第215話 死霊魔術
「ネクロ……」
「お久しぶりでございます、魔王様。いや、元魔王様と言ったほうがよろしいか」
なんだ? 仮面か。
動く魔王鎧の後ろから現れた奴が、フードを脱ぎながらクレアに会釈をする。その男は、顔の上半分を気持ちの悪いマスクのようなもので隠していた。
「アンタ、こんな所で一体何をしているのよ」
「それは私が尋ねたかったことですが……ふむ、まぁいいでしょう。今は吸血鬼についての研究……と言ったところですかな」
「吸血鬼?」
「ええそうです。他人の血を媒介することによって自らの魔力に取り込み、若さと生命力に満ち溢れる吸血種。死と生を究明する死霊魔術師にとって、これ程興味深い対象はない」
男は心底楽しそうに語っているが、体の動きに全く変化がない。仮面で表情が読み取れないせいなのか、俺はまるで、クレアが人形を相手に会話をしているような奇妙な錯覚に陥っていた。
「吸血鬼なら魔大陸にもいるじゃないの」
「くっくっく……あのようなまがい物など。私が必要としているのは本物の純血種なのですよ。そう、例えば真祖と呼ばれているような……ね」
今までクレアの方だけを見ていた男が、意味深な素振りで俺の方へと顔を向ける。
まさかこいつ……ルナを。
もしもこの男がルナの存在に気づいたのだとしたら、彼女の身が心配だ。二人の会話を黙って聞いていた俺は、居ても立ってもいられなくなった。
ここで倒すか。
俺は構えていた銃に力を込めて握り直す。この位置だと男の横にいる魔王鎧を着た奴が邪魔だが、あの鎧を貫けないこともないだろう。
ルナティアの照準を死霊魔術師の額に定め、俺は強い意志を込めて銃の引き金を引く。
「なっ!?」
銀の弾丸は俺の狙い通りに男の額に命中した。というか、鎧の騎士は死霊魔術師をかばいもしなかった。
ただ反応できなかっただけなのかもしれないが、俺が驚いたのはそこではない。死霊魔術師は俺の銃で額を貫かれたのに、何事もなかったかのように高笑いしていたのだ。
効いてないのか……
男が付けていた仮面に穴が開いているので、貫けなかったわけではないだろう。しかし男は倒れるような気配すらない。
「ふははははは。面白い武器を持っているな、それで焔を倒したのか」
ホムラ? あの髑髏の騎士の名前か。
「あの侍女が居ないのはおかしいとは思っておりましたが、その男が魔王様の新しいナイトですかな?」
「この人は私のご主……彼はそんなんじゃないわよ」
「ふむ。人間が魔王の味方をするなど、実に興味ぶか…………私が話をしている最中に攻撃してくるとは、無礼な奴だ」
二人の会話を無視して俺は再び発砲をしたが、男は頭に穴を開けたまま話しかけてくる。
「不死身かこいつ? 一体どうなってやがる」
「あれは死体を操っているだけだから、いくら攻撃しても無駄よ」
どうやらあれは死霊魔術師本人ではなく、仮面を付けた死体を動かしているだけらしい。元々死んでいる身体だ、俺の攻撃が効いていないのも納得できた。
「アイツは普段から隠れて死体を操っていて、自分からは姿を見せないような陰険な奴なのよ」
「酷い言われようですな。元来死霊魔術とはこういうものです。自ら身を危険に晒すなど、それこそ三流の証です」
「お前の本質などどうでもいい。こっちは死体を相手に遊んでいる暇はないんだ、道をあけてもらうぞ」
銃身の熱が冷めたのを見計らい、セミオートにしていたセレクターレバーを再びフルオートに切り替える。単射が効かないのなら動けなくなるまで連射すればいい、そう思いながら俺は銃の引き金を引いた。
「むっ……ぬぅぅぅ!」
男の身体はなすがまま俺に撃たれ続ける。死体を相手にしているとはいえ気持ちのいいものではなかったが、意外だったのは男の横にいた鎧が下がったことだ。
「くくくくく……素晴らしい。銃という武器はここまで強力なものなのか。この身体に宿りし魂が抜け落ちてゆく……」
全ての弾丸を撃ち終えると、耐えられなくなったのであろう死体がその場に崩れ落ちる。
「ふむ……身体が動かぬな。死してなお、私に協力してくれた人間のモノだから大切にしたいが……致し方なし」
「そこまでやられたらどうすることもできないでしょう? さっさと姿を現したらどう?」
「それは少し、私の力を見くびりすぎですよ、魔王様」
クレアの言葉を聞いた死霊魔術師は、仰向けで倒れた男の死体のまま尚も嗤う。
「来なさい、紅蓮」
グレンだと……
死霊魔術師が誰かの名前を呼ぶと、それまで奥の通路に隠れていた魔王鎧が姿を現す。あの鎧を着ている奴の名前がグレンなのだろうか? だとすれば、俺にとっては気が引ける名前を付けてやがる。
魔王鎧は倒れている男の枕元に立つと、その死体に向けてクリスタルのような物を落とす。それは男の体に吸い込まれるように消えて、再び死体は起き上がった。
「うそ……」
「やれやれ、まったく無茶をしてくれたものだ。なかなか気に入っている身体なのですがね」
あれだけ撃たれたのに男の体は全て元通りになっている。銃創すら全くない、ボロボロになっているのは服と仮面だけだ。
「一体何をしたの? というか、そのお父様の鎧はどうやって作ったのよ!?」
「そう捲し立てなくとも、教えて差し上げますよ。そのためにこの身体でここまで来たのですから」
今度は先にあの鎧を倒そうと考えていた俺は、その言葉を聞いて踏みとどまる。わざわざ謎を説明してくれるというのだ、それを聞いてからでも遅くはない。
「そうですな……まずはこの先代魔王様の鎧ですが、貴女様が思っている通り、本物ではありません。ある力で複製した物です」
「複製? お父様の鎧を複製だなんて、そんなこと……」
そこまで喋ったクレアが、俺の方に視線を向ける。彼女の頭によぎった思考はわかる、俺やルナなら簡単にコピーできるだろう。
「この世界には不思議な能力を持った人間がいる、私はその者の協力を得たのですよ。そう……貴女様と同じようにね」
「まさか……勇者の力?」
「くっくっく……そのとおりでございます」
死霊魔術師は、勇者の力を借りてあの鎧を複製したと言ったが、俺は別のことに気を取られていた。
クレアに勇者の協力者なんていたのか?
