクレア!」
「え!? な、なに?」
俺はクレアの腕を引いて、魔法陣を作成していた場所から数歩下がる。そして右手で女神の剣を具現化させていると、巨大な斧槍が刺さっている場所の空間が歪みはじめた。




