第218話 ビーストロード
傭兵国グランヴィーゼは名前の通り傭兵を生業としている国だが、その国を治める傭兵王は、むやみやたらと戦争をけしかけたりはしない。
自国の支援をしてくれていた大商人を一人殺害されたくらいで、戦争になるのはおかしいとフランチェスカ様もおっしゃっていたし。ラシュベルトのギルドマスターであるマルコさんも、この話にはなにか裏があると言っていた。
それがここに来て事のあらましが明らかになった。獣人の国で王と呼ばれていた男が、魔族と共にグランヴィーゼで事件を起こしたのだ。傭兵国が獣王国を敵視するには十分な理由だろう。
「お前が大切な妹を喪ったことには同情するが、あの魔族に協力しているのは見過ごせそうにないな」
死霊魔術師は直接手を下してはいないが、誘拐をしていた組織と繋がっていたのは本人が認めたことだ。勇者たちに協力している身としては、これを見逃すわけにはいかない。
「それでいい。己の復讐のためとはいえ、奴の死体遊びに協力していたのもまた事実。俺はこのまま畜生の道を歩むものだと思っていたが、運命はそれを許さなかった。さぁ! 神よ、この愚かなる俺に裁きを」
ここで話が戻るのか……
すべての話を聞いて理由は理解できたけど、結局この男は俺に殺されることを望んでいる。しかしだからといって「はいわかりました」などと言えるほど、俺は非情になれそうにはなかった。
「えーっと、だな。その……死ぬ以外に、捕まって罪を償う気はないのか?」
「神がそう望むというのなら、俺はその通りにしよう」
あ、それでもいいんだ?
思っていたよりもあっさりと相手が譲歩し、俺は毒気を抜かれる。
「困りますねぇ、レオン殿。貴方にお願いしたのは時間稼ぎではないのですよ」
話がすんなりと通じたので気を緩めていたら、ナナシが喋りながらこちらに向かって歩いてくる。俺が慌ててクレアがいた方に視線を向けると、普段の姿に戻った彼女が膝をついていた。
「クレア!」
「ご主人様……ごめん……油断した……」
「何があったんだ?」
俺は急ぎクレアの元へと駆けつけ、彼女のことを支える。クレアは震えながら、自分の体を両手で抱きしめていた。
「ネクロに斬られて……力が出ないの……」
「斬られた!? どこをだ?」
俺の言葉を聞いたクレアが、自分の脇腹のあたりを指差す。しかし彼女の着ている衣装は破れていないし、目立った外傷は全く見えない。
「すまない、クレア」
クレアに一言謝り、彼女の服をまくり上げて腹の傷を確認する。
「なんともなってないぞ……」
「うぅ……」
「クレア!」
服の下の肌を直接確認しても、斬られたような跡はない。けれども彼女はとても苦しそうにしていたので、俺はクレアに回復魔法をかける。
あいつ、武器なんて持っていたのか……なんだあの武器は。
クレアに魔法をかけ続けながら、死霊魔術師が操っていた男の事を確認すると。ナナシが着ているローブの右袖から、黒い武器のようなものが見える。それは剣みたいな武器ではなく、先端の尖っている鉄の棒のような物だった。
「ようやく俺の前に神が現れたのだ。このまま生き恥をさらすくらいなら、俺は神の手によって裁かれたい」
「神? あの男が神族だとでも? 私にはただの人間にしか見えませんでしたが」
「貴様に説明しても意味なきことだ」
「それもそうですね。あの男が何者だったとしても、私の敵であることに変わりありません」
俺たちから少し離れた場所で、ナナシとレオンが言い争いを始める。これであいつらが敵対してくれるのなら、俺たちは有利になる。
「何を言われようとも、俺はこれ以上神を裏切りたくはない。復讐のために貴様に協力する道を選んだが、それももうここまでだ」
「そうですか。このような事で切り札を使うことになるとは夢にも思いませんでしたが、仕方がないですねぇ」
「切り札だと?」
「貴方が大切にしているもう一人の家族が、私の手の内にある……と言えばわかりますよね?」
「まさか貴様……レナを!?」
動揺を見せるレオンの言葉に、死霊魔術師が操っているナナシの表情が不敵に歪む。
「ありえん! レナの居所は俺の部下にすら教えていないのに、貴様が知っているはずがない!」
「えぇ。それはもう、見つけるのには苦労しましたよ。貴方の家臣は知らなくとも、幾人かの侍女は供に付けていましたよね。その内の一人が私の人形だと言えば、状況は理解できると思います」
「貴様あぁぁ……」
どうやらレオンは、死霊魔術師に家族を人質に取られていたらしい。これは俺にとってもまずい状況だった。
「この……外道がっ」
「私は魔力を使いすぎたので、一度グレンと共に戻ります。逃げられるようなことはないと思いますが、頼みましたよ……レオンハート殿」
ナナシはレオンの肩を二度叩くと、奥の通路へと引き下がっていく。偽魔王鎧は、俺が倒した鎧を片手で引きずって行った。
これはなんの音だ……? なにか飛んでる?
