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第208 愛称

 

「だいぶ扱えるようにはなってきたみたいね」


 転送用の魔法陣から戻ってきたクローディアが、そんな感想を口にする。


 彼女と試行錯誤の末に、ようやく形にできたのがこの魔法陣型のゲートだ。本当なら冥王が創ったゲートみたいに、もっとそれっぽく作りたかったのだが、それはなかなか巧くできなかった。


「時間はどう?」


「えっと、戻ってくるのに五分くらいかかってる」


 俺は懐中時計を見ながら返事をする。クローディアが欲しているのは時間ごと転移できるゲートだ、これでは意味がない。


「そう。歩いたほうが早いわね」


「ぐむ……」


 その一言が俺の胸に突き刺さる。ゲートの先は屋敷の中なのに、これを使わずに普通に移動したほうが早かった。


「そうねぇ……次元魔法よりも先に、時空魔法を練習した方がいいのかしら」


「そもそもこれ、本当に必要なのか? お前には転移魔法があるだろう」


 彼女の目的はこの屋敷と、北の大陸のクローディアが住んでいる家をゲートで繋ぐことだ。


 クローディアは勇者が使うことが出来る転移魔法を持っているので、どうしてもこれが必要だとは思えない。


「ちょっとした保険よ、この家ほど安全な場所はないからね」


「保険?」


「そ、シアのためのね」


「聖女の保険って、なにか危ない目にあったりしているのか?」


「今そんな目にあっているのなら、あの()の傍を離れてまでこの大陸に来ていないわよ」


「それもそうか」


「あの()の立場を考えると、将来的に不安の種がないとも言い切れないから」


 クローディアは憂いを帯びた顔で聖女の話をする。その様子は俺のことよりも彼女のことを心配しているようだ、二人は一体どのような関係なのだろうか。


「とにかく、今は時空魔法の特訓を優先するわよ。もう一度魔法を使ってみなさい」


「少し休憩しないか? そろそろ魔力が尽きそうなんだが」


「また? あなた魔力だけは多いのに、どうしてそんなに効率が悪いの?」


 俺の言葉にクローディアが呆れたように返してくるが、もう三時間くらい魔法を使いっぱなしだ。時空魔法は結構な魔力を消費するので、内包する魔力が無尽蔵でない限りすぐに尽きる。


「本当に、残り少ないわね……」


 俺のステータスを確認したらしきクローディアは、少しだけ驚いたような表情をする。


「霊草を身体に塗ったのに、マナの吸収効率が悪いのか」


「どういう事だ?」


「それを身体に塗ると、大気中に漂っているマナを吸収する特徴があるの。霊草自体に魔力を回復する効果はないわ」


 彼女の説明では、霊草の使い方は不足している魔力を補うことらしい。これを身体に塗っていると、息を吸う様に空気中のマナを体内に吸収するので、魔力不足の時にはより効果的なのだそうだ。


「マナがあまり魔力に変換されていないのかしら」


「マナと魔力って、一緒じゃないのか?」


「微妙に違うのよ。そうねぇ……マナは不純物が混じっていなくて、自然そのものの魔力なの。魔力の質は人によって違うから、そのまま体内に吸収しても効率的とはいえないわ」


