第191話 流浪の勇者
森の中を移動し続けて数時間後、俺たちはとある場所で立ち止まる。
別に魔物がいたわけではない。ただ少し、警戒する出来事があっただけだ。
「え゛いっほー……え゛いっほー……」
「人の声がするわね」
アリスの言う通り、少し離れた場所から声が聞こえてくる。
その声に遅れて、ガッガッと何かを打つような音と一緒にだ。
「こんな森の奥に、人なんているの?」
シェリルさんの疑問は甚だ尤もだったが、俺には心当たりがある。
というか、聞こえてくる訛声にもの凄く聞き覚えがあった。
あいつだろうなぁ。
声が聞こえてくる方向のマップを確認する。
そこには、俺にとって友好的な青いマークがひとつだけぽつんとあった。
「先を急ごうか」
聞こえてくる声は目指していた場所とは別の方角なので、俺は無視することに決めた。
「えっ、確認しないのですか?」
「確認した方が、いいと思いますが」
しかし俺のそんな態度が予想外だったのか、メルティさんとマリンさんがそっちに行こうとする。
「わ、わかりました。危ないので俺が見てきます、ここにいてください」
流石にあいつのあんな姿を、こんな所で女の子たちに見せるわけにはいかない。
俺は女の子たちが行こうとするのを阻止して、一人で奴の所へと向かうことにした。
「クロードさん、一人で大丈夫ですか?」
「害はないので、大丈夫ですよ」
俺はエレンさんにそう告げて、草薮の中に入っていく。
「危ないのに……害はない?」
草をかき分けながら進んでいると、背後からエレンさんの疑問の声が聞こえてきた。
「はぁ゛ぁ゛ぁ゛……どっごいしょ」
草薮を抜けて目的の場所に着くと、緑色の男が切り株に腰を下ろしていた。
付近には丸太と伐採斧が地面に置いてある、どうやら木を切っていたようだ。
「おい……」
「あんれぇ? おめぇ、また来ただか?」
話しかけてくるオークの男の姿を見て、俺は全身の力が抜ける。
声の主がこいつなのはわかっていたが、まさか腰布一枚で木こりをしているとは思わなかったのだ。
「おまえなぁ、何だよその格好は? 俺たちが渡した鎧はどうした?」
「鎧が? ちゃんと持っできてるだ」
俺の質問に、オークの男はポンッと切り株の横にあった腰帯を叩く。
自分の家に置いてきたり、無くしてしまったわけではないようだ。
「じゃぁなんで……そんな格好をしているんだ?」
こんな人がいないような森の中でも、オークのパンイチ姿を見るのはキツイ。
いやもう、パンツではなく完全に布だ。いくらなんでもこれはないでしょう。
昨日はボロとはいえ、それらしい服のような物を着ていた。なのになぜ、今日はこんなにも野生に帰ったような姿なのだろうか。
「あ゛ぁ、服を乾がしているからだよ」
男はそう言って、木の上の方を指差す。
つられて見てみると、確かに木の間に紐を通して、そこに掛けてある服があった。
「洗濯してるのか」
「んだ。近くにある湖で、服と体を洗っできたんだべ」
なるほど、そういうことか。
どうやらこいつなりに、体臭が臭いというのは気にしていたらしい。
あの女性騎士に散々言われてたようだからな。もっとも、こいつが怪我を偽ってからは、リーザさんはその事をひたすら謝っていたけど。
「おめぇは、何で戻ってきただか?」
「あぁそれは……」
「クロード」
またこの森に戻ってきたことを説明しようとしたら、背後から名前を呼ばれる。
振り返るとそこには、俺の帰りを待ちきれなかった女性陣が全員でこっちに来ていた。
「いったいなにがあった……の……よ……」
「きゃぁぁぁ」
アリスが喋っている途中で語尾が小さくなり、続いてメルティさんの声らしき悲鳴が上がる。
「オーク!?」
「あ、トンちゃ……」
「さがって!」
男の姿を見たシェリルさんが驚き、笑顔で挨拶しようとしたリアをエレンさんが下がらせる。
あ、まずい。
俺が気づいた時にはもう、エレンさんが弓矢を射った後だった。
はや!?