クレアに魔法をかけ続けていると、俺の少し上空からパタパタと羽音のような音がした。その音は、ナナシを追いかけるように段々と小さくなっていく。
この部屋には灯りになる魔導石が取り付けられているが、その数はそんなに多くないので薄暗い。なので羽音だけは聴こえていたけれど、その正体は掴めなかった。
「クレア、大丈夫か?」
「少し楽になったわ……ありがとう」
「そうか……」
彼女が無理をしているのは明らかだ。俺はすぐにでもクレアを連れて地下から脱出をしたかったが、目の前に来た獣人の男を無視できそうにもなかった。
「赦せ、神よ」
「お前の事情は理解した。が、出来ればこいつに攻撃するのは勘弁してくれ」
「ご主人様!?」
相手は俺よりも上位の実力者だ、クレアのことを守りながら戦えるほどの余裕はない。
「いいだろう、俺も弱っている女に拳を向けたくはない」
「そういうわけだ、お前は下がっていろ」
「でも……」
俺のコートの袖を掴んでいたクレアの手を優しく握り、彼女の不安を払拭するように笑顔を向ける。
「心配するな、お前は必ず俺が守ってやる」
「クロード……」
俺の手を離したクレアは、悔しそうにキュッと口を結ぶ。今の状態では足手まといになると、本人も自覚しているのだろう。
「最期の別れは済んだか?」
「最期? 違うな、これが始まりだ」
そういえば、クレアに名前を呼ばれたのはこれが初めてかもしれない。
「ずいぶんと余裕のある態度だ」
「そうでもないさ」
腰の二本の短剣を引き抜きながらほくそ笑んでいると、勘違いしたであろうレオンの目つきがさらに鋭くなる。
「神に手心を加えるのも不敬か」
「も、もっと敬ってくれてもいいぞ?」
レオンが体中からメキメキと嫌な音を鳴らし、その姿が次第に獣じみたものになってゆく。
おいおい、まじかよ……
人の姿形を維持したまま全身の体毛が伸びて、人間と獅子が混ざったような顔つきになる。
白亜と全然違うじゃねぇか。
狐の獣人である白亜が変身すると、彼女は完全に獣の姿になる。人間の部分がなくなる向こうの方が本格的だったけれど、あれはあれでなかなかの愛嬌があった。
こっちはまったく可愛くないな……
半人半獣と子狐なので比べようもないが、白亜の方が遥かに可愛い。というか、こっちは人間だった時よりも筋肉が盛り上がっている。俺は本当に勝てるのだろうか。
「レオンハート」
「ん……?」
「レオンハート・ビーストロード……神に逆らう愚者の名だ」
「クロード・ディスケイト……今はただの人間だ」
お互いに名乗りを上げた後、俺たちはぶつかり合う。俺は二本の短剣を逆手に、レオンは前腕を覆うほどの大きなナックルを付けていた。




