第200話 クロスゲート
うるさいな……
俺の耳元で、女たちが言い争っているような声が聞こえてくる。
もう少しゆっくりと休みたい気分ではあったが、さすがにこれでは落ち着けそうにない。
「う……ん……」
「起きたみたいよ」
「クロード!」
薄ぼけた俺の目に飛び込んできたのは、すごく対照的な二人の女性の姿だ。
片方は見慣れた紅と白の巫女服を着ていて、もう片方は動きやすそうな蒼と黒の西洋風衣装に身を包んでいる。
綺麗な長い髪も対比的だ。薄い茶色が混じった赤い髪に、海のような青い髪の色。
それぞれが腰に差してある武器にも、日本刀と西洋剣の違いがある。二人の女性は共に美しく、見比べれば見比べるほどその魅力に取り憑かれてしまう。
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
「あ、あぁ」
呆けるように二人に見とれていると、アリスが心配するような目つきで声をかけてくる。
自分の体を確かめながら、俺は彼女の質問に答える。俺が特に気にしていた尻も痛くはなかった。
「エレンがアナタの体を治療してくれたから、後で礼を言いなさいよ」
まて。
それは……エレンさんに尻を見られたということか?
確かあの時の俺は、怪我らしい怪我を負っていなかったはずだ。
それでも治療をしたということは、怪我をした場所はお尻の部分しかない。
「クロード……だったわね。私のことは覚えている?」
何ともいえぬ羞恥心から体をモゾモゾとしていると、アリスとは正反対に表情を引き締めた女に名前を呼ばれる。
「クローディア……なんだろ?」
戸惑いがちな俺の返答に、クローディアがふっと笑みを浮かべる。
彼女はそれ以上言葉にしなかったけど、それだけで俺たちは通じ合えたような気がした。
「クローディア? ちょっと! 貴女、私に教えた名前は偽名だったの?」
つい先程まで俺の心配をしていたアリスが、いきなり表情を変えてクローディアに突っかかる。
「別に偽名ってわけじゃないわよ、まだ説明の途中だっただけでしょ」
「あ……そうだったわね。クロード、アナタに聞きたいことがあるわ」
「き、聞きたいこと?」
アリスは再び俺の方へと向き直ると、表情はそのままで俺のことを睨んでくる。なぜか、怒っているように見えるのは気のせいなのだろうか。
「アナタ……結婚していたこと、私にどうして黙っていたの?」
「へ……? 結婚?」
「エリカがそう言ったのよ、自分はアナタの妻だって」
一瞬だけ、エリカって誰だ? そんな聞いたことが無い名前の女と、俺は結婚した覚えなど無い。
などと思ってしまったが、今の状況で全てを理解する。エリカというのは、クローディアの今世の名前なのだろう。だとしたら、俺たちは離婚していないので夫婦のままだ。
でも……神族どうしの夫婦って、生まれ変わっても続くものなのか?
「クロード……どうして黙っているの……」
変なことで考え込んでいると、アリスが涙目になって俺を見てきた。
「これには深い事情が……って、ああもう、泣くな」
「うぅ……」
アリスが本気で泣きそうになっていたので、俺は彼女の体を力いっぱい抱き寄せた。
「愛されているのね」
「お前……楽しんでいるだろ」
「ふふ、ごめんなさい」
俺たちのやり取りを見ていたクローディアが、ニヤニヤとしながらそう言った。
◆◇◆◇
「前世で夫婦だったって……それって、今は他人じゃないのよ!」
アリスが落ち着いた頃に、俺は自分とクローディアの関係を彼女に話した。
どうやら俺が寝ている間に、クローディアがクロフォードとの馴れ初めをアリスに話し、彼女はずっと落ち込んでいたらしい。
敢えてクロフォードの名前を伏せていた当たり、こいつは性格が悪い気がする。
「私の話を聞いておたおたするあなたが、あまりにも可愛くてね。つい、意地悪しちゃったわ」
クローディアのその言葉を聞いた俺は、反射的にアリスのことをギュッと抱きしめる。
「な、なに?」
「別に盗らないわよ……」
突然の行動にアリスが戸惑っていて、クローディアは俺たちを見ながらため息をつく。
「こっちの大陸まで聖女との噂が届いているんだ、危機感を覚えるのは当然だろう」
「噂? あぁ、あれか」
「え? え?」
クローディアと聖女の仲が怪しいと教えてくれたのはアリスだ。今は余裕を無くしていて忘れているみたいだが、猛獣を前にして隙きを見せるのはよくない。