 この世界の魔法使いが自然のマナを使用する時、精霊の力を借りたり、魔導具を利用して魔力に変換したりしている。


 クローディアが言うには、俺には雪の精霊がついているし、おまけに氷属性の魔法が使える。だからなにも言わずとも、マナの扱いに長けていると思っていたみたいだ。


 そういえばクロエの魔法を使った時、自分の魔力じゃないものを利用してた気がするな。


「精霊がついているというか、勝手に居候しているだけだぞ」


「そうなの? 精霊との契約はどうなっているの?」


「契約? そんなものしてないけど」


「あきれた……」


 クローディアがため息をつき、畳の上にそっと座る。俺もかなり疲れていたので、彼女の隣に腰を下ろした。


「精霊があなたに攻撃したからおかしいとは思っていたけど、普通は勇者に危害を加えないように契約をするものなのよ」


「ふーん」


「関心がないわね」


「だって俺、勇者じゃないし、あんまり気にしても仕方がない」


「よりによって、どうして魔皇なんか選んだのよ」


 それは多分、蔵人(魔皇)の自我が強すぎたせいだ。俺もできれば黒斗(勇者)のほうが良かった。



「つまりあなたは、魔術の基礎ができていないのね」


 さんざん思慮したクローディアが、俺のことをそう評する。


「ねがいの魔法の使い方と、魔力を高める方法はルナに習ってたけど」


「それはあなたが生まれ変わった直後から、その魔法を持っていたからでしょ? 普通の人間なら魔術というのがどういうものなのか、そこから習い始めるところよ」


 確かに彼女の言う通りだ。俺は始めからねがいの魔法が使えたので、魔術というものが本来どういうものなのかを理解していない。


「それじゃ、どうするんだよ? まさか今から、学校に行けなんて言ったりしないだろうな」


 この世界にも一応学校はある。アリスも子供の時は通っていたみたいだし、魔法の専門分野もあるそうだ。


「魔導都市にある学び舎なら通う意味はあるだろうけど、あなたが普通の学校に行っても意味は無いわね」


「ギルさんから話には聞いたことがあるけど、俺は平凡な平民だからあまり行きたくはないな」


 魔導都市アルツベルゲンにある魔法学園は、魔法使いの将来のエリート候補や、金持ちの貴族がステータスのために通っているような所らしい。


「あなたが平凡? 冗談でしょ」


「平民なのは事実だ」


「あれだけ女を囲っていて、貴族になるつもりはないの?」


「囲うって……貴族はその、ジイさんが嫌ってるっぽいからなぁ」


「別に、貴族が嫌いというわけではないんじゃが……」


 今まで道場の真ん中で、瞑想をしていたジイさんが反応する。


「御祈りは終わったの?」


「誰にも祈っとりゃせんわい。それよりもお主ら、そこら中にある魔法陣はちゃんと消すんじゃぞ」


「わかっているわよ」


 俺たちは今まで、地下の道場でゲートを創る練習をしていた。周囲を見渡すと、そこら中に失敗作の魔法陣がたくさんある。


「ジイさんは貴族が嫌いだったんじゃないのか?」


「貴族自体が嫌いなわけではない、ワシも元貴族じゃしな。ただ、ワシの息子のように女にだらしない奴が嫌いなだけじゃわい」


 ジイさんの息子のアルバートさんとやらは、女と見たら手当たり次第に自分の子供を孕ませていた。アリスの母親は妾ですらないメイドで、しかもその責任をほとんど放棄したろくでなしだったらしい。


「あなた……遠回しに非難されていない?」


 ジイさんの話を聞かされたクローディアが、同情するような目で俺のことを見てくる。


「ボウズはあやつとは違う」


「私には、違いがわからないのだけれど」


「そうじゃのう。たとえば生き方、じゃな。強者に媚び諂い、弱者には目も向けぬ。名のある貴族の息子として生まれたから仕方がないのやもしれぬが、己の財を増やすことしか興味がなかったのじゃ」


