第210話 街の噂
お昼にちょっとしたお好み焼きパーティを開催した俺は、かなり体力を使い果たしていた。
結局あの後もお好み焼きを焼き続けて、結構な重労働をしていたのだ。
竜人の姉妹の食欲が底なしだったのもあるけれど、戻ってきたアリスたちまで俺の料理が食べたいと言ったのでそれに答えた。
「つ、疲れたぁぁ……」
「おつかれ……クロ」
ベッドに身を投げだした俺に、ルナが優しく労ってくれる。ルナとアリスは毎日こんな苦労をしているのかと思うと、感謝してもしきれない。
「ルナ、いつもありがとうな」
「ん……?」
「唯でさえ人数が多いのに、アリスと一緒に毎日俺たちの食事を作ってくれてるだろ。だから、ありがとう」
「気にするな……ワタシとアリスが好きでやっていることだ」
「う、うん」
見た目は可憐な美少女なのに、彼女のセリフは相変わらずカッコイイ。俺と二人っきりになると甘えてくるルナの態度も可愛いけど、母親の喋り方の真似をしている今の彼女も、見た目のギャップと相まった魅力がある
「ルナはかわいくてカッコイイな」
「ふ……当然だ」
ルナは俺の言葉に背筋をピンと伸ばして胸を張る。ここ最近はいろいろあって疲れているだろうに、俺の前ではそんな姿はおくびにも出さない。
「ルナ」
俺はベッドに寝転がったまま手招きをする。ルナは数秒ほど固まっていたけど、すぐに笑顔になって俺に抱きついてきた。
「んふふ。くろぉ……」
甘えた声で擦り寄ってくるルナをギュッと抱きしめる。たまにはこんな風に、二人の時間を過ごすのもいいだろう。
「体調は問題ないか?」
「ん……だいじょぶ」
「俺のために魔力をくれるのはいいけど、あまり無理はするなよ」
「……ん」
ルナはこの世界に来てから、ずっと俺に自分の魔力を捧げていた。情けないことに最近になるまで気づかなかったのだが、彼女がいつも俺に裸で寄り添っていたのはそのためだった。
普通に生活できるくらいの魔力は俺の血を吸うことで補っているらしいけれど、彼女が弱っている大部分は俺のせいでもある。
もっと、強くならないと。
人の身で神の力を扱うには、半端な強さでは全然足りない。黒斗のおかげで前世の自分と接する事ができるようにはなったけど、現在を生きているのは俺自身なのだから。
「クロ」
「なんだ?」
「クロのためにちからをつかうのは、わたしの意思。ワタシもクロには消えてほしくない。だから、クロの魂を安定させるためにソフィと協力している」
「……そういうことか」
ルナは表情を引き締めてそう言ってくる。彼女が大切にしていた黒斗の魂の欠片は、とても不安定なものだ。いつかは俺と同化してしまう存在だけど、彼女たちも消えてほしくはないと思っているのだろう。
ソフィアのほうも大丈夫かな。
俺はルナの体を抱きしめながら、今この場にはいない女神のことを想う。
「クロ……他の女のことを考えてる?」
「うぇ!? な、なんで?」
「なんとなく……そんな気がした」
なかなか鋭い。俺はどうにか誤魔化そうかとも考えたが、彼女に失礼なので正直に答えることにした。
「ちょっと……ソフィアのことをな」
「やっぱり」
「そんなに分かりやすかったか?」
「ん……クロはすぐに顔に出る」
「そうか、悪い」
「クロはソフィに甘いけど……別にいい」
出逢ったばかりの頃は言い争いまでしていたのに、二人はいつの間にか仲良くなっていた。ルナは俺の生き方についてもやたら寛容だ、どうしてそこまでしてくれるのだろうか。
「ルナ」
「ん……?」
「俺の中にいるクロエにな、自分を好きになってくれる女の娘たちの想いに、ちゃんと答えろと言われたんだが……ルナはどう思う?」
「クロの好きにすればいい」
「ルナはそれでいいのか?」
寛容だといっても、彼女が嫉妬をしてくる場面は何度もあった。ルナだって普通の女の子だ、やきもちを焼いたりするのも当然だ。
「いい。クロには……今度こそ本当に幸せになってもらいたいから」
「ルナ……」
その言葉を聞いた俺は、ルナを抱く腕に力がこもる。ここまで言ってくれる彼女に、自分は一体何が出来るのだろうか。
「俺は絶対に……君のことも幸せにする」
「こうしていられるだけで……わたしはもう十分幸せだ」
「ルナ……」
「クロ……」
俺たちはしばらく見つめ合った後、どちらからともなく口づけを交わす。それは今までで一番長いキスだった。
「あのぅ……そろそろよろしいでしょうか?」
「……ん?」
「うわっ!?」
ベッドで横になりながら見つめ合っていたら、突然足元から声がかかる。俺が慌てて起き上がると、部屋の入口付近に二人のメイドが突っ立っていた。
「な、なんだお前ら……」
「何だと言われましても、食事の後にお伺いすると伝えましたよね」
部屋の入口に立っていたのはクレアとマリアだ、マリアとは確かにそんな約束はしていた。
「ずっと見てたのかよ」
「一応ノックはしましたよ。けれどまったく気づかないようでしたので、悪いとは思いましたが入らせていただきました」
全然気づかなかった……
しれっとした表情のマリアと会話をしていると、ふとクレアのほうに注意が向く。
うぉ、顔真っ赤だな。まさかずっと見られていたのか?