「ひぃ!」
オークの男は悲鳴を上げながら、頭を抱えてしゃがみ込む。
魔法の矢は男の頭上を素通りして、奥にある木に当たった。
「ちょ、まったまった! エレンさん」
一射目は反応できなかったが、続けて二射目を射ようとしたエレンさんを慌てて止める。
「なぜ止めるのですか!」
エレンさんの両腕を俺が掴むと、彼女は声を荒げて叫ぶ。
今まで見たことがない形相だ。世の女性が皆オークを忌避しているというのは、本当のことらしい。
「落ち着いてください! 信じられないかもしれないけど、あれは敵じゃないです。ていうか、俺の知り合いです」
「……正気ですか?」
俺は彼女に、真顔で正気なのかと問われる。
周囲に視線を向ければ、あいつのことを知らない女性たちは皆、エレンさんと同じような表情になっていた。
「クロ坊が言っていることは本当なのじゃ。ほれ、昨日あの女を助けた男の話をしたじゃろ? それがあのオークなのじゃ」
俺が言いたかったことを、白亜が代弁してくれる。
あいつのことを知らない女の子たちにとって、俄には信じ難い話かもしれないけど、事実なので仕方がない。
「冗談でしょ……」
「オークが女性を助けるなんて……」
「信じられない……」
アリス、メルティさん、シェリルさんが、それぞれ似たような感想をつぶやく。
とてもすぐには信じて貰えそうになかったので、俺は時間を掛けてあいつのことを説明した。
「トンちゃんは、わたしのともだちです」
「ん……あれはわるいオークじゃない」
「わかったわ。あのオークは、とても変わっているみたいね」
リアとルナの熱い説得もあって、アリスたちは分かってくれたようだ。
問題のオークの男は、俺たちが話し合いをしている間ずっと体を震わせて怯えていた。
「私は、お兄様のことを信じます」
レティの俺への信望が厚すぎる。何がそこまで彼女を信じさせるのだろうか。
「アリスさん、あまり近付かないでください」
男に近づこうとしていたアリスを、エレンさんが引き止めた。
過保護な彼女だけは、オークの男をずっと警戒しているようだ。
「怖がらせて悪かった」
俺はオークと女性たちの間に立ち、男に向かって謝罪する。
「い、いいだよ。あれが普通の反応だべ」
「そう……なんだろうな」
悲しいことだけれど、女性たちから忌避されている魔物への対応は、こんなものだろう。
「あの女性はいないんだか?」
オークの男はちらちらと女性たちの方を見て、俺に質問をしてくる。
リーザさんのことを聞いているのだろう。俺が彼女はいないと伝えると、男は安堵したような表情を見せてきた。
「ここの近くにある村が、魔物の被害に遭ったらしくてな。あの人はその村の救援に向かった」
「そうだか」
「俺たちはこの森で魔物が増えすぎた原因を探っているんだが、お前は何か知っているか?」
昨日聞き忘れたことを、男に向かって尋ねる。
オークの男は何かを知っている様子だった。俺の質問を聞いて、考え込むような仕草をする。
「頼む、知っているなら教えてくれ」
「魔物が増えだ原因は知らないけんども、その魔物たちがどごから来だのかは知っているだ」
男の話しでは、ここからもう少し北に向かった場所に穴があり。その穴の中から、今まで見たことのない魔物が次々と出てきていたらしい。
「穴か……」
「んだ」
「それが迷宮の入り口なのか」
「迷宮? あ゛ぁ、ダンジョンのことだか? この世界のダンジョンは、変わっているんだなぁ」
そういえばこいつも異世界人だった。誰に召喚されたのか分からないらしいけど、迷宮のことも知らないみたいだ。
「そうか、参考になった。後は俺たちが調べてくる」
「そうだか。見えない壁があるけんども、気をつげるだよ」
「見えない壁?」
「んだ。最近になっで、北の方に出来だ壁だ」
少し前まではその場所に行けたらしいが、最近になって見えない壁のような物に阻まれ、その先には行けなくなったとのことだ。
結界でもあるのか?
「わかった、用心しておく」
オークの男との話しを切り上げて、俺は女性たちが待っている場所まで戻る。
エレンさんはずっと我慢していたのか、俺が戻ってくると皆を急かすように移動し始めた。
「トンちゃん、バイバイ!」
「おぉう!」
リアとオークの男が手をブンブンと振り合い、俺たちは元の場所へと戻ってきた。
「あのオーク、随分と流暢に会話していたわね」
「知性が高いのでしょうか」
シェリルさんとメルティさんは、俺とオークの会話に驚いていた。
俺はこの世界のオークをまだ見たことがないので、どんなに違うのか理解できない。
「あのオーク、信じられないかもしれませんが……ステータスに、異世界人と勇者の称号がありました……」
「うそ……」
「それは本当ですか?」
ぽつりと呟いたマリンさんの一言に、シェリルさんとメルティさんが雷に打たれたような顔をする。
マリンさんも、ステータス鑑定を持っているのか。
「勇者召喚で、魔物が召喚されたなんて話は聞いたことがないけど」
「流浪の勇者なのでしょうか」
あの男本人も自分のことを理解していないので、俺たちがいくら考えても分かるわけがない。俺は無理やり話題を切り上げさせて、まずはあいつが言っていた穴を調べることを提案した。