「それは、貴族なら当たり前の生き方じゃないの?」


「そう……じゃな」


 クローディアの一言に、ジイさんは少しだけ寂しそうに目を伏せた。


 もし貴族になったとしたら、俺もそんな生き方をしてしまうのだろうか。


「初めて出来た息子に浮かれて、しっかりと教育しなかったワシのせいじゃな。あやつにもワシの剣を教えていれば或いは……いや、もはや過ぎたことじゃ」


「まだ遅くないぞ」


 後悔の念に苛まされるジイさんのことが見ていられなくなり、俺は力強く声をかける。


「ここに似たような境遇の、しかも真面目に修行に取り組む弟子がいるじゃないか」


「たわけ。折角のワシのフォローを台無しにしよってからに」


 俺の言葉にジイさんは呆れたようにため息をついたが、その表情はどことなく嬉しそうだった。




 ◆◇◆◇




「あのエルフの女に、マナの使い方を教えてもらったらどう?」


「エレンさんに?」


 ジイさんが汗を流しに風呂に向かったあと、俺は再びクローディアと話し合う。


「エルフならマナの扱いは得意だから、効率よく教えてもらえると思うのだけど」


「なるほど」


 強くなるために、エレンさんから魔法のことを教えてもらうのは悪くはない。


 それに、ルインからの手紙のこともあるし、一度相談した方がいいだろう。


「クロ様」


 俺たちの話し合いが一段落着くと、リアの妹のディアナが道場の中に入ってきた。


「なんだ?」


「なに?」


「えっと……」


 名前を呼ばれたので返事をしたら、クローディアも俺と同時に声を出す。


「あなたじゃなくて私のことでしょ」


「そ、そうだろうけど。俺もリアから似たような呼ばれ方をするから、少し紛らわしい」


「確かに紛らわしいわね。ディアナ、ちょっと呼び方を変えなさい」


「……クロ?」


 呼び捨てか。


 ディアナが俺の方を見ながら名前を呼び捨てにする。その呼び方にも慣れているので別に構わなかったが、クローディアがなぜかダメ出しをしていた。


「そうね、私の方を普段通りエリカと呼びなさい。二人っきりの時はあの名前で呼ぶことを許可したけど、貴女たまに間違えるからいい練習よ」


 どうやらクローディアは、信頼できる者には神名を教えているらしい。普段はエリカと呼ばせているみたいだったけど、ディアナは間違えて呼んでしまうことがあるみたいだ。


「貴女が間違えて呼ぶことがあるから、実は腹黒だとか黒幕だとか、他の勇者から嫌な噂をされることがあるのよ」


 それは嫌だなぁ……


「ご、ごめんなさい……エリカ様」


「あぁ! 大丈夫よ」


 その言葉を聞いたディアナが泣きそうな顔になり、それを見たクローディアが慌てて彼女の体を抱き寄せる。


「そ、そうだクロフォード。あなたもこの()に、可愛い愛称をつけてあげたらどう?」


 無茶振りだな。


 いきなりそんな事を振られても、可愛い愛称など思いつくはずがない。


 うーんと。姉のリアトーナはリアだから、ディアーナは……


「でぃ、ディア……とか?」


「一文字減っただけじゃないの」


 確かにクローディアが言った通り、ディアナ呼びから一文字削っただけだ。だけどそれ以外は思い浮かばなかった。


「ディア……嬉しい……」


「嬉しいの?」


「はい」


 俺もどうかと思っていたけれど、しかし本人には好評のようだ。


「母様が、わたしのことをそう呼んでくれてました。それに、くろ……エリカ様の名前とよく似ています」


「そう……」


 ディアナの返事を聞いて、クローディアは再び彼女のことをギュッと抱きしめる。


 リアの身代わりに生贄にされそうになっていたらしい彼女は、リアのことをとても恨んでいたみたいだったが。リアが奴隷の身に落とされていた話を聞くと、もう姉に喧嘩を吹っかけなくなった。


 彼女たちにもそれぞれ複雑な事情があるのだろうけど、クローディアはディアナを故郷に帰すつもりはないのだろうか。


「それで、なにか用事があったの?」


「お腹が空きました」


 ディアナの髪をなでながら優しく話しかけていたクローディアは、その返事に毒気を抜かれたような表情をする。


「アリスはまだ帰ってきていないの?」


「はい」


「出かけているのか?」


「あなたが疲れているみたいだったから、あなたの代わりに領主のところに行ったのよ」


「なんだと……」


 折角俺がジルベールさんからアリスを遠ざけたのに、彼女は一人で向かってしまった。これは早く彼女の所へと行かなければならない。


「大丈夫よ。二人の兄と姉が一緒について行ったから、なにも起こらないわよ」


 俺が心の中で慌てていたら、それを読んだらしいクローディアがそう言ってくる。


 彼女には考えていることがバレバレだったみたいだ。俺は一人ほっとため息をつき、クローディアやディアナとともに道場をあとにした。


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