そう。協力者の話なんて俺は聞かされていないし、クレアの傍には侍女のマリアしか居なかった。何かを助けてもらった後別れたのなら気にしなくてもいいかもしれないけれど、いまだ協力関係にあるのならば、その話は聞いておかなければならない。
「その者の言葉ではレプリカ……と言いましたかな。貴女様が勇者の力で魔大陸を脱出する前に、魔王城で密かに複製をしておりました。贋物とはいえ、本物に勝るとも劣らない出来栄えですよ」
先程戦ったクレアの祖父の鎧見る限り、その言葉に嘘はないのだろう。ねがいの魔法ほど優れた力を持った奴が他にいるとは思えないが、似たような創造の力なら、マリンさんから聞かされたアーサー王という前例もある。
「さっき使っていたクリスタル、あれは命石という物か?」
「ほう……ただの無知な護衛、というわけでもないのだな。そうだ、その通りだ」
俺の質問に、男は正直に肯定する。あのレプリカ野郎を見た時に、薄々そんな予感はしていた。
少し前に吸血鬼の屋敷に潜入した時に、科学者風の男が俺の鎧姿を見て、自分の仲間だと勘違いをしていた。それはおそらく、こいつらがあの男の協力者だったからなのだろう。
「命石っていうのは何?」
「文字通り、人の命を封じ込めた石ですよ」
「人間の命を……」
「えぇ、そうです。人間というのは、遥か昔から面白い実験を繰り返していましてね。他人の命をこの石に加工して使い、延命や老化の防止を図る。本当に……哀れで素晴らしい種族だ。私は以前から、その研究に協力をしていたのですよ」
「なんで……アンタがそんな事に協力しているのよ? 死霊魔術師は、生きている人間に興味はないはずでしょ」
「ははっ、確かに! 確かに貴女様の仰るとおりだ。人の生を伸ばすための研究に力を貸すなど、死霊魔術師としては本末転倒」
クレアの一言に一本取られたかのように、男は可笑しそうに嗤う。
「ただこの石は延命の他に、人柱になった者の魔力を好きに使えるという副作用がありましてね。不足する魔力を補うことができて、とても便利な物なのです」
冥王がこのクリスタルをどこで手に入れたのかは知らないが、奴もこれを使って自分の魔力を補給していた。もしかしたら、あいつもこいつらと何か関係があるのかもしれない。
「そんな物を作って、どうするつもりなの?」
「私は真の魔人を創り上げる」
「真の……魔人?」
「えぇ。純魔族や真竜すらも圧倒する者……そう、かつての魔神のような存在を!」
「そんな者を生み出してどうするのか知らないけれど、ロクでもない事は確かね」
「同感だ」
クレアの言葉に同意しながら、俺は握っていたグリップに力がこもる。
「俺からも一つだけ聞きたい」
「なんだね?」
「お前は、冥王と呼ばれる者のことを知っているか?」
「冥王? そのような名前の真竜の存在は知っているが、最初から逸脱した力を持つ竜族など、私には関係ないですね」
それは冥王ではなく冥竜王だ。しかもそいつは、とっくの昔にクローディアによって討伐されている。
こいつらと冥王は何の関係もないのか? まぁ、やることに変わりはないが。
「やはり最強のモノを生み出すには、自らの手によって創り上げるに限る」
「アンタ、人の命を何だと思っているのよ!」
「初めから、貴女様の同意を得られるとは思っていませんでしたよ、元魔王様」
耳が痛いな……
人の命を弄ぶという事なら、一度死んだアリスのジイさんを生き返らせた俺も同じだ。
魔王のくせに、ずいぶんと良心的な事をいうクレアの言葉に胸を痛めながら、俺はもう一度敵を倒すために奴らと対峙した。