「シアをそんな目で見てはいないけど、私たちもいろいろあるのよ」
「そうか」
もしかしたら杞憂なのかもしれない。俺はそんなことを思いながらも、アリスの傍から離れようとはしなかった。
「なるほど。あなたは……随分と苦労をしてきたのね」
俺は改めて、クローディアに自分の前世のことを全て話した。
彼女は俺が話し終えるまで、一言も喋らずに聞いていてくれていた。特に黒斗と黒乃の話をしている時は、沈痛な面持ちで肩を落としていたほどだ。
「私は、ずっと後悔していた。あの人の変わりに……何も知らない彼に原初の力を授けるのは、自分のわがままに過ぎなかったと」
クローディアは俺の顔を見ながら、ぽつぽつと懺悔をするかのようにつぶやく。
俺の中で聞いてるかもしれない、黒斗に語りかけているのだろう。だから俺は黙って聞いていた。そして、彼女の言葉が終わったとき、あいつが口にするだろうという想いを伝える。
「俺、いや……僕は後悔していない。だって、神さまがねがいの魔法を授けてくれたおかげで、僕は大好きなルナに出逢えたのだから」
クローディアが、少し驚いた顔で俺のことを見る。最初はあいつの代わりをしようと思ったけど、いざ言葉にすると、不思議とスラスラと自分の感情が出てきた。
そうだな……
俺たちはルナに逢うことができたんだ。俺もお前と同じ気持ちだ……黒斗。
「クローディア?」
「ごめんなさい。少しだけ……こうしていて」
クローディアは少しだけ震えながら、俺に抱きついてくる。
アリスの方を見ると彼女が頷いていたので、俺はクローディアのことを優しく抱きしめた。
「……ありがとう」
◆◇◆◇
「ゲート?」
「えぇ。あなたとあの男を勘違いしたのは、あれの存在が大きかったのよ」
クロスゲート――
クローディアは、異次元トンネルのことをそう呼んでいた。
俺が思っていた通り、あの異次元の入り口は冥王が創り上げたものらしい。
この世界と異なる世界を繋げているゲート。彼女が調べた限り、あれがこの世界に出現したのは数千年以上前にもなるそうだ。
「そんな昔から、冥王は何かを企んでいたのか」
そう……だよな。
少し考えればわかることだ、俺は今まで何度も生まれ変わっている。数十年しか生きられなかった時代もあったけど、俺が一度生まれ変わるのに、どれだけの年月が過ぎているのかわからない。
ルナは……いったいどれほどの時間を孤独に過ごしてきたのだろうか。それを考えると胸が締め付けられる。
「冥王の痕跡は世界中にあったけど、奴を見つけることはできなかった。あなたがラシュベルトで遭遇した者も、本体ではないでしょうね」
「そうか……」
クローディアの話を聞く限り、ラシュベルトで奴が俺の目の前に現れたのは、俺の中の時空神のことを確かめるためなのだろう。
けれど、俺は別に気になっていたことがある。あの時の奴の姿が、俺の中の二人の人物と重なったことだ。
「少し、席を外すわ」
「どうした?」
「私の従者が帰ってきたのよ」
クローディアは竜人の少女と執事を、ゲートがある黒い森の奥に行かせていたらしい。
俺はそれを聞いて焦りだす。あの場所には、ソフィアとトリアナの二人の女神たちが居たからだ。
「クローディア、エリカと呼んだほうがいいのか? ちょっと、あの場所のことで話があるんだが」
「大丈夫よ。あの場所にいた女神には、手を出すなと言っておいたから」
「そ、そうか」
俺が安堵する顔を見届けたクローディアは、軽く手を振りながら部屋から出ていった。
「クロード」
「アリス、心配かけたな」
二人きりになった俺たちは、どちらからともなく体を寄せ合う。
俺がおかしくなったことや、クローディアのことで彼女には心配をかけすぎた。
「本当よ、まったくもう……」
アリスは俺の頭を自分の胸に押しつけて、そっと髪を撫でてくる。
近ごろの俺は、彼女に子供扱いというか、弟扱いをされているようにも思えた。
「おかしくなっていたときのこと、覚えてるの?」
「アリスが戻してくれたんだよな、神剣で……」
「それは忘れて」
アリスが語気を強めて言ってきたので、俺は無言でコクコクと頷く。
ちなみにあの後アリスの神剣は、クローディアが魔法で綺麗にしてくれたそうだ。
「その、わるかった」
「アナタが戻ってきてくれたから、もういいわよ」
「あぁ」
アリスが俺の顔を見ながら、優しく微笑む。俺はそんな彼女のことが愛おしくて、そっと唇を重ねた。