マリアはいつも通りの表情なのに、クレアは耳まで赤くなっている。しかも視線がキョドキョドと不審だ。
「ルナ様、良い演技をありがとうございます」
俺たちの傍に音もなく寄ってきたマリアが、隣りにいるルナに小声で話しかける。
「役に立った?」
「えぇ、バッチリです。男と女の関係がどういうものなのか、お嬢様もこれで理解できたと思います」
演技……だと……
二人の会話を聞きながら、俺はものすごくショックを受ける。先程まで互いに愛をささやき合っていた行為が演技だと言われたのだ、これほど衝撃的な言葉はない。
「もっとすごいものも……見せられたよ?」
「さすがにまだその段階ではないので、また今度でお願いします」
「ん……わかった」
どうやら俺には内緒で、ルナとマリアは妙なことを企んでいたらしい。
「る、ルナ……全部、演技だったのか?」
「ん? ワタシは本気でクロを愛してる」
「そ、そうか」
「おやまぁ……お熱いですねぇ」
話をはぐらかされたような気がするが、ルナの顔が至極真面目だったので、俺はそれ以上は追求しなかった。
◆◇◆◇
「亡霊の噂?」
「はい、今街で話題になっています」
マリアが俺に伝えたかった話は、街で噂になっている亡霊の事についてだった。
彼女が食材の買い物に時間がかかっていたのは、この噂が気になっていたからだという。
幽霊の目撃情報は、吸血鬼の屋敷の近くの森だ。初めに目撃したのは肝試しみたいなことをしていた子供達だけだったが、その後も大人たちも目にしたとのことだ。
「そりゃあんなに鬱蒼とした森なら、夜に幽霊くらいは出るんじゃないか?」
アリスのジイさんも俺のせいで生き返ったとはいえ、元々は幽霊だったのだ。いまさらこの世界では亡霊が出るなんて言われても、何ら不思議には思わない。
「それが、亡霊を目撃するようになったのはつい先日のことらしいですよ。しかも、ある目撃者は夜ではなくお昼に遭遇しています」
「それは……気になるな」
ここ最近になってその森で変わったことと言えば、ルナが人払いの結界を壊したことだ。そして吸血鬼の屋敷では、ひと騒動あったばかりだ。
「つまり、あの屋敷がなにか関係していると?」
「私はそう思います。なので、一緒に調べに向かってもらえませんか?」
「やだ」
「即答ですか……」
真面目な表情で頼み事をしてきたマリアが、少しだけ驚いたように目を見開く。魔物の討伐なら喜んで引き受けているところだが、そっち系は断固として断る。
「少しくらい考えてくれてもいいじゃないですか」
「やだよ、俺幽霊苦手だもん」
「もんて……無駄に可愛いのがイラッとしますね」
「そもそもお前たちが、そんなものを気にしてどうするんだ」
幽霊なんてのは傍迷惑な存在だが、あの森に行かなければ遭遇することもない。この屋敷で暮らしている限り食べ物に困ることもないので、彼女たちがラシュベルトに住んでいたときみたいに、森にまで食材を取りに行く必要もないだろう。
「そうですね。正直に話しますが、魔族が関係している可能性があります」
「魔族が?」
「えぇ。考えてみて下さい。あまり人が足を踏み入れないような夜ならともかく、日が出ている間に亡霊が彷徨いているのはおかしいでしょう?」
「それはまぁ……そうだな」
「もし私の考えが当たっているとしたら、その原因は、私が知っている魔族がこの近くにいるのかもしれません」
「そんな気持ちの悪いやつと知り合いなのか?」
「はい。ネクロマンサー……死霊魔術師と呼ばれている気持ちの悪いやつです」
「ほう……」
そいつは人間の死体を弄んで、ゾンビやスケルトンを操ったりしているらしい。そんな事を聞かされたらますますお近づきにはなりたくなかったのだが、横にいるルナは興味津々で話を聞いていた。
「それと、これは不確かな情報なのですが。この街の中で数人の女性が、夜中にヴァンパイアに襲われたという情報もあります」
「ヴァンパイアって、吸血鬼のことだよな」
「えぇ、そうですね」
「ん……?」
俺とマリアは会話をしながら、ルナの方へと視線を向ける。
まぁ、ルナじゃないけどな。
ルナは血を求めて徘徊したりはしないし、そもそも俺以外からは吸おうともしない。アリスが提供すると言っても、彼女はそれを断ったくらいだ。
亡霊騒ぎに、吸血鬼の噂か。やっぱり、あの屋敷がなにか関係しているんだろうな。
「クロ」
「どうした?」
「吸血鬼退治に行こう」
「えっ? 退治するのか?」
「ん……」
俺の言葉にルナは力強く頷く。同族に会いたいというのならまだわかるけれど、退治を提案されるとは正直意外だった。
「あんまり行きたくないんだけどなぁ……まぁ、しょうがないか」
今はまだ噂程度のものだったが、このまま放っておくと俺の大切な女の娘たちが被害に合うかもしれない。無理やりそう納得して、俺は腹を括る事にした。




